有終の美:関正子杯小中学生卓球大会(写真をクリック拡大)
物事に”始まり”があれば、必ず”終わり”がやって来る。この大会も参加テイームに惜しまれながら、20回目を迎えたところで幕を降ろす。日本卓球の足跡を辿れば、昭和30年代後半迄、世界の頂点に立っていたが、やがてその輝きは、光を失い、代わって中国が栄光の座を奪い今も王座は揺るがない。日本卓球が最後の”きらめき”を見せた時、日本女子ティームを背負った名選手が足立区に居る。
その人の名は、関正子。現役を退き、家庭婦人となっても、日本卓球の衰退に目をつぶっている事が出来ず、30年前足立区の施設を借りて、卓球指導を始めた。この噂は、アッと言う間に広がり、教えを請う親子が狭い練習場にあふれた。さすがに元世界王者の指導は違う。練習に来た子供達はみるみる腕を上げ、中学で卓球部を教える先生方も練習場を訪れ、関さんの卓球理論に耳を傾ける様になっていった。
やがて指導を受けたT先生の発案で、関さんが日ごろ口にする”卓球界の底辺を広げない限り、日本卓球の復活は有り得ない。”との声に賛同する先生方との協議が(決っして”飲み会”ではない!)始まった。勿論、関さんにも参加して貰い、出て来た結論は、”私達の卓球大会を開きましょう”と言うものだった。そうと決まれば、行動力のある先生方が集まっていたから、卓球大会の開催に向かってまっしぐら。
大会の名称は”関正子杯小中学生卓球大会”。選手は中2以下の6人以上で1チームのチーム戦。予選や参加資格に条件は無く、申し込めばどんなティームでも参加出来る。会場も、日本卓球選手権が行われ、子供達にとって憧れの舞台、東京武道館を2日間借り切った。”この大会は選手のためのものにしましょう。”関さんの一言で、全ティームによる入場行進が開会式をいろどる。役員の挨拶も短めに切り上げ、試合時間に当てた。更に参加ティームの試合数を増やすため、予選は4ティームで1ブロックのリーグ戦。ここで敗退しても、相手を見付けて練習試合が出来る。2日間の開催中、負けたティームも数試合の対戦を終えて帰って行く。
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進行にあたる先生方は、本選、練習試合を40台の卓球台に振り分けて消化して行く。その忙しさは、気の毒な位だが、選手のために、卓球台が空かない様に試合を組んでくれる。会場係に、”はせ参じて”くれる梅島クラブのお母さん、お父さんも、受け付け、会計、清掃と割り当てられた仕事をこなしてくれる。こんな風に選手を温かく迎える大会だから、真夏の暑さを物ともせずに、参加ティームは毎回100を越え、開催する先生方の呼び掛けに応じて、全中の常連校や、小学生の全日本クラスをメンバーに加えたクラブティームも参加して来た。そして![]()
回を重ねて行くうちに、名物先生に率いられた常連ティームが生まれた。その内の一つ、現役校長が率いたティームは小学生が主体だった。この先生は退職後、私財を投げ打って卓球場を新築、子供達に卓球を教えるだけでなく、人間教育にも取り組み地域の信頼は絶大だ!こんな先生に子供を預ければ、親も安心していられるのだろう。毎回、参加しては好成績をあげる。又コーチの中には、卓球の経験が無いのに顧問を任され、関杯に参加したお陰で、卓球の奥深さを知り、生徒と共に、この大会を心待ちしてくれた指導者も居る。この先生に参加回数を聞いたところ、この大会を知ってから毎回だから17・8回は来させて頂きましたとの返事だった。
顧問の中には学生時代から関さんを師と仰ぐ変り種もいた。大学を卒業し教員になった時、関杯は3回目を迎えていたが配属された中学校で卓球部の顧問を希望。それ以来、学校は変わっても、この大会だけは欠かさず参加し、卓球以外でも、生徒指導について先輩先生からの助言を求める熱血漢がいる。嬉しかったのは今回のコーチの中に何と!、第1回大会に選手として出場した人もいた。
参加ティームの中で、一際、目を引く中学がある。群馬から遠征してくるのだが、入場行進は大きく手を振って堂々としている。試合が始まればテイームは一丸となって戦う。礼儀正しいし、相手に対する感謝も忘れない。最終回を迎えた”関杯”の表彰式で、主催者側が最高の賞と位置付けてきた”フェアープレイ賞”は全員一致でこのティームに贈られた。女子優勝は常勝、武蔵野中学校。男子は丸善クラブが2連勝で最終回の幕は閉じた。
関正子杯を支えてくれた皆さん、本当に有難う!また、何処かでお会い出来る日を楽しみにしています。
一度は聴いて You Tube!更に2曲アップロード。安藤達己が撮影した動画をバックに新曲が流れます:このページ左上・赤字・安藤達己オリジナルソング:下:Someday・いつかきっと・Sampaguita・Bosanova- princess・サンパギータ・ボサノヴァープリンセス・Waiting ・をクリックして下さい。
安藤達己的毒舌:やっとケリがついた。年金や保険料を勝手に使い、やれ宿泊施設だ、保養施設だって豪華な建築物を作り、天下り先を確保したなぁいいが、毎年、赤字の垂れ流しよ。この赤字を年金で穴埋めしたってんだから話になんねぇ。
300以上あった、この手の設備をやっと売り終えたってぇこった。もう赤字を出す心配はねぇ。あたりめぇだ、本体が無くなったんだからよ(笑)!聞いて驚くな!総額2200億だってよ、結構な大金だぁな。ところがドッコイ、施設の建築費が1兆3000億だったんだと。早ぇ話が、この売却で無くなった保険料は1兆円てぇことになる。この責任は一体、誰が取るんでぇ?各施設の建築月日を調べるりゃ、責任者は分かるんじゃねぇかーー
だが責任論はどこからも上がるらねぇ。政治、行政がこんなやり方をすっから、見てみねぇ。世の中、”無責任野郎”だらけなっちまった。厚労大臣さんよう。去年のあんたぁは国民的英雄だった!こかぁ一番、かき集めた年金を勝手に使って、国民に大損害を与えた責任者の名前を公表しちゃどうでぇ。一人前の男ってぇのは、自分がしたことにゃ、責任をとるもんよ。あっしは、そう育てられたがなぁ。日本の偉い人ぁ、”責任逃ればかり”教えられてきたのかなぁーーあ~ぁだよ!