2010年07月25日

ダヴァオ紀行:その61 ゴルフ事情(写真をクリック拡大)

アポ・イリグチ.jpg海外旅行でレジャーと言えばゴルフだろう。ダウンタウンにあったラナン・ゴルフ場はショッピングモールに鞍替えするそうで、今はない。それでも、ダヴァオ周辺には、写真を撮らせて貰ったアポゴルフ&カントリークラブ。パロスバルテスとマティナゴルフと計3ケ所のコースがある。いずれも広々として、距離の長い贅沢なゴルフ場だ。ここアポゴルフ場も時々、プロの公式戦を開催出来るほど本格的なリンクスだった。クラブハウスも重厚な造りで、事務所とレストランに挟まれた通路を通り抜ければ熱帯の樹木に囲まれたフェアーウエイが目に飛び込んで来る。約束の時間は午前11時。ダヴァオに住む日本人3人がスタートするのを撮らせて貰うことになっていた。気温はすでに30度を越えている。私には暑くてクーラーが恋しい温度だが、こちらに住んでいれば、暑さはいつものことで、慣れっこになっているのだろう。
ナイスショット.jpg私がティーグランドに着いた時には、キャディー達と談笑しながら、それぞれ、フォームのチェックに余念がなかった。ダヴァオではプレイヤーに一人ずつキャディーが付く。そのキャディーもプロなみの腕を持つ人が多い。プレイヤーに的確なクラブを選んでくれるだけでなく、アドヴァイスもしてくれる。が、池やクリークに向かってボールが飛んで行くと、誰が教えたのか”社長!ボチャン”などと、短い日本語をしゃべったりする。これが当たってるから腹が立つ(笑)。日本のルールでは考えられないが、1番ホールだけティーショットを2回打てる。勿論、2打目は上手く打てた方のボールを選ぶ。今回も、それぞれが2球ずつ打ってフェァーウエイに出て行ったが、週に何回もコースに出ているのだろう。3人とも流石に上手い。フォームも綺麗だし、緑に包まれた芝生の上をゆったり歩くのは気持良さそうだがーーでも、暑いよ(笑)。
1番ホール.jpgキャデー・アンブレラ.jpg3人が手を振りながら2打目に向かって歩いて行ったところで、冷たいものが欲しくなってレストランに向かう。途中、時々、ダヴァオへゴルフをしに来る日本人グループに出合った。若いダヴァオ娘が3人同道している。てっきりゴルフを楽しみに来たお金持ちのお嬢さん達と一緒かと思いきや!これがアンブレラガール(プレイヤーが暑くない様に傘をさす専門職?)だった。勿論、男性キャディーさんも3人。プレイヤーは3人だが、総勢9人の団体さんになる(笑)。こんな豪勢なゴルフを楽しむと”いくらかかるのだろう?”そこが貧乏人には一番気になるところだから、聞いてみた。まずは、プレイフィー2,000-ペソ・キャディーフィー:250-ペソとチップ・アンブレラガール150ペソとチップ・カート:700-ペソだった。合計するとお一人様大体3,000-ペソ(6,000円)位だ。勿論、こちらに住んでいる人はアンブレラガールもカートも使わない。と言う値段だから、まぁ、”大名ゴルフを楽しむ”と考えれば、安いものかも知れない。ただし、汗だくになるのを覚悟の上で、ですぞ!

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ケイタイ1.jpg狙われる携帯電話:フィリピンでは携帯の人気が物凄い!日本の携帯が持つパソコン的な機能はないし、第一インターネット網と接続していない。発展途上国はどこも、固定電話があまり普及してなかった上に携帯なら電波をキャッチするアンテナをセットするだけだから簡単だ。そう言うわけで、ダヴァオを歩いていると50メーター間隔で、携帯用のアンテナが立っている。高層ビルが少ないお陰で(?)、せいぜい20メーター位の電波塔があれば事はすむ。
アンテナ.jpg小高い丘の上はアンテナ軍団の様相だ。ショッピングモールでも、小売店が密集している大店舗でも携帯売り場が一番広い。数年前、マネイジャーと買い物に出掛けた時、帰りがけになって、ショルダーバッグに入れておいた携帯がなくなっていた。そう言えば、買い物の途中、電話をかけてたっけーー彼女の携帯はカメラ機能付きの、20,000-ペソもする高級品だった。誰かが、この携帯を見て、ショルダーバッグから抜き取ったのだろう。こうなったら、もう探しようがない。SIMカードを入れ替えれば、他の人の電話番号なってしまう。幸いなことに、こちらの携帯はプリペイド式だから、盗まれた携帯料金を払う心配はない(失笑)。この携帯が質屋に持ち込まれたのか?中古品で売られたのか?はたまた、盗んだ本人が使っているのか?それは、分からないが、ダヴァオに滞在中は、他人が欲しがりそうな物は人前で見せないのに越した事はない!
その代表がお金・携帯電話(特にSIMカードを変えられるもの)・デジカメ・I ポッド・I パッドと言うわけだ。海外では盗難に気をつけましょう!

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2010年07月04日

ダヴァオ紀行:その60 華僑成功の秘訣!(写真をクリック拡大)

レストラン・スタンド.jpg東南アジアの国々で、経済界を支配しているのは華僑だ!ここダヴァオでも、”チャイナタウン”があるし、中華レストランも目につく。たまたま親しくなったL・ファミリーの出身地も華僑のメッカ、福建省だった。初代がどんな理由で母国を後にしてフィリピンに渡って来たのかを、”知るよし”もないが、現地の人は”家の軒先を貸りて、中国人が商売を始めると、10年後には、母屋も中国人のものになっている。”と表現する!誤解のないように解釈を付けると、”それだけ商売に長けている。”と言う意味だ!華僑が言葉も文化も違う異国で実業家として成功するには大変な苦労があるに違いない。勿論、海外に住む華僑同士、当然、助け合いながら商売を軌道に乗せて行くのだろうがーー
gorkitchen.jpgL・ファミリーの2代目は借家で小さなレストランを始めた。テーブルが4ッつだけだったと言うから、裕福な生活ではなかったろう。それなのに現・3代目はフィリピン大学出身だ!2代目は苦労して3代目の学費を稼ぎ、3代目は親の期待に応えて名門大学を卒業。親子の信頼関係が目に見えるようだ。3代目が最高学府を卒業し、L・ファミリーにも明るい光が射し始めた12年前、生活の拠り所・レストランを火事で失った。こんな苦境を乗り越えて、現在の場所でホテル業をスタートさせることが出来たのも、大学時代に築いた友人関係と3代目の人柄によるところが大きかったのだろう。ここにも華僑が成功するカギが隠されている。成功している華僑に共通しているのは、子供に最高の教育を受けさせていることだ。優秀な生徒が集まる大学で学べば、現地の知識人と触れ合う機会が多くなる。親の期待を背中に、猛烈な努力で、期待に応える子供達。華僑家族には、日本で失いつつある強い信頼の絆がある。事業が軌道に乗っても、”初心を忘るべからず。”3代目は、今も厨房に顔を出し、料理の陣頭指揮を取り、レストランの客の満足度には何時も目を光らせている。改善点があれば、即座に直す。このサービス精神があればこそ、事業が安定するのだろう。
sherwin2.jpg3代目には2人の男の子がいる。二人共カナダの大学を卒業。次男は現在、カナダで弁護士として活躍。長男は家業を継ぐ為に帰国。その後、台湾で中語学を学び、更にマニラで経営学の修士課程を終えて、ホテル業を継ぐ準備は整った。4代目の目標はまずホテルを拡張。現在の70客室から200客に増やしたいとのことだった。
3代目も、4代目も中国の文化と伝統、そして健康保持のため、毎朝、プール脇で太極拳を実践している。パーテー・リハ.jpg中国人に取って、太極拳の意味するものが何なのか?私には想像もつかないが、恐らく”古代から伝わる心の鍛錬”と言う意味合いがあるのだろう。こうして”華僑の伝統は親から子へ、孫へ”と受け継がれて行く。
私が昼食を摂っている時だった。突然、ヴァイオリンとピアノの音が響き渡り、レストランの脇で生演奏が始まった。クラシック音楽には、まるで知識の無い私だが、結婚式によく使われる音楽のようだ。音の来る方に目をやると、4代目と可愛い女性が聞き耳をたてていた。”そうか!近じか結婚するような話”を聞いてたっけ。簡単な音合わせだったのだろう、演奏はすぐ終わり、二人はレストランのテーブルに陣取った。どうやら両家の重鎮が集まっているようだ。ちょっとズーズーしいが、4代目に”写真を撮らせて欲しい”と頼むと、”彼女は写真が嫌いでーー”と口ごもった。私は失礼を詫び、踵を返した時、女性が口を開いた。”ブログを書いている日本人の方ですか?”。私のことを知っていたのだ!”良いですよ、写真をお撮り下さい。”と4代目とヴァイオリニスト誘ってくれた。結婚式の日取りは、”ジューンブライドですね。”と言った記憶があるから、確か6月。今頃はハネムーンの真っ最中かも知ませんね。
ともあれ”ジューンブライドと新郎の未来に幸あれ!”

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トラックオウテン.jpg交通事故:ダヴァオ編・ダヴァオ郊外の稲作地帯に出掛けた時のことだ。トラックが横転し、積み荷が散乱していた。どうやら車同士の接触事故らしい。片側2車線の幹線道路だが、みるみる渋滞が始まった。この地点から、1時間のドライブで稲作農家に到着。昼食を御馳走になり、帰途に着いた。しばらく走った所で、ノロノロ運転が始まった。何と!横転したトラックも、事故を起した車もまだ同じ場所にある。警官が現場検証しているらしいが、邪魔な車を”どかす”様子は見えない。どう考えても事故発生から4時間は経っている。
思わず、”さっさと車を邪魔にならない路肩に動かせばいいのに”とつぶやくと、友人が、”ダヴァオで交通事故を起して、車を動かすと、車を動かした方に責任がある”ことに成ってしまうそうだ。”な~る程。そう言う考え方もあるか?ーー”。と妙なところで納得したが、渋滞に巻き込まれた方は浮ばれない(笑)。ダヴァオで交通事故に出くわしたら、帰りは迂回して同じ道は避けた方が良い。急激に進む車社会も、時には困った現象を産み出す。本当に”ア~ぁ”だよ!


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2010年06月06日

ダヴァオ紀行:その59 2010年・ダヴァオ雑記(写真をクリック拡大)

BPIメイン.jpg今年は大病を患った反省から、ダヴァオでの援助がスムーズに行くよう、新マネイジャー・グレンダが当会の基金から必要な$をBPI銀行から引き出せる手続きをしようとした。これが簡単に行かない!銀行からの残高証明と私のパスポートを持って弁護士のところへ。弁護士が書類を書き上げると、私の名前をサイン。この費用が400ペソ(800円)。この書類を銀行に持参して200ペソを支払うと、来年以降、私がダヴァオへ行けなくてもグレンダがお金を引き出し、当会の活動を続けられることになる。
イ・ジープニー.jpg途中にあったガソリンスタンドを覗いてみるとレギュラーでリッター、45ペソ。一時ほどではないが、値段は高止まりしていた。庶民の足・ジープニーの値段を聞いてみると、やはり高くなっている。昨年は全線一律7ペソだったのが、今年は1キロまでなら10ペソで乗車距離が1キロ増えるごとに1ペソを足す料金になっていた。結局、ジープニーは倍近い値上がりと言うことになる。タクシーも右に同じで、初乗りが30ペソ、交通渋滞の激しいダウンタウンでは、日本と同じ様に3分毎に2,5ペソ足されるそうだ。利用する側からみれば5割位、値上げされた感じだった。
ドリアンスタンド.jpgタベル3ニン.jpgドリアンは今が旬なのだろうか?イーグルセンターの帰り道で、ドリアンを売る屋台を見つけた。昼食が終ったばかりだったが、これは別腹?生徒たちも食べたいと言うから、車を止め、値段を聞いてみると1キロ40ペソだと答えた。これは安い!2年程前、1キロ80ペソもした時があったっけ。早速、”大きえめ”のやつを量ってもらうと3キロ。総勢7人、食後のデザートとして丁度良い量だ。ドリアンは食べ時が難しい、うっかり買って帰ると若くて食べられない事もある。だから現地の人は包丁で切れた裂け目から指を突っ込み、味見をしてから買っている。今回は、その場で食べるから、何の問題も無い(笑)。店の人が包丁を入れ、一塊を取り出したのを食べて見た。これは美味い!15分もすれば綺麗に平らげ、これで思い残す物はない!今日のスケジュールはこれにて終了。
ユニス1.jpg今年、高校を卒業したユニスが”当会への”お礼状を持って、会いに来た。私達が応援している生徒の中には途中で、高校を止める子が結構いる。その理由はいろいろ有るのだろうが、この問題は現地のマネイジャーに任せるしかない。ホテルのレストランでジュースを飲みながら、ユニスの話しを聞くと、”大学の学費を稼ぐためにアルバイトをしている。”小さな”ヤキトリの店”らしいが、時給が9ペソ(20円)。1日、8時間働いて72ペソ貰っているそうだ。大学に進学するのも、日本と違い、取りたい教科ごとにお金を払い。試験で合格点をとれば、その教科の単位を貰える。貧しくても大学に行ける制度には違いないが、それにしても1年間にかかる費用は1万ペソを超えるだろう。こんな話を聞くと、胸を締め付けられるような気がするが、無事、大学を卒業してくれるのを願うしかない。

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ウエイトレス.jpgダヴァオ雇用情勢:私が泊まるグランドメンセン・ホテルでも、半年後には殆どの従業員が代わる。何年も勤めているのは管理職の人達だけらしい。このレストランで”にこやかに客を迎える”お嬢さんたちも、私が半年後に宿泊するころには、多分居ない。失業率が4割(政府発表は3割だが)を超えるダヴァオでは、雇い主が圧倒的に有利だ。まずは見習い期間があり(2週間位かな?)、採用となれば3ケ月間の契約社員として働く。3ケ月経てば、再契約されることが多いらしいが、仕事があるのはそこまで。後は、新しい仕事を捜さなければならない。
ユニスの時給が安くて気の毒、に思うかも知れないが、ベビーシッター(労働時間は雇い主任せ)が1ケ月、1,200~1,500ペソ程度、学生アルバイトなら、こんなところが相場なのかも知れない。ホテル・銀行に勤めたって、契約社員の給料は5,000~6,000ペソとのことだった。ある雇い主は、”従業員が突然辞めるので”、困る。と嘆いていたが、労働者の嘆きはもっと深刻だろう。こんな雇用情勢だから、どの産業でもスペシアリストが育ちずらい。今回の総選挙で大統領も代わったことだし、もうちょっと、ましな雇用条件で、国民の能力を引き出して欲しいと、思うのだがーーー

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2010年05月30日

ダヴァオ紀行:その58 まずは”イーグルセンター”へ(写真をクリック拡大)

イラッシャイ.jpgグレンダ・3人.jpg今年はダヴァオで生徒の世話をするマネージャーがラニーからグレンダに変わり、奨学生も2人が卒業、1人が転校して行ったので、高校1年生になる男子生徒が3人加わった。ダヴァオに到着するや、グレンダに連絡。新加入の3人をホテルに集め、フィリッピンの国鳥、フィリッピンワシを見に行くことにした。当日、ホテルのレストランで可愛いウエイトレスの挨拶を受け、生徒の自己紹介を聞きながら全員で朝食。PEF(フィリッピンワシ本部)の車が迎えに来ると、イーグルセンターに向けて出発。道路が良くなったお陰で、40分も走ればセンターに到着。”フィリッピンワシ本部”のオフィスもダウンタウン・ルビー通りから、日本国の寄付で建設されたイーグルセンター内の建物に引っ越していた。
フィリッピンワシ・ソト.jpg今年も、3月に4組いる”ナチュラルペアー”から新しいヒナが1羽誕生。9月には、このヒナを野生に戻す計画だ。これまでの失敗を乗り越えて、今度こそ成功して欲しいが、人間に育てられたワシを自然に帰すのは簡単じゃない!現在、このヒナを含めて、園内にいるフィリッピンワシは35羽。ここ3年、人工授精によるヒナの誕生が聞かれないと思っていたら、精子を提供し続けて来たジュニアーが昨年、生涯を終えたとのことだ。推定年齢30数歳。その代役候補には人工授精で誕生したジュニアーとデオラの息子パガサとパグカサイサが上がっている。しかし、充分成鳥(18歳)になっていても、いまだ父親に成れていない。オリの外を知らずに育ったワシに、正常な繁殖力を期待するのは無理なのだろうか?
生徒達がビデオを鑑賞して、フィリッピンワシの現況を理解したところで、イーグルセンター内を案内して貰った。勿論、絶滅の危機にある何種類もの猛禽類が飼育されているが、ミンダナオ島固有の動物も居る。
パームシベット.jpgグラスオウル.jpgセンターの主のようなワニも健在だったが、夜行性のパームシベットを見たかった。ネコ科の動物で雑食性。コーヒー農園でシベットが特に良く熟れた豆の外側を食べ、消化出来ない豆を排泄。このマメを使ったコーヒーを飲むことが”通”の信仰のようになっている。1カップ分(10グラム)の原価が¥12,000-。スタッフの了解を得て、ヘビに気を付けながらシベットのオリに接近。普段なら寝ている筈の昼間なのに、雑草を踏み付ける私の足音に驚いて眼を覚ました所をパチリ。グラスオウルは小型のフクロウで、せいぜい25センチ位。もっぱら草原を餌場にネズミ、トカゲを食べているのだとか、農家の人からは”作物を守ってくれる鳥として”愛される存在になっている。
イノシシ.jpg他にもイノシシ、シカ、サル、ヘビ類もいたが、ブーゲンビリヤの下で昼寝をしているイノシシが何ともユーモラスだった。日本のものより小さめで、牙も目立たない。食通の話しだと、”ダヴァオ周辺のイノシシはドリアンが好きで、肉質は良い”そうだが、イノシシがあのトゲだらけの皮をどうやって剥いて食べるのか?真偽の程は、ハッキリしない。その内、イノシシ料理を出すレストランを見つけて、食べてみなくては、と思っているが、実現するかどうかーーー試食できた”あかつき”には、味の程を詳細に描写して、お知らせしますよ!

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ミンダナオ選挙・殺人.jpgフィリッピン総選挙の結果:今年3月、選挙戦が始まるとすぐに、ミンダナオ島マギンダナオ州で現州知事の息子が対立候補者の立候補届け出を妨害しようと武装集団(私兵)を使って襲撃。大量殺人事件になった。こんな事件が起こるようじゃ、選挙前にダヴァオへ行くのは危ないと、選挙(5月10日投票)が終ってから出掛けたが、現地は意外なほど、落ち着いていて、選挙結果に異議を唱える議員も居なかった様子だ。18日の新聞では、最後の当選者・3人の上院議員が決定、素早い選挙結果の発表を褒め称えていた。
大統領選は大方の予想通り、元大統領・コラソン、アキノ氏の長男が圧勝。アロヨ前大統領も下院議員にめでたく当選。故マルコス夫人・イメルダも下院議員に、長男は上院議員に、長女は州知事にそれぞれ当選。今も変わらぬイメルダの知名度と根強い人気を印象付けた。ダヴァオ市でもダーティーハリー(嘘か本当か、自ら腰にピストルをぶら提げ、ハーレーダビットソンで走り回っているとか)ことドトルテ前市長が副市長で市長の補佐にまわり、何と市長はドトルテの娘がなっていた。これも立派な世襲政治家と言うことになる。そう言えばアロヨ前大統領の父親も大統領だった。日本と同じで、フィリッピンも世襲議員の多いこと!”下衆のかんぐり”かも知れないが、政治家って、よっぽど良い商売なんだろうなぁ。”羨ましいかぎり”でんなぁ~

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2010年05月02日

ダヴァオ紀行:その57 バナナ・プランテイション(写真をクリック拡大)

パトカーシロバイ.jpg車4台を連ねて出発する段になって、驚いた!先導するのが”白バイ”。最後尾には護衛の”パトカー”が付いた。市庁舎からプランティションまでは20数キロ。車の往来が多いメインストリートを走る。車が増えてくると、白バイがサイレンを鳴らし、対向車を邪魔にならないよう路肩に寄せる。お陰様で、こちらの車は止まることも無くスイスイと目的地に向った。他の車に申し訳ないような”後ろめたさ”を感じたが、市長から市賓として迎えられると、こう言うことになるのかと納得して車窓からの景色に目をやる。ヤシとバナナの木が点在し、郊外ならどこにでもある景色だ。そんな道を進むと、左側に金網が現れ、中の木は全てバナナで他の植物は見当たらない!
タデコチェック.jpg”これがプランティション”かと、ただ見とれていたが、5分も走ったところで左折。今度は両側ともバナナ畑。遥か彼方に入り口があり、守衛が立っていた。ここもノーチェックで敷地内へ。車を止めると、案内してくれるスタッフが待っていた。日本の果樹園もそうだが、木は収穫しやすい様に背が低い。バナナには虫よけなのか、日光を調節するためなのか、ビニールが被せられている。ここは元々マニラ麻を生産してた跡地で、耕作面積を聞いてみると4,800ヘクタール。5,000人が働き、住居は全て敷地内。小学校、中学校も併設されて居ると言う。世界中にバナナを供給する規模の大きさは、私の想像を遥かに超えていた。
バナナ・木1.jpgシュウカク.jpgバナナの木の根元には、複雑な溝があり”平地”じゃない。これでは農園の機械化はとても無理。作業は全て人手に頼るしかない。バナナの植え方もプランテイションの”ノウハウ”らしく畑の写真は撮らないでくれと言うことだった。収穫されたバナナはハリ金に吊るされ、ハリ金はバナナをぶら下げて工場に吸い込まれて行く。一日の収量が40トン。ここから先は人海戦術で出荷作業に入る。
ショウドク・アライ.jpg何層にもなっているバナナの房をはずし、浅い水槽に浸して手早く消毒殺菌すると形と大きさを揃え、13,5キロずつ手作業でダンボール箱につめる。毎日、3000箱も仕上げると言うから、”流れ作業”でこなして行く。何列もある作業台の前にずらり並んだ人垣は壮観だ!一連の作業が終れば、箱積めされたバナナは、パナボ港に運ばれ、冷蔵庫で出荷を待つ。冷蔵庫はバナナが傷まないように14℃に保たれ、船積みされた船倉もコンテナー内も厳格に温度調節されている。余談になるがパイナップルは16℃で保管され、輸出されるとのことだった。
ツミサンバシ.jpgレイゾウ.jpg工場見学を終えると、パナボ港へ移動した。広々とした港には大型貨物船が3隻。バナナのブランド名が違えば荷を運ぶ船も違う。今回はデルモンテ用貨物船の乗船許可を取ってあったので、猛暑の中、汗を拭き拭き、タラップを上がって船上へ。甲板にはパイナップルを積んだコンテナが並び、クレーンで吊り上げられたバナナを船倉に積み込む作業の真最中だった。今日は天気が良過ぎて、鉄板に覆われた甲板は、まるで焼けたフライパンの上に居るようだ。早めに船を降りて案内されたのがバナナを保管する冷蔵庫。14℃に保たれているから、その涼しい事!”地獄に仏”とばかり、冷気に感謝。汗の引くのを待って、案内のお嬢さんに”ありがとう”を言って、バナナ・プランテイションの見学を終えた。

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フィ・大統領.jpgフィリッピン総選挙:5月10日・投票日:この国の選挙はすごい!同じ日に大統領・副大統領・国会議員・知事・市長・村会議員にいたるまで1回の投票で18,000-ポストが決まる。どの候補者の得票も候補者が支持する大統領候補の得票に結び付いているから、選挙運動も苛烈を極め、対立候補陣営を襲撃する事件は毎回のことだ。そんな訳で私のダヴァオ行きも選挙後と言うことになった(苦笑)。今回の大統領候補の中ではコラソン・アキノ元大統領の息子、ベグニノ・アキノが本命視されているが、驚いたことに汚職問題で終身刑だった筈のエストラダ元大統領も立候補している。フィリッピンの法律では2度目の大統領就任は認めて居ない筈なのにーーー
アロヨ現大統領も下院議員に立候補するとか?アキノ氏が大統領になれば、選挙公約が”腐敗政治”の一掃だから、”脛にキズ持つ”アロヨ氏は保身のためにも、国政に影響力を残したいのだろう、と言うのが一般的な見方だ。発展途上国では、最高権力者が権力の座から降りた途端、犯罪者になるケースが結構多い。そう言えば、日本にも似た様なケースがあったっけーー”今がそうだろう!”なぁ~て言ってるのは誰だ!!
マルコス元大統領夫人、イメルダも根強い人気がある。庶民の出でありながらファーストレディーまで登り詰めた事実は、今も”フィリッピンドリーム”として選挙民の心を掴んでいる。この人気に後押しされて、イメルダ氏は下院議員に、息子と娘も立候補するそうだ。
何はともあれ、5月10日が過ぎれば、新しい政治が始まる。選挙戦に負けた陣営も無用な混乱を起こさずに新しい政権の門出を祝って欲しい所だが、結果はどうなることやらーー


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2010年04月24日

ダヴァオ紀行:その56 パナボ市・バスの旅(写真をクリック拡大)

バス・ナカ.jpgバス・ギョウショウ.jpgパナボ市はフルーツカウンティと呼ばれ、輸出用の果物をプランテーション(大規模単一作物)で栽培。デルモンテ・チキータ・ドール等の名前で世界中の果実売り場に並べられる。今回、お世話になった”ダヴァオ桜会”の主催者A氏は社交性に優れ、どう言うわけか、パナボ市長とも付き合いがあった。私がバナナ・プランテーションを取材したいと伝えると、”桜会”のメンバー数人も、こんなチャンスは滅多に無いから、是非一緒にと言うことになり、参加メンバーが10人以上なったところで”市長を表敬訪問しましょう”と話はだんだん大袈裟になって行く(笑)。
それもその筈。反政府組織が暗躍するミンダナオ島では、資本家が庶民の敵と見なされ標的にされる。したがって、サンミゲールビールの工場見学の時にも感じたが、大工場や大農場のセキュリティーは想像以上に厳格だ!そんなわけで、バナナ・プランテーションの見学も市長の紹介がないと簡単にはOKが出なかったらしい。
ウンテンセキ.jpg約束の日。朝八時、ダヴァオ市のバスターミナルに到着。パナボ行きのバスに乗り込む。鉄道が一路線もないミンダナオ島では、長距離を行くとなれば、バスかフェリーに頼るしかない。発車まで、まだ10分もあるのに、大荷物を持った乗客が早々と席を占めていた。窓外にはサングラス・アメ、ガム・タバコを抱えた物売りがやってくる。運転手が休憩中で居ないのを幸い、運転席を見てみると、一昔前、東京を走っていた路線バスのように、重そうなハンドルとクラッチ。むき出しになっているスイッチ類。かなり疲れた座席。ちょっと懐かしいと言うか古めかしい雰囲気が漂っていた(失笑)。
シャナイハンバイ.jpgバスが発車すればダヴァオから約30キロ。一時間の小旅行が始まる。早速、車掌さんが座席を回り、キップにハサミを入れながらバス代の集金だ(パナボまで、エアコン付きで80円位、無しだと10円安い)。バスは右手に海を見ながら、片側一車線の道を揺れながら進む。停留所の前は、どこも小さな店が密集していた。30分も走ったところで、運転手が何故かバスの外へ、入れ替わるようにバケツをぶら下げた”売り子”が乗り込んで来た。甘いお菓子のようだが、結構、買う人もいる。”へぇー!”とあっけにとられたが、乗客にとってはいつものことなのだろう。僅か5分程の停車だったが、エアコン無しのバスに乗ってしまったから、その暑いこと。バスが走れば少しは風が入って来るのにーーーここから先は道幅もグット広くなり、人家もまばらになって来た。バス停も少なくなって、結構なスピードで飛ばす。お陰であまり暑さを感じないうちにパナボバスターミナルに到着した。

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チョウシャ.jpgキネンサツ.jpgバスを降りたところで、一緒に行動する”ダヴァオ桜会”のメンバーと合流。市庁舎に向かった。ここの庁舎は新築で立派なものだ。A氏は庁舎内に消えたきり、なかなか出て来ない。ニコチンが欲しくなったし、暑いのを我慢して木陰でイップク。同道するメンバーと世間話をしていると、A氏が現れ、庁舎内に入った。中は冷房が効いていて、居心地が良い。市長室は2階だったがエレベーターまであった。市長室に入ると、すぐにコーヒーの接待を受け、市長が現れたところで全員揃って記念撮影。
席に落ち着くと、隣に市長が座った。難しい交渉があるわけじゃなし。市長は日本に関係のある"山下財宝”の話を始めた。この”財宝話”忘れた頃に、日本でもフィリッピンでも話題になる。ここパナボ市でも本当に”金の延べ棒”を探し当てた人が居ると言うのだ!それ”山下財宝”だったんですか?と念を押すと、いや、正確には”違う"のだが、ーー戦時中に大金持ちが”金の延べ棒”を隠し、戦中戦後のドサクサで隠し場所が分からなくなり、最近になって運の良い人が金を探り当てたりするらしい。山師の間では今も、金の在りかを示す古い地図が結構な値段で流通しているとのことだ!まぁ、どこにでもある話だけど(笑)。そう言えば、ダヴァオでも金塊を探し当てた人の話は良く聞くし、コトバト州には、金鉱山が有るとか-ーー私も運に恵まれて”金の延べ棒”まで行かなくても、せめて金塊が拾えたらなぁ?!
表敬訪問が終れば、いよいよバナナプランテーションへ出発だ!

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2010年03月28日

ダヴァオ紀行:その55 オリジナルソング・日本語版(写真をクリック拡大)

年明け早々、いきなり病気の話じゃ、あまりパッしなかった。そこで、桜も咲いたことだし、陽気な音楽でも聴いて、常夏の景色を楽しみながら”気分を変える”な~んて言う、のはどうだろう。
まずは、サンパギータ・日本語版を、お楽しみください。

続いて、ボサノヴァープリンセス。

一度は聴いて You Tube!安藤達己が撮影した動画をバックに安藤達己が作った音楽が4曲!:このページ左上・赤字・安藤達己オリジナルソング:下:Sampaguita・Bosanova- princess・サンパギータ・ボサノヴァープリンセス をクリックして下さい。

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レーベルー3.jpg日本語ヴァージョン、如何でしたか?本来、全曲、英語詩でしたが作曲家の強い要望で4曲、日本語詩をつけることにしました。と言っても、譜面がなければ、何文字の日本語をどこに、当てはめれば良いのか見当が着きません。譜面を送って貰い、一語ずつ当てはめて行くのですが、作詞をした事の無い私には?、予想以上に大変な作業でした。何度か書き直して、結局、こんな詩に仕上がりました。出来上がって来た曲を聴いてみると、英語バージョンと微妙に違っていた。長さが違うから、同じ映像を付ける訳にもいかず。編集を手直ししてアップロードする、と言う手順になりました。勿論、基本的には同じ映像ですがーーー
オタマジャクシに言葉を一字づつ”当て”行くなんて、まるで本物の作詞家みたいで、思わず”てれ笑い”が出てしまいました(一人で、にやにやしてるなんて気持ち悪りぃ!)。これ、嘘のような本当の話しですよーーー

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2010年01月24日

ダヴァオ紀行:その54 サマール島 ハギミット滝(写真をクリック拡大)

タキツボ2.jpgコウモリ洞窟からメインストリートに戻って30分。ハギミット滝の標示で右折。サリサリストアーの前で車を止めた。ここも一人20ペソの見物料を払って階段を降りて行く。しばらく歩くと渓流の水音が聞こえて来た。下を覗くと林の隙間から泡立つ滝壺が見えた!まだ、かなり距離がある。例によって、この暑さ。体裁なんかそっちのけで首に巻きつけたタオルで額をぬぐうが、もう汗が止まらない。一緒に行ったお嬢さん達は、滝を見て興奮したのか歩調が速くなった。やっと階段が終わり渓流に辿り着くと、まずはタオルを流れに浸し、汗を拭いて一息。今度は川岸に沿って滝壺へ向かう。
タキ3.jpg樹木に覆われた清流の流れは速いし、両岸に張り出した樹木は、いかにも涼しげに見えるが、風が吹いてくるわけでもなく、いっこうに汗が引かない(笑)。この滝を始めて見るダヴァオ娘達は、こんな気候にはなれっこだし、なにより美しい景色に興奮して、水を掬ったり、浅瀬に入ったりして、ハシャイでいた。そこから少し行くと、小さなあずま屋が2軒。そこから流れは急流となり、下が滝壺になっていた。日本で見る滝と違って落差はせいぜい10メートル。水量も特に多くはないが、子供達の水遊びはいかにも”涼しげ”だった。
ここで一服。わずか1キロ程度とは言え、帰りの登り坂を思うと、それだけでウンザリしてしまうが、気合を入れて出発。兎にも角にも、重い足を引きずりながら、車に到着。島に何軒も無いレストランを捜し当て、遅い昼食を摂ってから、予約の入れてあるリゾートホテルに向かった。
リゾート・ホカ.jpgホテルはヤシに囲まれた白砂の海辺にあり、入り口が別々の2部屋で1軒。広々とした敷地に20部屋位だろうかーーでも宿泊客は私達5人だけ。ルームチャージが面白い!温水シャワーの出る部屋が2,200ペソで冷水シャワーの部屋が1,800ペソだって?!早めに着いたので、夕食を注文してから海辺を散歩。部屋でゆっくりしてからレストランに行ったが、待てど暮らせど料理が運ばれて来ない!1時間以上も待たされた上に、ステーキを注文したのに焼き肉が出て来た!?”これ、ステーキじゃないよ”と言うと、焼き肉を持って帰ったが、なかなか戻って来ない。やっと戻って来たと思ったら”コックがステーキはこれだ!”と言ったから、と又同じ焼き肉を持って来た。私も唖然としたが、”このリゾート”ではこれをステーキと呼んでいる(?)と諦めて出された肉を平らげた(失笑)。
ア・シンジュ1.jpg次の日の朝食も、トーストを頼んで置いたのに、出て来たのはライス。もう全員、顔を見合わせただけで、出て来た物を食べ、昼食はダヴァオに帰ってから”美味しい店”を探しましょうと言うことになった。ホテルのレストランを出ると、海に突き出した堤防の先端に小船があり、人影が見えるから行ってみた。早速、陽に焼けた青年が黒真珠のネックレスとイアリングを取り出し、安いよ!ペアーで1,500ペソだと売り込んで来る。勿論、買う気など無い!ここのホテルには、私達5人しか客は居ないのに、何時まで、客待ちをする心算だろう?それにしても、サービスが悪いせいなのか、客が少ないからサービスが悪いのか、こんなに素晴らしい場所なのに、観光客が極端に少ない。理由はどうあれ、素晴らしい自然が残るこの島を訪れる人が少ないのは、”宝の持ち腐れ”の様でモッタイナイ気がして仕方なかった。

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ニシキヘビ.jpgこれ!本当の話だよ:ルソン島の南のはじに、レガスピと言う場所がある。かなり田舎らしいが、そこから出稼ぎに来ていた女の子と仲良くなった。休みの日に、買い物がしたいから一緒に来てくれと言う。行った先は、大工道具屋さん。ノコギリ・クギ・大型のクギヌキ・クギ他をしこたま買った。自分の”稼いだ”お金を元手に、おかぁさんが田舎でブタを飼う、そうだ。その子の話だと”儲かるだよ。”となる。半年も経った頃、ブタはどうしたの?と聞くと、暗い顔をして”子ブタは全部パイソン(ニシキヘビ)に食べられた。”んだってさ。”そんな馬鹿な!いくら大きなヘビだって、何十匹も居る子ブタを全部、食べるわけないだろう。””だって、ブタの世話を任せた人が言うんだから、しょうがないんじゃない!”ときた。”あっそう!”と答えるしかしょうがない、わなぁ(笑)。
テラピア・イケ.jpgこっちはテラピアだ!田んぼの一角、20坪位を池にしてテラピアと言う淡水魚を飼うと一寸した小遣銭になるそうだ。私の友人も、テラピアを飼うことにした。上手くいけば、田の管理を任せてある一家に”おこぼれ”を上げよう、程度の軽い気持ちだった。5・6ケ月が過ぎた頃、網を入れて池をさらったが、魚が居ない!任せていた一家の主に問いただすと、”時々ヘロン(サギ)が来ていたからーー”と言った。そういえば、田植え前、”土起こし”をすると、サギが群れになって集まり、エサを食べていたっけ。
この人以外からも同じ様な話を聞いた!どうやら”頭の黒いサギ”がテラピアを食い尽くすらしい(爆笑)。そんなわけで、田んぼの一角にある池は、勝手に住み着いた雑魚の棲家になっていた。

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2010年01月17日

ダヴァオ紀行:その53 サマール島・コウモリ洞窟(写真をクリック拡大)

シュッパツ.jpgコ・バージ.jpgダヴァオから船で15分、そこにサマール島があり、海岸線はリゾートで、宿泊施設を備えた白いプライベートビーチがひしめき合っている。今回は、”島の内部を探検(?)してみよう”と、この島出身のお嬢さんに案内を頼んだ。まずは、いつもお世話になっている”日本レストラン・Akiko”の前に集合。オーナーの持つ四輪駆動でササ桟橋へ向かった。バージと呼ばれるカーフェリーに乗って(車一台270ペソ)サマール島に到着。舗装された道を10分も走ったところで、右に折れると、人家も見当たらないデコボコ道をゆっくり走る。幸い好天続きで、水溜りは無かったが、それでも、この道を普通車で走るのは、余程の腕がないと無理だ!”コウモリ洞窟”へ行きたいのだが、看板も標識もないし、道を聞こうにも人が居ない。やっとサリサリストアー(よろず屋)を見付けて、洞窟の場所を聞き出し、枝分かれした悪路を更に下って行くと、右手にレストラン風の建物があり。車が3台程、駐車出来る空地に出た。
リョウキンジョ.jpgここで車を降り、小屋の外に”ぶら下がって”いる紐を引くと、チリンチリンと上の家から音が聞こえ、青年がゆっくり階段を降りて来た。一人、20ペソを払い、階段を上がり始める。すぐに”チーチー”と小鳥の声が絶え間なく聞こえて来た。案内のお嬢さんが”ほら、コウモリが啼いてる!””えっ!コウモリって、昼間からこんな声で啼くんだっけ、小鳥じゃないの?”お嬢さんは”コウモリだ”とキッパリ答えた。それにしても、この生臭い匂い。何処から来るんだろう!全員、示し合わせたように鼻をつまんで顔を見合わせる。”これコウモリの糞よ。”ウヒャー、まだ洞窟にも入ってないのに、この匂い!この後、どうなるのかと心配になった時、”ほらっ”とお嬢さんが指差した先に、
ドウクツイリグチ.jpg高さ1メーロル、幅10メートル位の穴があり、内側は濃い茶色で縁取りされていた。よくよく見れば、茶色はコウモリの色でアリのように密集している。木陰になってるとは言え、居場所から追い出されたのか、エサの虫を食べるためなのか、明るい中を飛び回っているのもいた。確かに”チーチー”と言う、小鳥らしき声は、ここから聞こえて来る。見学者が洞窟に転落しないように丈夫な木柵で囲ってあった。が、他に観光客は居ないし、監視員も見当らないから柵を乗り越え、禁断の(?)穴を覗き込むと、ムツとする匂いが鼻をつく。壁にはコウモリがビッシリと張り付き、底は深くて見えない。それにしても、このコウモリ、何万匹いるんだろう。飛んでいる姿を見ると、かなり大きい。翼長は、ゆうに30センチ以上ありそうだ。
洞窟の中を進み、懐中電灯で天井からぶら下っているコウモリを見るんだとばかり思い込んでいた私は、上から覗く意外さにアッケに取られていた。かの、お嬢さん、そんなことにお構いなく更に階段を登って行く。すぐに階段は終り、”日当りの良い庭”の様な場所に出た。木陰で一休みして、”帰るのかと、思いきや”
アナ・ヌケ.jpgコウモリ3.jpg木立の下にある柵に寄り掛かって、下を覗き始めた。遅ればせながら、私も大きな井戸の様な穴の中を見ると、”居るは、いるは!”壁はコウモリで埋め尽くされていた。同じ様な、ほら穴と言えば良いのか、洞窟と呼べば良いのか?色々な角度で地下に延びる穴が4ッツもあった。いずれの穴にも、入り口ギリギリまで、コウモリが密集していて、合計すれば、どの位のコウモリが居るのだろう?夕方になれば、ここに居る何十万匹、いや百万匹を超えるコウモリが一斉に飛び立つ、壮大な儀式が見られたのだろうが、何も無いところで何時間も待つわけにも行かず、次の目的地・ハギミット滝に向かった。が、車に乗ってからも、頭の中ではコウモリに対するイメージの混乱が続いていた。
コウモリは可愛い小鳥の様な声で啼きますよ(え~)!明るい中でも飛びますとも(うそ~)!コウモリの棲家は、洞窟ばかりじゃありませんよ。井戸の中にだって住めますぞ(またぁ~)!

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サンパギータ.jpgサマール島に残る大戦のツメ後:案内を頼んだお嬢さんの”おばぁちゃん”が近くに住んでいると言うので、”是非、会って見たいと”頼んだ!最初は恥ずかしがっていたが、重ねてお願いすると、首を縦に振った。人家もまばらな道をはずれ、ヤシとバナナが生えた草原を少し走ると、粗末な平屋が数軒点在し、小さな子供とニワトリが木陰でノンビリ、時を過ごしていた。どうやら、どの家もお嬢さんの親類らしく、大人は玄関から顔を出し、子供は近寄って来る。奥まった小さな家の玄関に”おばぁちゃん”は腰掛け、お嬢ちゃんは隣に座った。
ロウジョ.jpg指は”ふしくれ”だって、リュウマチに侵された膝を曲げるのも痛そうだ。年齢は80歳後半だろう。若い頃”美人だった”面影を漂わせていた。お嬢さんが抱き寄せる様にして、語り掛けると”日本がフィリツピンを占領した(1942年)”当時のつらい”思い出話”を始めた。
新婚早々だった”おばぁちゃん”はセブ島に住み、村一番の美人!日本軍に占領されたら大変なことになると、夫と数人の親類を誘って”セブ島脱出”を企てた。道路を行くのは危険だから、ジャングルに分け入り、川を渡り、自給自足の生活を送りながら漁師の船で島から島へ。この逃避行は命懸けだったろう。どうにか、50日かけて、ここサマール島にたどり着き、居を構えたと話してくれた。ミンダナオ本島ではなかったので、大戦中は比較的、おだやかな生活だったそうだ。その後、子宝にも恵まれ、今は親族に囲まれて、貧しいながらも”満ち足りた老後”を送っている。
人生を激変させた日本軍や日本人に好感を持てる筈はないが、話を聞き終えて、ただ謝罪するしかない私に、おばぁちゃんは天使の様な”微笑み”で答えてくれた。

日本料理 Akiko 082-222-6825(ショッピングモール・ビクトリア 近く)

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2009年12月27日

ダヴァオ紀行:その52 安藤達己オリジナルソング(写真をクリック⇒拡大)

さて、平成21年も政権交代と言う、大きな潮目を経験して、大晦日が近付いて来ました。皆さんにとって、今年はどんな年だったでしょうか?もうすぐ、寒さの中で迎える”お正月”。常夏の島、ミンダナオ島の景色をバックに流れる軽快な音楽を聴きながら、コタツで”おぞうに”な~んて言うのも、粋じゃありませんか?
Bosanova-princess

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Sampaguita

”想えば遠くへ来たもんだ!”もう三年以上前のことになる。いつもの様にカラオケで楽しく歌って席に戻ると、お気に入りのオネーチャンが”私達の歌を作って”と言い始める。”出来る訳ないだろう!”と相手にもしなかった。ところが、数日して、パソコンの前に座っている時ーー突然、飲み屋で働く外国人女性の”望郷の想いと、故郷に遺した家族の生活が”頭の中を駆け巡り始めた。
それを文字にしてシラブル(文字数)を合わせてゆくと、何と!詩が出来てしまった。そこでこの詩を、趣味で作曲をしている友人に見せたところ、”是非、メロデーを付けてみたい”と言い、奥さんは”歌ってみたい”と言って、最初の曲”Someday”は仕上がった。
シロイスナ.jpgそれから、どうゆう訳か詩が次々と浮かんで来る。浮かんで来るから書き留める。半年も経たないうちに15曲も出来てしまった(失笑)。その中から作曲家が気に入った8曲を選び、曲を付けたところで、慣れないパソコンを”イジクリ”まわし、まがりなりにも、最初のCD完成にこぎつけ、その後、作曲家の強い要望で、4曲の日本語バージョンを加え、結局12曲入りのオリジナルでCDを完成させた。こんなのを”ヒョウタンからコマ”なぁ~んて言うのかなぁーー
仕上がれば、多くの人に聴いて欲しい!と、思っていると、友人から"You Tube"の話を聞いた。今年11月、ダヴァオに行ったついでに、エキゾチックな2曲を選び、これに相応しい動画を撮ってみようと決心した。と言っても、特別なカメラを持って行くわけじゃない、普通のデジカメで動画の標準設定。隠し撮りに近い条件だから、全カット”手持ち”で撮る。この範囲でやるっきゃない。
yu.jpgまずは現地で、素人さんにダンスらしきステップを踏んで貰って撮ったのが”Bosanoava-Princess”。ダヴァオ市内の有料公園で週末にアトラクションで踊っているプロのダンサーによるエスニックダンスを、何の予備知識もなくブッツケ本番で撮ったムービーを編集したのが"Sampaguita"と言うわけ。映像については、”もう少し”と思わないでもないが、スタッフは私一人(笑)、時間に制限があり、機材は普通のデジカメと、悪条件だらけの撮影じゃ仕方がないっか。それでも、皆さんに、私の曲をエキゾチックな映像と共に聴いて欲しいと、思い切ってYou Tube にアップロードをしたわけで。ーー是非、トロピカルな映像と私のオリジナル曲を聴いてみて下さい。
このページ左上:赤い字(安藤達己オリジナルソング)の下・Sampaguita・Bosanova-princessをクリックしても、同じ2曲が聴けます

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2009年12月06日

ダヴァオ紀行:その51 市民生活(写真をクリック⇒拡大)

カ・ジュウタク.jpg”平均的なダヴァオの市民生活”を決めるのが意外と難しい。日本人が住んでいる場所は特別で、XXビレッジと呼ばれる高級住宅区にあったり、ガレージ付きの小奇麗な建物ばかりが並ぶ一角にあって、庶民の生活環境とは程遠い。
不法占拠地域は、湿地帯や未整備の山林が多く、不衛生で、平均的な市民生活とは言えない。今回、お邪魔した家は丁度その中間にあたる。メインストリートからは、かなり遠く、出掛ける時は、まず、トライシクル(エンジン付三輪車)に乗ってジープニーの走る道に出なければならない。雨でも降れば、デコボコ道は”水溜り”だらけ。歩くのも容易じゃない。近所の家も木造住宅だが”持ち家”だ!日本の住宅と比べれば、粗末過ぎるほど粗末で(笑)、終戦直後のバラックと呼ばれた家を思い出させるが、ダヴァオは常夏の気候だから、雨露さえしのげれば、基本的に困らない。この家の家族構成は、両親と学生生活を終えた女の子が三人(社会人と呼びたいが仕事が無い!)と中学生の男の子一人、合計6人。一番上の女の子は、現在、外国に出稼ぎ中。1ケ月の生活費を聞いてみたが、なかなか答えてくれない(これが一番聞きたいことだった!)。8,000-ペソ位(16,000-円)?と聞くと、小さく頷いた。
カ・サリサリ.jpgお母さんはサリサリストア(よろずや)を営んでいる。”よろずや”と言っても、商品は極端に少なく、この辺で売れる安物しか置いてない。アメ・ガム・パン類・魚の干物に駄菓子、あとはコーラ類が営業用の冷蔵庫にあるだけだ。近所の人を相手に商売をしていて、女の子がいるから、顔見知りの人達が集まってくる。失業率が30%を超えるダヴァオでは、暇人が多い(失礼)。誰が作ったのか、お店の横にビニールシートで天井を張り、その下にはテーブルと椅子まで置いてあった。いつの間にか、集会所のようになり、駄菓子を食べながら世間話をしていくのだろう。メンバーが4・5人集まればカードを取り出し、ささやかな賭け事が始まる。
カケ1.jpgカケ2.jpg私が行った時、運悪く小雨が降っていて通りは閑散としていた。粗末な門を開けて中に入ると、テーブルを囲んでカードゲームの真盛中。小雨の中を見物している人さえいる。ポーカーやオイチョカブの様に、さっさと決着が付く”賭け”じゃない!ギャンブルと言うより、”冗談を言いながら、暇つぶし”の様相だ。ゲームが終わるまで10分以上もかかる。どうやら最後まで、沢山カードを持っていた人が”勝ち”らしく、負けた人たちは、悔しそうに5ペソ、10ペソを払っていた。写真を撮らせて貰うのだから、”せめて、お礼を!”とサリサリストアーに入り”コーラとスプライトの1リットルボトルを計4本”、スナック10袋とパン1袋を皆さんに差し入れた。これがたったの170ペソ。念のためコーラの値段を聞くと、19ペソだった。私も仲間に入りたいところだが、ルールを覚えるのが大変そうだし、時間も掛かる。ーーー又の機会に、と言うことにして家の中を見せて貰うことにした。
テクノロジー.jpg外の博打場(?)が丸見えの玄関を入ると、4畳位の応接間があり、小さな机が一つ。中学生が”テクノロジー”と書かれた教科書を覗き込んでいた。テキストは”英語”で書かれ、コンピューターの使い方と原理を説明しているらしい。そこでOSについて聞いてみたが、マイクロソフトにもアップルにも興味を示さない。ましてや、ソフトウエアーについての知識は殆どない。それでも”コンピューターを使った事がある。”と言う。案の定”ネットカフェ”だった。どうやら、もっぱらゲームで遊んでるらしい。ダヴァオでパソコンを持っている家庭は、ほんの一握り。PCを使って仕事している人を、身近に見たことの無い子供達にとってパソコンと言えばゲームなのだろう。こんな国が沢山あるのに、世界は容赦なくデジタルへ、ハイテクへと進み続けている。近い将来、この子がハイテク社会に放り出された時のことを考えるとーーーこのギャップに唖然とする私だったが。

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日本のお米が食べて見たい!と言うダヴァオの友人に、日本産コシヒカリ1キロを持参した時のことだ。そこのお嬢さんに、”明日の夕食は、日本のライスと、私達が”オカズ”を作って上げるよ!”と言うと大喜び。更に米は1キロ250ペソだと教えると、目を丸くして驚いていた。そりゃそうだ、ダヴァオでは米1キロが30ペソ程度で買える。
ショクタク.jpgダイドコロ.jpg次の日、食材を買い出しに行った時、念のため、ナベ、フライパン、ガス台の数を聞いてみた。”エッ!本当かよ!ガス台1個、ナベ1個と炊飯器があるだけだと言う。”ガス台は近所から借りて貰うとして、中華ナベ、フライパン、ナベ3コと包丁を買い、食材と共に大荷物を運び込んだ。さぁ、それから使った事の無い灯油のコンロに悪戦苦闘。4時間以上かかって私はチャーシューを2、5キロ。カレーは牛のコマギレ1キロを使って2時間も煮込み15人前。それに持ち込んだミソで貝のミソ汁。以上3品を作り上げた。
友人の方は、流石にグルメ!イタリアンでまとめた。小さなイカを使った海鮮スパゲティ10人前。イタリア風、焼ブタ1キロ。ふっくらと仕上がったタマゴ焼。の3品を仕上げた。午後7時、夕食の盛り付けに入る。チャーシューをスライスしていると、お嬢さんと友達がやって来た。切れ端を渡すと、その美味しさにビックリ!その場を動かない。友人も大皿にスパゲティを盛り、タマゴ焼も綺麗に切り分け、ここの家族5人と娘の友人に私達2人、計8人で賑やかな夕食が始まった。美味しそうに食べる一家を見ながら、腹もふくらんだところで、”カレーはジャガイモが入っているから冷蔵庫で保管してね。”と言い残してホテルへ。
翌朝、ホテルにやって来たお嬢さんに、”昨日の料理、悪くならないように気を付けてね。”と言うと、私の顔をジッと見つめ、あれから家族が”おいしい、おいしい”と全部食べて、もう何も残ってない!だって、本当かよ!たった5人の家族で、どうやったら、あれだけの量を食べ切れるのだろう?!

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2009年11月22日

ダヴァオ紀行:その50 リサール公園(写真をクリック⇒拡大)

シチーホール.jpgダウンタウンの外れにダヴァオ市庁舎がある。その横が市民の憩いの場、リサール公園だ。集会が開ける屋根付のステージ。木陰には大きなゾウの彫像が目立つ。噴水と池もあり、見た目は涼しそうだが、いつもの事ながら昼間は暑い。人が出る所には、必ず屋台あり(笑)。大きなショッピングモールに対抗するかのように、バウシンバウシンと言う、安い商品を売る小売店が同じ屋根の下に出店する建物が数棟。ここでも目立つのが、何店舗あるのか、分からないほどある携帯電話関連の販売店だ!入り口には携帯修理の技術者が陣取り、忙しそうに部品を、いじくっている。質流れ携帯を買い求めた人や、保障期間が”あいまい”な安物を買った人にとって、無くてはならない、サービスだそうな(失笑)。購買力の程はともかく(笑)、スピーカーから流れる大音響の音楽と活気は十分過ぎるほど溢れていた。
コ・クツミガキ.jpgコ・イケ.jpg公園と道路の境い目には、大人の”靴磨き”が数人、誰が頼んだのか、せっせと仕事をしている。終戦直後の”靴磨き少年”を思い出させる光景だ。道路を挟んだ向かいには小さな屋台で貴金属、特に金の買い取り、販売をしている”年寄り”が、昔ながらの”天びん秤”を前に、”客待ち”をしていた。世界的に金価格が急上昇している世相を反映しているのだろう。
公園にある濁った池の中では少年が二人、”オニゴッコ”の様な水遊びをしていた。病気にならないか?と心配になるが、注意をする大人は誰も居ない!こんな光景は日常の1コマなのだろうかーー木陰のベンチに座ってはみたが、額から流れる汗は止まらない、やむなくホテルに退散。日が暮れてからもう一度、夜の公園付近を散策してみよう。
タベモノ・クツ.jpgヨウフク.jpg午後6時半、ガイドのお嬢さんが現われたところで、リサール公園に向かった。外は、とっぷりと日が暮れ、肌を突き刺す様な暑さはもうない。ホテルを出て5分も歩いただろうか、左手の空地から”もうもうと”煙が上がり、薄暗い中を群衆が、うごめいている。ビニールシートの屋根を掛け、裸電球を灯した店の前は立ち食いをする人達でごったがえしていた。薄暗い広場は、”にわか作り”の物置台が、ビッシリと並び、その上には、あらゆる商品が積み上げられていた。靴、バッグ、洋服が主流だが、大抵の日用品は揃っている。全部、中古品で、ほとんどが10ペソ(20円)、20ペソ(40円)と言う値段だ。いくら物価の安いダヴァオでも、新品となれば100ペソ以上する商品ばかり!薄暗い中で、真剣に品定めをする客と、一品でも多く売りたい商人の駆け引きが続く。ここダヴァオには、使える品物を捨てる様な”ふとどき者”は居ない!徹底したリサイクルが行なわれていた。リサール公園に行く筈だったのにとんだ道草になってしまった。私も屋台の”茹でた南京豆”を5ペソで買い、食べながら、この光景に感動。さて、今日の夕食は何にしよう?--

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本当にあった!ダヴァオの出来事:3年前だったか?デジカメを買い替えた。付き合いのあった家族が、欲しいと言うから、”もう古いタイプだよ、それでもよかったら”と差し上げた。”キャノンだから凄い!”と大喜びだ。数日後、時間が出来たから、ちょいとその家に立ち寄って、ビールをご馳走になり、”あした、海のリゾートに行くけど、一緒に来られる人が居たら連れて行くよ。”と言うと、奥さんとお嬢さんが一緒に来る事になった。
rorekkusu.jpg早速、二人は、現地語でしゃべりながら、部屋を出たり入ったり、キャビネットを開け、引き出しの中を探している。ついに大きな”飾り壷”の中に手を入れ、ヌイグルミやバッグを次々と取り出し、目的のデジカメを見付けた!ここでは、人の欲しがる物を持つと、盗まれない様に隠しておくのが大変だ。もし、なくなったら”盗まれ損”がこちらの流儀らしい?!
こちらに住む日本人、友達も増え、生活にも慣れた来たある日。友人がロレックスを数個持って現われた。”お買い得だから、買っておいた方が良いよ”と言う。”どうせ偽物なんでしょう?”とからかうと、”勿論、偽物だけど、そこらにあるやつとは、物が違う。中身はセイコーだ”と胸をはった?!

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2009年11月01日

ダヴァオ紀行:その49 イータリィ(写真をクリック⇒拡大)

ミセサキ.jpgオカズエラビ.jpgまぁ、日本語に訳せば”お食事処”になるんだろうが、特徴は、とに角安いことだ。ダヴァオにもファストフードの代表・”マック”もあるし、マックをしのぐ人気の”ジュリビー”もある。双方とも、店造りは綺麗で、衛生的だが、一食、100ペソ(200円)はかかる。大学出の給料が¥10,000-程度で、殆どの場合、半年契約の仕事となれば、ファストフードで食べる昼食はかなり贅沢だ。そこでイータリィが庶民のお食事処となっている。ダヴァオの町を歩けば、間口が1間位(180cm)で、店内が5坪もない小さなイータリィがやたらに多い。メニューもないし、セルフサービスだが、庶民はここで食事を摂ったり、”お持ち帰り”したりしている。お一人さま40ペソ(80円)程度で済むからこれは安い。最近ではイータリィが10軒以上一ヶ所に集まっている場所もある。
オカズ.jpgメニューは、その日に作った家庭料理で、入り口のカウンターの上に5種類位の料理がナベに入って並んでいる。客はフタを開けては品定め。2・3種類注文すると、粗末なサラに乗った料理が運ばれてくる。気に入った料理が無ければ他の店に行く。外食で済ませている人は行き付けの店があるらしいが、基本的に”日替わり料理”だから、飽きが来ないのだろう。でも、客の立場からすれば店が集まっている方が便利だ。私もイータリィ密集地に行ってみた。店によって料理も違うし、店内の広さも違う。カウンターに並んでいるナベのフタを開けながら店から店へ、気に入ったオカズを探すのも結構たのしい。
フタリ100ペソ.jpgジョセイト3ニン.jpg今回、入ってみた店は、シーフード中心の店だったが、高級食材は一切無い(笑)!店内は10坪位で、イータリィとしては広い方だ。混み合う時間じゃなかったから、客は7・8人。ナベを覗いて、小さなイカの煮物、スープ、ニガウリの炒め物とサラダを二人前。これに小瓶のビールを一本飲んで100ペソだった。隣では女子大生が3人、おしゃべりをしながら遅い昼食を摂っていた。私達が席を立った時、学生達もそれぞれお金を出そうとして、コップの水を引っくり返し、店の子がフキンを持って飛んで来た。野次馬の私は早速”三人でいくらなの?”と聞いて見た。”48ペソ。”なんと!一人16ペソ(32円)だ。”小父さんが払うから、写真を撮らせてくれる?”と聞くと、私のガイドが手早く説明したのだろう。喜んで撮らせてくれた。いつも昼食代はこの位の出費で済ませていると言う。1ケ月の”小使い”を聞くと、暫く考えていたが、”500ペソ位”と一人が答え、他の二人もうなずいた。その額なら、16ペソの食事だって毎日は無理だろう。100ペソ札を店の子に渡して、”オツリは3人で分けてね。”と言うと、学生達は私のガイドにお礼を言って帰っていった。

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ミンダナオ島にコーヒーを美味しくする動物が居ると言う。その名はシベット:イーグルセンターに行った時のことだ。金網の中に鳥カゴ位の木箱があり、動物が居る様子だが外には出てこない。それもそのはず、夜行性で昼間は寝てるとのことだ。飼育員の説明によるとコーヒー農園では大事にされている動物だそうな。シベットが熟れたコーヒー豆の外皮を食べ、消化出来なかった種(コーヒー豆)を排泄すると、消化液だか腸内菌だかの影響でコーヒーが熟成されるらしい。
ジャコウネコ-1.jpg写真を撮ってこなかったので、シベットを調べてみると、どうやらジャコウネコの排泄物(香料の原料)と言う意味と動物名そのもと二つあることが分かった。そこで、”特別なコーヒー”を調べてみた。今は滅多に無いそうだが、ジャワ島産コーヒーの中に、”コピ・ルアク”と呼ばれる幻の豆があり、ルアクと呼ばれる(マングースの仲間)動物の排泄物から採取したコーヒーだ、とあった。一般には知られていないが、ダヴァオ近郊でもコーヒーは栽培されている。マラグサンと言う山岳地帯に行った時、車があまり走っていない道路一杯にコーヒー豆が干してあった。聞いてみると、豆は大企業が一手に買い取り、”フィリッピンコーヒー”としては、あまり流通してない。
シベットもルアクの親類なのだろう、ダヴァオではシベットコーヒーと呼ばれて高級品だと言う。早速、ダヴァオに住むM氏に連絡を取り、このコーヒーを調べて貰った。”ありました!”ダヴァオの西に位置するコトバト州から”お取り寄せ”で手に入る。しかし、しかし、1グラムが何と!何と!600ペソ(1,200-円)。一人前のコーヒーを入れるのに、コーヒー豆が10グラム要る(12,000-円!)。---と言うわけで、どんな味なのか、お伝え出来ないことをお許し下さい(笑)。

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2009年10月04日

ダヴァオ紀行:その48 フィリッピン・フライト事情(写真をクリック⇒拡大)

マニラソトー2.jpg成田からダヴァオへ行くには、殆どの場合、マニラ経由となる。例外的にセブ経由もあるが、私には経験が無い。成田→マニラは、今、話題の日本航空(JAL)・フィリッピンエアーライン(PR)・ノースウエストの3社が毎日、1便ずつ飛ばしている。マニラで、その日のうちに、国内線に乗り継ぐ客は、9:30am 成田発のJALかPRを利用する。ノースウエストの運賃は一番安いが、午後のフライトになるから、乗り継ぎが難しい。私は、チケットが取れるかぎり、PRを利用する。勿論、マイルサービス(Mabuhay Miles)に登録していることもあるが、PR以外を使うと、マニラで国内線に乗り継ぐのが厄介だ。一度、国際空港ビルを出て、バスかワゴン車で、行く先によって違う国内線ターミナルビルに向かう。英語やタガログ語に自信のある人でさえ、料金交渉と道路の渋滞に”うんざり”させられる。
マニラチュウキー1.jpg国際線、国内線共にPRを使うと、同じビルの中を一階から二階へ移動するだけで乗り継ぎが出来る。運賃は、新規参入してきたセブパシフィックやエアーフィリッピンの方が安いらしいが、私の様に年、1・2回しか出掛けない外国人には、5・6千円の差額より、”わずらわしさ”から開放される方が有り難い。
マニラから地方空港へのフライトは、時間表どうり到着することは滅多にない。私がダヴァオへ行く様になって20年。30回以上往復した事になるが、ほぼ定刻に飛んだのは今年の5月が始めてだった。以前ほど、ひどい遅れは無くなったにしろ、出発ゲートに記されたフライト時刻がアナウンスも無しに変わっている。30分や1時間ならまだしも、4時間と言うのもあった。でも、乗客は文句も言わずに待っているだけ。カウンターで本当の(?)出発時間を確認しているのは、2・3人の外国人だけ、フィリッピンでは定刻どおりに飛ばないのは当たり前になっているらしい。だから、旅行者はその日の内に目的地に着けば、それで”よし!”と思った方が”いらいら”しない。うっかり友人と目的地の空港で待ち合わせをしようものなら、しゅっちゅう到着時間の変更を連絡しなければならない(本当だよ)。宿泊するホテルが決まっていたら、到着便のフライトナンバーを知らせておいて、シャトルバス(コーテシイカー)に空港で拾って貰うのが最善策だ!ホテル到着後の予定を、前もって入れる等はもってのほかだ!
フリーオモテ.jpgここ数年、機内持ち込みの規制が厳しくなった。液体は100cc 以下。ハミガキ粉、化粧品も透き通ったビニール袋に入れておかないと、手荷物検査で没収される。2年前、帰りのマニラ空港でタイガーバーム、正露丸、ハミガキ粉に至るまで没収された!小袋にバラバラに入れて置いた、私が悪いと言えば、それまでだがーーそんな訳で、飛行機の乗り継ぎがあるから、大好きなスコッチを成田で買うことが出来なくなった。幸いダヴァオ空港の中と外にデユーティーフリーショップが出来たので、そこで買うのだが、閉店時間が午後7時半。到着時間が遅れれば、スコッチは次ぎの日まで”おあずけ”。フィリッピン産ラム酒のポケット瓶(180ccで100円位、でもそれなりの味ですよ)で我慢するしかしょうがない。街でスコッチを買えないのか?って、買えますよ、イミテーションで良ければね(笑い)。
ダヴァオ・デパーチャアー.jpg心を残して(?)いよいよ帰国。これもホテルのシャトルバスでダヴァオ空港まで送ってもらう。万が一、途中、事故で道が塞がれていても、流石はプロの運転手、こんな脇道があったのか思う様な細~い通路を巧みに抜けて、時間通りに空港へ。手前の軍隊によるチェックポイントも、ホテルの車だから簡単に通してくれる。ダヴァオ→マニラは国際線への乗り継ぎ客がいるから、第一便が午前8時頃のフライトになる。これが信じられないほど、正確に飛ぶ。たった一度だけ、途中にある台風のせいで大幅に遅れ、成田に帰れない事があったが、飛行機には付き物の出来事。これは仕方がない。つまりハブ空港へ向かうフライトは国際線に乗り継ぐ人が多いから、時間通りに飛ばないと航空会社の国際的信用が落ちる。何故、地方へのフライトがそんなにいいかげんなんだろう?そこは賢明な皆さんが想像する通りだと思うよ!乗り継ぎがない空港へのフライトは遅れても、慣れっこになっている乗客から文句も出ないし、キャンセルも出ないものね。
PRの別名はPAL(Philippinne Air Lines)だが、旅なれた人は:Plane Always Late.の頭文字をとったんだと言っている(笑)。

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安藤達己的考察・フィリッピンの日本人観光客:朝、7時30分。ダヴァオ空港へ着くと、チェックインカウンターが騒がしい。8時15分のフライトなのに電光掲示板は14:00?職員に聞いてみると、セブ島付近を台風が通過中だと言う。脇のカウンターでは日本人客が数名、”今日中に成田に着きたいから他の便でマニラに行けないか”交渉中だった。理由が天候のせいなら、どこの航空会社だって、飛行機を飛ばさない筈なのに。
ケイタイ.jpgこんな時に役立つのが携帯電話だ。早々とメールで我が家に連絡。少々高いが、日本の友人にも国際電話(1分・175円)をかけて事情を説明。後は、出来るだけ早くマニラに行けるのを待つだけだ。チェックインカウンターの横では、例の日本人グループがまだ交渉中だった。私は、街に戻っても別にやりたい事もナシ、空港内で本を読んだりテレビを見たり。昼になれば、PRが用意してくれた昼食を食べ、ひたすら出発を待つ。結局、飛行機が飛んだのは16:30分。マニラに着くとPR職員がチケットとパスポートを集め、明日の便に変えてくると言う。国際線に乗り継ぐ客は成田に行く日本人が8人。中近東へ向かうアラブ人が一人。アラブ人はその日の内にフライトがあるらしく、空港職員と出発ゲートへ向かった。残ったのは、ダヴァオでしつこく交渉していた6人のグループと私、それに奥さんの親の葬儀に出席してきたと言うT氏。計8人の日本人だけとなった。
タンチケン.jpgグループのリーダーらしき男は、明日、PRより早く午前中に飛ぶノースウエストに変えて貰うと言って事務所に向かった。私は残った5人に声を掛けたが、まともな返事が返ってこない。こんな事態になっているのだから、日本人同士、助け合えば良いのにと思ったが、相手が口をききたくないならしょうがない。一人旅のT氏は心細いらしく、”明日、成田行きの飛行機に乗るまで一緒にいても良いですか?”と聞いてきた。こっちは一向に構わない。ホテルも二人部屋だろうし、私も好都合だ。
1時間も待たされただろうか、PR職員が、パスポートと変更済みのチケットを配り始めた。なんとT氏はウエイテングリスト、とのことだ!T氏は明日帰れなくなるんじゃないか、と心配するから、職員に確かめると”一番目になっているから、絶対大丈夫だ”との返事。例のグループは、おぼつかない英語で、まだフライトの変更を強要していた。職員はこの中にもウエイテングリストになる人が出るほど満席だから、ノースウエストへの変更は無理だと思うが明日の朝、やっては見るとの返事。だが、このグループ、職員の説明(英語)が理解出来ない。困り果てた職員が私を呼び、”説明して欲しい”と頼むから”変更は無理だよ!”とはっきり言ってやった。
ホ・マニラワン.jpg午後8時過ぎ、やっとホテルに落ち着いた。入り口で、シェパードに手荷物まで嗅ぎまわられたのにはビックリしたが、これもセキュリティのためなら仕方が無い。翌朝、レセプショニストにPRが迎えに来る時間を聞くと、”食事をしている間に問い合わせてみる”と、笑顔で答えた。レストランでは感じの好いウエイトレスが”卵料理はタダだけど、どうしまか?”と聞くから目玉焼きを頼み、朝食を終えた。迎えのバスは11時との返事だ。それなら時間はたっぷりあるから、窓外に見えたマニラ湾周辺を、ゆっくり散歩。T氏も同じ飛行機に乗って一日遅れで、無事成田に到着。そうそう例の6人、バスで迎えに来たPR職員の案内で空港に入り、ここから先はそれぞれ手続きして下さい、と言われるまで、私の後をぴったり付いてきた。
自分勝手で協調性のない日本人が増えましたなぁ。

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2009年09月13日

ダヴァオ紀行:その47 終の棲家(写真をクリック⇒拡大)

セブンシー.jpgフィリッピンからのタレントが、日本に入国出来なくなって久しい。それでも我が家の近くに”フィリッピンパブ”なる店が結構ある。ここで働いているフィリッピン女性は、かって程若くはない(苦笑)。ほとんどが30代で日本人と結婚しているか、結婚していた人達だ。正確な数字は分からないが、日本に住むフィリッピン妻の離婚率は50%を超えているのではないだろうか?そこでと言っては失礼だが、
ダヴァオを”終の棲家”と決めて、フィリッピン女性と結婚。ここに居を構えている日本男性の”本音”を聞きたいと、無理を承知で”ダヴァオ桜会”の特に高齢の方に”お会い”したい事をA氏に伝えると、KA氏とKO氏が快く応じてくれた。
カ・モン.jpgカ・オウセツ.jpg約束の朝・ホテルのレストランで待っていると、80歳を超えているKA氏が、マイカーを運転して迎えにきてくれた。15分程で氏の家に到着。と言うことはダヴァオの中心部に”住まい”があることになる。瀟洒な平屋で40坪の敷地に建坪が、やはり40坪位だろうか?2年前に買ったそうだが日本円で六百万円。土地は外国人が持てないから、奥さん名義なのだろう。
奥さんのフィリッピン女性とは19年前に日本で知り合い、KA氏にとっては3回目の結婚に踏み切った。すぐに、前妻との間に出来た氏の一人息子と相談の上、マニラに移住。数年後ダヴァオに居を移した。現、奥さんとの間に3人もの子宝に恵まれ、末っ子は10歳。氏が72歳の時の子供だ!奥さんの妊娠を知ったKA氏は自分が高齢であることから中絶を考え、夫婦の間で、かなりの軋轢があったようだが、奥さんは氏の話に一切、耳を貸さなかった。この件について率直に聞いてみると奥さんは”アボーションなんて飛んでもない。考えて見て!子供が欲しくても妊娠出来ない人がいるのにーー授かった子を産むのは当たり前でしょ。”と言い放った。ごもっとも、流石はクリスチャン。正論で御座います、ハイ(降参)。で、KA氏は今、どう思っているのか確めてみた。”アンドウさん。女房の頑固さに感謝してますよ。今は10歳になった末娘がもう、可愛くて、可愛くて”だそうです。二人の”結婚して本当に良かった。”と言う言葉を聞いたところで、”いとま乞い”をしてKO氏宅まで送って頂いた。
コ・オウセツ.jpgコ・ゲンラン.jpgこちらのお宅は小ざっぱりした二階建で、貸家だそうな。結婚してまだ5年しか経っていないとかで、そこはかとない新婚気分が漂っていた。駐車場の脇には1坪ほどの紗で囲われた棚があり、デンドロビュームとカトレアの鉢が並んでいる。KOさんの身内はもう誰も居ないそうだから、この奥さんと、その親戚が親族の全てだ。家賃が12,000ペソ(24,000円)で、お手伝いさんが2人。夫婦二人きりの生活だから贅沢な気もするが、お手伝いさん一人2,000ペソ位で雇えるとなれば、奥さんの身内への援助になっているのかも知れません。
こちらの二人も、今の生活に満足している様子で、50歳近い年齢の差がある若い奥さんはKOさんの”優しさ”と”思い遣り”に感謝していた。私はてっきりKOさんが、若い奥さんの家族に金銭的援助しているに違いないと思ったら、それは”一切無い”とのことだった。ちなみに1ケ月の生活費を聞いて見ると30,000ペソ(60,000円)で済むと言う。KOさん、毎日、散歩を欠かさず、少しでも長生きしたいと健康には気を付けている。こうして幸せそうな二人を見ていると円満な結婚生活に国籍なんて関係ないことが良くわかる。勿論、ダヴァオで生活している日本人男性全てが、この二家族のように幸せではない。最近では行き場の無い、年老いた日本人男性が、遺体の引き取り手もなく地元の教会で永眠する例さえあると聞く。故郷を離れて、愛する者同士が暮らすのであれば、是非、幸せな余生を送って欲しいものですね。
80歳代になって若い奥さんに愛され、不満の無い生活しているKA・KO氏。今の生活が何時までも続きますようにと祈って、帰途に着いた。

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ダヴァオで聞いた恐~い話:ダヴァオから北に200キロ程行くとコトバト州がある。どの辺で金が出るのか分からないが、10年前に会ったオーストラリア人は、故郷で出資者を集め、コトバトで、本格的な金の採掘を始めた。その秘書に聞いてみると、この事業は成功し、金鉱からは毎日1キロの精製された金が採れていると言う事だった。
私の友人はご他聞にもれず兄弟が多い、その弟が”よろず屋”を営んでいる叔母さんを頼ってコトバトに行く事になったと言う。その叔母さんが16歳の弟を迎えに来ているが、私と一緒にホテルに行っても良いかと電話してきた。こちらは一向にかまわない。程なく二人が現れた。叔母さんは30台半ばの、なかなか美人さんだ。ところで、弟がコトバトに行くと、ダヴァオと違って仕事が有るのか聞いてみた。何と!山の中で金塊を探すのだと言う。
”へぇ~、金て、そんなに簡単に見付かるの?””簡単じゃないけど、金塊を掘り当てて、大金持になった話は沢山有るよ”と答えた。私はただ、ふぅ~んと眉毛を擦るしかないが(笑)ーーただ、そこは夜、出歩くと危ないんだと云う。叔母さんがダヴァオに来る数日前にも殺人事件があったそうだ。私があっけに取られていると、割り当てられた掘る場所に人の血を染み込ませると金が育って大きくなるから(?)、その付近では殺人事件が良く起こるのだと、真顔で話す。”馬鹿な!”と思わず笑うと、”大きな金塊を掘り当てた人は皆、人間の血で金を育てたんだ!”と、平然と言ってのけた。どうやら二人はこんな話を信じているらしい。ことの真偽はとも角、金塊探しの山中で、殺人事件が多発するのは本当らしい。薄気味悪くなった私は、話題を変えてから、二人を夕食に誘った。
その後、この弟が”大金持ち”なった話は聞かない。今はどうしているのだろう?
これ本当に聞いた話だよ!私の友人も、その叔母さんも決してオカルト趣味の人じゃなく常識ある(?)フィリッピン人だからね!

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2009年08月16日

ダヴァオ紀行:その46 インターネットカフェ(写真をクリック⇒拡大)

パナボバスストップ.jpgイッカイ・ワールド.jpgダヴァオから30数キロ、パナボと言う町がある。鉄道が無いミンダナオ島では、庶民はバスに頼るしかないが、マイカーを持つ人は大都会、ダヴァオの喧騒を嫌って田園風景が残るこの町に居をかまえる。毎回、交流を重ねてきた”ダヴァオ桜会”の会員の中にも、ここに住む人がいる。その中の一人、O氏はなんと!ネットカフェを経営していた。これまで農畜産業や飲食店を経営している日本人には会ってきたが、時代の最先端を行くIT関連の経営をしている人は始めてだ。早速、”店を見たい!”と申し出ると、”どうぞ、どうぞ”と快く、応じてくれた。ダヴァオのバスターミナルから1時間、パナボ市のターミナルに着くと、小さな出店がひしめき合うように並んでいた。この付近が市の中心地と言うことになる。中心地と言ってもレストランや雑多な店が30数軒ある程度で、のどかなものだ。その一等地(?)にO氏が経営するワールドネットカフェはあった。店に続く階段の幅は狭く、丁度、開店二周年のサービス週間が終わったばかりで、入り口には垂れ幕やビラが貼ってあった。
ネットゼンイン.jpgゲ-ム10.jpg中に入ると、右側は通路、左側が三っつのブロックに仕切られていた。受付けの向こうは、学生らしき若者が、隣の客と肩が触れ合うほど狭いスペースの中で、パソコンのモニターに見入っている。モニターの数はざっと40。奥の長椅子で席が空くのを待っている学生もいる。こんなに若者が集まっていても、人声は全く聞こえない。丁度、今は学年末(六月が新学期)で学校は休み。どこの国でも十代の子供達はパソコンゲームが大好きだ。だが、フィリッピンのPC普及率は一桁。当然のように学生達はネットカフェに集まる。ここのブロックはゲーム専門で、ゲーム以外にパソコンを使うわけには行かない。その分1時間の料金が、たった10ペソ(20円)と信じられないような安さだ。
コシツ・ソト.jpgコシツ15.jpg他の2ブロックは、普通のネットカフェ。個室スタイルで40室もあり、中は2畳もないスペースにPCと椅子が一つ、横になるのはとても無理だ(笑)。勿論、ゲーム以外も出来る。定員は2名。貴重品は自己管理。ポルノサイトは禁止。と張り紙があった。こちらは1時間、15ペソ(30円)。
インターネットへの接続スピードを聞いてみると、私の予想より遥かに早く・2、7メガビット、常に1メガ以上は出ている言うから立派なブロードバンドだ。ウイルス対策も、客が帰る時に電源を切れば、必ず初期設定に戻るようにセットされて、ここのPCは感染したことがないと言う。従業員が7人もいて、これだけ人が入っている。かなりの利益を上げているのかと思えば、一ヶ月平均、30,000-ペソ(60,000円)程度で、副業の収入の方が多いそうだ。ついでだから(笑)、副業を聞いてみた。O氏はPCを使って印刷屋の様なことをしている。な~るほど!名刺や招待状のように何百枚単位の印刷物は、早くて綺麗に仕上がるからパソコン普及率の低いフィリッピンでは結構、注文があるのだろう。奥さんは奥さんで、商才があり、種類の多い果物の収穫時期に、果物に合った輸送用の木箱やダンボール箱を農家に納めている。二人の副業収入が本業より多いとなれば、子供2人の4人家族。物価の安い、この地なら、余裕のある生活を楽しめるだろう。”羨ましいなぁー”
ネオンダフウフ.jpgO氏と奥さんの出会いは15年前にさかのぼる。日本で出会った二人は、意気投合して、程なく結婚。4年前には物価の安い、奥さんの故郷で暮らすことを決意。パノボ市にやってきたが、外国語を素早く使いこなす才能と、商才に長けたO氏は現地に多くの友人を作り、この地に合った事業を考えていた。そんなある日、パソコンの普及率が低いことから、思いついたのがインターネット関連の商売だった。一等地の二階に貸し店舗があり、割安だったので、店面積200ヘーベの権利とPC、その他の費用を含めて50万ペソ(100万円)を投資。ネットカフェをオープンした。家賃が22,000-ペソと安かったお陰もあり、商売は軌道に乗り始めている。
さて、まだまだ若いO氏夫妻、次は何を仕出かすのだろうか?期待して、将来を見守りたいカップルだった。

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フィリッピン事情:最近の新聞から・アロヨ・オバマ.jpg任期があと1年もないグロリア・アロヨ大統領が突然のようにオバマ米大統領と会談。ミンダナオ島の政情安定のためにMILF(モロイスラム解放戦線)と和平交渉を再開するそうだ。ついこの間、夫のホセ・アロヨは賭博関係者からのワイロ騒動で、国民が反アロヨ運動を起こしたのに--今度は自分の人気取りに走っているらしい!消息通は次期大統領選挙(2010年)への出馬を取り沙汰しているが。アロヨ政権は2001年の大統領選で副大統領に当選。エストラダ大統領が収賄がらみで失脚後、すったもんだの挙句、繰上げ大統領となり、2004年の大統領選で当選。結局は変則的な形で9年間も在位している。フィリッピン大統領の任期は6年。再選ナシの筈だが---
エストラダ.jpgこの動きを牽制するかのように、恩赦で終身刑をまぬがれたエストラダ元大統領が本職の俳優に戻り、映画の主役を演ずると発表した。大統領選を1年後に控えた今、この動きも様々な憶測を生む。そうそう、夫のペグニノ・アキノ氏がマニラ空港で暗殺され、1986年の選挙でマルコスがコラソン・アキノ(ペグニノの妻)に勝った筈が”選挙結果に不正があった。”と国民の怒りを買い、フィリッピン国軍にまで裏切られて”独裁政治”に終止符を打ったマルコスは亡命先のハワイで死亡。今は故郷に葬られている。そして今年の8月、ピープルズパワーの応援でマルコスを追放。第11代大統領になったコラソン・アキノ氏もガンの悪化で他界した。時間は無常にも大事件を歴史の中に閉じ込めて過ぎて行くが、今、不可解な動きを始めたフィリッピン政界に何が起ころうとしているのだろうか?

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2009年07月26日

ダヴァオ紀行:その45 サマール島 マンゴー・ファーム(写真をクリック⇒拡大)

オミヤゲ.jpgファ・メンセン.jpg定宿にしているグランドメンセンホテルで、社長と四方山話をしていると、テーブルの上に一際大きなマンゴーが運ばれて来た。”わぁー、日本産だったら¥5000-だなぁ。”と声を上げると、社長が”なぬっ!”とばかり目をむいた。こちらのは完熟すると表面が鮮やかな黄色になる。宮崎県産のような赤と緑がブチになっている種類とは明らかに違う。味は似たようなもんだが、似てないのは値段だ!ダヴァオのやつは1キロあっても、せいぜい50円。私は5000円も出してマンゴーを食べるほどグルメでもないし、金持ちでもない(失笑)。
果物の町・”ダヴァオ通い”が始まって20年。これまでプランテーション(同一農作物を大量に生産)と呼ばれる農園に行った事がない。そんな話をしていると、何と!社長の妹が持つマンゴー農園がサマール島にあると言う。”えっ!行って見たい。”と思わず口走る。社長は丁度ホテルに来ていた妹、マリリンの携帯に電話を入れる。5分もしないうちに、品の良い50歳がらみの女性が現れた。私のガイドも同席していたので話はアッと言う間にまとまり、最近、午後になると海が荒れるから1時前にはホテルに戻った方が良いだろう、と次の日の午前8時、農園の従業員が車で迎えに来ることになった。
バージ.jpgササ・ジュウタク.jpg翌日、ダヴァオ側のササ桟橋に着いたのが8時30分。カーフェリー(バージと呼んでいる)を待つ車が多いのに、売店が一軒も無い。ガイドの話だと2003年、ダヴァオ空港とササ桟橋でテロによる爆弾事件が発生、死者が出たため、出店禁止になったそうだ。係員の指示に従ってカーフェリーに乗り込むと、対岸のサマール島がはっきり見える。距離は1キロ位だろうか、橋を架ける計画はあるが、海上に架ける橋となると、高度な技術とお金がかかるので、なかなか実現しない。桟橋の左手には竹馬に乗ったような海上住宅が密集していた。これも不法占拠なのだろうか?
船が桟橋を離れると15分で対岸のサマール島に着く。なるほど、朝の海は穏やかで、ほとんど揺れなかった。下船した私達の車はマンゴーファームに向けて、海岸沿いの細い道を進む。海側には海水浴場とバンガロー風の宿泊施設が次々と現れ、見覚えのあるパラダイスアイランドも木の間越しに見えた。ハイビスカスやブーゲンビリヤに囲まれた豪華な別荘もある。ダヴァオからこの島に橋が架かれば、この一帯が高級リゾート地になるのは明らかだ。それを見込んでいるのか、造成中の宅地もかなりあった。
ノウエン・スタッフ.jpgマンゴ・オンナ2タリ.jpgデコボコ道を15分のドライブでマンゴーファームに到着。従業員が数人、木陰で待っていてくれた。この付近のマンゴーは先週、収穫期を迎え、1000本分の果実が味の素に輸出された。日本産のマンゴーは、温室でツタのように見える木で実を付けているが、フィリッピンの木は大木になる。一本の木に500~2000ものマンゴーが実り、同じ木から一年に3回も収穫できる。この農園では2000本の木を1000本づつ二組に分け、収穫時期をずらして年6回、収穫している。42ヘクタールもあると言う敷地を進むと、次に収穫するマンゴーに一つずつ覆いを被せていた。実も、大分大きくなっているが出荷するにはあと2ケ月必要だとかーーそれにしても日本企業の海外進出は凄い!まさか私の泊まるホテルの関係者が持つ果実園のマンゴーが全て”味の素”に買い取られてるとはーーー
Grand Men Seng Hotel (電話) 082-221-9040

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ドラゴン.jpg経営者は、次なる輸出用果実の栽培を目論んでいた。コンクリートの柱で支えたサボンテンをどうするかって?これ、ただのサボテンじゃないんです。日本でも、出回ってきたドランゴンフルーツがなる木(サボテン)がこれなんです。桃、栗三年と同じように3年目から収穫できるそうですが、この木はまだ2年。来年から、いよいよ出荷の予定だとかーー気候に恵まれている地域だから、ドラゴンフルーツの市場価格が下がっていなければ、マンゴーと共に、この農園の主力作物と成る筈です。現在の作付け面積は、僅かに5ヘクタールだが、今後が楽しみな商品だ。他にも、小規模だが高温多湿の気候に合ったマッシュルームも栽培していた。設備はいたって簡単。背の低いビニールハウスの上にヤシの葉を被せ、日光をさえぎってやればキノコが育つ。
マッシュ3.jpgゴヤバーノ2.jpg現在は手の空いた人が収穫している程度だが、健康に対する意識が強まれば、当然、キノコ類の需要が増える。私はスープ以外に、このマッシュルームを食べたことがないが、きっと他にも美味しい料理法があるに違いない。農園の中には色々な果物の木がある。特に植えたわけではなさそうだから、勝手に生えてきたのだろう(笑)。周りにトゲがあるゴヤバーノは血中の酸化を防ぐ効果があるとかで、味は兎も角、日本なら健康ブームに乗れそうな一品だ。ほかにもアティスと言う、やたら種が多くて、トロッとした舌ざわりの果物があり、これは疲労回復の特効薬だとか、ピングータンピースは女の子が喜びそうなピンク色の可愛い果物で、美味しいとは言えないが喉が渇いた時に食べてみたかった。
ピングタンピース.jpgこのように、マンゴーファームを散歩していれば、エキゾチックな木の実がそこらじゅうにあり、退屈することはない。物好きな私は、片っ端から味見をしたが”まずくて食べられない”ものは無かった。特に、”健康に良い”なんて言われると、新しい漢方薬を見つけたような興奮を覚える(笑)。
いつの間にか3時間が過ぎ、海が荒れ始める午後に差し掛かってきた。急いで車が待つ作業所に戻り、木からもいだばかりのヤシの実を豪快に叩き切ってもらうと、ストローを突っ込んでココナッツジュースを一飲み。クーラーの効いた車でカーフェリーの待つ桟橋に急いだ。

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2009年06月28日

ダヴァオ紀行:その44 教会(写真をクリック⇒拡大)

ショウメン.jpgセイカ.jpgフィリッピンはクリスチャンが圧倒的に多い。私の友人も、殆どがカトリック信者だが、たまに新興宗教っぽい宗派に入っているクリスチャンもいる。違いを説明してくれる友人の話に耳を傾けても、宗教音痴の私には見当が付かなかった。プラカードを掲げて広場や運動場で大集会を開いているのは大概、この手のカルトだ(違ったら失礼)。
国民の90%以上がクリスチャンなのに、ここミンダナオ島だけは回教徒が人口の3割を占めているそうだ。回教徒が求めていたフィリッピンからの独立運動は10年前に決着したが、今も社会不安の火種になっている。ダヴァオ市内でも夕方になるとコーランを唱える声が聞こえてくる。以前泊まったホテルの引き出しには”回教徒の経典(コーラン)”が入ってた。
”ダヴァオ通い”を始めて20年になるが、これまで教会に行ったことがない。今回は敬虔なカトリック信者に頼んで日曜日の礼拝に連れて行って貰うことになった。ホテルからタクシイーで10分程だから、ダウンタウンの中心部にその教会はあった。そんな短い道中なのに学校と教会がやたら目につく。無神論者の私だから、普段、出歩いていても興味の無いものは気が付かない(笑い)。でも教会に向かっているせいで、それらしい建物が見えると、いちいち友人に確認する。思った通り教会だ!それも立派な建物が多い。
holyダイガク.jpgギョウショウ.jpg朝・8時まだ目覚めぬ町の交差点でタクシーを降り、ホーリークロス大学の派手な建物を過ぎて左に曲がれば教会の入り口だった。門の外には生花・ローソク・線香を路上に無造作に並べて売っている人が3人。もう一つの入り口には、タクシーより近距離を走るハバルハバルと呼ばれるバイクがたむろし、なぜか水遊び用具を売るおじさんが一人、声を掛けて来た。屋台のアイスキャンデー屋もある。ここダヴァオでは人の集まるところには、必ず物売りが居る(笑い)。
チャペルの中は”日曜礼拝”の真っ最中。中に入って良いのやら、迷いながら構内をうろうろしていると、薄暗い小屋があった。覗き込むと線香の匂いがぷーんと鼻をつく。目が暗さに慣れてくると片側はローソクが何十本も灯され、反対側は線香が燻っていた。教会の敷地にお墓はないが、先祖の供養のためにローソクと線香を供えるのだろうか?思い切って友人に、”中に入っても良いか?”と聞くと、”出入り自由”だと言う。それなら早く教えてくれれば良いのにーー
レイハイドウ1.jpgオワリニ.jpg抜き足差し足、礼拝堂に入ると、高い天井とシャンデリアの灯りが眩しいほどだ。フロアーは磨かれ、ステンドグラスを通して外光が厳かに差し込んでいた。信者たちは両手を広げ牧師さんの”説教”に耳を傾けているが、さっぱり聞き取れない!”これ英語?”と小声で聞いてみる。”ビサヤン”。分からない筈だ。今は現地語の礼拝時間(約1時間)で次が英語。これを12時まで交互に繰り返し、牧師さん達も交代するそうだ。不謹慎かと思ったが、”構わない”と言う友人の言葉に従い写真を撮り始めて10分も経たない内に群集が説教台に向かって動き始めた。私も端の通路を急ぎ足で最前列へ、ずうずうしくもカメラを構えた。敬虔な信者たちは一人ずつ、前に出ると頭を下げ、牧師さんは、何やら液体(聖水だと思う)を振り掛けていた。これが”日曜礼拝”最後の儀式らしく、祝福された信者たちは外に出て行く。
私も脇の出入り口から外に出ると、帰途に着く人々と入れ替わるように、次の礼拝(英語編)に来た信者がチャペルに吸い込まれてゆく。信仰心の無い私だが、内部の美しさに圧倒され、厳かな雰囲気に感動し、心が洗われた様な気がしたところで、外の暑さに気が付き(笑い)、開いている喫茶店に飛び込んだ。汗が収まったところで、タクシーを拾ってホテルへ。明日は東京に帰る日だ!はてさて、最後の日をどうやって過ごせば良いのだろう??時間はまだ、朝の9時半、まずはホテルで一休み。目が覚めたところで、こちらで知り合った悪友にでも連絡を取ってみるかーー

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リョウ・サクラカイ.jpgダヴァオの誰とは言えないけれど:滞在中お世話になる”ダヴァオ桜会”のメンバーがSMショッピングモールにあるサンミゲールビール直売店に集まっていた。私も誘われたので”生ビール飲み会”に参加。ほろ酔い機嫌になったところで、Aさんの奇妙な話が始まった。どちらかと言えば、高齢な会員(ごめん!)が多く、日本なら運転を止める歳になっても、交通の便が悪いこの地では車が必需品だ!当然のように免許証がいる。免許証があれば更新時期がやってくる。どこでどう間違ったのか、Aさんの免許証には”国籍フィリッピン”とあった(?)。悪友たちは”容貌のせいだ(笑い)”と言っているが、本当のところは免許証を交付した役人にしか分からない!更新時期を迎えたAさん、日本国籍に直そうとしたら係官が、しげしげとAさんの顔を覗き込み”フィリッピン国籍だと、何か不都合があるか?”と聞いてきた。”これまでに不都合は無かった。”と答えると、”記載事項を変更するには時間とお金が掛かるしフィリッピン国籍の方が何かと便利だぞ!それでも変えたいか?”と聞いてきた。
だから、Aさんの免許証は今もフィリッピン国籍のままだ!?本当だよ。

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2009年06月01日

ダヴァオ紀行:その43 奨学生・09(写真をクリック⇒拡大)

アポ・マド.jpg目を醒ませば昨夜の豪雨が嘘のように晴れ渡り、澄んだ空気のせいか、はるか彼方にアポ連山がパノラマのように広がっていた。例年の事ながら、ダヴァオ到着の翌日が一番忙しい。9時までに朝食を終えて、学生の指導を任せているラニーを待っていると、ホテルオーナーが私を事務所に招き入れた。日本で生産される、非常識に高いマンゴーの話をすると、事務員に何やら耳打ち。5分もしない内に、大きいが熟れていない緑色のマンゴーを二つ持って事務員が戻って来た。オーナー氏、”ノー!ノー!”手を横に振って、”アンドウ、後で完熟マンゴーを部屋に運ばせておく”と有り難い御宣託(笑い)!丁度、ラニーがやって来た。オットット!お腹がふっくら。妊娠6ケ月で、シングルマザーだと?!
アキマエ.jpgドリーサラス.jpg今年は高校を卒業する生徒は無く、新しい奨学生も居ないはずだったが、プリンセスが転居のため当奨学金制度を退会。ドリーが新しく加わった。12時までにオードリッド(欠席)を除く4人がホテルのロビーに集結。昨年、日本食レストランに連れて行くと生徒たちは大喜び。お米の美味しさ(コシヒカリ・日本産ではない!)に驚いていたので、今年もお昼は”和食”と決めていた。和食レストラン、”Akiko”に入ると、まずは”マグロの握り”を8カン注文する。
ダヴァオにも”キニラオ”と言うマグロを生で食べる料理があるが”メジマグロ”と呼ばれる小さなサイズで脂も乗ってないし、美味しいわけでもない。マグロはサイコロ状の角切りで、キャベツ・玉葱の千切りと一緒に、酢醤油みたいなもので食べる。それに比べれば、”マグロの握り”はドッヒャーと感じるほどに美味しい筈だ。
ガク・スシ.jpgガク・メンチ.jpg最初は不安そうだったが、マグロの握りを一口ほおばると、生徒の表情が変わった(笑い)。後は生徒の手が勝手に伸びてきてアッと言う間に”すし”の項は終わりと合いなったが、”わさび”と”みそ汁”には誰も手を付けない(苦笑)。”すし”の後はコロッケ・メンチカツと日本でも学生や若者に人気のある揚げ物で栄養をタップリ摂ってもらう。頃合いは良し。残った食べ物はビニール袋に詰めて貰い、生徒がテイクアウト。これにて解散となったが、朝のうちの快晴がウソのように外はスコール。私も、生徒も濡れて困るような服を着てるわけじゃなし、肌寒いわけでもない。軒下を走りながらジープニーやタクシーが行き交うメインストリートに向かった。
レストラン”Akiko”:ヴィクトリアの近く  ℡ 082-222-6825

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ga8.jpgダヴァオギャル:おねだり事情・ブログを書き始めてから、ガイド兼モデルのお嬢さんを頼むようになった。それも行く度に違ったモデルさんが欲しいから、友達から友達へ紹介して貰う。勿論、少ないが日当も払っている。早ければ、午後3時頃までに取材も写真も撮り終える。そんな時、モデル嬢は決まったように私をショッピングモールに誘う。気軽に付き合うと、お嬢さんたちが買いたい服やサンダルを見つけると動こうとしないが、といってお金を出す気配も無い!こっちが待ちくたびれて”それが欲しいの?”と聞くと”似合うでしょう?”と念を押してくる。結局、買ってやらざるを得ないから、安い時でも¥2000-前後の出費となる(笑い)。
最近はこっちも学習したさ。モデル嬢がショッピングの話を始めたら”部屋で休んでるから、好きなものを買えば”と¥500~1000-を渡す。1時間もすると興奮して部屋に帰ってくる。白のワンピース¥380-:ミニスカート¥280ー:シャツ¥140ー:サンダル¥80-だってーーー私が一緒の時は、そんな安い商品なんか見向きもしなかったくせに!

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2009年05月27日

ダヴァオ紀行:その42 イーグルセンター・09(写真をクリック⇒拡大)

09eagle.jpg今年の新奨学生はドリーサラス(女性)一人、生徒が一人だけでは寂しいだろうと、昨年イーグルセンターに行った二人の学生・私とガイドを含め5人でフィリッピンワシ本部からの車を待つことにした。当日の朝7時30分、電話が鳴った。出てみると生徒が二人、早々とロビーに来ていると言う。私は起きたばかり、約束は8時半だった筈なのにーーーレセプショニストに”レストランで朝食を摂らせておく、”ように頼んで大急ぎでシャワーを済ませ、降りて行くと、二人は何も食べずに、テーブルの上には水のグラスだけが置かれていた。一寸、早過ぎるが私もオカユの朝食をオーダー(本当はバイキングだが、ここのウエイターはいつも私の朝食を揃えて呉れる)、二人には果物を勧めた。後の二人は時間通りに現れ、9時になると迎えの車に乗り込んだ。例年、センター内を案内してくれてるタチットが出張中で、代わりにサンドラが来たが、生徒二人が1時間も前に現れた話をすると”フィリッピンでは時間前にやってくる人は滅多に居ないから、本当にユニークな生徒ですね。”と大笑いになった。
ニュウジョウリョウ.jpgエントランス.jpg定宿のグランドメンセンホテルを出発して1時間。木立に囲まれたセンターに到着。去年は工事中だった入り口のビルが完成。白くて近代的な形が目を引く。去年までダウンタウンにあった事務所もここに移転。余分な経費を省くと同時に、フィリッピンワシ本部の全機能が集約されたことになる。早速、センターの責任者タデナに合いたいと言うと、何と!去年、退職したそうだ。
昨年から始まった”世界不況”が影響したのだろうか?自然保護団体は財政的な基盤が弱い。特に発展途上国では先進国からの寄付に頼らざるを得ない。現状の世界経済を考えれば、イーグルセンターの運営だって大変なのだろう。
現在の責任者は若干30歳の女性、アニメイで13人のスタッフを統括している。今も時々タデナに相談しているそうだが、困難を乗り切って、美しい鳥、フィリッピンワシを絶滅から救って欲しいもだ。
sewani.jpgセンターは猛禽類を主体にした小動物園のような施設だが、現在飼われている動物は36羽のフィリッピンワシ・5種類のワシ・3種のフクロウ・哺乳類4種・クロコダイル・オウム等だ。
施設の広さとフィリッピンワシが一羽づつ大きなケージが要ることを考えると、ワシを野生に戻さないかぎり、ここで飼育出来る数の限界を既に超えている。幸いな(?)ことに昨年の繁殖シーズンは雛が孵らなかった。野生に戻す試みも昨年2羽、放鳥されたが、1羽は家畜の近くに度々飛来。銃弾を浴びて死。もう一羽は人里を離れず。センターに戻された。結局、フィリッピンワシの放鳥計画はこれまで一羽も成功していない。今年こそ放鳥を成功させて、繁殖から野生復帰への道筋をつけて欲しいーー
日本でもコウノトリ・トキを野生に戻す実験が進行中だが、里山に住む鳥でさえ、自然繁殖まで辿り着くのは容易じゃない。日本のスタッフもあと一息、放鳥された地域の皆さんもこのプロジェクトを後押し、してーー

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安藤達己的:新インフルエンザ顚末記・ダヴァオ出発まで一週間もないと言うのにメキシコ発の新インフルエンザの発生で、新聞はこの記事一色。成田では映画に出て来そうな服装で検閲官が到着便に乗り込む。このウイルスを水際で食い止める作戦だとかーー日を追うごとに、ウイルスの毒性が低いことも、感染条件も分かってきているのにだ!私もパソコン用品を買いに行くと入り口で、女性に手を消毒された。
慌ててマスクを買いに走る!成田空港では、さすがにマスクを着けた渡航者が多い。息苦しいが仕方ない。私もマスクをして機上の人となった。飛行機の中でイミグレイションカード以外に、北米・メキシコの渡航暦と健康状態を申告する調査書が配られた。マニラ空港ではサーモグラフィも見当たらず、全く、普段と変わらない。日本人以外、マスクをかけている人は居ない。ダヴァオでは”海外旅行者情報で”メキシコへの渡航自粛を呼びかけていた。
帰国すると新聞から新インフルエンザの記事が消えていた。このインフルエンザ、毒性が弱く、ワクチンが無いだけで、感染したって、既製の薬が効く!専門家は”ウイルスは変異が早いから油断出来無い”と言うが、そんなら例年流行るインフルエンザも今回と同じ処置を取るのかい?
修学旅行を中止した学校が2000校を超えた。そんな必要があったのだろうか?普通のインフルエンザと同じ対応で良いとなれば、中止にする学校は無かったと思うのだがーー
マスコミの非難を恐れて、判断力を失っている教育委員会。学校生活一度の旅行機会を失った生徒たち。日夜、報道に関わっている記者諸君。この事態をどう思いますか?
判断を委ねられた地方は、労働厚生省の決定を待つばかりでなく、瞬時に駆け巡る情報を集めて自分の判断が出来る能力を養ったらどうだろう。
結局、責任を取りたくないから、こんな結果を招くんだろうなぁ。

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2009年05月03日

ダヴァオ紀行:その41 シーフード・レストラン(写真をクリック⇒拡大)

フタリ・ショクジ.jpgダヴァオは海辺の町だ!レストランが軒を連ねるショッピングモール:ヴィクトリアの裏手にも2軒の海鮮料理屋があり、店に入れば、大きな水槽と調理場から立ち昇る煙・忙しく行き交うウエイター・とその活気に圧倒される。物価の安いフィリッピンとは言え、ロブスター・マングローブガニ・ハタ(海の魚・ここではラポラポと呼ばれている)はそれなりの値段だ。まずは店員を連れて水槽の前に立ち、今日、注文する食材の種類と量を決める。魚は、4人分だから700~800グラムで十分だろうと、キロ当たりの値段を確認して調理の仕方も客が決める。適当な魚を指差せば、店員は大きなタモを無造作に水槽に突っ込んで掬ってくれるが、相手は生きの良い魚だ!水槽の中を逃げ回るから海水が飛び散る。近くの客に水がはね返るが、客も店員もそんなことにはお構いなし。水しぶきを浴びた客もいつものことなのか、別に驚いた様子もなく注文した私をジッと眺めている。
ラポラポ.jpgロブスター.jpgラポラポは中華料理・”コイの空揚げ”風に、甘酸っぱい、トロリとしたアンカケソースをかけて食べれば美味い。次はロブスターだ、これはキロあたり3000円~4000円もする。日本では”錦エビ”と呼ぶ大型のイセエビの仲間でサンゴ礁に住んでいるから、体の色も白っぽく、体中に綺麗な縞模様が入っていて保護色になっている。日本のイセエビは500g位が普通で、1キロなんて大物には滅多にお目にかかれない。更に、これを食べるとなると、まずは懐と相談だ(笑い)。”錦エビ”は1キロ位が標準で、大きいのは3キロをゆうに超える。頭の部分にはミソがギッシリ詰まってて、良いダシが出るからスープにする。頭を解体(?)しながら身をを食べるが、かなりのボリュームで腹に溜まる。胴体はカラ付きのまま、豪快に叩き切って”エビのピリ辛ソース”風が美味しい。確かに姿も形も味も申し分ないが、値段がちょっとーーと思う私のような人には、ロックロブスター(私の田舎ではセミエビと呼ばれ、イセエビと一緒に獲れる)がお勧めだ。
ロックロブスター.jpgカニ・ロブスタ.jpg身の味はロブスターと同じなのに、姿が悪いばっかりに値段は半値以下だ(苦笑)。頭が平べったくて、ミソも身も入ってないからスープには向かない。一匹の大きさは、せいぜい100~200グラム位、私には2匹が適量だ。
そして最後に控えしは!熱帯地方にしか居ないマングローブガニ。ツメが大きく黒々としていて、見るからに挟む力が強そうだ。どのカニもツメはしっかり縛られて、一寸可愛そうだがこんなハサミに挟まれたら大変だから仕方ない。店の奥に或る鉄製の引き出しの中に入っているのを3匹ばかり選ぶ。現地の人は何故か、蒸したカニに炒めた野菜のスープをかけて食べていたが、私には全然美味しくなかった。第一、日本のカニと違ってミソが無い!まぁー、ツメの中に身はあるが、これだって取り立てて言うほど美味じゃない。そこでエビと同じように、”中華風ピリ辛”にして貰うと、予想通りこれは美味しかった!
熱帯の海鮮料理で腹ごしらえ:”お会計”をしてもらうと、ビールを入れて4人様:8000円弱。日本で食べることを考えると、5分の一以下の値段だろうか?そんなわけで、手ごろな値段でシーフードを食べるのもダヴァオ行きの楽しみの一つになった。”食いしん坊”も一徳ですなぁー。

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メキ・インフル.jpg安藤達己的ブタ・インフルエンザ考:2003年3月:SARSなるウイルス性伝染病が流行。その真っ只中、私は無謀にもダヴァオ行きを敢行した。慣れないマスクを着けて成田を出発。マニラに到着すると飛行機はエプロンには付かず、乗客全員がバスで検疫のため、別のビルに連れて行かれた。30数度ある室外で、汗だくになりながら待たされること1時間半。検疫官が全乗客一人ずつの額にビニールのようなものを押し付け、どうやって検査をしたのかは不明だが、結局SARSの感染者は0。予定通り国内線に乗り換え、無事にダヴァオに到着。
もし感染者が一人でも出たら、乗客全員を一週間マニラで隔離することになっていたそうな。後でこの話を聞いてゾッとした。今回はメキシコが発生源でアジア人の感染者は少ない。弱毒性のインフルエンザらしいが、誰も免疫を持っていないから感染が広がれば面倒だ。
私のダヴァオ行きは5月17日:”苦しい時の神頼み”ですいませんが(笑い)、この新インフルエンザ騒動:それまでには治まりますように!

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2009年04月12日

ダヴァオ紀行:その40 養豚業(写真をクリック⇒拡大)

コブタ・30キロ.jpg或るレストランでの出来事だった。高校生を連れて日本食を食べさせようとメニューを見ていたら、”ポークカレーとトンカツが良いよ”と奨めてくれる人がいた。意表を突かれて私が振り向くと”ここの豚肉は私が育てたブタだから”と笑っている。”そうですか”と答えて、その通りに注文してみると、なるほど美味しい。ダヴァオの牛肉は硬いが、これまで食べたビサヤンチキン(地鶏)と豚肉はたしかに格別だった。この御仁、F氏と称したが”ブタは飼料で肉質や味が変わる話や、アクが多くなる原因について”薀蓄を傾けた。こうなりゃ、野次馬根性では負けない私だ!早速、豚舎を見せて貰う約束を取りつけた。
シキチ.jpgハハブタ.jpgホテルを出発・メインストリートを30分走ると、ミンタルと言う町に入る。ここを右折するともう舗装されてない道だ。水溜りのある登り道をスリップしながら、ゆっくり進む。木の種類は違うが里山のような地域で遠くに養鶏所らしき建物も見える。市の中心部からそんなに離れていないのに、空気は綺麗だし、まるで田舎に来たような風情だ。すれ違ったバイクの若者が挨拶して通り過ぎた。F氏の従業員だそうな。もう人家らしきものもほとんど無く、水溜りを避けて車を止めたところが養豚所だった。池には、なにやら稚魚が沢山いたがテラピアの養殖をやっていた名残だとかーーー原っぱを横切ると、コンクリートで敷き詰められた一角が豚舎だった。何百匹単位でブタを飼育するほど大掛かりじゃない。母ブタが10匹足らず、種ブタが一匹で、同じ日に生まれた子豚が12匹ほど、数箇所ある区切られた囲いの中でそれぞれに同居している。中は清潔で、農家の庭でドロだらけになっているブタとは大分違う(苦笑)。母ブタは4ケ月の妊娠期間で平均、12匹の子ブタを生むそうな。4ケ月で100キロに育ち市場に出す。レチョン(ブタの丸焼き)用は2ケ月で40キロ程度。値段はキロあたり70~100ペソだとか。
飼料は主にクズ穀物で、経費削減のため従業員が買出しに行き、ここで配合している。他にも肉質を良くするための添加物を使っていて、これがけっこう高価だ。採算を考えると、今の規模でも毎月、12匹以上のブタを売らなければならない、がそれには母ブタが20匹くらい必要だ。母ブタがいつも12匹以上子ブタを産んでくれれば良いが、動物のことだから、5匹しか産まないこともある(それはそうだろう)。どんな商売も楽じゃありませんなぁーーー
カンシゴヤ.jpg養鶏はウイルスの危険があるから怖い!とF氏の話だが、動物を飼育して利益を上げるのは容易じゃない。病気が発生すれば被害は大きいし、出荷時期にきてブタが盗まれてしまえば、育て上げた苦労は無駄になる。だから、豚舎の良く見えるところに見張り小屋があった。ここで育てたブタは1キロ:100ペソ(普通は70ペソ)の値段が付くそうだが、それでも儲かる商売になっているとは言えない。ブタの値段が安いのに比べ、レチョン(ブタの丸焼き)は1キロ:250ペソ~350ペソもする。F氏のところでも注文があれば調理料:1000ペソでレチョンにするとか。これが一番確実な収入になるらしい。外国で商売を軌道に乗せるには苦労はつきものなんだろうが、F氏には是非、成功して欲しいと伝えて、車に向かって歩き始めた。

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安藤達己的考察:フィリッピン系日本人・1)不法入国していたフリッピン人夫妻が13歳の中学生(国籍はフィリッピン)だけ残して、両親は国外退去となった。家族全員が定住権を認めるられるように、と多くの日本人が支援活動をしたようだが、行政裁量による決定は一家に取って厳しいものになった。
2)昨年、日本人男性から認知されているフィリッピン女性の子供に日本国籍が与えられた。これまで日本国籍が与えられるのは親が日本人と結婚した子供に限られていたから、これは大幅な国籍法解釈の変更だ。この変更によって、多数の日系二世が日本国籍を取得可能になる。
3)母親はフィリッピン人で日本人男性と結婚、日本で暮らしているが、子供は何故かフィリッピンで育ち、18歳になったところで日本国籍を選択。来日して飲食店で働いてはいるが、読み書きが出来ない。
4)父親は間違いなく日本人なのに認知もされず、フィリッピンで暮らすジャピーノと呼ばれる人が3万人以上も居るそうだ。この人達の国籍問題はどうなるのだろう?
5)上に書いたケースは20数年前、フィリッピン女性がエンターテイナーのビザを取得、日本のホテルやスナックで働くことが出来た時期の産物だが、フィリッピン・特にダヴァオ周辺では第二次世界大戦をはさんだ日系人(三世まで)問題が解決し切れていない。すでに6000人以上の日比・混血人が日系と認められ、多くは来日して働いているそうだが、現在申請中の人が4000人以上もいると言う。航空路線網の発達で、どこの国でも国際化は避けられないし、国際交流がもたらす明るい面も沢山ある一方、日本でも外国人による犯罪、違法滞在、無国籍児童と陰の部分もかなり見えて来た。定住権問題も行政裁量にゆだねるだけでなく、きちっとした指針を示す時期に来ているのかも知れませんね。

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2009年03月15日

ダヴァオ紀行:その39 洋ラン産業の芽生え(写真をクリック⇒拡大)

カトレア.jpgフィリッピンの農作物と言えば、まず砂糖だ!これは全土に亘って収穫、輸出され国の経済を背負って来た。勿論、ミンダナオ島でも砂糖畑は多いが、ダヴァオと言えば、何といっても果物(マンゴー・ドリアン・バナナ・ポメロ)が有名だ!ちょっと郊外に出れば農作物の巨大ブランド・デルモンテと言う町名はあるし、果物のプランテーションが広がっている。商店街は一年中熱帯の果物で溢れ、端境期は無い。だがーーー
私を驚ろかせたのは洋ランだった。住宅が密集した路地にも、狭い庭にも洋ランの鉢植えがあり、そんなに手入れをしなくても時期がくれば花を咲かせていた。花の形や色から種類の違いは明らかに分かる。このランに目を付け、栽培に乗り出したプエンテスピーナ氏によると、ダヴァオ周辺の森林(ジャングル)に自生するランは1000種類もあるそうだ。ハワイ・ヴァージン諸島を含むアメリカ圏が300種類前後と言われているから、ずば抜けて種類が多い。
コチョウラン.jpgオンシジューム.jpgダヴァオ市内にあるラン栽培農園を訪ねてみた。日本のラン栽培と違って温室も暖房も要らないし、加湿器も要らない。直射日光をさえぎる紗をかければ、それだけで理想的な洋ラン育成の環境が出来る。日本の生花市場でも洋ランの需要は多く、主にタイやインドネシアから輸入されているようだが、台風が滅多にない気象条件や野生ランが圧倒的に多い有利さを考えると近い将来、フィリッピンが洋ラン輸出の主要国になるのは間違いないだろう。勿論、そうなるためのハードルはある。現在、苗床にする材料と肥料を値段の高い輸入品に頼よらずをえないことや、花を輸出する際の輸送の問題だ。勿論、ラン農園の規模と輸出量が大きくなれば、今、輸入に頼っている栽培材料も安い労働力を背景に国内生産で間に合うはずだし、雇用の拡大(現在、失業率は30%といわれている)も期待される。ダヴァオが位置する地理的な条件から、台風はこの付近から発生するが、被害が出ることは滅多にない。温暖多湿な気候と合わせこの地が持つラン栽培の有利さは計り知れない。
日本に輸出するランの量が増えれば、人の往来も増える。当然、日本⇔ダヴァオの直行フライト便も運行されるだろう。だが、ダヴァオで洋ラン産業を成功させるためには、長年に亘る反政府組織との和解が最優先課題になる。更に輸出先の消費者が好む市場価値の高い花を見つけ出すマーケテングと、その花を安定的に、しかも大量に供給出来る体制が必要だ。つまり最新のバイオテクノロジーとエコロジーに配慮した大規模な栽培農園が必要になる。この条件が満たされた時、ランを中心にした生花輸出産業が砂糖・果物と出稼ぎに頼るフィリッピン経済の新しい柱になる可能性さえある。
デンドロ.jpgアリトハナ.jpg洋ランほど一般的ではないが、レストランやリゾート地に、さりげなく咲いている花にもユニークなものが多い。ダヴァオ周辺で年中見られるハイビスカスやブーゲンビリヤは、日本でも安く売られていて商品としての魅力はないが、明るい黄色や赤の不思議な形をした花はトロピカルでエキゾチックさに溢れていた。ランの輸出が本格化し、日本の業者がここに咲いている花を見る機会が増えれば、ラン以外にも人気の出そうな花が沢山あるに違いない。
私が訪れたラン農園の看板には、ダチョウの絵が大きく描かれていた。敷地の広さからみて、ここの経営者は先進国で人気が出てきた低カロリーで健康食品でもあるダチョウ肉の輸出を視野に入れた事業展開を考えているのだろう。フィリッピンの気候的優位を生かしたフィリッピン資本による新しい産業がここダヴァオから生まれれば”素晴らしい”と思うのだがーー

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ストリート・オンガク.jpg家計を助ける子供達:ダヴァオ編・郊外に向かって走り始めると、数少ない赤信号にぶつかった。すかさず手製の打楽器(?)を抱えて男の子が二人、演奏を始め、信号が変わると運転手が5ペソ硬貨を渡した。レストランを出ると小さな子供達がサンパギータ(ジャスミンに一種で国花)で作ったレイを売りに近寄って来る。人気のある”闘鶏場”の売り子も子供達だ。ダウンタウンの交差点では、車列を縫うようにタバコ・ガム・窓を拭くウエスを肩から吊るした箱に入れ、座席横のガラスをノックする。こうして稼ぐのは良いとしても、ブロック塀から支えの鉄筋を盗むとなると笑って済ませない。----
日本だって金属が暴騰した昨年、鉄製の門や側溝のフタが盗まれる事件が頻発した。”貧すれば鈍する。”他国のことを笑っていられませんなぁー。

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2009年02月08日

ダヴァオ紀行:その38 クロコダイルパーク(写真をクリック⇒拡大)

クロ・イリグチ.jpgクロ・カワ.jpgダヴァオで遊園地と言えば○○ガーデンとか××パークと言うところになるが、日本の遊園地では当たり前のお金を払って乗る、乗り物は見たことがない。クロコダイルパークも入園料(100ペソ)を払って入る。園内にはワニ・トカゲといった爬虫類・鳥類・蝶々がいるだけで、遊園地らしい遊び道具は見当たらない。むしろ小動物園と言った方がピンとくる。かと言って、特に話題になったとか、ここでしか見られない動物も居ない!公園からちょっと離れたところを川がゆったり流れていて、猛烈な暑さに慣れていない外人には、川からの涼しい風が何よりのご馳走だ。別料金・50ペソを払って、熱帯地方独特の景色を眺めながら、水と木立に囲まれた舞台で、強烈なビートに合わせて踊る”エスニックダンス・ショウ”を見るのも一興だが、外人観光客が多いわけでもなく、ここに遊びに来る現地の人の目的が今一つ分からない(笑い)。今はもう、かなり上流に行かないと居ないが、50年前には、この辺りにもワニがいて水遊びは危険だったそうだ。それにちなんだ名前なのだろう。町の中心部近くに、この公園はある。
シーイーグル.jpgわにー2.jpgクロコダイルパークのゲートを入ると、先ずはワシの出迎えを受けた。シーイーグルと呼ばれるワシだが、フィリッピンワシを見慣れている私には、大きい!とか、怖い!と言う感じはしなかった。ただ、ケージの中ではなく、手を伸ばせば届きそうな木立の中に繋がれているから、勿論、それなりの迫力はある。すぐ側に、金網で囲われたオリの様な水槽がいくつかあって、一番手前にはワニが一匹、尻尾の先まで入れれば5メーター以上もありそうだ!別の水槽には子供のワニが沢山いたが、あまり動かないワニを見ていても楽しくない(笑い)。次の金網には水が無い!種類の違うワニがノソノソ動いているのかと思ったが、よく見るとこれは巨大なトカゲだった(笑い)。日本でも、デパートが宣伝のために生きた大トカゲを展示したことがあったが、このトカゲはそれ以上の迫力だった。ワニと間違える程だったのだからーー
園内のあちこちにクサリやヒモで繋がれたオウムや鳥かごに入った小鳥も沢山いたが、色が鮮やかなだけで特に変った鳥には見えない(鳥の知識が無いからかも知れませんが?)。目を引いたのはホーンビルと呼ばれるクチバシの大きな鳥だった。クチバシの色も、大きさもまちまちだが、この手の鳥は熱帯地方にしかいないのだろう。派手なのはインドネシア原産だったが地味なミンダナオ島の固有種もいた。
クロ・コカゲ.jpgあまりの暑さに一休みと、動物をかたどったコンクリート製の展示物の様な、遊び道具の様な動物に座ってみたが、木陰になっているだけで、ちっとも涼しくない!ハンカチも汗で濡れてるし、ズボンも肌にまとわり付いてくる。その上、ダヴァオは禁煙都市だから、タバコも吸えない。いらいらするが、残るは生きた蝶の展示場だけだ!折角、来たんだからちょっと覗いてみた。開発が進んでいるとはいえ、まだまだ自然の残るダヴァオ。しかも熱帯地方だから、野生の蝶もアフリカやアマゾンの様に沢山いる筈だと思うのだが、意外に見かけない!細かい網で覆われたビニールハウスの様な中に入って行くと、アゲハ蝶の仲間とモンシロチョウの様なのが数種類、飛び回っていたが、この暑さを我慢するほどの魅力はない(笑い)。園外に出て、イップク出来る所を探していると、さっきの川が見えてきた。水面を渡って来る風は格段に涼しい。客待ちをしているタクシーの運ちゃんが数人、タバコをふかしていたので、私も近くの木陰を探して禁断症状を落ち着かせることにした(笑い)。

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ヤシノキ.jpgフィリッピン的と言えばその通りだが:その2:今日はB君とお姉さん、従妹の三人を連れてパラダイスアイランドに行く約束になっていた。まずはホテルで朝食を摂っていると”おばぁちゃんも一緒に連れて行きたい”と言う。もう70歳を過ぎているが泳ぎたいのだそうな!軽い気持ちで”良いよ”と言うと早速、連絡を取っていた。ホテルの前でタクシーを拾い、四人で船着場に向ったが途中で車を止め、ニワトリの丸焼き・ブタの串焼き・ミカン(ポメロ)にマンゴーと、しこたま買い込んだ。お金は私が払ったが、たいした額じゃなし。それは良いのだが、一体誰がこんなに食べるのか?不思議でしょうがなかった。
渡船場に着いて、おばぁちゃんを待っているとタクシーが3台やって来た。降りてきたのは子供も含めて14人、全員B君のところに集まり、楽しそうに話している。結局、私を含めると18人が海水浴場に行く羽目になった!?子供達は嬉しそうに渡し船の中でもはしゃいでいたが、私は”ふところ”が心配でそれどころじゃない(笑い)。幸いクレジットカードを持参していたので、海辺のテーブル3っつを占拠(安いとは言えテーブルチャージがある)。レストランの会計にカードが使えるかどうか確認。使えるのを知って、少し安心したところで、後は下着で海に入る一家をボゥーっと見つめていた。この時の出費が計20,000円弱。以後、現地の人と行動するときは必ず”何人で来るのか?”確認するようになった(笑い)。

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2009年01月18日

ダヴァオ紀行:その37 日本レストラン”Akiko”(写真をクリック⇒拡大)

アキヒル.jpgダヴァオ滞在5日目ともなると、日本食が恋しくなる。野次馬根性満点の国際人を気取ってみても、典型的な日本人なのかなぁ(笑い)。ショッピングモール”ビクトリア”の近くにはレストランがひしめき合い、中華、韓国、フィリッピン、日本と、いろいろな国の料理店が揃っていてそれなりに美味しい。この日は、朝早くから遠出をして、ダウンタウンに帰って来たのが午後1時過ぎ。同乗させてくれた友人に”ソバかラーメンで、軽く昼食をしたいなぁ”と話したら、”あぁ、良い店があるよ”と見覚えのある"Akiko"の前で降ろしてくれた。夜になると、この店のネオンサインが目立っているが、これ迄、入ったことはない。屋根が山小屋風で、木のドアーだ。
ウエイトレス2.jpgミソラー・ソバ.jpg初めての店だから、ためらいがちにドアーを開ける。”いらっしゃいませ!”と三人のお嬢さんが日本語の合唱?で出迎えてくれた。ちょいと意表をつかれて、そう広くない店内を見渡すと、チョウチンが吊るされ、干支のノレンが飾ってあって、日本料理店らしい雰囲気が漂っていた。昼食時間を過ぎているので二人連れの客がいるだけだったがテーブル席が六っつ程ある。私のガイドと隅の一角に陣取り、早速、私は盛りそばとミソ汁を、ガイドはラーメンを注文した。勿論、ここでソバを打っている筈もなく、乾麺を使っているのだろうが、食べてみると、コシがあって美味しい!ミソ汁を懐かしく味わいながら、同じ日本人同士、店主とよもやま話を始めた。”アキコ”と言うのは、テッキリ奥さんの名前かと思っていたら、店主のお母さんだった。十数年前、日本で脳梗塞を患い、不自由な生活をしていた母を”暖かいダヴァオで養生させたらどうか?”と、この地の友人が薦めてくれた。母も喜んでダヴァオに移住、最後まで友人一家の世話になって、穏やかに一生を終えたそうだ。そんな縁で店主はここに落ち着き、知り合った地主の勧めでレストランを始めて9年になるとかーー異国の人と対等な関係で、お互いを尊重しながら友情を築く。その難しさを嫌と言う程思い知らされたいた私は、ダヴァオに信頼できる友人を持つ店主がちょっと羨ましくなりました。話も一段落したところで、ここで働いているお嬢さんに"Akiko"の人気メニューを聞いてみると、昼は”天ぷら”と”コロッケ定食”。夜は”スキヤキ”と”スシの盛り合わせ”だと言う。それじゃ、今夜出直して、夜の人気メニューとやらを食べてみるとするかっ。
スシ・スキ・ギョウザ.jpgスシ.jpgスキヤキ・スシ・ギョザと、計4人前を注文した。スキヤキは調理されて鉄鍋で、スシはメジマグロ・エビ・イカと御覧の通りだが、ハシを使えないフィリッピンの友人は握りズシをレンゲに乗せて食べると言う事態に相成った(笑い)。私は、”生もの”だから躊躇していると、勘の良い店主が”このマグロは漁師と直接取引で、冷凍ではなく、捕りたてだから下痢の心配は無い!”と断言する。そこでマグロを2カン食べてみたが、本当の、本当に大丈夫だった(笑い)。何よりシャリが美味しい!日本産ではないがコシヒカリだとか。友人達はスキヤキも大喜びで食べた。スキヤキの肉は値段の安いフィリッピン牛を使っているそうだが、思ったほど硬くはない。贅沢を言えばキリがないが、外国で食べる和食としては十分合格点だった。何より、連れて行った三人のフィリッピン人が皆”美味しいと!”舌鼓を打っている。ギョウザもなかなかのものだった!
ウエイトレス1.jpg私も日本食を十分堪能したところで、頃は良し!予定通り、この三人を連れて近くにあるカラオケに向かって出発進行!お勘定は飲みものを入れても、お一人様1000円足らず。これで、下痢の心配なしに?スシとスキヤキが、おっとギョウザも食べられるとなれば、是非ともレストランのリストに"Akiko"を加えなければなるまい(笑い)。元々、フィリッピン人は皆、明るくて愛想が良い。帰りには、ここで働いている三人のお嬢さんが”ありがとございました”と外人訛り?の日本語で見送ってくれた。

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フィリッピン的と言えばその通りだが、もう5年前になるのだろうか、知り合ったばかりの大学生B君に日本からダブルの部屋の予約を頼んだ。一泊、3500円位だから、普通の料金だった。ダヴァオ空港で迎えの車に乗り、ホテルに着き部屋に案内されて驚いた。タウンハウスと言う造りで、部屋の前にパーキングエリア。ドアーを開ければ一階は応接セットと冷蔵庫、トイレに流し台。二階はツインとダブル二部屋もある。なぁ~んと、ダブルはダブルベッドの部屋じゃなくて、二部屋と言うことらしい!車があるわけじゃなし。第一、寝るのに一部屋あれば十分だ!B君に連絡を取ると家が近いのか、すぐに姉と従妹を連れて現れた。四人でホテルのレストランへ行き、夕食を摂ってから、ベッドに潜り込んだ。真夜中に目を醒ますと、人の気配がする。まさか?と思ったが隣の部屋をソット覗いて見ると、何と!何と!ツインの部屋に先ほどの三人と、あと二人、計5人がスヤスヤと寝っている。ベッド脇のテーブルの上には、教科書とノートが置いてあった。
リ・プール2.jpg朝になるとB君と姉の二人だけ残って居たので、一緒に朝食を摂り、午後3時頃に帰ってくる予定と、話して出かけた。3時を過ぎるとすぐにB君と姉が現れ、親戚の子供達が”ホテルのプールで泳ぎたい”と言っているが良いかと聞いてきた。”構わないよ”と答えてから30分も経たないうちに電話が鳴った。出てみるとフロントからだ。アンドウの友人3人まで、プールに入るのはタダだけど、それ以上は一人150ペソ払ってもらうがそれでOKか?と聞いてきた。”OK”と答えて、プールサイドに行ってみるとプールの中では7・8人の子供達が水遊びをしていた。”おーい!B君の親戚は手を上げて”と呼びかけると、全員が手を上げた(笑い)。ーーーー翌日、フロントに話して一部屋の部屋?に変えて貰った。B君に”君の家に何人住んでるの?”と聞いてみると、しばらく数えたていたが”親類が22人と、貸し部屋(ボーデングルームと呼ばれる安いアパート)に10人かなぁ?”だってーーあ~ぁ!
帰国後、”タカの会”の仲間に、この話をすると大笑い!挙句の果てに”良い経験したじゃない”だってさ。
"Akiko" Japanese Restaurant: (Tel) 082-222-6825: Victoria 近く

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2008年12月28日

ダヴァオ紀行:その36 稲作地帯(写真をクリック⇒拡大)

マ・カラバオ1.jpgダヴァオに米作りをしている日本人がいる。今年の前半、原油価格が暴騰。地球温暖化を防ぐためにもと、米国を中心にバイオ燃料の増産に踏み切った。これに歩調を合わせて世界中の穀物が値を上げ、米を輸入に頼るフィリッピンでは主食の値上がりが庶民の生活を直撃した。こんな時期に稲作に励む日本人がいるならば、”是非、田んぼを見てみたい”と頼み込んでみると、快く承諾してくれたが、田んぼはダウンタウンから100キロも離れたマタナオにあると言う。私の方は、一向に構わない!早速、連れて行って貰う事になった。免許取り立ての奥さんが運転する4WDでホテルを出発、車は南に向かって走り始めた。1時間も走ると見覚えのあるサンミゲールビールの工場が見え、今年の5月に日本領事と訪問したサンタクルスを通過している。ここから更に1時間メインストリートを走ったあたりで車は右折、それと同時に舗装道路は終わりを告げた。
マ・カイモノ.jpgマ・サトウキビ.jpg金物屋の前で止まり、セメントと工具を積み込み、未舗装のゆるやかな上り坂を進むと、道幅は狭まり、デコボコもひどくなってきた。奥さんは免許取立てとは思えないほどの落ち着きで、巧みにギアーを変え、アクセルを操作しながら悪路をゆっくりと進んで行く。今度は、これにアップダウンが加わった!ぬかるんだ道路にはサッカーボール大の石が不規則に敷いてあり、車は石の上をスリップしながらあえいでいる。まるでサファリのようだ。やっと平地にたどり着くとサトウキビ畑が広がり、今が収穫の真っ最中。その先には、田植えを終えたばかりの水田が延々と続いていた。ここは熱帯地方だから、いつ田植えをしても4ケ月で収穫出来るそうだが、田に水を引く都合で近所の農家は一斉に田植えをする。
マ・タウエ.jpg農道の脇で車を止めると長靴に履き替えてアゼ道を進む。近くの田んぼではどちらを向いても、腰をかがめて一家総出の田植え風景。機械を使わず、水牛が耕し人が苗を植える。日本では見られなくなった懐かしい光景が眼前に広がっている。ツタの様に伸びた雑草に足を取られながら300メートルも行くと、この一家が所有する3ヘクタール(約3町歩)の田んぼがあった。田植えから一週間経っているそうだが、まだ稲の力強さは感じられない。アゼのところどころには土が盛られ若いマンゴーの木が植わっている。これも近い将来、果実が実れば立派な換金植物だ!日本でも一昔前までは、アゼにタノクロ豆(大豆の一種)が植わっていて手前ミソ(?)の原料になっていた。どこの国でも農地を無駄にしない工夫は共通している。田んぼの広さといい、二期作の米作りといい、ここの主、てっきり日本で農業を営んでいたのかと思っていたら、定年まで公務員だったと言うからこれも驚きだった!”今は米の収穫が楽しみでしょうがない”とかーー自分の住まいから3時間も離れているのに、月に3回も通ってくると言うから恐れ入る。思い切って収益を聞いてみると3ヘクタールの二期作で、田の管理を13人家族(子供が11人ですぞ!)の一家にまかせて、年60万円もあるそうだ。今後、6ヘクタールの農地が欲しいそうだが、定年後の趣味でこんなに稼げれば、楽しくて、楽しくてしょうがないだろうなぁ(笑い)。
マ・ヒヨコ.jpgマ・ヤギ.jpg田んぼの中に柱を立て自分で電気を引いた作業場なのか、これが普通の農家なのか平屋建ての家には犬・猫は勿論、ニワトリ・ヤギ・ブタまで居たが、ニワトリは勝手に(?)繁殖していて現在50羽以上いるようだが、正確な数はここの主でさえ知らない(笑い)。昼も近くなり、私が来るからと、このビサヤチキンをつぶしてスープが出来ていた。これをいただいて、3時間かかる帰路に着いたが、私に取っては淡い緑に染まった広大な水田風景こそ、かけがえの無いご馳走だった!

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”新築祝い”ダヴァオ編:A氏の場合:定年後に遅まきながら国際結婚。ダヴァオを”終の棲家”と決めて一年。30坪のささやかな我が家が完成。お披露目の運びとなった。親類や近所の人達がお祝いに来るからと、妻は大張り切りで準備を始めた。妻の両親も姉妹も3日前から泊まり込みで手伝っている。午後4時・少しは涼しくなった頃、玄関の戸を開け放し、門までの空間に大きなテーブルを置き、その中央には40キロもあるブタの丸焼きが存在感を誇示していた。紙のとり皿とコップがテーブルの隅に積み上がり、料理が並べられると、豪華と言うかーー誰がこんなに食べるのかと、信じられない位の量だ!
門の外には近所の人が集まり、中を覗き込んでいた。妻が門を開け、招き入れると、テーブルの周りは、みるみる人で埋め尽くされ、食べ終わった人は帰り、又、新しい人が加わる。こんな光景をビールを飲みながら眺めていたが、人の減る気配は一向に無い。夜も8時をまわった頃、あれだけあった料理もほとんど無くなっていた。そうなると、いつしか人影が薄れ、新築祝いの幕は閉じた。一体、どれだけの人数がどこから集まってきたのだろう?ダヴァオではこんな新築祝いが普通なのだろうか?ふと妻の方に目をやると満足げに微笑みながら家族と談笑中だった。

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2008年12月14日

ダヴァオ紀行:その35 音楽コンクール(写真をクリック⇒拡大)

カイジョウ.jpg約束通り:午前8時領事官舎に到着。公用車で会場に向かう。車中、領事から渡された”第16回・リコーダーアンサンブルコンペティション”への招待状に目を通すと、宛名がタツヤ・アンドウと間違っていたのは、ご愛嬌だったが私の役目は、何と!3人しかいない審査員の一人だった。プログラムを読んでみると主催は”比・日系人会”で会場は”比・日系人会インターナショナルスクール・カリナン支部”となっている。窓外には見慣れた景色が広がっていた。それもその筈、会場がカリナンと言うことは、毎年訪問するイーグルセンターと同じ町だ。そして、コンクールの後援は”吉祥寺ライオンズクラブ”と”日比ボランテアー協会”が主体になっていた。
1時間弱のドライブで会場に着き、車を降りると、ムッとする暑さが襲ってきた。額の汗をぬぐって、まずは会場に足を運んだ。床面は土だが、高い屋根が陽をさえぎり、側面は吹き抜けで屋根を支える支柱だけだ。収容人員1000人位だろうか、一段高いところにバレーの公演も出来そうな立派な舞台があった。椅子が並べられた観客席には早々とかなりの人が集まり、コンクールに参加する学生や父兄・指導者は学校ごとにグループを作り、最後の打ち合わせに余念が無い。どの顔も興奮と緊張がみなぎり、コンクール会場独特の雰囲気がみなぎっていた。
レ・リョウジ.jpgウchダ・リョウジ.jpgコンクール開始まで、まだ時間があったので歴史資料館を覗いてみた。ここも”比・日系人会”が運営している。館内には有名なマニラ麻で織られた民族衣装や、セピア色に変ってはいるが、ミンダナオ島の先住民らしき写真や日本人の写真も沢山展示され、改めて日本とダヴァオの関係の深さを知ることが出来る。時間があればもう少しゆっくり見学、といきたいところだが、今日、ここに来た目的はコンクールへの出席だったので、時間を気しながら外に出ると、噂に聞いていた”日系人会の父”と尊敬さる内田氏がご高齢にもかかわらず、会場に見えていた。領事に紹介されて立ち話をしているとすぐに進行係りが”会場へどうぞ”と迎えに来た。会場の入り口では招待客に、レイならぬネクタイ状のハンカチを首の周りにかてくれる係り員が何人も居て、これをスカーフのように巻いてもらい審査員席についた。
シンサ2.jpg壇上、左手に日本語の司会者と英語の司会者が並び、コンクールの開会を告げると、会場のザワメキは静けさに変り、まずは主催者から”この大会が16回目を数えたことへの感謝”とカソリック教徒らしく”神への祈り”行われ、開会式は進行していったが、途中、アシスタントの女性が足早にメモ用紙を持って私の席に来て、審査員の紹介で使う”文章を書いて欲しい”とのことだ。大急ぎで”私が監督した作品だけを書いた自己紹介文”を渡したがその頃には日比両国国家が別々の小学校生のリコーダーで演奏され、私の文が司会者に渡るとすぐに三人の審査員が聴衆に紹介された。これで開会式のセレモニーは終了。小学生の部からコンクールは始まった。
ショウガク3.jpgコウコウセイ1.jpg出場ティームは3分間の練習後、課題曲”村祭り”の演奏に入る。どの学校も真剣に演奏してくれたが、実力にはかなりバラつきがあり、優勝を狙える学校は16校中3校だった。それでも、出場している生徒たちは一生懸命演奏していて、聞いている人に感動を与えてくれる。どの学校も練習を積んでこのコンクールに参加したのだから、順位はともかく、あまり得点差が開かないように採点し、最優秀校と最下位校との差は10点に抑えた。小学生の後は高校の部になったが、参加校は意外なほど少ない。さすがに高校生、体格も技術も肺活量も違うからリコーダーの音色も一段とダイナミックになり、聴き応えがあった。課題曲は”こきりこ節”で、やはり日本の学校で教えている曲が選ばれていた。
小・中・全20校が演奏を終える頃には正午も近く、審査員の採点が集計されると、上位3校は小・中とも、私の採点と変らず、順当な結果だった。直ちに表彰式に移り、司会者が学校名を告げると、順位に関係なく歓声が上がり、参加した生徒・父兄・先生方の顔にも、いつもの笑顔が戻っていた。3位以上の学校には参加賞以外に賞品がスポンサーの”吉祥寺ライオンズクラブ”の女性会員から手渡されたが、これが、何と:現金だった!何はともあれ、日比親善の一環としてスタートし、16回を数えたこのコンクールが来年も盛大に開かれることを願って、カリナンを後にダウンタウンに向けて出発した。

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”オレオレ詐欺”ダヴァオ編:もう2年前になるのかなぁ?イーグルセンターに学生を連れて行く日の朝だった。7時に電話が鳴り、出てみると”ジョンだかジョエルから電話だが、つなぎますか?”と聞いてきた。”そんな名前は知らないよ”と言うと電話を切ってくれた。15分もすると、又電話が鳴って、”今度はデニーだと言う”てっきり、フィリッピンワシ本部のデニスだと思い込み、つないで貰った。すると直ぐに、電話は女に変り”アンドウさん、私、ヴィッキーだけど”、そんな名前に思い当たるフシが無いから”間違いじゃない!”と答えると”じゃ、モニカはジェーンはジョイは?”と言ってきた。”ジョイなら一人知ってるけど”と答えると”そのジョイよ。日本で名前を色々使ってたから、どの名前の時にアンドウさんと会ったか忘れてた。ごめん!”で、何の用か聞いてみると、今、ダヴァオの家にいるけど、お母さんが入院していて、今日10,000-ペソ払わないと病院を追い出されるとのことだ。でも、私には、電話の主が私の知っているジョイかどうか分からないし、余分なお金だって、そんなに持ってないと伝えると、”じゃ、7000-ペソでも良い”と値下げしてきた。
私も、今日は9時にホテルを出るから、貴女がホテルに来たら3000ペソ位ならあげるよ、と言うと、受付に置いといてくれとのことだ。顔を見てからでないとお金は渡せないと言ってやると、今度は9時までにホテルに行ける場所に居ないと言う。だってさっきダヴァオに居るって言っただろう?こうして会話(いや、オネダリ交渉)は20分も続いた。最後には”じゃー、もう、いいっ!”だって。ーー一誰がアンドウという日本人が一人で、このホテルに泊まっていることを知らせたのだろう?ホテルの従業員で私の部屋番号を知らない人なのだろうが、その情報でサギを働こうなんて奴がここにもいた。当時、日本に働きに来ていたタレントの中に”オレオレ詐欺”の手口を知って、現地で実行、味をしめたグループが居たに違いない。そうなると被害に遭った日本人も居たということになる。
気を付けねぇーと!どこにでも、悪い奴はいるもんよなぁー

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2008年11月02日

ダヴァオ紀行:その34 パブリックマーケット(写真をクリック⇒拡大)

ザッカ.jpgパブリックマーケットでは肉・魚・野菜・乾物・花、生活に必要なものは何でも売っている。卸専門と言うわけではなく、個人も買出しに来ている。市内には小綺麗で巨大なスーパーマーケットも沢山あるが、値段はパブリックマーケットの方が格段に安い。さすがに100万人の胃袋を賄っている市場だけあって中は野球場ほどの広さがあり、商品ごとに売り場が仕切られている。外は築地の場外市場を連想させるような露天が並び、車と人の多さは、まるでラッシュアワーのようだ。タクシーを拾ってやって来たが市場に近づくと、車が動かない。仕方が無いから200メートルも手前で降りて、暑い中をテクテク歩いて来たが、まずはその活気に圧倒される。歩道は雑貨と服を売る屋台が占拠していて、人がやっと歩ける幅しか空いてない。
クダモノ.jpgコメ.jpg果物の町・ダヴァオらしく、熱帯特産のフルーツが、にわか作りのようなお店に、うず高く積み上げられている。この暑い中で直射日光を浴びている果物や、日陰でもすぐに萎れ始める野菜を見ると心配になるが、買う方はそんなことにお構いなしだ!主食の米も大半が輸入品で、細長いの(インデカ米)や丸いの(ジャポニカ米)が何種類も売られている。値段も1キロ20ペソ~50ペソと開きがあるが、日本米のように500円(250ペソ)なんて云う種類はない。それはそうだ、そんな値段で米を買える人なんてここには居ない。魚売り場では、海の魚も淡水の魚も同じ売り場に並び、店のおばさんが、せっせとヒモノらしき物を作っていた。
ブタニク.jpg肉売り場の主役はブタ肉だ。ブタの種類が違うのか日本のものより小さくて、精肉にされるのは50キロ程度のブタだ。私もチャーシューを作ろうと1キロ位のブロック肉を買って、背アブラをそぎ落とし、出来上がったら、これがコラーゲンだった。肉は引き締まっていて、これは美味しい。それに比べると牛肉の方はいま一つだ!シチューを作ろうとバラ肉を買って、更に小さく切って煮ること2時間。アクは驚くほど出たが、ちっとも柔らかくならない。一切れ味見してみたが硬くて歯がたたない--私の歯のせいではありませんぞ(笑い)。ステーキハウスでオーストラリア・アメリカ・地元牛の三種類を頼んでみたが、地元の牛は固くて噛むのが大変だった。友人に聞いてみると、放し飼いに近い牛一頭の値段が10万円以下だと!それじゃーしょうがないっか。
ニワトリ.jpgニワトリとアヒルが生きたまま売られているのには一寸驚いた!勿論、肉になっているのもあるが、生きたまま買えば、食べる時にツブセば良いから腐る心配は無い?!ここダヴァオでは、生きたニワトリをサバクのなんか普通の作業だ。売られているのはビサヤンチキンと呼ばれる地鶏で、養鶏所で飼われているのではなく、農家で飼われている。出荷される若鶏はスリムで2キロもない。放し飼いだから、自分でエサを探し、危険が迫れば矢のように飛んで逃げる。だから運動は十分過ぎるほどしている(笑い)。余分な脂肪が付いていないモモ肉はブロイラーの半分くらいのボリュームだが、筋肉質で味も歯ごたえも最高だ。日本のキジやヤマドリを少し柔らかくした感じで、このトリを一度、口にすると、やみ付きになる。私もダヴァオをへ行く度に、このトリを食べるためにバーベキュー(胸半分と手羽1本・モモ肉一本がそれぞれ一人前で、日本のように小さなトリ肉をクシに刺したのとは違う)通いをする。ダヴァオのヤキトリが無性に恋しくなってきた。そんなわけで、今回は日本と一味違う熱帯地方の”卸売り市場”風景を紹介してみました。

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ダヴァオの誰とは言えないけれど:日本の商社でマグロの買い付けをしていたM氏、美人のフィリッピン人と結婚。ダヴァオでの生活が始まり、早速、M氏は計画通りマグロの仲買いを始めた。市場ではマグロの肉質によってA・Bランクに分けられていて、値段は3倍以上も違う。最初は自分の目で確かめて、仕入れから販売までこなしていたが、事業が拡大するにつれて奥さんの親類を雇うことになった。M氏は従業員が親戚だから、すっかり信用して仕事を任せたところ、利益が上がるどころか毎月、赤字になってきた。驚いたM氏がチェックしてみると、Aランクで仕入れた筈のマグロが売り物にならないほどひどいBランク!問い詰めると、漁師と親戚の仕入れ係りが共謀して肉質を偽装。M氏から大金を引き出していた。更に、別の漁師には、とっくに払った筈の金が渡っていない!無性に腹が立ったが、そこは日本男子。M氏は奥さんの親類が仕出かした詐欺行為をすべて清算。一文なしになって、一日200ペソでバナナ農園の過酷な労働に耐える身となった。その後、日本からの送金が届き、奥さんとの離婚も成立。今は、ささやかなお店を開き、現地女性と再婚して平穏な日々を送っている。それでも、どういう訳か、前妻とは今も友人として普通に付き合いが続いているそうだーーーさすが男の中の男!太っ腹ですなぁーM氏は。

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2008年10月19日

ダヴァオ紀行:その33 働く水牛(写真をクリック⇒拡大)

カ・コメ.jpgダヴァオだって大都会?水田を見たいとなれば、かなり遠出になる。ダウンタウンを出発して1時間半、ガソリンが少なくなっているからスタンドに寄る。運転手は給油係りと二言三言、今度も給油をせずに走り始めた。どうしたのか聞いてみると、ガソリンが無いと言う。”エッこの車ハイオク?”:”勿論レギュラーさ”:そりゃそうだろう、10年以上前のホンダ1600CCで、日本なら立派な?鉄くずだ。で、”ナッ何で?”:この辺まで来ると、ジーゼル車ばかりで(ジーゼル用軽油はガソリンより1リッター5ペソも安い)、ガソリンは売れないそうだ。売れないものは置いてない、”なぁ~るほど と納得”。取り敢えず、ガス欠の心配は無さそうだから、少し先まで行ってみると椰子に囲まれた青々とした水田が広がっていた。世界一広い面積を持つダヴァオ市だから、ここも市内かも知れないが--折角、田んぼがある所までやってきたんだ。農家を覗いてみたいと、横道にそれて見た。
ブタ、トリ、アヒルー2.jpgバイクー5ニン.jpg小川なのか用水なのか?分からないが、近所で飼われているブタが紐で繋がれてエサを食べていた。残飯で育てられるブタは、イザと言う時の大切な換金動物で、大概の農家が飼っている。飼い主不明のアヒル・ニワトリに子犬まで、勝手に洗面器の中をあさっていた。そんな具合で、ブタのエサはアッと言う間に無くなった。ここに熱帯地方で、良く見かける水牛でも居てくれたら、まるで絵ハガキだ。と、思ったらどうしても”働く水牛の姿を見たくなった。”が、知り合いの農家があるわけじゃなし、最近では農業も機械化されて、水牛を農耕に使う農家はめっきり少なくなったそうだ。それでも小さなココナッツ農園でヤシの実を積んだソリを引いている水牛はいるんだとか--ここは、無いものネダリと諦めて、舗装されてない道を幹線道路に戻り始めると”とんでもない光景に出っくわした。””なぁ~んと”5人も乗っているバイクが細いデコボコ道をノロノロと走ってきた。車を止めて見ていると、そこは愛想の良いフィリッピン人らしく、クラクションを鳴らしながら、こちらへやってくる。どう見ても125CCのバイクだ。なぁ~るほど、後ろの荷台が異常に長い(ここに3人とガソリンタンクの上に1人・運転手を合わせて5人)。こんな辺鄙な所では、ジープニーもトライシクルも走っていないからバイクは大切な交通手段だ。5人も乗れば、馬力が無いからスピードは出ないが、そんなことには無頓着。歩くよりはズッとましなんだから!
カラバオー2.jpg幹線道路に戻り帰途についた。15分も経っただろうか、道路際の小さな農地を耕している農民一家と”働く水牛”に出っくわした!ラッキー・車を飛び降りてカメラを構える。おやじさんは、水牛が引くスキが浮き上がらないように押さえつけ、子供は、わめきながら後をついて歩く。奥さんは耕した土から雑草を抜いていた。どんな虫が掘り起こされるのか、小鳥が集まり、雑草だらけの土の中に嘴を突っ込んでいた。なんとも”のんびりした田園風景”が広がる。カメラを片手に水牛に近づくと、鼻息がすごい。肩から腹にかけて汗もかいている。ここには、まだ家族と動物が協力しながら生きている農村の姿が残っていた。

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安藤達己的独り言:終戦直後(昭和22・3年頃)。私は少年時代を房総半島で過ごしていたが、大抵の農家には荷役用の牛か馬がいた。親類の農家ではブタやタマゴが欲しいからニワトリまで飼っていた。当時、タマゴの値段が15円位、(今の300円以上になるんだろう)運動会や遠足の日以外、滅多に口に出来ない高級品だった。各家庭に電気製品など無く、お米だって”配給”されるほど不足していたが、近所の人は勝手に縁側に座り込み、漬物とお茶で世間話をし、野菜が足りなければ、隣から貰い。貧しいからって、惨めに感じていたわけでもない。近所同士が助け合いながら生きていたから、一人暮らしの老人なんて滅多にいなかった。ましてや老人の孤独死なんてあり得なかった。あれから60年、どこの店にも商品が溢れ、殆どの家庭が電気製品と自家用車を持っている。
でも、私たちの生活は本当に豊かになったのだろうか?今日も、無職の若者が老人を騙す”振り込め詐欺”の記事と家庭内殺人事件が新聞紙面を飾っていた。

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2008年10月05日

ダヴァオ紀行:その32”これボーリング?”(写真をクリック⇒拡大)

アレー.jpgドーバー・メガレーン:夕食も終わったところで、”今日はちょいと涼しいし、ボーリングでもするか”とやって来たのがこのレーン。繁華街から外れたビルの薄暗い階段を上がると、左手に”玉突き台”があって、その向こうのレーンで2・3組のグループがボーリングを楽しんでいた。メガと言うから、広いのかと思えば、さにあらず。レーン数も10位だったかなぁ?中も、日本の明る過ぎる?ボーリング場と違って、やっぱり薄暗い。受付に行って、スコアカードを貰ってきたが、なんだか立っているピンも小さく見えるし、投げるボールも見当たらない!?この女性、履いてきたサンダルのまま、ソフトボールの様な丸いものをアプローチの横から取り上げると、いきなりピンに向かって転がしたというより、ぶん投げたが、隅の何本かを倒しただけだった。すぐに2投目を投げるが、荒れ果てた床で、ボールが向きを変えると、あえなくガーター。続いて3投目を投げた。”待ってくれよ。2フレーム目じゃないのかい?”いやはや!このボーリング・1フレームで3回投げられる。どうやってスコアーを取るのか見当もつかない。途方にくれた(笑い)私を見て、どこからともなく現れた男女2人がすぐにスコアーを付け始めた。
スコアー.jpgボール.jpg私の番だと、合図されたからレーンに上がり、ボールを取り上げた。指を入れる穴なんて空いてない。まぁー、ソフトボールを転がす要領で、ヘッドピンに向かって投げて、じゃない、転がしてみた。ささくれだったレーンをあやふげに転がったボールは、見事ヘッドピンに当ったが左の3本が残ってしまった。あと2投あるから、スペアーは取れるだろうと甘く考えたが、そうは行かない。兎に角、ボールが素直に進んでくれない!微妙なレーンの傷と凹凸で方向が変り、見事なオープンフレームとあいなった。スコアは当然7だ。このままいけば、オールオープンフレームでスコアーは80に届くかどうか?----靴は履いて来たままでいいし、客はマバラだから、面倒くさいルールなんて一切気にしなくて良いが、ストライクを出そうなんて思うと、ストレスが溜まってくる。これはボーリングなんて云うものじゃなくココナッツボール投げだぜ!この表現が、友人に”うけにうけて”、以後、現地でスモールボールと呼ばれるボーリングは”ココナッツスロウ”と名を変えた(笑い)。ダヴァオの名誉の為に言って置くが、近頃は本当の?(普通)ボーリング場もあるそうだ。
レーン.jpgコンコーンとボーリングらしい音がするから、向こうで投げている人達を見ると、これが、凄い。レーンの悪さを吹き飛ばすような剛速球を投げている。なぁ~るほど、あれならボールは真っ直ぐ転がる。早速、私も真似をして、腕を力一杯振ってみたが、無残にもココナッツ?はガターへ向かって一直線。第一、普段の運動不足が災いして、膝がキシミだしてきた。4フレーム・12投目を投げたところでギブアップ。後はスコアーを付けていた人に任せて、お金を払いに行ったが、お一人1ゲーム50ペソ。安いのも安い。私たちが残したフレームでボーリングを楽しいんでいる2人に少々のチップを渡して、ホテルに引き上げたが、2・3日は腰が重かった。あ~ぁ、歳は取りたくねぇーなぁ(笑い)。

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ダヴァオの誰とは言えないけれど:歌自慢のA氏、ときたまヴィデオケで楽しんで帰宅が遅くなることもあるそうな。何がそんなに?楽しかったのか、午前様になってコッソリと家に入り、寝込んでいたが、朝になって奥さん(勿論、フィリッピン人ですよ)が、やおら毛布を剥いだそうだ。眠い目をこすりながら、起きようとすると先ずは枕、続いて鍋、スプーンが飛んできた。慌ててA氏は毛布を被ってひたすら攻撃を避けたが、何のことやら分からない。”止めろ!”と叫んで顔を出すと、昨日、着ていたシャツを片手に奥さんがベッド際に立っていた。そのシャツの胸の辺りには口紅がベットリ。一生懸命言い訳をしたが、そんな話は聞いて貰える訳も無く。携帯なんか持っているから”私に内緒でおねぇーちゃんに連絡してーーー一体、何をしてきたの?”と携帯を取り上げられ、どうしても返して貰えない。私が会った時には、仕方なく息子の携帯を借りていた。その後、どうなったろう?(大きなお世話か!)口紅が何故シャツに付いたのか謎のままだが:私が知ったってどうにもならないわなぁ(笑い)。キット良い思いをしたんだろうから、その位の罰はしょうがないっかーーー

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2008年09月14日

ダヴァオ紀行:その31 ダヴァオ日本人会(写真をクリック⇒拡大)

ニ・ゲンカン.jpgダヴァオ日本人会の歴史は古い。大正時代にマニラ麻とラワン材を輸出するため、多くの日本人がここに定住。市の人口の6%を占めていたと言う。当然のように日本人会が出来、現地人との交流や情報交換の場となってきた。それが第二次世界大戦によって大きく損なわれ、終戦後の長年に亘る両国の努力で、ようやく正常な形に戻り、日本人会が再び発足したのが1973年のことだった。現在、ダヴァオ市に長期滞在している日本人は約300人、非公式(?)に滞在している人を含めると500人位いるのではないかと推定されます。他にも日本人グループはあるようだが、それはそれとして、この会を抜きにしてダヴァオの日本人会は語れない。会員は40人ほどで、ユニークな人も多い。当地の大学生にを教えているご婦人もいれば、夫婦で稲作に精を出す人もいる。昨今の米の高騰を思うと、趣味とは言え、先見の明に脱帽ですなぁ(笑い)。
ニ・ゴルフ.jpgといってもゴルフ好きが圧倒的だ(勿論、殆どが日本人の夫の方ですよ!)こちらで商売をしている人や働いている人は少数派で、年金暮らしの人が多い。そうなれば暇はあるし、プレイフィーが安いから(1日・ビジターで¥5000-位、会員になれば勿論もっと安い)、ゴルフが格好の運動不足解消となるし、おしゃべりの場でもある(日本人同士だから言葉の壁もない?!)。私もラナン・アポともう一箇所・3ケ所でプレイしてみたが、日本と違ってプレイヤーに一人ずつキャデーが付くし、ゴルフ場によっては日傘をさしてくれるだけのアンブレラガールがついたりする。安いとはいえ、タダではありませんぞ。ここは熱帯地方、朝早くは兎に角、10時を過ぎればテイーグランドに立っているだけで汗が噴き出してくる。そうなるともうスコアなんてどうでもよくなって、ただ、ただ早く終わりたい。そんな訳で早々とゴルフを諦めた私だが、御高齢(失礼)にも拘わらずゴルフ三昧に明け暮れる皆さんの健康が羨ましい。
ザッシ・ドリアン.jpgニ・ゼンケイ.jpg待望のダヴァオ日本人会館が、2007年・高級住宅地の一角に完成。ここを基点に、年間行事も一段と充実してきた。1月は新会館での新年会・餅つき大会から総会・料理教室。屋外ではボートによる島巡りツアーと海岸でのリクレイション。更に日比親善に一役買おうと”フィリッピン・日本フェステバル”に参加して和食や書道を紹介。綿菓子の売り上げはフィリッピン日系人会に寄付されました。このようにダヴァオ日本人会は会員同士の親睦や情報交換は勿論のこと、現地人との交流も視野に入れて幅広い活動を展開し、会報”どりあん”も年に一度発刊している。ダヴァオ駐在日本領事館の協力と会員の努力で、日比間の交流と相互理解が益々深まって欲しいと思います。

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ダヴァオの誰とは言えないけれど:今回は伝説の男・K氏の話だ。伝説だから話に尾ひれが付く、どこまで信じて良いのか分からないがーーーーーフィリッピンに来て、一旗上げようと考える人はいくらでも居る。物価も土地も人件費も安いから、小銭があれば、事業を始められる。だが、いつの間にか資金は底をつき、一敗地にまみれる。この地で信用できるパートナーがいなければ、お金は砂にまいた水も同然だ。
ダヴァオの中古車は信じられないほど高い。私のマネージャーも10年前のホンダ(17万キロ走行・エンジンはオーバーホール)に乗ってるが、なんとこれが25万ペソ(60万円位)。そんな風だから、K氏は車に目をつけた、日本からS社の軽トラックを運転部分と荷台部分を切断して、クズ鉄として輸入。フィリッピンで溶接すれば、立派な軽トラックになる。これならボロ儲けだ。こんな商売が成り立つ為に、どんな手を使ったのかは定かでないが、K氏はアット言う間に億万長者となった。今は当地の美人と結婚、2人の子供にも恵まれ、10人のガードマンに守られた豪邸に住んでいるそうな。真偽の程はともかく、めでたし!めでたし!

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2008年08月31日

ダヴァオ紀行:その30 フィリッピン・イーグルセンター08(写真をクリック⇒拡大)

8・アーリンダ.jpg8・メインブランチ.jpgホテルで一泊、翌朝、BPIバンク・ダヴァオ本店に行き、基金から必要なお金(米ドル)を下ろす。今年も”ドル引き出し用紙”に金額を書き込み、外国貨幣係りに持っていくと、いつもの人と違っていた。バイスプレジデントだった美人のアーリンダ嬢も、既に退職していて、これが当たり前だが正規の手続きで、お金を引き出さなければならない。最初に基金の残額を確かめるために、その係りのデスクに行き、預金の残額証明書を貰う。これと”ドル引き出し用紙”を持って外貨係りに戻って来た。ここで”ドル払い出し用紙”が手渡され、今度は支払い窓口でドルを受け取る。お金を下ろしたら、もう一度、残額証明書を貰わなければならない。来年からは”必ず残額証明書を持ってドルを下ろすように”念を押された。昨年迄は、知り合いの外貨係りが面倒なことを全て処理。二階の特別室でアーリンダと”おしゃべり”してから、ドルを受け取ればそれで良かったが、来年からは、そうは行かないっ!ーー面倒だが仕方無いっか。
8・センターコウジ.jpg今年から支援する高校生二人を連れて、マラゴス(ダウンタウンから30キロ)にあるイーグルセンターにやって来た。木造だった事務所は跡形も無く、新らしいビルを”イーグル週間”前に完成させようと突貫工事の真っ最中。作業員の邪魔にならないように園内に入ると責任者のタデナが自ら私たちを案内してくれた。園内は、移植された植物がすっかり定着して熱帯地方らしい雰囲気が漂う。フィリッピンワシ以外の猛禽類も大分増えたし、ミンダナオ島固有の動物もいて、ちょっと丁寧に見て歩くと2時間近くかかった。8・イーグル.jpg現在、フィリッピンワシだけで36羽もいる。一羽づつ、別々のケージで飼わなければいけないから、これだけでも広大な土地が必要だ。当然のように、当初からの目的だった”ワシを野生に戻す”プロジェクトが進行中だが、地域村民の同意を得たり、ワシをトレイニングしたり、これには時間も金も掛かる。しかも、最初の放鳥が失敗したように(高圧線に触れて感電死)何が起こるか、予測しずらい。この失敗を教訓に、ケージの中に電柱を立て、そこに止まると電気刺激が起こる仕掛けで、放鳥されたワシが電線や電柱に止まらないように訓練している。ーー
今年も繁殖シーズンが始まった、新しい雛の誕生は”めでたい”が、イーグルセンターの収容能力を考えると抜本的な解決策が必要だ。土地を買い足して、新らしいケージを作る方法もあるが、これには大金が掛る。野生に戻すのだって簡単には行かない。とすれば、ダヴァオでしか見られないフィリッピンワシを世界中の動物園に貸し出す方法が考えられるがーーーこれはPEF本来の理念を変える事を意味する。なにか上手い解決方法はないのだろうか?そんな折、関西学院大学の生徒がダヴァオのPEF本部で二ヶ月間ボランテアー活動をするとの連絡があり、メールで問い合わせがあった。若い人達が原生林や野生動物に目を向け、地球温暖化の問題をからめながら、解決策を探ってくれることを期待するのだがーー

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8・ネビ.jpg奇妙な女・ダヴァオ編:イーグルセンターの外は、Tシャツ屋の屋台が軒を連ねてる。そこに、ニシキヘビを襟巻き代わりにした女が異彩を放っていた。成る程!ヘビはシルクの様な肌触りと、ひんやりとした冷たさで、暑いダヴァオ向きの装飾品?かもしれませんなぁー(笑い)。写真を撮らせて貰おうとしたら、カタコトの日本語で話しかけてきた。何と日本人と結婚して、すぐそこでレストランを営んでいるそうな。う~ん、確かに目を引く宣伝だが、大抵の日本人は”気持ち悪ぃー”とか言って逃げ出すかもねーー興味のある向きは、イーグルセンターの帰りに昼食でも摂ったらいかがでしょう?建物はエスニックで、カレーが美味しいとかーーーー

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2008年07月13日

ダヴァオ紀行:その29 奨学生(写真をクリック⇒拡大)

08・ゼンイン.jpgフィリッピンの新学期は6月から始まるし、教育制度も日本と違って6・4・4制になっている。勿論、小学校と高校は義務教育化され、公立学校であれば月謝は要らないが、小学校への入学率が70%・高校にいたっては40%と言われている。この進学率の低さは、貧困層の多さと失業率の高さが原因だが、私がダヴァオに行き始めて18年。大統領は変っても、本気で社会構造を変えようとした主導者は居ない。どの国も、既得権に胡坐をかいて、良い思いをしている人が政治を動かしているとしか思えない。---私のグループが援助しているのは、高校生5人(この国に中学はない!)だから、毎年、1人か2人が卒業して行き、その数だけ新しい生徒を援助することになる。人選については、私は一切関与せずに、現地で生徒の指導を兼ねてラニーと叔母さんのドクター、ビンキーに任せてある。学校の年度末にあたる4・5月は休校で(あちらでは”夏休み”と呼んでいるが、1年中、夏なのに”ちょっと変な感じ?!”)、私のダヴァオ行きも、これに合わせることになる。
ネオン.jpgダヴァオに着いた翌日:新しく加わった2人と、以前からの生徒を連れて食事に出かけた。いつもは、ホテルかフィリッピン・レストランで食べていたが、今回は日本食の店に行ってみた。ダヴァオには、数え切れない位飲食店があるが、私が良く行く場所はトーレス・ストリートかショッピングモール・ビクトリア付近だ。この店はトンカツ・カレー・ソバを売り物にしていた。豚肉は、これまた”ダヴァオ日本人会”の一人が経営する養豚場から仕入れている。経営者のT氏が自慢するだけあって、食の安全には十分な配慮がなされていた。生徒達は日本食が初めてで、何を食べて良いか分からない。(当たり前だけど!)
スカラーゼンイン・51.jpg私が勝手にトンカツとカレーを4人前づつ注文し、カツカレー風にして勧めてみたが、最初は誰も手を付けない。男の子の皿に少し取り分けてやると食べてみて、”おいしい”とビックリ仰天。後は全員、その味に満足し、特に、お米の”おいしさ”には驚いていた。そこで日本米は安くても、1キロ200ペソ(500円)することを話すと驚きは頂点に達した。それはそうだ、この子達が食べているのは、ほとんどタイ米で1キロ20~30ペソだ。その米だって、腹一杯食べられているかどうか?さすがにミソ汁は苦手のようだったけど、ご飯を残した子は一人も居なかった。
こうして食事をしながら生徒の話を聞き、生徒が満足して家路につくのを見送ってから、私も炎天下の中、タクシーを拾いホテルに向かった。
日本レストラン・アキコは、一人前が800円位(350ペソ)で、味は日本で食べるのと変らない。ダヴァオで日本食が恋しくなった人には”お勧め”の場所だ。経営者も日本人だし、何か困った時には、気軽に日本語で相談出来る!?

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安藤達巳的毒舌:洞爺湖サミットなるものが終了した。今年に入ってから、ガソリンを筆頭に食品や鉄鋼の値上がりが凄まじい!物価上昇率は2%程度、なぁーんて言っているが、値下がりしてるのはテレビやデジカメで、生活必需品は軒並み20%以上の値上がりだ!その原因だって、投機資金が原油や食料に向かっているからだと、大抵の人は知っている。機関投資家から、つぎ込まれる投機資金だって、産油国のお金もあるだろうが、殆どは先進国の”年金”や”保険”が原資だろう。今、流行りのバイオ燃料だって、人間や家畜の食料で作らなくたって良いだろうが!最新のテクノロジーを使えば、廃材やワラ・サトウキビの搾りかすから出来るんじゃねぇかい?せめて先進8ケ国は、原油や食料品を投機の対象にはしない!バイオ燃料は穀物から作らない!この位の宣言は出来なかったのかい?
米を輸入に頼るフィリッピンでは、輸出国の規制で価格が30%も上昇し、政府は電気料金が著しく少ない家庭に(極貧困家庭と言う訳だ)500ペソの援助をするそうな、一回コッキリだけどーーーここ東京でも、私が古希を迎えたら、区から5000円の金券が送られてきた。一回コッキリだとーーー
どこの国も、根本的な解決になりっこない、小手先のバラマキが好きですなぁー。

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2008年06月16日

ダヴァオ紀行:その28 サンミゲールビール(写真をクリック⇒拡大)

s・イリグチ.jpgサンミゲールと云えば、フィリッピンで90%以上のシェアーを持つビール会社で、国際化の波に乗って、フィリッピン以外の東南アジアにも生産拠点を持つ巨大産業だ。近年、キリンビールが20%の株式を取得して更なる日本進出を狙っている。勿論、フィリッピンのビール会社は他にもある。レッドホースやビアーナビアーだが、そのシェアーから見てもフィリッピンでビールと云えばサンミゲールのことになる。私も、かなりの回数、ダヴァオに出かけているが、サンミゲール以外のビールを飲んだことは一度しかない。ただ、現地の人達はビールグラスに氷を入れて飲んでいるが、私には馴染めない。レストランで無造作にビールを注文すると、生ぬるいビールと氷の入ったグラスが出てくることがある。ご注意を!(笑い)
ここサンタクルスは、年間降雨量に恵まれ、ビール醸造に適した地下水が豊富なことから、サンミゲールの生産拠点となった。それにしても広大な敷地だ。入り口では、正規の警察官とガードマン、合わせて6人がセキュリティチェックに当たっている。私達一行は、市長、市職員、領事から成り、勿論、事前に”工場内見学”の許可を取っていたが、それでもチェックの厳しさは変らなかった。
s・ショチョウ.jpgs・リョウジ・シチョウ.jpg敷地に入ると、手入れの行き届いた緑の芝生と、名も知れぬ熱帯の木々が美しい。一行が大広間に通されると、すぐ、巨大なスクリーンに映像が映され、会社の歴史とキリンビールとの提携を含む現情が説明された。そこに工場長が現れ”型どおり”の挨拶が終わると、こちらからも市長がユーモアに溢れたスピーチで”感謝の意”を伝え、工場内見学の運びとなった。生憎、醸造のビルはメインテナンスのため、機械は止められていて、ビン詰め工場の方を見て回ったが、見事に機械化されていて、人が殆ど見当たらない。ただ、ジャバラのようなビンを動かす機械音とビンが触れ合う音がビル内に響き渡って、会話も交わせない程の騒音だった。が、写真撮影は許されなかった。残念!
これだけの巨大工場でありながら、働いているのは、常時100人位、従って工場内はシーンと静まり返っていた。機械化された近代産業の典型なのだろう。
暑い中を工場見学が終われば、大きなアイスボックスに入った、冷えたビールと心づくしの昼食が用意されていて、会社の職員と取り留めの無い会話を楽しみ、午後2時、ダヴァオへの帰途についた。

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安藤達己的独り言:サンミゲールはフィリッピンの巨大財閥が経営する事業の一つだ。この工場のセキュリティはダヴァオ空港のそれを遥かに超える厳しさだった。空港だって、2キロも手前で全ての車を止めて、軍隊がチェックを行う。考えてみればミンダナオ島は反政府組織(ニューピューピルズアーミー・モロイスラム解放戦線・アブサヤフ)の運動が活発で現地の人でさえ、近づけない所があると聞く。
ダヴァオ特区やサンタクルスは比較的安全で、だからこそ、サンミゲールも、ここに醸造工場を建設したのだろうが、セキュリティには手を抜けない。どこの国でも貧富の格差と宗教の違いが社会不安を引き起こしている。私が帰国してすぐ、秋葉原で信じられないような無差別殺人が起こった。今や、日本の安全神話も音をたてて崩れ始めているのかも知れない。

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2008年06月11日

ダヴァオ紀行:その27 サンタクルス表敬訪問 (写真をクリック⇒拡大)

サ・シチョウシャ3.jpg車が市庁舎前の広場で止まろうとした時だった。強烈な打楽器の音が響き渡り、集まっていた人達の視線も車の向こうに注がれ、鮮やかな民族衣装を身に纏った4人の女性ダンサーと2人の男性ダンサーがリズムに合わせて踊り始めていた。男性が女性の間を縫うように動き、向き合った女性を挑発する仕草で踊る。呼応して女性は裸足でステップを踏みながら、巧みに腰を振る。なんとも健康的で明るい色気だ!ハワイアンほど優雅ではないし、タヒチアンほど激しくもない。ステップもそんなに複雑には見えないが、踊り手の顔も個性も違っていて、見る者を魅了する。車を降りた途端に汗が噴出す程の暑さの中を、涼しげに踊り続ける女性達。単純な”振りつけ”が彼女達の個性を一段と際立たせる。呆然と眺めていた私達の所へダンサーがやって来ると、大き目のハンカチを畳んだ布でネクタイのように結んでくれた。彼女達の美しさに、我を忘れていると領事が私の肩を突き、屋内を指差したので、仕方なく?(笑い)2階の市長室に向かった。
シチョウ・ショクイン.jpgSta.Cruz Davao Del dur(サンタクルス ダヴァオ デルサー)と書かれているから、ダヴァオの南と云うことになる。領事官舎を出発したのが8時半、約1時間のドライブで着いたから30キロ位の道程だろう。明るい陽光の下から室内に入るとひどく暗い感じがしたが、階段を上がると、二階は日が良く差し込むのかパッと明るくなった。人口8万人の市とのことだが、職員は意外なほど少ない。この部屋を通り抜けると、奥に市長室があった。中には市長を始め10人位の職員が私達を待ち受けていた。表敬訪問だから、まずは日本領事からお礼の言葉を述べ終わると、市長も市の現状、特に財政の話をしていたが、時間の経過と共に雰囲気もだんだん打ち解けたものになってきた。マレーシアの領事からはフィリッピンとの国境をはさむセキュリテーの問題が持ち出され、市長と共通の認識を持っているようだった。流石は一国を代表する公務員!そう、ミンダナオ島はインドネシア、マレーシャと国境を接する最前線だった。
ここサンタクルスでも日系と思われる、或いは日系であることを主張する人が1000人もいるそうだが、何せ第二次世界大戦をはさんで、公式の書類が消失しているので、この解決は簡単に行きそうにない。戦後63年、戦争の後始末には気が遠くなるような時間が必要になる。こんな話をしている内に予定の時間が過ぎ、次の場所に移動するため民芸風のバッグをお土産に貰ったところで市庁舎をでる。
サ・オミヤゲ.jpgセブンーキス.jpg私達が出て来るのを待っていたかのように、ダンスが始まった。もう少し見ていたかったが、ここは団体行動、仕方なく、と云うか未練を残して、私の乗った車は走り出した。
ちょっとテレる話、日本領事がしてくれた私の紹介は、”有名な円谷プロで監督していたMr,Ando”だったが、何と!市長のお嬢さん(25歳位で私のマネージャーとすっかり仲良くなっていた)が大のウルトラシリーズファンで、私のデジカメに残っていた”セブン40周年”の写真をマネージャーから見せて貰い、大喜びで握手をしにきた。大昔のテレビ映画が、異国の地で、今もファンがいるとは!情報化時代とは言え、ちょっとテレる出来事でした。-----
サンタクルス:ダヴァオから30キロ、タクシーで400ペソ(¥1000ー)。バスも頻繁に出ている。立派なホテルは無いが、その分手付かずの自然が残っている。車中から見た海岸線にはマングローブが茂り。海水浴場もあった。余裕のある旅行日程ならお勧めの場所です。行く前に必ず市役所へ連絡を!
The Local Government Unit of Sta.Cruz tel & fax (082) 441-1463

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2008年05月17日

ダヴァオ紀行:その26 不法占拠地帯(写真をクリック⇒拡大)

エリア.jpg海辺の低湿地帯に海水が流れ込んで来る。ここは本来波が寄せては返す、波打ち際だ。そこに木や竹で下駄を履かせた家が、と言っても、床とそれを囲う壁板に屋根が乗った簡単な物置みたいな建物だが、次々と無許可で建築され、低所得層の人々や、周辺農村地域からダヴァオ市に移り住んだ人々が住み着き、巨大な集落が出来上がっている。
ここダヴァオ市はミンダナオ島、最大の都市で、農村から職を求めて人が集まって来る。しかし、失業率が30%以上もある現状では、元々、ダヴァオ市に住んでる人も、大学を出た人も、仕事は簡単に見つからない。例え、見つかっても大抵契約労働で、3ケ月か良くても6ケ月の賃金が保証されるだけだ。それでも人口の都市集中は止まらない。
ツウロ2.jpgハバルハバルと呼ばれる原動機つき三輪車に乗って、水溜りだらけの細いデコボコ道を、人が歩く程度の速さで10分も乗ると三輪車が”たむろ”している、ちょっとした広場に辿り着いた、そこで車を止めて、車を降りる。そこに居た人々は皆、見かけない私を興味深げに眺めていた。一寸、気持ち悪いが、そ知らぬ振りをして、友人の後を追う。すぐに幅が20センチ位の板の上を、突き出ている棒に捕まりながら、おぼつかない足取りで歩いて行く、2メートル下は水溜りだ。狭い板だって一直線に固定されているわけではない。右の板の上を5メートルも歩けば、今度は左の板の上を歩く。歩道代わりの踏み板の両側には洗濯物がぶら下がり、誰が飼っているのかアヒルも居れば、汚い雑種犬まで昼寝をしていた。
一年中暑い熱帯地方の水の上にある家だから、下からの湿気でムッとする暑さだ。踏み板に面した狭い踊り場に出ると、開けっ放しの、薄っぺらなドアーの向こう側が、一軒の借家と言うわけだ。
イマ.jpgトイレ.jpg玄関のような、居間のような狭い場所にテレビと冷蔵庫が置いてあった。こんな生活をしていても、冷蔵庫はともかくテレビだけは欠かせないのかなぁー?床にビニールが張ってある3畳程のスペースがトイレとシャワー室だとのことだ。シャワーといっても、水を大きなポリバケツに貯めて手桶で体に掛けるスタイル?だし、トイレといっても床に開けた穴があるだけだ。排泄物は直接、水に(海に)ボチャンだ。
家賃を聞いてみると、月に2000ペソ(5000円)もするそうだ。私がビックリしていると、電気代、水道代込みの額だと付け足した。不法に建てた家に、電気や水道が正規に引けるわけも無く、家主が勝手に(勿論タダで)電線や水道管から引いているのだろうが、住む方からすれば是非必要なライフラインだから、双方に”都合が良い”と言うことになるのかなぁー?

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安藤達己的独り言:昭和26年、終戦の傷跡を残したままの両国に移り住んだ。住むといっても見渡す限りガレキの山で、建物らしき物は焼け残った学校と、いち早く立て直した相撲部屋ぐらいのもので、私の家だってベニア板で囲った、窓も山小屋のようにツッカイ棒で開けるベニア板だった。トイレも外に掘っ立て小屋を建て、勿論、汲み取り式だった。私の通った中学は4階建てで、1・2階は学校で3・4回は家を焼け出された避難民が住んでいた。
昭和30年。今から、わずか53年前、私は上野にある高校に通っていたが、西洋美術館がある辺りは”あおい部落”と呼ばれる不法占拠集落があったし、ある高校(竹の台だったと思う)は焼け残った都議会のビルを校舎として使っていた。最近、建て替えで営業を終えたジュラクが入っていたビルの、西郷さんの下を削る工事が始まったのもこの頃だ。王子駅周辺や池袋の西口も迷路のようになっていて、ヤミ屋とよばれる商店が軒を連ねいる、いわゆる不法占拠地域だった。
ダヴァオの不法占拠地帯を見て、こんな感慨にふけるのは、もう、私の様な、一握りの日本人になってしまったのかもしれませんね。

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2008年04月05日

ダヴァオ紀行:その25 ナマズ料理 (写真をクリック⇒拡大)

ナ・ミセサキ.jpg日本人墓地に別れを告げて、メインストリートに戻ったところで、丁度お昼、ちょっと先に行けば”ナマズ料理”が食べられると言う。この暑いダヴァオでスタミナ切れになりそうな毎日を送っていたから、その誘いに乗って15分程、更に南へ車を走らせる。両側に、似たような、しもた屋風の店が点在し始めた。この付近はナマズの養殖が盛んで、全部、ナマズ料理屋さんだそうだ。案内してくれた人がゴルフ帰りに、良く行く店の前で車を止めた。店の入り口には水槽がドーンと置いてあり、中には溢れんばかりのナマズが泳いでいた。
ナマズ.jpgヤキナマズ.jpgこれは見慣れたアメリカナマズだ!もっと大きくなる、ここ原産のナマズが食べられると期待してただけに、一寸拍子抜け、が、なにせ”暑さを吹き飛ばすスタミナ料理”だから、勧められるままに、焼きナマズとナマズのから揚げを注文する。すると、アッと言う間に外の焼き網でナマズを焼き始めた。内臓を取っただけで、塩さえ振ってない。竹のクシを頭から尻尾まで突き通しただけで、あまり見たくない姿、そのままの”姿焼き”だ!”素朴”と言えばその通りだが、日本でこんな物を出したら、誰も食べないだろうなぁ。焼き立てに醤油と、当地でレモンと称するカボスのような果汁をかけて、これを”素朴”に食べ始める。成る程、そんなに油っこくないし、マァー食べられる。これを美味しいか?と聞かれれば返事に困る(笑い)!!そこへ、から揚げが運ばれて来た。これがまたまた”素朴”を通り越した程の”素朴”さで、ナマズに小麦粉をまぶして揚げただけの代物だ。
カラアゲ・ヤキ.jpg私の分が、二種類の料理を一匹ずつとなれば、ビールで勢いを付けても?これを平らげる自信がない。ハシを付けたものか、どうか迷っていると、”マァー、食べられるだけ食べてみれば良いですよ。残れば、私が食べますからーー”。との、有りがた~い助言、その言葉に甘えて、二種類の料理をビールと共に味わった(あまり”味わい”たくはないが、こんな経験も旅のうちだからーー)。頃合を見て、ビールを一気飲み、口の中がサッパリしたところで帰途に着くこととなる。この付近に住むもう一人は、仲間の夫婦(勿論、夫・高齢の日本人・妻・若いフィリッピン人)とこの店で、落ち合い、私達が車を駐車場から出したところで、店内に目をやると、三人とも美味しそうにナマズを肴に、ビールを飲みながら談笑中だった。

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ダヴァオの誰とは言わないけれど:N氏の家を見せて貰った。永住を決めた日本人の標準的な家らしいが、敷地は80坪位で建物は多分、40坪前後、勿論、駐車場付きで500万円もするそうだ。上物は外国人の名義に出来るが、土地はフィリッピン人しか持てない。ここの奥さんと息子さん(多分、奥さんの連れ子)は日本の永住権を取るために、日本で働いていて、年に二回、ダヴァオへ帰ってくる。いわば別居夫婦のようなものだ。N氏は年金暮らし、まぁー毎日が日曜日で、暇を持て余していると言うことになる。ナマズのお蔭かどうか?近くに住む美人を見つけ時々、お忍びでリゾート地やホテルで逢引を重ねていたそうな。バレる筈はないと思っていたN氏だが、久しぶりに帰って来た奥方の様子がおかしい!何と!興信所に頼んでN氏の行動を監視していたのだった。しかも帰宅する前に、くだんの美人に会い、なにもかも白状させていた。そうとは知らないN氏、白を切ったが、美人は”事の真相を”白状してしまったし、興信所が撮った証拠写真も奥方の手にあるとなれば、所詮、N氏に勝ち目は無く。”誠意”を持って”あやまり”元のサヤに収まっているのだがーーこれが収まらなかったら、不動産の処理やその他諸々、それこそ大変だぁ!ーーN氏のボヤキ、”フィリッピナはヤキモチが強くて、手に負えない。”
アッそう:普通は高年の夫が若い妻にヤキモチを焼くもんじゃないかい!この幸せ者が!

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2008年03月23日

ダヴァオ紀行:その24 日本人墓地 (写真をクリック⇒拡大)

ドソウ.jpg日本人墓地がダヴァオ(ミンタル)にあるのは知っていた。戦後50・60年の節目に日本からの墓参団がこの地を訪れ、新聞にその様子が報道される。一度は行っておかなければいけない場所なのに、ダヴァオ在住の日本人に知り合いがなく、そのチャンスが無かった。今回は”ダヴァオ桜会”の有田氏が案内を買って出てくれたので”渡りに船”と、ご好意に甘え、ホテルを後にした。ミンタルに向けて30分も走ると郊外の住宅地になった。ここで、この辺の地理に詳しい有田氏の友人宅に立ち寄り、冷たいビールで咽を潤すと三人で墓地に向かう。10分も走っただろうか、メインストリートを外れて田舎道を行くと直ぐに墓地があり、車を止めた。ここに着くまで、日本人墓地を示す標識も道案内も無い。現地に住む人に頼まないと、簡単には辿り着けそうにない。日本からの墓参団は”フィリッピン日系人会”のお世話になるそうだが、充分、納得がいった。
ボチー1.jpgカソリック信者の墓地(土葬)にしか見えない中を進んで行くと、向こうに見慣れた石塔が現れた。強烈な熱帯の陽光から守られるように大木の陰になっていて、少しは涼しげに見える。花と線香ぐらい供えたいと思っても、前もって用意してこないとこの近くでは手に入らない。
若い女性が石塔の回りを掃除していたので、聞いてみると”ミンダナオ国際大学”の生徒達で”日比ボランテアー協会”が援助している奨学生だった。第二次世界大戦の戦没者が多いのは確かだが、マニラ麻栽培のために入植して異国でダビにふされた人たちも居る。たまに放送される外国の日本人墓地の中には管理する人も訪れる人もなく、雑草だらけで墓が有るのさえ分からなくなっていて、その地で命を亡くした親族は勿論だが、日本人として心が悼む場所もあるが、それに比べれば、ここの日本人墓地はきちんと管理されていて、ここを訪れた縁戚の方もホットされることだろう。
ボチー3.jpg紀元二千六百年に建立された記念塔もあった。日本では、もう滅多に聞かれなくなった年号だが、こんな記念碑があるところをみると、この墓地が戦前からあり、当時から、この地で日本人が埋葬されていたことを物語っている。近年、日本からの墓参団も少なくなり”戦後”が遠ざかりつつある今も、戦前から入植した人の多かった沖縄からは毎年、墓参団が訪れているそうだ。そう、そう、真新しい”沖縄の塔”が建てられていた。
数多い日系人の中には、いまだに戦中、戦後の苦しみから抜け出せない人達も居ると聞くが、一方でこう言う境遇の人達を救をうと活動している日本人達が様々な形で援助の手を差し伸べている。その結果、日本人墓地も荒れ果てることも無く守られて来た。この様な双方の努力が、やがて実をむすび、より良い日比関係へ発展して行くことを願って止みません。もし、ダヴァオを訪れる機会がありましたら、是非、日本人墓地を訪れ、異国で埋葬されて行った先人に”思いを馳せて”石塔の前で手を合わせて欲しいと心より願うものです。

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2008年03月09日

ダヴァオ紀行:その23 日本との関わり (写真をクリック⇒拡大)

コウテイ.jpgつい数年前、ゼネラルサントス近くで、日本兵生存の噂が流れ、ダヴァオ領事やマニラの大使館員も現地に入ったが、案の定”ガセネタ”だった。この手の噂は、未だに時々聞こえて来るが、戦後63年、ジャングルで人知れず生き延びていると考えるには、時間が経ち過ぎてるし、生存している人の年齢を考えると無理がある。しかし、国籍を隠して現地人として生活していれば、元日本兵生存者がいてもおかしくない。ーーここダヴァオと日本の繋がりは、戦前から始まっていた。沖縄県からの移民が多かったと聞くが、マニラ麻生産のために、かなりの日本人が住み着き、ダウンタウンの一角に日本人町まであった。戦後は、当然のことながら対日感情が悪くなり、日系人達は、素性を隠さなければ生きていけなかった。こうした不幸な時期を経て1980年:フィリッピン・日系人会が発足した。現在、ダヴァオ周辺を中心に、日本が認めた日系人は6500人、更に4000人が申請中だ。
ダイガク.jpgフィリッピン日系人会は1989年、ラナンにインターナショナルスクールを開校、現在、幼稚園から高校まで1400人の生徒が在籍している。職員たちは、私に好意的で、小学校・中学校を案内してくれたが、私立だけあって、建物も教室も明るくて綺麗だった。私が知り合った、日本人会の子供さん達もこの学校に通っている。2002年より、日比ボランテアー協会(網代会長)の援助で、ここの敷地内にミンダナオ国際大学も開校して、子供の教育は勿論、日比の架け橋としての役割も持ち始めている。
ニッケイ・ジギョウ2.jpgこじんまりとした大学内を案内して貰うと、授業中の教室があった。中に入ってみると、大学生とは、とても思えない40歳前後の生徒が30人程、若い先生の講義を真剣に聞き、ノートを取っていた。案内してくれた教授に聞いてみると、生徒は皆、日系人で”日本で働くための授業”だそうだ。それにしても”日本語は全く使われていない!”どうやら、教えている内容は”ビザの更新や健康保険等”の手続きらしい。思い切って”日本語が分からない人が日本で働き口があるのか?”と聞いてみる。すると教授は笑いながら”日本語が分からなくても、正規のビザがあれば、日本の農家はいくらでも働き手が欲しいんだよ”と教えてくれた。”正に、これが日本農業の実情なんだ”。私は、農作地域から若者が去り、”限界集落”などと言われて、極端に過疎化しているのを知りながら、労働力を外国に頼らざるを得ない現実を直視してこなっかった自分を一寸恥ずかしく思いました。
ミニマート.jpgミニマート(小さなコンビニ)が、大学の一角にあった。ちょっとした雑貨や日用品が揃っていて、収益はフィリッピン日系人会に入るようになっているそうだが、”会”が大きくなって行くには、どうしても資金がいるし、このミニマートが第一号店となり、上手く行けば、店を増やす計画があるとのことだ。更に、大学事務室の一角に、日本の法律事務所からの事務員が常駐していて、日系人探しの手伝いをしていた。第二次世界大戦を乗り越え、厳しい戦後を生き抜いてきた日系人達が日比両国から正当な扱いを受ける日は、いつ来るのだろう?
戦後60数年、戦争の重荷を未だ背負っている人たちがいる。私を訪ねて40代の女性がホテルにやって来た。身分証(住民票)を差し出すから見てみると、ステイタスは空欄。ただ、ミドルネームがANDOとなっていた。どうやら、その人は日系人であることを認めて貰って日本で働きたいらしい。おじいさんに当たる人(日本人で86歳だとか)がゼネラルサントスでご存命だとのことだった。早速、”ミンダナオ国際大学”で、日系人探しの手伝いをしている人に紹介状を書いて渡したが、あの人は日系人であることを認めて貰えたのだろうか?

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2008年02月17日

ダヴァオ紀行:その22 ジヨリビー (写真をクリック⇒拡大)

ジュ。カンバン.jpg40年ほど前迄、外食と言えば、近所の日本ソバ屋か中華ソバ屋でに行く程度で、学生さん達は、もっぱら”お食事処”で用をたしていた。そこにマクドナルドが進出してくると、学校給食でパンに馴染んだ若者達が殺到し、あっと言う間に、日本中に支店を増やしていった。勿論、他の外食産業も手をこまねいて居た訳ではないが、ファーストフードの王様と言えば、マクドナルドだろう。ここの”ウリ”は、早くて安いことだ。店員はマニュアル通りに注文を聞き、同じ笑顔で客をもてなす。そこへ日本食・中華・イタリアン・洋食のファミリーレストランが追い討ちをかけ、寂しいことだが家族経営で客に対する思いやりがあり、個性豊かだった”お食事処”は姿を消していった。
フィィリッピンは、かってアメリカの植民地であったことや、つい10数年前まで空軍・海軍の基地があった為に、早くからアメリカ文化の影響を受けてきた。外食産業も勿論、影響を受けマクドナルドも進出して来た。それを迎え撃ったのが”ジヨリビー”だった。
カウンター.jpgジヨリビーのメニューを見てもマクドナルドとほとんど変わらない。なのに、現在のところ店舗数では、圧倒的にジヨリビーが優勢だ。フィリッピン全土に展開するマクドナルドが、数百店に対してジヨリビーが1万5千点を超えていると聞けば、これは勝負にならない。一体、どんな理由でマクドナルドの戦略がフィリッピンでは通用しないのだろうか?この状況を巨大国際企業・マクドナルドが放置する筈もなく、ダヴァオ空港の近くでも大店舗の工事が始まっていた。
スパ・パン・シェイク.jpg日本にいる時は、ファーストフードに滅多に行かないが、成功の秘密を知りたいと思いジヨリビーに入って、ハンバーガー・スパゲッティー・コーヒーを注文してみた。味付けは、”甘ットロ”くて、お世辞にも、美味しいとは言えない。でも、客は美味しそうに食べてるし、ゆったりとコーヒーを楽しんでいる人も居る。コーヒーもかなり”ひどい味”で、コーヒーそのものを楽しむと言うより、砂糖をいっぱい入れて、一寸、苦い飲料を飲んでいる感じだ。ひどかったのフライドチキンで、これはどう見ても、半生だ!でも一緒に行った現地の人は文句も言わず持って帰った。ハンバーガー用のパンも小さくて、私には”チットも美味しくなかった”が、フィリッピン人の口には合っているに違い無い。だからこそ大衆の圧倒的な支持を得て業績を伸ばしてると納得するしかしょうがない。(笑い)仕事がある若者の平均月収が1万5千円位で、失業率が30%以上もある。ジヨリビーに入れば、一人200円位の出費になるから、収入と比較すれば贅沢だと思うのだが、結構、客は入っている。最近は何処の国でも、外食産業が栄えるのはどうしてなんだろう?自分の家で食べる”おふくろの味”や”心づくしの家庭料理”が一番美味しく感じるのは、もう私の様な、年寄りだけになってしまったのだろうか?

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安藤達己的毒舌:スーパーマケットじぁ、国産のニラやキャベツが飛ぶように売れ、ギョウザの皮は増産しねぇと間にあわねぇんだとよ。浅はかな日本人らしいやね。中国産の冷凍ギョウザに農薬が入っていたのが事の発端よ。安くて簡単だからと、手間のかかる料理はせずに、やれレトルトだぁ、冷凍だぁの食品で間に合わせて置いて、何か不都合が起これば、すぐ誰かを非難する。大体、半調理品を安く手に入れようとすれば、売る方だって、当然、労賃の安い国で大量生産して輸入するに決まってらぁー。門題がなけりゃ、誰も文句は言わねぇ。それで、さんざ便利に使ってたくせに、不都合が起こりゃ、手のひらを返したような大騒ぎよ。ちょっと考えて見ねぇ、日本の食糧自給率は40%だってさ!先進国の中で最低の数字よ。分かりやすい話が、国内で生産された食料だけを食べてりゃ、国民一人・一日あたり”900カロリー分しかねぇって”言うことにならぁー。これじゃ、全国民、栄養失調だぁーな。
田舎は過疎と荒れ果てた農地だらけよ。畑がなくて食料が作れないんじゃねぇ。消費者が不当に安い、輸入農産物や畜産物・海産物を選択した結果がこの事態を招いたんじゃねぇかい?腰の据わらねぇ農政を続けた政治の責任も大きいが、こんな政治家を選んだのも、あっしら国民だぁーな。立派な建物や高速道路が出来たって、国民の健康さえ守れねぇ日本で、本当に良いのかい?中国産は信用出来ねぇ。なぁーんて、文句を言う前に、もう一度、日本人の”食と農業”のあり方を考えて見ようじゃねぇーか。なんたって、外国が日本への食料輸出を止めりゃ、日本国民総栄養失調なんだからよ。

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2008年01月27日

ダヴァオ紀行:その21 エデンガーデン (写真をクリック⇒拡大)

イリグチ.jpg車を降りると雨が降り出した。ダウンタウンから1時間、アポ連山に向かってドライブすると、標高800M付近に”エデンガーデン”がある。この標高でも、天気はまるで山の天気だ。ホテルを出発した時は晴れていたのに、日が翳ったと思う間もなく雨が降り始める。気温も低くなっているらしく、かなり涼しい。
園内ツアーと昼食を含めると500ペソくらい。これに交通費がかかるから、現地の人の収入を考えれば、かなり高い。それでもここに客が集まるのは、ダヴァオには遊園地のような施設が無い事も一つの理由だろう。どこのリゾート(公園)に行っても、お金を払って乗る”乗り物”は無く、せいぜいバスケットボールコート、ローラースケートリンク、スイミングプールと日本の公園並みの遊具があるだけだ。エデンガーデンの魅力は、豊かな自然とダヴァオ湾を見渡す眺望・バンガロウ形式の宿泊施設が客の人数に合わせて割安で使えることもあるが、やはり”涼しさ”と新鮮な野菜を贅沢に使った”昼食”だろう。
ハタケー1.jpgエ・ランチー1.jpg園内では有機栽培による野菜・果物が生産され、ダヴァオの市場にも出荷されている。だが、ここで食べる採り立ての野菜サラダは比べようのない程、歯ざわりが良い。熱帯地方の暑さときたら、丁度、東京の夏が一年中続いているようなものだ。その中を保冷車を使わずに運ばれてくる生鮮食品だから、朝採りの野菜だって市場に並べればアッと言う間に萎びれてくる。従って市内のホテルやレストランでシャキシャキのレタスやキュウリを食べたくても、そんなサラダに出会うことは、まずない。私は、野菜をあまり食べない方に入ると思うが、ダヴァオに10日も滞在すると、美味しい野菜が無性に食べたくなる。ここの昼食は、そんな欲望を充分満たしてくれる。バイキング形式だから、大皿一杯の野菜に簡単なドレッシングを掛け、これに冷えたビールを注文すると、ご飯やパンには見向きもせずに、ただただ、新鮮な野菜の美味しさを堪能する。
テラピア.jpg満腹になれば園内の釣堀に行く。釣堀といったって、竿は穂先を不器用に切った竹そのままだし、仕掛けもウキと針が乱暴についているだけで何とも原始的だ。連れる魚は大きなナマズとテラピアだがナマズは滅多に釣れない。テラピアも引きの強い魚らしいが、この仕掛けでは魚と”やり取り”をする間もなく空中に飛び出して来る(笑い)。このテラピアが淡水の食用魚として人気がある。私は専ら、海の魚が好きでこの魚を食べたことは無いが、この娘たちの話だと、ここのテラピアは泥臭く無くて”美味しい”そうだ。
私は野菜が食べたくてエデンガーデンに来るが、この娘たちはテラピアが欲しくてここに来たがる。”どうやって食べるの?”と聞いてみると、塩焼きにするか三枚におろしてフライにするそうだ。勿論、釣った魚は目方で買い取るのだが、1キロが90ペソで、市場で買う方がはるかに安いとのことだった!?!欲しい数だけ魚を釣れば、目方を計って支払いを終え、ホテルに向かって出発進行。美味しい野菜をたらふく食べたところで、ダヴァオ滞在もあと2日。予定のスケジュールも消化したし、明日は一日、何の予定も立てずにノンビリしてから、愛妻の待つ日本へ帰る準備でもするかーーー

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2008年01月07日

ダヴァオ紀行:その20 カラオケ事情 (写真をクリック⇒拡大)

コロカン.jpgここフィリッピンでは、何故かヴィデオケと呼ばれている。アメリカや諸外国で、日本語のカラオケが現地語となって通用しているのに、ここは様子が違う。でも、現在のように動画と歌詞がついているDVDで歌うとなると、この呼び方の方が合っているのかも知れませんね。日本では当たり前の通信カラオケもダヴァオではインフラが整っていないから全く無理だ。日本人観光客もそう多くはないから、ヴィデオケ店にある日本語の曲も限られてくる。小さな現地の人を対象にした店は沢山あるのだろうが、外国人が楽しめる店となるとそんなに多くはない。私が行ったことのある店は、この写真のコロカンとシャングリラ・ワールドパラス・MD・ET・の5店だが、他にも2・3ヵ所あるようだ。
ヴィデオケに行く時は、前もって、どの店に行くか決めて置かないと、それぞれが、かなり離れていて、ここは面白くないから次の店、といっても歩ける距離じゃない。どの店にも、若いホステスさんが30人から40人くらい居て、ママさんかマネージャーに頼むと、配役のオーディションのように、女の子がぞろぞろ顔見世にやって来る。その中から気に入った娘を指名すれば良い。特別な氏名料は要らないが、30分から40分に一度、ホステスさんに飲み物が運ばれて来る。これが200ペソ前後だから、2時間位、楽しんでいるとホステスさん一人あたり、600ペソ(¥1500ー)位、払うことになる。
princess2-1.jpgヴィデオケ店には、大きな”ホール”と、カラオケボックスを少し大きくしたような”VIP”ルームがあり、殆どの外国人はVIPルームで歌を楽しむ。ここは、お金を払うシステム(コンシューマブル)が違っていて、部屋の大きさによって、2000ペソ前後から5000ペソ位まで、その部屋で使う額が決められている。決められた額を使い切って、もっと長居したければ追加料金が要るし、使い切る前に帰る場合も最初に決められたお金を払わなければならない。私は狭い部屋が嫌いだから、いつもホールと呼ばれる広間で気持ち良く歌って来る。4・5人の友達とホステスさん一人を指名して、大体1500ペソ位だ。
ウタッテル.jpgここの画面は小さい方で、大抵、ホールの正面には映画館のスクリーン程もある画面があって、客は自分の席で歌うスタイルが主流だ。店によって、日本語の歌が多い、少ないはあるが、新しい歌は期待しない方が良い。せいぜい、100曲前後があるだけで、歌自慢の人が満足するような訳にはいかない。日本人客が来ても、ほとんどVIPルームに行く。したがってホールで日本語の歌を歌う人は少ないらしく、現地のお客さんも結構私の歌を聞いてるし、ホステスさんも仕事だから、それなりに拍手をしてくれる(笑い)。運が良ければ、日本に来たことがある娘に出会うこともあるが、まぁー、ダヴァオに来てまで、変な日本語を聞きたくないから、私は純粋なダヴァオっ娘が良いけど、こればっかりは、それぞれの好みに任せるしかない!
ダヴァオに滞在中・3回位はヴィデオケ屋に行くけど、私のマネージャーや友人は、日本語の歌が好きになって、”練習させろ!”と同じ歌を何回も、何回も歌わせられるのは一寸、参ったなぁー(笑い)。向こうで人気のある歌は”テレサテン”と”乾杯”・”いとしのエリー”・”昴”だった。若いお嬢さんに”もてたい”向きの参考までに?!?
どこの国に行っても、飲み屋に入ったら、まず料金システムを聞いて、納得してから席に着くことをお勧めする。お会計の時に”ビックリする程”高くて驚かされるのは、なにも日本のボッタクリバーだけではありませんぞ!

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2007年12月23日

ダヴァオ紀行:その19 クリスマス風景 (写真をクリック⇒拡大)

クリスマスツリー.jpg流石はクリスチャンの国・フィリッピンだ!ハロウイン(10月31日)が終わるとソウルズデイ(オールセインツデイ)となり、先祖の墓参りが終われば、早々とクリスマスムードに包まれる。街に出れば、ツリーをかたどったイルミネーシオンが点滅を始め、クリスマスソングが聞こえてくる。とは言っても、ここは常夏の島、汗をかきながら聞くホワイトクリスマスには違和感を感じますなぁー(笑い)。夜になって、ダウンタウンで一番目立つツリーを見つけて写真を撮ってみる。日本で見る光と何か違うと思ったら、光源のせいだった。日本でも12月に入ると”光の祭典”とやらが大流行で、あちらこちらで、大げさな点灯式をやっているが、発光ダイオードのお蔭で”怖いほど鮮やかで、冷たい光”が冬の夜を彩る。ここダヴァオでは、発光ダイオードの”輝き”を見たことが無い。しかし普通の電球が醸し出す暖かい”明るさ”も、なかな捨てがたい。
ツリー・マーケット.jpg商店街で土産ものを探していると、露天で、それこそキラキラ光る”クリスマス飾り”を売っていた。この時期になると小さなお店も、それなりに、ささやかな飾り付けをしている。決して豊かな国とは言えないフィリッピンのことだから、一般家庭でも、かっての日本の正月がそうだったように、クリスマスだけは待ちに待った特別な日で、子供達はプレゼントを貰い、食卓には、滅多に食べられないご馳走が並んで、楽しい時間を過ごすのだろう。なぁーんて勝手な想像を巡らせると、私の子供時代:わくわくしながら家族総出で”モチつき”をしたり、”お歳玉”が待ち遠しくて早起きをしたことが思い出される。あの頃は、本当に正月が待ち遠しかった。元旦にしか食べられない、おぞうにとおせち料理が本当に美味しかった。ーー
ツリー・ギョウショウ.jpg友人の家で冷えたビール飲んでいると、表で、”もの売り”らしき声がしたので、外へ出て見ると、この暑い中を”クリスマス飾り”の行商がやってきた。見渡したところ、人影は見当たらない、こんな住宅街で、買う人がいるのかと心配になるが、その男は売り声を掛けながらさっさと歩いて行く。
日本だって行商は珍しくなかった。つい数年前まで、我が家にも農家のおばさんが、竹かごに、自家製の野菜や花、時にはモチやオハギまで詰め込んで売りに来ていた。最近でも、たまに小型トラックで野菜や魚を売っている人を見かけるが、季節感のある行商はすっかり見かけなくなった。昭和40年代まで、5月を過ぎると、どの街にも必ずと言っていい程、金魚屋さんがやって来た。最初の頃は、両端に底の浅い桶を着けた天秤棒を担いで”キンギョ・キンギョェー”の売り声と共に現れたが、その内、天秤棒がリァカーに変わり、いつの間にか姿を見かけなくなってしまった。今更、こんな商売をしようなんて言う物好きは居ないだろう。それは兎も角、日常生活の中から季節感がドンドン無くなって行く。野菜も魚も果物もスーパーに行けば、季節に関係なく一年中並んでいる。生活が豊かになり、”食べたいものを食べたいときに食べる。”と言う消費者の需要に、生産者も流通業者も応えて来た。こうして日本から、”季節が送ってくれる恵み”に対する感謝と感動が希薄になって来た。
ダヴァオと銀座の年末風景を見ながら、ふと若かりし日を思い起こして、感傷的になった私でした。

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2007年12月09日

ダヴァオ紀行:その18 デイナーパーテー (写真をクリック⇒拡大)

リョウジ・カレジ.jpgロビーで待つこと20分:いつもなら、空車のタクシーが次々、ホテルの前を通るのに、今日は全く通らない。ベルボーイが盛んに手を上げてタクシーを呼んでいるが、たまに来るタクシーは客を乗せている。デイナーパーテーは6時半から始まると言うのに、今6時20分、どうやっても遅刻だ。来たっ!やっと来た!ベルボーイが運転手に行き先の地図を渡し、説明し終わるとドアーを開けてくれた。領事宅はここ、グランドメンセンホテルから15分、高級住宅街の一角にある。タクシーが踏み切りのような車止めで止まるとガードマンが行き先を訪ね、私をまじまじと見た後、運転手にカードを渡して、バーを上げてくれた。領事宅の門は閉められていて、ここにもガードマンが二人。私がタクシーを降りると黙って門を開けてくれた。キャク.jpg
玄関を入ると、広いリビングルームになっていて、領事の挨拶が始まっていた。恐縮して、ドァーの側に立っていると、直にメインテーブルに椅子が用意され、手招きされたので、領事の話が終わったところで、その席に着く。続いてイーストアジアン・カレッジに資金援助をしている福本氏のスピーチが通訳付きで始まった。カレッジの学長・ドロン氏一家も招かれているところをみると、このパーテーはイーストアジアン・カレッジを励ます会のようだった。
福本氏が話し終えると、領事が出席している方々に私を紹介して、マイクを手渡された。何も用意をしてなかったので、このパーテーにお招き頂いたお礼と、出席者に合えたことに感謝する、ありきたりの話をした後、持参した”ウルトラセブン・あなたはだぁれ?”の内容を手短に説明。スピーチに換えさせて貰った。その後、ビュッフェスタイルの夕食会となり、ダヴァオに住む日本人会の人々と、フィリッピンに来たいきさつや、気候、食べ物などの話で盛り上がっていると、持参した”ウルトラセブン”が大型のテレビに映し出された。
リョ・セブン.jpg一緒にいた人達は日本人だから、テレビを見れば、説明をしなくても内容を分かってくれる。この方々、長年フィリッピンに住んでいるとはいえ、円谷プロの作品については、結構、知識があり、私が監督を辞めた後の、ウルトラシリーズのことまで聞かれて困ってしまいました。
驚いたのは、同席していた子供達です。見たところ十歳前後、小さい子はどう見ても5歳位。日本語が分からない筈なのに皆が皆、テレビ画面に釘付けで、食い入るように見入っていたことです。映像を見ているだけで、子供は充分楽しめるのでしょうね!40年前に撮った映像が、時代と国境を越えて子供達を引き付ける、不思議な感動が胸一杯に、込み上げてきた瞬間でした。
ダヴァオの誰とは言わないけれど、ここに居た子供達、実はH氏と、K氏のお子さん達で、H氏は70代も半ば過ぎ、7歳と5歳の男の子の父親だそうだ。K氏はもうすぐ70歳、12歳の長男を頭に3人の父親だとかーーーーこの暑いダヴァオで、しかも、かなりの高齢にも拘わらず男を取り戻して(失礼・微笑)父親にしてしまう。フィリッピンの女性達は不思議な魔力を持っているに違いない!奥様は魔女ということになるのでしょうか?(爆笑)

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2007年12月03日

ダヴァオ紀行:その17 イーストアジアン・カレッジ (写真をクリック⇒拡大)

イースト・コウシャ.jpg運転手がドアーを開けて待っている。こんな経験のない私はドギマギしながら、ゆったりした後部座席に乗り込む。車が走り始めると、領事がこれから訪問するイーストアジアンカレッジについて簡単な説明をしてくれた。校舎の敷地はパナボ市の市会議員:ドロン氏が寄付をして学長に就任、校舎は福本氏を中心とした日本人が資金援助をして2年前に開校したとのことだ。ダヴァオのダウンタウンから40分ほど北に走るとパナボ市に入る。丁度、その境目あたりに、この学校はある。車を降りると、ドロン学長は不在とのことで、後をまかされているユージニア女史が学内を案内してくれた。
オンガク.jpgまずは音楽コースの生徒達が、オリジナルらしき、ロック調の曲を演奏し始めた。私には、このバンドの力量を測れる程、音楽の知識は無いが、かなり洗練されていることは間違いない。この学校はカレッジといっても、日本で言う専門学校のようなもので、2年の履修で卒業となり、現在、生徒数が200人。1学年、100人が4コースに分かれている。そうなると、1学年:1コースが20人位のこじんまりとしたクラス編成だ。今年10月、初めての卒業生40人を送り出し、その内17人が日本で働くことを志願して現在ビザを申請中とのことだった。
ダンス.jpg続いてダンスコースのレッスンを見せて貰った。私が見たのは、今風のモダンダンスだったが、フィリッピンには沢山の部族がいて、それぞれに独特の民族舞踊が継承されているそうです。そんなダンスもカリキュラムには組み込まれていて、この辺が海外に進出する決め手に、なるのではないかと思いました。この2コースが芸能分野になるわけですが、フィリッピンのバンドは東南アジアでの評判が高く、シンガポールを中心に活躍しているバンドも多数あると聞きます。日本でも、つい数年前までは、かなりのフィリッピン女性がエンタテイナー(歌手かダンサー)として日本に来ていましたが、送り出す側と受け入れる側、双方に問題になるプロダクションの介在等があり、彼女達の働く条件が悪いと国際的非難の対象となった。更に、国連から”売春援助国”のレッテルを貼られた経緯もあって、現在、フィリッピンからのエンタテイナーは、日本国内から締め出される状態となっています。しかし、あらゆる分野で国際化が進む中、しっかりとした技術を身に付け、日本に関する知識を持った芸能人が優良なプロダクションを介して、フィリッピンから入国することが出来れば、彼らの活躍出来る可能性は、かなりあるのではないかと思えます。
コンプータ.jpgナース.jpg日本で最も不足している分野、看護とコンピューターのコースを最後に見学させて貰った。コンピューターに関して、フィリッピンで問題なのはインターネットへの接続が遅いこと、と指導者の不足です。まずこれを解決しないと、生徒の質を上げるのは難しい。日本では少子化がどんどん進み、日進月歩のデジタル産業は常に”優秀な若年労働力”が不足している。過日、横浜で合ったインド人も大手企業のプログラマーとして3年間、日本で働くと言う話をしてくれました。
看護師とヘルパーの不足も、既に深刻な問題になっています。厚生労働省は、”資格を持っている人は充分にいる。”と言うが、その人たちが現場に出たがらなければ、人手が足りなくなるのは病院や老人介護の提供施設です。フィリッピンをはじめ、アジアの多くの国々のように、若い人が溢れていても仕事のない国から、日本で働くための知識を身につけた、優秀な人材が日本に入って来れれば、日本とアジア・双方に計り知れない利益をもたらします。したがって、この学校では、有能な若年労働者を日本に送り出すため、日本語教育と共に日本の風俗・文化・社会を知って貰うことにも力を注いでいます。
イーストアジアンカレッジは、日比双方の未来を見据えて第一歩を踏み出しました。この試みが成功するまでに、超えなければならないハードルがまだまだあるのでしょうが、福本氏を中心に、日本側の受け入れ態勢を整えてくれることを期待したいものです。

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2007年10月29日

ダヴァオ紀行:その16 ソウルズデェイ (写真をクリック⇒拡大)

ライスフィールド.jpgダヴァオと言えばまず、ドリアン・マンゴーなどの果物を連想する。フィリッピンと言えば、砂糖だ。昭和20年代、国民総生産高は日本と肩を並べていた。それが今、こんなに大きな差になったのは、砂糖の国際価格が下がり続けたのと、農地の解放を出来なかったことが主な原因になっている。近年、地球温暖化と原油価格の高騰でバイオエタノールに関心が高まり、砂糖やトウモロコシが原料として有望視され、お蔭でフィリッピンペソはドル・円に対して、かなり上がっている。もっとも、この恩恵は庶民には届かない!!
ちょっと郊外に出れば砂糖キビ畑とヤシの木はどこにもでもあるが、どうしても”田んぼ”が見たくなったので、ホテルから2時間ばかり車を走らせるとやっと稲作地帯にたどり着いた。青々とした水田と、収穫が終わって、雑草だらけの空き地が混在している。ここは熱帯地方だ。米はいつ植えても実るに違いない。
カラバオ.jpgたわわに実った稲と、水を張った水田が隣り合わせになっている景色を撮りたいから、もう一寸足を伸ばしてみたかったが、運転手が”これ以上、先に行くのは危険だ”と言うので、仕方なく帰途につく。ヤシの木陰で草を食む(はむ)水牛が、なんとも、のどかで異国情緒たっぷりだが、車を降りて写真を撮っている私を、運転手が急かせた!きっと、この辺も危険地帯なのだろう。現地の人でさえ、行きつけない場所で車を止めるのを怖がる。ミンダナオ島の現状を思い知らされる瞬間だ!私が車に戻るとかなりのスピードで走り始めた。1時間も乗っていると、ガソリンスタンドがあり、町らしい所に来た。来るときは気付かなかったが、細い路地の両側に屋台が沢山出ていて、溢れんばかりの人が集まっている。きっとお祭りか、縁日だろうと思ったら、今日は国民の祝日だ言う。車を止めてくれるか?と聞くと、快く応じてくれた。どうやら危険地域は抜け出していたらしい。
ソウルズデイ.jpgソウルズデイは日本のお盆だ。11月の1・2日は、家族そろって、先祖の墓参りに行く。肩がぶつかり合うほど込み合っている路地の奥に、あまり大きくない墓地がある。軒を連ねた屋台では、墓にそなえる生花や造花、線香から食べ物まで、色々な物を売っていて日本の縁日とそっくりだ。早速、カメラを取り出し、写真をとりながら墓地に向かうが、15・6歳の少年が私の後をピッタリついてくる。人波を縫って、ゆっくり歩いて行くが、私が店の前で立ち止まれば、少年も立ち止まる。振り返ると、目線をそらす。なんとも薄気味悪い。運転手が”カメラ”と囁いたので、慌ててカメラをポケットにしまった。
ソウルズデイー2.jpg後ろから押されるように、粗末な門を過ぎた。カソリック教徒の墓地だから土葬だ。一つ一つの墓が大きい。十字架の側に花が手向けられ、線香も白い煙を上げていた。それぞれの墓前で、ひざまずいて十字を切る人達が居る。牧師さんらしい姿は見あたらない。キリスト教については、知識が無くて分からないけど、ここにお参りに来る人達は、教会で”お祈り”と牧師さんの”説教”を聞いてから出掛けて来るんだろうなぁー。宗教は違っても先祖に対する”思い”は日本と同じなんだと知って、親近感を覚えました。
ふと、後ろを振り返ると、さっきの少年はいつの間にか居なくなっていた。

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2007年10月15日

ダヴァオ紀行:その15 射撃場 (写真をクリック⇒拡大)

ak16.jpgタンタンタン・乾いた音が、耳栓を通うして、かすかに聞こえた。ダンボールで作ってある人型にパッ、パッと穴があき、自動小銃の5連発が銃口をわずかに動かしたところで終わった。その間、わずかに1・2秒、実弾を撃った感激など感じられない位、アッケないと言えばアッケなく撃ち終わる。
ダヴァオの友人が射撃場に行こうと誘ってくれた。ホテルから30分程、車を飛ばすと人家も少なくなり、こんもりとした森が見えてくる。その方へ走るとコンクリートの門があり、そこを通り過ぎると従業員らしき若い男が駆け寄って来た。友人が窓を開けて二言三言・話してすぐに又車を走らせる。木で出来た、古びた粗末なテーブルのそばで車を止めると、すぐにオートマティックの拳銃と自動小銃を持ってインストラクターがやって来た。後ろから10歳位の男の子が二段重ねの木箱を抱えてきてテーブルの上に置く、箱の中を覗いてみると銃弾がびっしり詰め込まれていた。
マト.jpgインストラクターがピストルの弾倉を外して、男の子に渡すと、早速、銃弾を詰め始めた。”銃口は撃つとき以外は常に地面に向けること”。”ピストルは撃つ前にカバーをスライドさせて安全弁をはずすこと”。等を教わり、鼓膜を痛めないようにヘッドホーンのようなものと、目を保護するゴーグルを渡された。右手を軽く伸ばし、左手で銃底を支え、的に向かって構えてみると、ズッシリ重みが伝わってくる。引き金を引くとパーンと乾いた音がした。20M位先にある鉄の人型を狙ったのだが、当たった形跡がない。インストラクターが、すぐに来て、”銃をしっかり構えて、引き金は軽く引くように”と教えてくれた。弾は、的をはるかに外れて後ろの土手にめり込んだらしい。
今度は、”当てるぞ!”と3発連射してみる。かろうじて1発は、段ボールで出来た人型の肩の辺りに当たって小さな穴があいた。次を撃とうと、引き金を引くが引けない。インストラクターが飛んできてカバーをスライドさせ、引っかかっていた弾をはずして、拳銃を返してくれた。気合を入れ直して的に迎い、3発か4発撃つと、また引き金が引けない。どうやら、薬きょうを何度も使うので(これもリサイクルの内?)、ゆがみが出てスムーズに発射できないらしい(笑い)。さっきから、男の子が薬きょうを拾っていた訳が分かった!!
西部劇で”さすらいのガンマン”が、相手の銃を撃ったり、コインの真ん中を射抜いたりするけど、ありゃー、ウソだね!10M、離れて、撃つ方も、撃たれる方も動いていたら、まず当たりっこない。
ピストル.jpg20・30発、撃ったところで、自動小銃に持ち替えて、的の前に立つ、左側に”切り替えレバー”が付いていて、単発と5連発に切り替わる。単発で、銃底をしっかり肩につけて、左手で支えると、そんなに重く感じない。引き金を引くと、これはしっかり当たった。当たる感じは、はっきり分かる。”手応え”と言うやつだ。こっちの銃は弾が引っかかることもなくスムースだ(笑い)。合計で60発も撃つと、飽きてきた。第一、やぶっ蚊が沢山いて、半袖シャツだから、手も足もかゆくて仕方が無い。---
友人も潮時と思ったのか、アタッシュケースからベレッタ(自前のオートマチック拳銃)を取り出し、新品の弾丸(これは絶対に引っかからない!?)を弾倉に詰めると、競技スタイルで動きながら、的を撃っていく。まぁー、”ビリーザキッド”まではいかないが、流石に格好も良いし、殆ど命中している。日本ではピストルや自動小銃を撃つことは出来ないから、友人に感謝して本物の銃を撃たしてもらったが、蚊に刺されて、かゆい思いをしながら、お金を払うとなるとーーー今度、誘われたら”お断り”するしか、ないかなぁー(笑い)。

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2007年10月07日

ダヴァオ紀行:その14 サマール島 パラダイスアイランド (写真をクリック⇒拡大)

アウトリガー1.jpgパラダイスアイランドはダヴァオ市に近いサマール島の一角にある。この島には、沢山のリゾートが点在していて、一番人気なのが、このパラダイスアイランドだ。タクシーに乗ってパラダイスアイランドと言えば、渡し舟が出る海辺近くまで行ってくれる。タクシーを降りて、マングローブがある小さな川に沿って5分も歩くと、渡し船が待つ砂浜が見えて来た。この舟に乗れば、わずか10分足らずの航海でパラダイスアイランドに到着する。舟は3艘が、”行き来”していて、いずれもアウトリガーと呼ばれる竹のスキーのようなものが両側に張り出している小型船だ。静かな海をこの船が滑るように走ると、まるでアメンボウのようだ。アウトリガーが舟の安定に、どの位役立っているのだろう。一寸海が荒れると、舟は揺れるし、波に突っ込むアウトリガーがかえってスピードを落としているように思えたが、日本ではお目にかかれない姿、形だから、エキゾチィックで南洋的な雰囲気は充分に感じさせてくれる。
ハマベー1.jpg時刻表があるわけではなく、客が20人も乗れば満員で、直に動き出す。目的地が見る見る迫って来て、小さな桟橋に着く。御覧の通り海辺には木が茂り、プラスチック製の屋根なんか無くても充分木陰が出来る筈だが、今年は兎も角、ここ数年、エルニーニョだのラニーニヤが続き、木の葉が茂らず、結局美しい自然を台無しにするような景色なってしまった。
プライベイトビーチだから、入り口で入場料とテーブルチャージを払い、海辺に近い場所を占領する。砂も日本の黒ずんだ茶色と違い、サンゴの白い砂だ。見た目は綺麗だけど、細かい砂に成りきっていないサンゴを踏むと足の裏が本当に痛い。海水浴場は、まさか”サメよけ”じゃないと思うけど、あまり沖に行けないように網が張ってある。潮の満ち干で、海の深さが大分違うところをみると、海底の地形が複雑で、潮の流れはかなり速やそうだ。
以前は’釣り’も出来たのに、と言っても、小さな魚が数匹釣れる程度で、第一暑くて長い時間、’釣り’なんかしていられない(笑い)。理由は分からないが、近年釣りは禁止となった。
オミアゲー1.jpgバンドー2.jpg熱帯地方とは言え、海辺は涼しい。日陰の長椅子に寝そべって、ぼんやり沖を眺めていると、大きなフェリーボートがゆっくり通り過ぎ、小さな漁船も見える。冷えたビールを飲みながら、異国情緒に浸っていると、まるで時が止まった別世界に居るような錯覚に陥る。しばし、”まどろんだ”ところで、お土産でも探そうかと、こじんまりしたお土産屋さんを覗いてみるが、つやつやに磨き上げた貝・木彫りの人形・Tシャツと沖縄に行けばありそうなものばかりで、買いたいものは見つからない。水中メガネを貸して呉れる店があったので借りてみた。メガネを返す時に、返して呉れるがデポジットといって、かなりのお金を預けることになる。これを借りて、シュノーケリングして見ると、サンゴの周りに、ペットショップで売っているような小さな熱帯魚が沢山いる。こんなに浅い海でも、海底は思いのほか彩が美しい。どの位、色鮮やかな魚に見とれて水面を漂っていたのだろうか、砂浜の方を見やると、友達が大きく手招きをしていた。
強烈な陽光と潮風に当り、その上少しばかり泳いだので、いつになく空腹感をおぼえる。急いでテーブルに戻り、早速、昼食にとりかかる。メニューは、前もって注文しておいた地鶏のスープに野菜サラダ、ブタの串焼きと、取り立てて美味しい料理があるわけではないが、空気の澄んだ海辺で、まったり食べる食事はもうそれだけで充分、ご馳走だ。土・日は”老人バンド”?が、楽器を抱えてテーブルの間を縫うようにやってくる。ささやかなチップを渡すと、日本人と分かっているのか、一寸古いが”ここに幸あり”の演奏が始まった。チップの額にもよるのだろうが、トロピカルな曲を2・3曲演奏すると次のリクエストを探して去っていった。
スナハマー1.jpg満腹となったところで、砂浜の木陰に出しておいた長椅子に横たわり、ぼんやり静かな波打ち際を見ていると、若い、若いカップルが砂遊びをしていた。ここダヴァオの海辺は、日本と比べて極端に若者が少ない。ほとんど中高年で、特に小さい子供を連れたグループが多い。こんなに、さわやかなカップルは珍しいので、”馬に蹴られる”のを覚悟で(笑い)写真を撮らして貰ったが、男の子がはにかみながら、俯き加減な女の子の足に砂を被せている様子は、二人でいる時間が”幸せ”で仕方がないという雰囲気が漂い。誰もが経験する”初恋の甘酸っぱさ”を思い出させてくれました。
アメンボウの様なボート・風に揺れるヤシ・白い砂浜・エキゾチックだなぁー!

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2007年09月03日

ダヴァオ紀行:その13 レチョン (写真をクリック⇒拡大)

ヤク.jpgご馳走と言えばレチョン:フィリッピンと言ったって、7000の島から成る国だ。それぞれの地方に独特の料理が有る筈だが、このレチョンだけは何処に行っても人気がある。勿論、専門店もあるだろうが、ダヴァオでは、普通の家が、注文に応じてレチョンを焼いている。こんな場合は大抵、何かのお祝い用で、30キロ前後の小さめのブタが使われる。フィリッピンでは、家族の絆が強く、お祝い事となれば、戦前の日本がそうだったように、30人前後の親類がすぐ集まる。食べ物の主役は、必ずと言っていいほどレチョンだ。ブタが一匹ごと丸焼きになり、テーブルの上にドーンと置かれれば、その存在感は抜群だ。その上、子供達の前で刀のような包丁を使って、切り分ければ立派なショウになる。日本でよくスーパーマーケットが客集めに”マグロの解体ショウ”をやるが、その豪快さに似ている。土曜と日曜は定期的に目方売りのレチョンが焼かれていて、平均的な家庭では、この焼いたブタが一週間に一度の贅沢なのだろう。
アタマ.jpg生きたままのブタを仕入れる:ぶらり立ち寄った日は土曜の夕方だった。奥さんの姿が見えないので、聞いてみると明日はレチョンの注文が沢山入っていて、マーケットにブタを仕入れに行ったとのことだ。程なく、狭い未舗装の道に面した門前にトライシクル(バイクの後ろにリアカーを付けたような乗り物で普段は人を乗せている)が止まり、生きたブタを降ろし始めた。親父と息子二人が、ブタを抱いて、柵で仕切られた一畳ぐらいのところに5・6匹ずつ、二箇所に分けて入れた。最初の10分位はキーキー鳴いてうるさいが、すぐに静かになった。数えてみると11匹もいる。明日の日曜日に、これを全部レチョンに焼くそうだ!焼く時間を聞いてみると40~50キロの目方売りにするブタで4~5時間かかり、30キロ前後だと3時間程度だと教えてくれた。そんな訳で、明日は、朝6時から仕事を始めるそうだ。娘さんが追加のビールを冷蔵庫から出して来たところで、遅くなっては気の毒なので、早々に引き上げてきた。
カイタイ.jpg翌朝10時:レチョンが焼き上がったと迎いがやって来た。家の前には、30人位が行列を作り、衆目監視の中でブタの解体が始まった。親父が刀のような包丁で、焼きあがったブタを豪快に骨ごとぶった切る。細かい皮や骨・肉が飛び散るが、お構いなしだ。奥さんが骨付きの肉を素早くビニール袋に入れ、目方を計ってお客に渡す。息子がそれを見ながらノートに記帳している。どうやら現金で買う人と、後払いの人がいるようだ。奥さんが、お使いで来たらしい小さな女の子に、センベイのような、皮のかけらを上げると嬉しそうにしゃぶりながらレチョンを抱えて帰って行った。
家の裏では次に焼く、生きたブタの処理が始まっている:マタドール(本当は闘牛士と言う意味だと思うけど?)と呼ばれる若者が、生きたブタを足の間に挟みつけて固定。硬そうなバットのような棒で脳天を一撃。見事に仕留めると、頚動脈を切り裂き、膝でブタの腹をしごきながら、血を抜く。この血も後で使うそうで、殺したブタは全て食べつくされて、捨てるところは無い。
アゴの下から、でん部まで綺麗に裂かれたブタは内臓を抜き取られ、次は毛を剃るアンちゃんに引き継がれる。両刃のカミソリを指の間に挟み、砥石を横に置いて、鮮やかに毛を剃っていく、その剃り上がりの綺麗なこと!ブタの皮がピンク色に光って見える。後は抜き取った内臓の換わりに調味料で味付けした香草・野菜をたっぷり詰め込み、アゴの下からお尻まで太い竹を通して、火に強い糸でお腹をしっかり縫い合わせる。これが終われば、ヤシの炭でジックリ焼き上げて出来上がるのだが、焼く係りは、また別の若者で、35度近い暑さの中を、汗もかかずに4時間、焦げ目が付かないように竹の棒を回し続ける。
客もすっかり居なくなると、火の後始末で仕事が一段落。手伝っていたアンちゃん達が引き上げて行ったところで、レチョンを肴に冷たいビールで”お疲れ様”の乾杯となった。それにしても見事な分業で、手間のかかるレチョンを作り上げる技に感動し、薄味で脂身の少ないブタ肉の美味しさとビールの相性を堪能したのでした。

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2007年07月30日

ダヴァオ紀行:その12 領事とダヴァオ桜会 (写真をクリック⇒拡大)

オフイス.jpgダヴァオの日本領事館はマグサイサイ通りを一寸入った雑居ビルの三階にある。一人旅の私が、ここに来ていることを知ってもらう為に、表敬訪問するのだが、いつもなら階段下まで列を作っているビザ申請者が一人も居ない。訪問者記帳のノートに名前を書くと直に、ガードマンが領事館内に通じるドアーの前まで案内してくれた。昨年・8月、新しい領事が赴任され、私は面識が有りませんでしたが、Eメールの交換で、私のホームページを知った領事は、すぐに読んでくれたらしく、ラニー共々、初めて執務室に通された。”タカを救う会インジャパン”の活動に興味持った領事は、是非、食事をしながら、話でもしましょうと招待してくれた。
ザコヤーカンバン-1.jpgトーレス通りを行くと、洒落たレストランが数軒かたまっている場所がある。その中の一軒が、この店で、経営者は日本人・和食レストランとなっているが、寿司があるかと思えば、キムチと焼肉もあると言った具合でアジアレストランと言った方が似つかわしい。そんなことを言ったって、ここは外国だから、致し方ない。6時の約束だったが10分ばかり早めに行き、店に入ってみると、ノレンがあったり、ウエイトレスはマイカケをしていたりで、これは日本風だった。店の作りも木造で、白い玉砂利を敷いた庭で食事が出来るようになっている。もっとも外の景色が良いわけではないが、夜だから見えない(笑い)。すぐに領事が到着して、先ずは、今まで飲んだことのないサンミゲールの生樽を注文する。領事が推奨するだけあって、これは美味しい。
ザコヤー1.jpgダヴァオ桜会の発起人で、ミンダナオ国際大学の教授をしている有田氏が領事の誘いで仲間入りをした。まずは、自己紹介そしてビールの乾杯となり。変な組み合わせではあるが、寿司と焼肉・キムチをつつきながらの雑談となる。皆さん、英語が堪能なので、ラニーも仲間はずれにならずに会話を楽しむ。領事館にビザの申請者が居なかったことを訊ねてみると、ビザの申請は”指定された業者”を通して、マニラの大使館に申請するように変更され、ダヴァオ領事館では受け付けていないと言うことだった。私は、これまでダヴァオ在住の日本人との交流が無かったので、有田さんとの話から、大学を卒業しても、やはり就職が難しい話や、日本人のボランテアー団体が有田さんに協力していることを始めて知った。
日本・フィリッピンボランテアー協会と言う、網代氏が主催する団体は、ミンダナオ国際大学の建設に大変な協力をして来た上に、この大学の卒業生が、有望な事業計画をもっていれば、資金援助の手助け迄していると言うことだ。有田さんの話から、私達と同じ志で発展途上国に、大きな援助の手を差し伸べている仲間がいることを知って、ほっとするような、心強いような気がしました。個人でアジアの国々に、援助をするような日本人が増えてくれば、アジアの人たちが、先進国・日本を見る目も少しは変わってくるんでしょうがーーーー
ザコヤー2.jpg何と、領事の奥さんも同席してくれた。領事はイタリア赴任の期間が長く、オペラ・ワインの話に、ウンチクを傾け。”安藤さん、是非イタリアに行きましょう。”と誘われたあたりで、生ビールの樽が空となり、オーストラリアワインのボトルが運ばれてきた。奥さんは大変な才媛で、英語も領事より、はるかに上手く、英語のスピーチ原稿は、いつも奥さんが手を入れるとのことだ。思わず笑ってしまったのは、こうして出来上がった英語のスピーチを領事が始めると、出席している日本人の間に、ざわめきとひそひそ話しが起こり、ちっとも聞いていないように思えたと言う話だった。外国に滞在していても、日本人の英語下手は変わらないようで、領事のパーテーに出席するような”日本企業のお偉いさんは、外国に行っても日本語で用が足りるんでしょうね。(笑い)”とこんな話を聞いたり、問われるままに、監督当時の思い出話をするやらで、アッと言う間に、夜も10時。ご夫婦にお礼を申し上げ、後は有田さんにお任せして、タクシーに乗り込んだのでした。

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安藤達己的独り言:今日は朝から、昨日が投票日だった参院選・自民党惨敗の特集番組のオンパレードだ!この3年間、年寄りを狙い撃ちした増税は物凄かった。政府は涼しい顔で、税収が上がったのを自慢するが、これだけ増税すれば、あったり前だろうが!私のような自営業で青色申告をしている65歳以上は、まず、老齢者控除が撤廃され(我が家は、夫婦で100万円課税所得が増えることになる)。青色申告控除が40万円から10万円に減らされた。定率減税がついに0%。
三位一体の改革で、所得減税分が地方税になり、税額としては同じだと、政権政党は言うけれど、地方税が増えれば、健康保険料が高くなり、介護保険も増える。ぁ~あ、老後の生活なんて、出来っこない国民年金なるものを作り上げ、それを頼りにしなければならない国民はどうすればいいの?どの政党が勝っても良いけど、この無慈悲な不条理を何とかしてくれい!

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2007年07月12日

ダヴァオ紀行:その11 闘鶏 (写真をクリック⇒拡大)

シャモー2.jpgピットにシャモを抱いて上がった友人らしき人が、そのシャモで戦いにつく鶏のお尻を突かせる。このシャモをテーザー(からかう人)と呼び鶏の闘志に火をつける。いよいよ二羽のシャモが2メートルの間隔を置いて、地面に放たれた。ブレイドをつけた鶏は頭を下げ、羽を逆立てて、隙を狙う。突然1羽が、空中に飛び出す。もう1羽が背面飛行をするような格好で、敵を向かえ討つ。両方の羽が何枚も空中に舞い、着地したシャモは再び睨み合う。白い羽に真っ赤な血が数箇所。今度は低く飛んで二羽が、絡まりあった。1羽が振り向いた時、もう1羽も、かろうじて立ち上がった。
シャモー3.jpg勝敗は明らかのように見えるが、相手の息の根が止まるまで戦いは続く。武蔵と小次郎の決闘のように互いの位置が、入れ違う。やがて二羽のブレイドが絡んで、もつれたまま立ち上がれなくなると、行事役が鶏の背中を持ち上げ、アットゆう間に、一羽づつを両手に持って、向かい合わせに地面に置く。一羽は、立ち上がることも出来ない、が首だけは持ち上げて闘志を見せる。優勢に立っている1羽が相手の首をつつきながら、踏みつけるようにブレイドを横に払った。行事が横になったままの鶏を持ち上げても、もう首を下げたままピクリとも動かない。勝った方の鶏は飼い主が、素早く抱き上げ、鶏を傷つけないように、気をつけてブレイドをはずす。ピットの外では、賭けに負けたほうが、お札を丸めて勝った方に投げている。戦いが始まって、2・3分、1羽が死んで”勝負と賭け”が終わる。
アイテサガシ.jpg土曜・日曜には、闘鶏が行われる。大衆が参加できる唯一のバクチだ。公営の闘鶏場が数箇所あり、ここは入場料を払って、スタンドに陣取る。すり鉢のような、一番底にピットと呼ばれる土俵が作られている。自分のシャモを抱えてやって来た人達は対戦相手を探す。お互いに、勝てそうな鶏を探すと、先ずは持ち主が掛け金を決める。大体5000ペソから10000ペソで、かなりの大金だ。勿論、勝った方が掛け金を取るのだが、場所代として一割を闘鶏場に払う、ショバ代とゆうわけだ。
ブレイド.jpg相手が決まると、ブレイドとよばれる7センチぐらいのカミソリを渡される。これをシャモのケズメに固定する。丁度ボクサーがグローブの下にバンテージを巻くように、しっかりとテープを巻き、ブレイドを着ける。その間、飼い主に抱かれたシャモは静かにしてなければならないのだが、もう戦いの時を知っているのか、小刻みに体が震えている。これが終わると、飼い主と鶏はピットに登場する。右と左に陣取り、仕切り屋が聴衆を煽る。始めの内は大金を賭ける(一口1000ペソ以上)客に呼びかけているらしいが、急に場内が騒然とすると、見ている人が、”相対”で賭けを始める。こちらは、つつましく100ペソ程度の掛け金だ。
突然、静かになると、いよいよシャモの決闘の始まりだ。二羽が接触すると、空中を舞う羽が本当に綺麗だ。中には、立てなくても最後まで首を持ち上げて闘志を示し、勝っている方が、攻撃を止めて何度、そばに置いても、逃げ出してしまう場合もある。こんな場合は、起き上がれない鶏が勝ちだ。勝負が決まった途端、観客から大歓声が上がる。きっと、この鶏も出血多量で死ぬんだろうが、本能とはいえ、感動を覚える。この写真は、私設で闘鶏を開催している友人に頼んで撮らしてもらったのだが、公営の方は客も多く、ましてお金がかかってるから、下手に写真でも撮ろうものなら、どんなイチャモンを付けられるか分からない。闘鶏の写真を諦めていたところで、この友人との出会い。残酷だ!などと言わずに、異文化を楽しんでください。

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2007年06月18日

ダヴァオ紀行:その10 ダヴァオ市 (写真をクリック⇒拡大)

エアポート.jpgダヴァオ市は、マニラから飛行機で1時間半、かなり離れている上に、ミンダナオ島の最南端に位置しているので、国内第二の人口(120万人)を抱える巨大な市でありながら、あまり知られていないし、開発も遅れてきた。その一番大きな理由は宗教の違いが、中央政府との軋轢を生んで、問題を起こし続けたことにある。フィリッピン全体では90%の人がクリスチャン(殆どカソリック)なのに、ここミンダナオ島では30%が回教徒だ。回教徒の人たちは、フィリッピンからの独立を求めて対立してきた。ラモス政権(8年前)の時に、この問題は決着したことになってはいるが宗教問題はご存知のように、簡単に解決しない。これに貧困が加わって反政府組織(モロ・イスラム解放戦線:アブサヤフ:ニューピュープルズアーミー)がこの島の治安に影を落としている。
ブラックマーケット.jpg空港から約15キロ道幅も広い道路を走ると、突然、渋滞が始まり商店も密集してくる。広いダヴァオ市の中でこの一角だけが都会の顔をみせる。ホテルに落ち着くと、まずお金を現地通貨のペソに換えなければならない。普通の海外旅行なら、空港内か市中の銀行で換金するが、ここではブラックマーケットと呼ばれる場所でペソを買う。銀行より交換レートが良いからだ。この写真がそうなのだが、一見したところ洋服や靴を売っている店にしか見えない。だがこの一角にある店は全部・換金ビジネスが主な業務だ。
私も毎回、ここの世話になるが、たかだか10万円(現在1万円が4千ペソ位)を換金しただけでも、店を出る前に友人に頼んでタクシーをつかまえ、店の前に来たのを確認して、素早くタクシーに乗り込み、すぐ発車してもらう。この位、気を付けていないと、どんな事故に合うか分からない。この国は銃が合法的に持てるのだ!いくら親しい友達の前でも、無造作に大金(日本円で5万円は立派な大金です)を見せるのは盗んでください。と言っているのと同じことだ。
シチヤ.jpg イータリ.jpg サリサリストア.jpg
ごちゃごちゃした街中を歩いてみると質屋(Pawn-shop)がやたらに目に付く、日本のように消費者金融とゆう商売が成り立たない。銀行預金がある人もせいぜい10%程度、第一、銀行は個人になんかお金を貸してくれない。こうゆうわけだから質屋が庶民にとって大切な金融機関になっている。質ぐさは、携帯電話や貴金属が多いが、テレビ、炊飯器、ミシンとなんでも、それなりにお金を貸してくれるそうだ。まだ早朝で準備は出来てないが、お食事処(Eatery)は、家庭料理を三品位、ナベのまま、入り口のカウンターに並べ、客はフタを空けて中を確認して注文する。たいてい70~80円で昼食がとれる。勿論、夕食でも構わないのだがーーサリサリストアー(Sary sary store)と呼ばれる小さな、小さなコンビニみたいなとゆうか、駄菓子屋みたいな感じのお店で、売れ筋のものはたいてい置いてある。こんな店がやたらにあって、ひと事ながら売り上げが気になる。まぁー何もしないより、”まし”なのかも知れませんがーー
ここにある写真を見ながら、熱帯地方にある、発展途上国の町:ダヴァオを想像してみて下さい!

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2007年05月31日

ダヴァオ紀行:その9 マラゴスガーデン (写真をクリック⇒拡大)

マラゴスー1.jpgマラゴスガーデン:ダウンタウンから約35キロ、かなり田舎に見えるイーグルセンターは、まだダヴァオ市内だ。とに角、世界で一番面積が広い市で、人口だって100万を超えているのだが、この広さでは、大都市らしい雰囲気は中心部だけだ。朝、9時にホテルを出て、イーグルセンターの中をコミュニケイション・オフィサー、タチットの説明を聞きながら一周すると、昼も近くなる。帰りはいつもこの’庭園レストラン’で食事を摂るのだが、自然に囲まれて、中も広々としている。
タッチット。ドドウ.jpg西洋ランが、ほとんど手入れをしていない庭で咲き誇り、何故かキジ類とハト類が世界中から集められて飼われている。驚いたことに、このレストラン・ダチョウの繁殖にも熱心で今年は少なかったが、去年は50羽以上が囲いの中で、窮屈そうに歩き回っていた。日本でも”ダチョウ牧場”なるものが流行だそうだが、ここダヴァオでも、低脂肪、低カロリーの肉が高値で取引されていそうなーーーー私の友人の中には、これを食べそうな人はいないのだが、一体誰が買うのだろう!?
蝶の楽園もここにはある。細かい網で長いテントのようなものを作り、この中に、数種類の蝶が舞っている。まずはランチを注文してから、暑い中をぐるり一周したのだが、ざっと見ただけで1時間はかかる。
ダチョウ.jpg バタフライー2.jpg キジー1.jpg

ランチー1.jpg東京では、滅多に歩かない距離を歩いた後だから、テーブルに戻ると、早速、高校生達と用意の出来た食事にとりかかる。まぁー、取り立てて、何が美味しいとゆう訳ではないが、カジキマグロのスープに、豚の串焼きや鳥のから揚げが並んでいた。イーグルセンターから始まって、3時間以上も歩き回れば、ビールを飲み、雑談を交わしながら食べる食事がまずかろう筈もない。高校生達の食事も終わり、残ったビールを飲み干したところで、ホテルに向かって出発進行となる。一寸疲れた上に、この暑さ。そこにビールが入れば、ホロ酔い気分:車の中で、うつらうつらしていれば、アッとゆう間にホテルに到着:今日のスケヂュールも無事終了。アクビの一つも出たところでーー”それでは、次のブログでお会いするまで:みなさん、ごきげんよう!”

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2007年05月18日

ダヴァオ紀行:その8 イーグルセンターと熱帯雨林 (写真をクリック⇒拡大)

カンバン71.jpg私がイーグルセンターを始めて訪れたのは1989年の8月でした。その当時、確認されていた野生のフィリッピンワシは、わずか60数羽。世界最大級のこの猛禽類は、絶滅の縁にあると思われていました。そこで、PEF(フィリッピンイーグルファンデイション)は、イーグルセンターで、世界初となる飼育されているワシによる繁殖を試みたのです。この試行錯誤の成果が1992年、人工授精によって誕生した”雛”(パガサ)となって報われました。ニュースは世界中に流され、世界各地で絶滅の危機にある猛禽類を救う一条の光と受け止められ、当然のごとく、世界中から寄付が寄せられました。
eagle7.jpg1995年:フィリッピン政府は、この鳥を国鳥に指定しました。国民の感心は高まり、ミンダナオ島を中心に、野生のフィリッピンワシ目撃情報も多数寄せられました。その後、センターでは繁殖のノウハウを積み上げ、毎年のように雛を誕生させています。また農民からの情報で、傷ついたり、捕獲されたワシもセンターに収容され、今年は36羽のフィリッピンワシがセンター内にひしめくとゆう事態になったのです。センターのワシ繁殖が順調に進んだことを受けて、PEFは最初から目的にしていた、ワシを野生に戻す作業に、数年前から取り掛かりました。2004年4月:やっと環境省から、ワシを野生に戻す場所の許可を取得し、困難を克服してセンターで生まれたワシを野に放しました。このワシは、うまく環境に順化し、自ら餌をとる様になった矢先、高圧送電線に触れ、感電死したのです。野性に戻して9ケ月目の悲劇でした。
ケイコク.jpgわずか60年前:ミンダナオ島の80%は原生林に覆われていました。そして今、たった20%が手付かずの自然林です。食物連鎖の頂点に位置するフィリッピンワシの数が増えても、広大なテリトリーを必要とするこの鳥が生きていける自然がなければ、いつか絶滅への道を歩むしかないのです。赤道付近に集中する熱帯雨林は、決して豊かな土壌の上に成り立っているのではありません。何百年かけて一本の大木が育つ、その下に密林の中層を成す木々が茂り、その木漏れ日を浴びて潅木が、更に地面に草がコケが生えて、豊かな森を作り出す。つまり熱帯雨林は、痩せた土壌の上に、大木を中心にしたエコシステムの連なり、なのです。木材の為であれ、農業の為であれ、一度伐採した森は、簡単に元へ戻ることは出来ません。フィリッピンでもNGOやNPOが禿山に木の苗を植える活動を続けています。しかし、雨が降れば、木の無い山では、濁流となって山肌を洗い、折角の苗を台無しにしてしまいます。
地球温暖化の危機が叫ばれる今、炭酸ガス(温暖化ガス)を吸収してくれる熱帯雨林の役割が改めて注目され始めています。もしフィリッピンワシが生きていけない環境を、私達が放って置けば、それは正に、将来、人間が生きて行けなくなる環境に目をつぶっていることになるのです。
イーグルセンターでは、今年もワシを野性に返す計画をたてています。今度こそ、人間の生活圏から離れた、本物の自然の中で大空を飛ぶ勇姿を見せて欲しいものです。

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