ガン・闘病記-3(写真をクリック拡大)
不肖、安藤達己:4週間の入院で“直腸ガンを切除・生還”:平成22年2月22日
普通ならエレベーターは受付の前へ出るが、院内専用のエレベーターで、手術室に運ばれた。手術台に乗せ変えられると、すでに麻酔医が待機。全身麻酔だから脊柱の直ぐ横に麻酔薬を注入する。”すごい痛み”を覚悟していたが、チクリ、チクリと表面麻酔らしきものの後に、全身麻酔薬が注射されたので、思った程は痛くなかった。
気が付いた時は、すでに病室。お腹の中に違和感があるので痛み止めを点滴に混ぜてもらった。これで良く寝られそうだ。2月13日:午前、待望のガスが出た。小便のチューブは外されて、シビンになり、ベッドに起き上がる練習をするが、腹筋が弱くなり簡単には行かない!夜になるとイレウス管の入っているノドは乾き切り、タンが詰まって息苦しい、咳をすれば術後の腹が痛み、どうしてもタンが切れない。ついには、呼吸も苦しくなって来た。
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慌てて看護婦さんを呼び、詰まったタンの吸引を頼んだ。まず、吸引チューブをノドではなく、右の鼻から差し込み、かなり深いところから”吸い出す”これが痛くて苦しい。かなりのタンを吸い出したらしく、呼吸も、少しは楽になって寝むりに着いた。2月14日:タンを切る”飲み薬”が出た。が、それでも真夜中になると”タン”が絡み、放っておけば窒息するんじゃないかと思う程の苦しさだ。またまた、看護師さんに吸引して貰う。幸いなことに、この事態は2日で治まった。2月15日:流動食を開始。メニューはクズユ・水の様なオカユ・プリン、味も無くスプーンで3杯位掬って口に入れたが、直ぐに止めた。ところが、この流動食を口にして数時間後、”便意をもようし”ベッドから動けないから”おむつ”の世話になる。それから、出るわ、出るわ!この3週間、何も食べていなかったのに、体のどこに溜まっていたのだろう2時間おきに、粘液便が出続けた。
16日:T先生、私の部屋にやってくると、イレウス管から、もう何も排泄されていないのを確認して、管を抜き始めた。2週間も入っていたから、どこかに、はり付いていたのだろう、痛いっ!パリッと言う感じで抜けて来た。一部切り取って繋いだ直腸の外側からの出血を体外に出していたチューブも役割を終えて外され、残ったのは、大静脈に入っている点滴のチューブだけーー
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2月18日:最後の点滴チューブも外され、自由?の身となる(笑)。便も”軽い下痢”状態になり、自分でトイレに行って用をたす。一々、看護婦さんを呼ばなくて済むだけでも、気分的に楽だ。それと同時にリハビリも始まった。1ケ月、殆ど”寝たきり”だったから、ちょっと歩くだけでもふらつく。最初の2日は理学療法士に来て貰ったが3日目はリハビリ室に出向いて行った。驚いたことにスタッフは全員若く、男女共イケメン揃いだ。部屋も広いし、これならリハビリも結構楽しくなりそうな気がする。食事も3部・5部・7部ガユになり、オカズの味もしっかり付いていた。
2月22日:院内をかなり歩ける様になったところで、退院の許可が下りた。勿論、退院しても、外来で通院しなければいけないのだろうが、今は、日常生活に戻って一日、一日を楽しもうーー転移・再発を恐れるより自己免疫力を信じて、大らかに生きる方が私らしい、誰にだって寿命はあるのだから--(終り)
一度は聴いて You Tube!安藤達己が撮影した動画をバックに安藤達己が作った音楽が4曲!:このページ左上・赤字・安藤達己オリジナルソング:下:Sampaguita・Bosanova- princess・サンパギータ・ボサノヴァープリンセス をクリックして下さい。
入院余話:
大分歩ける様になって、院内を見て廻る。正面入り口を入るとホールになっていて、とても病院とは思えない。窓際にはランが数鉢飾られ、小コンサートホールの様な雰囲気だ。受付は二階で、たっぷりとスペースが取ってあった。もう、昔の病院の様な陰気さは何処にも無い。各階に、飲み物の自動販売機までセットされ、テーブルに座ってゆっくり出来る。
そうそう突然”火災警報”が鳴り響き、全員非難するように、何度も、何度もスピーカーから呼び掛けていたっけ。私も慌てて、ベッドの上に起き上がったが、チューブに繋がれているから、避難なんて出来ない(苦笑)。看護師さんもT先生も、慌てて顔を出し”誤作動”だと言う。やれやれ!それでも放送は10分以上続いていた。
いよいよ、退院の準備を始めると、お世話になった看護師さんが次々に、顔を出してくれた。T先生を始め、お世話になった病院スタッフの皆さん!嫌な顔もせず”我がままジジィー”の世話をやいてくれて、有難う。お陰様で無事退院に、こぎ着けました。