2010年08月29日

有終の美:関正子杯小中学生卓球大会(写真をクリック拡大)

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20・関.jpg物事に”始まり”があれば、必ず”終わり”がやって来る。この大会も参加テイームに惜しまれながら、20回目を迎えたところで幕を降ろす。日本卓球の足跡を辿れば、昭和30年代後半迄、世界の頂点に立っていたが、やがてその輝きは、光を失い、代わって中国が栄光の座を奪い今も王座は揺るがない。日本卓球が最後の”きらめき”を見せた時、日本女子ティームを背負った名選手が足立区に居る。
その人の名は、関正子。現役を退き、家庭婦人となっても、日本卓球の衰退に目をつぶっている事が出来ず、30年前足立区の施設を借りて、卓球指導を始めた。この噂は、アッと言う間に広がり、教えを請う親子が狭い練習場にあふれた。さすがに元世界王者の指導は違う。練習に来た子供達はみるみる腕を上げ、中学で卓球部を教える先生方も練習場を訪れ、関さんの卓球理論に耳を傾ける様になっていった。
20・多田.jpgやがて指導を受けたT先生の発案で、関さんが日ごろ口にする”卓球界の底辺を広げない限り、日本卓球の復活は有り得ない。”との声に賛同する先生方との協議が(決っして”飲み会”ではない!)始まった。勿論、関さんにも参加して貰い、出て来た結論は、”私達の卓球大会を開きましょう”と言うものだった。そうと決まれば、行動力のある先生方が集まっていたから、卓球大会の開催に向かってまっしぐら。
大会の名称は”関正子杯小中学生卓球大会”。選手は中2以下の6人以上で1チームのチーム戦。予選や参加資格に条件は無く、申し込めばどんなティームでも参加出来る。会場も、日本卓球選手権が行われ、子供達にとって憧れの舞台、東京武道館を2日間借り切った。”この大会は選手のためのものにしましょう。”関さんの一言で、全ティームによる入場行進が開会式をいろどる。役員の挨拶も短めに切り上げ、試合時間に当てた。更に参加ティームの試合数を増やすため、予選は4ティームで1ブロックのリーグ戦。ここで敗退しても、相手を見付けて練習試合が出来る。2日間の開催中、負けたティームも数試合の対戦を終えて帰って行く。
20・進行.jpg20・スタッフ.jpg進行にあたる先生方は、本選、練習試合を40台の卓球台に振り分けて消化して行く。その忙しさは、気の毒な位だが、選手のために、卓球台が空かない様に試合を組んでくれる。会場係に、”はせ参じて”くれる梅島クラブのお母さん、お父さんも、受け付け、会計、清掃と割り当てられた仕事をこなしてくれる。こんな風に選手を温かく迎える大会だから、真夏の暑さを物ともせずに、参加ティームは毎回100を越え、開催する先生方の呼び掛けに応じて、全中の常連校や、小学生の全日本クラスをメンバーに加えたクラブティームも参加して来た。そして20・深谷.jpg20・伊藤.jpg回を重ねて行くうちに、名物先生に率いられた常連ティームが生まれた。その内の一つ、現役校長が率いたティームは小学生が主体だった。この先生は退職後、私財を投げ打って卓球場を新築、子供達に卓球を教えるだけでなく、人間教育にも取り組み地域の信頼は絶大だ!こんな先生に子供を預ければ、親も安心していられるのだろう。毎回、参加しては好成績をあげる。又コーチの中には、卓球の経験が無いのに顧問を任され、関杯に参加したお陰で、卓球の奥深さを知り、生徒と共に、この大会を心待ちしてくれた指導者も居る。この先生に参加回数を聞いたところ、この大会を知ってから毎回だから17・8回は来させて頂きましたとの返事だった。
20・千葉付属.jpg顧問の中には学生時代から関さんを師と仰ぐ変り種もいた。大学を卒業し教員になった時、関杯は3回目を迎えていたが配属された中学校で卓球部の顧問を希望。それ以来、学校は変わっても、この大会だけは欠かさず参加し、卓球以外でも、生徒指導について先輩先生からの助言を求める熱血漢がいる。嬉しかったのは今回のコーチの中に何と!、第1回大会に選手として出場した人もいた。
20・島村.jpg参加ティームの中で、一際、目を引く中学がある。群馬から遠征してくるのだが、入場行進は大きく手を振って堂々としている。試合が始まればテイームは一丸となって戦う。礼儀正しいし、相手に対する感謝も忘れない。最終回を迎えた”関杯”の表彰式で、主催者側が最高の賞と位置付けてきた”フェアープレイ賞”は全員一致でこのティームに贈られた。女子優勝は常勝、武蔵野中学校。男子は丸善クラブが2連勝で最終回の幕は閉じた。
関正子杯を支えてくれた皆さん、本当に有難う!また、何処かでお会い出来る日を楽しみにしています。

一度は聴いて You Tube!更に2曲アップロード。安藤達己が撮影した動画をバックに新曲が流れます:このページ左上・赤字・安藤達己オリジナルソング:下:Someday・いつかきっと・Sampaguita・Bosanova- princess・サンパギータ・ボサノヴァープリンセス・Waiting ・をクリックして下さい。

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年金・売却.jpg安藤達己的毒舌:やっとケリがついた。年金や保険料を勝手に使い、やれ宿泊施設だ、保養施設だって豪華な建築物を作り、天下り先を確保したなぁいいが、毎年、赤字の垂れ流しよ。この赤字を年金で穴埋めしたってんだから話になんねぇ。
300以上あった、この手の設備をやっと売り終えたってぇこった。もう赤字を出す心配はねぇ。あたりめぇだ、本体が無くなったんだからよ(笑)!聞いて驚くな!総額2200億だってよ、結構な大金だぁな。ところがドッコイ、施設の建築費が1兆3000億だったんだと。早ぇ話が、この売却で無くなった保険料は1兆円てぇことになる。この責任は一体、誰が取るんでぇ?各施設の建築月日を調べるりゃ、責任者は分かるんじゃねぇかーー
だが責任論はどこからも上がるらねぇ。政治、行政がこんなやり方をすっから、見てみねぇ。世の中、”無責任野郎”だらけなっちまった。厚労大臣さんよう。去年のあんたぁは国民的英雄だった!こかぁ一番、かき集めた年金を勝手に使って、国民に大損害を与えた責任者の名前を公表しちゃどうでぇ。一人前の男ってぇのは、自分がしたことにゃ、責任をとるもんよ。あっしは、そう育てられたがなぁ。日本の偉い人ぁ、”責任逃ればかり”教えられてきたのかなぁーーあ~ぁだよ!

2009年10月18日

”タカを救う会”・飲み会(写真をクリック⇒拡大)

3ニンカン.jpg”タカを救う会インジャパン”の総会となってはいるが、年次報告は、5月に出したし、特に話し合う問題があるわけでもない。要は、”一年に1度か2度、気の会う同士で飲みましょう。”と、言うだけのことだ。先ずはカンパイから始まって、とりとめのない話が続く。芸術家の柿坪氏は、金属加工の社長でありながら、趣味のメダルを作って楽しんでいる。こんなご時勢だから、経営者の苦労が有るに違いないが、そんな話に触れる気配もない。年金受給者(?)になった今日まで、子宝に恵まれなかった。そのせいかどうか20年ほど前から、奥さんの提案で犬を飼い始めた。最初の小型犬は、柿坪氏が食べていたスペアーリブを欲しがり、奥さんの制止も聞かず、犬に与えたところ、骨が食道に刺さり、東大獣医科に駆け込んで大手術。運がなかったのか、お犬様は天国に召された!
ミニチュアシュナウザー.jpgこの悲劇が起きてから、柿坪氏は奥さんのイエスマンに成り下がった!すぐに代わりの犬を買い求め、”散歩係り”は氏が”おおせせつかった。だから、何処に出掛けも午後10時の門限を守り、毎日、お犬様を連れて散歩に出る。今は、ミニチュアシュナイザーなる小型犬が3匹もいる。私には、どんな犬か分らないから、集合写真を撮って呉れる様に頼んだら、”3匹はそれぞれ勝手な行動をとり、とても無理だ。”と、この写真を送ってきた。随分と我侭な犬に育てたもんだ(笑)。今回も門限が近付けば、そそくさと帰って行ったが、”奥さんのしもべ”と成り、お犬様に仕えるのが結構楽しそうに見えた。
トメ・レース2.jpg次は、アーバンボーイの大留氏だ。毎年、”一年間の反省、”をお願いします。と、頼むのだが、”何も無い!”と言い張る。”タカを救う会”が発足して19年。当時、30代だったとしても、察するに?50代の筈だが、暇を見付けては、仲間と”車を走らせて”遊んでいる。結婚する気配すら見せない!宇都宮あたりにアマチュアが走れるサーキットがあるとかで、一年に数回、レースに参加するそうな。チーム名は”ボンバロッサイースト”とか言う洒落たやつで、アルファロメオを転がす集団だそうな。
チームは現在、3台のアルファロメオを所有。写真の車が1977年モデルで排気量1800ccのオリジナルを2000ccにチューンアップ。もともとスポーツカーで売ったメーカーだから車のバランスが良いのだとか。レース用に内装を全て取り外し、転んでも死なない様にロールケイジで補強してある。私から見れば”しょうもない中年暴走族”だが、大留氏、楽しくてしょうがないらしい。最後になって、”そうだ!今年はレースの成績が、今一だった。”とほざいた。どうやら、これが反省の弁らしい。
ソ・ラニー.jpgそうだ!”タカを救う会”らしい報告があるのを思い出した。6年間に亘って、高校生の面倒を観てくれたマネイジャーのラニーに辞めてもらった。今はもう、”お母さん”になっていると思うが、5月に会った時、妊娠6ケ月。シングルマザーに成ると言う。私自身、シングルマザーを否定するほど、保守的ではないが、高校生を指導する立場のマネージャーとしては、ちょっと拙い。ラニーの叔母さんに当る女医、ビンキーに相談したところ、40歳になるグレンダが後を引き受けて呉れると言う。発展途上国では、どこも同じらしいが、殆ど教育を受けずに年頃を迎え、人生設計も無く子供を作り、無責任男は去って行く。ダヴァオの風俗(マッサージやカラオケ店)で働く女性達は、母子家庭が驚くほど多い。せめて私達が援助した高校生には、貧しくても、幸せな人生を送って欲しいと願うのだがーー

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ハネダ・ハブ.jpg安藤達己的毒舌:”羽田をハブ空港に!”国交省大臣がブチ上げたいっ。これに異議を唱えたのぁ千葉県知事よ。成田空港っちゃ、大変な反対運動を押し切り、双方、血で血を洗う抗争の末、1978年、開港にこぎ付けたぁな。だがよ、30年以上経った今も、まともな滑走路が一本(4,000m)と半端なのがもう一本(2,500m)の二本しか無ぇ。離発着も午後11時から朝6時まで御法度だと。こんなハブ空港が他にあるけぇ?
インチョム.jpg着陸料だって仁川(インチョン・写真)空港の3倍よ。気が付きゃ、アジアのハブ空港は、日本を素通りして、韓国、香港、シンガポールになってらぁな。そうりゃそうだ、あっちは立派な滑走路が三本以上あり、24時間営業よ。成田は国際線・羽田は国内線なぁんて、日本にしか通用しねぇ島国根性で、時流に取り残された訳よ。これを打開して、本当のハブ空港にすんにゃ、成田と羽田が手を組んで2空港で1空港なみの24時間サービスを考えるっきゃ無ぇやね。それにゃ、空港間を10分台で繋ぐ交通手段が不可欠だぁな。運賃も飛行機を乗り継ぐ客はタダにする位のこたぁ、あったりきしゃりき!日本得意のハイテクを駆使して、リニアカーで空港間を繋ぐってぇのはどうでぇ。これが実現してみねぇ、世界に類のない”双子空港”の誕生よ。物見高ぇ観光客は”リニアにも乗れる”ってんで、日本に殺到するだろうよ。そうなりゃ、ハイテク国家、日本の良い宣伝にならぁな。
赤字になるのが見え見えの空港を作り続け、気が付きゃ国内に98も出来た。車がロクに走ってねぇ高速道路もある。こんな事に使う金があったら、何故、”成田、羽田をリニアで繋ぐハブ空港化”をさっさと実現させなかったんだよう!これまでの政治にゃ、日本をどんな国にしたいのか、全く青写真が無ぇ。政権交代が実現した今こそ、各省庁にゃ分かり易い未来像を示して貰い、国民が納得できる予算編成をして貰おうじゃねぇかーー

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2009年08月31日

09・衆院総選挙(写真をクリック⇒拡大)

シュ・トウヒョウジョ.jpgショウドク.jpg8月30日(日):衆院総選挙・小選挙区、比例代表選挙も5回目になる。事前投票が簡単になったせいもあるだろうが、有権者の13%(1400万人)がこれを利用すると言う。前回の投票率が67%で自民党の圧勝だったが、今回は”政権交代”が実現するかどうかで、全く逆の風が吹いている。投票率も70%を超えると予想する向きが多い。私も、台風が近づき、午後から雨の予報だったから、早めに投票所に向った。入り口には消毒スプレイが置いてあり、新学期を真近に控え、新型インフルエンザの流行が気にかかる。校庭に駐輪する自転車は、かなりの数で、有権者の出足も良さそうだ。今回こそ民主主義が持つダイナミズムが実現する、初めての選挙になるのだろうか?戦後64年、連立政権も短期間あったが日本の政治は自民党が独占してきた。少なくても第一次オイルショックに見舞われた昭和50年頃までは、日本的やり方、”政官財一体となって産業を育成する”方法が成果を挙げ、日本を世界一の経済大国に押し上げた。当時の日本経済は、常に右肩上がり。行政に無駄が入り込んでも、それ以上の税収が無駄を吸収。国民の生活は豊かになった。
しかし、平成年代に入ると日本経済は成熟し、税収の大きな伸びを期待する時代は終わりを告げた。それなのに、思い切って行政の無駄を省こうとしなかった政治体制。日々の生活で精一杯の国民の目には、政も官も既得権益にしがみついて甘い汁を吸い続ける姿にしか映らない。これに追い討ちをかけたのが、昨年、サブプライムローンの焦げ付きから始まった米国発の経済危機。この影響を、もろに受けたのが日本を代表する製造業。そこに働く非正規社員(労働人口の30%・1000万人)の解雇が相次いだ。最新の失業率は5,7%。こうした状況の中で
ソウコウジ.jpg8月18日・衆院総選挙が公示された。7月の下旬に衆院解散予告の後、解散と言う不思議な段取りで長~い選挙戦に突入したせいか、公示日には各メデアが早々と民主党の優位を伝えていた。TV局が企画した各党、党首討論会では、自民党党首が民主党のマニフェストに噛み付き、他党の質問も民主党に集中。まるで与野党が入れ替わったような光景だった。
わずか4年前の衆院選挙では、”郵政民営化を旗印に小泉旋風が吹き荒れ、”小泉チルドレンと呼ばれた新人が大量当選”。自民だけで、ほぼ300議席を勝ち取る大勝だった。そして2年後、小泉首相から福田さんに内閣が引き継がれるや、目まぐるしく総理が変った(笑)。昨年10月、選挙管理内閣だ、と思われていた麻生総理は、リーマンショックで世界経済が激震に見舞われるや、これ幸いと(?)100年に一度の危機だとばかり、”国民に信を問う”のは後回し、政策だ!政策だ!と四回も補正予算と予算を成立させた。
セ・エキマエ.jpgヨソウ.jpgその政策も中身を見れば、凍結したはずの高速道路建設が復活。どう使うか分からない××基金に4兆円。国民生活に直接影響する、消えた年金は、いつ解決するか目途が立たず。福祉と高齢者医療の負担は増えるばかり。”行政の無駄をはぶく話”は例のごとくお題目をとなえるだけ。その上、税収が44兆円しかないのに国家予算は100兆円を超えている。不足分は勿論、国債発行だ!その返済は近い将来、上げる予定の消費税となれば、”おとなしくて、物言わぬ”国民も、現政権に愛想をつかした。と考えなければ、新聞各社が予想する民主党圧勝は説明がつかない。
私の住む選挙区も、これまで自民党が強かったが、新聞報道によれば民主党候補者と大接戦になっている。それなのに、我家の辺りは選挙カーも来ないし、静か過ぎる。世間の様子を探りに(?)駅前に行ってみたが、立候補者の姿はなかった。きっと有権者が多いところで、最後の”お願い”に忙しいのだろう。でも、それもあと二日。30日には”国民の審判”が下る。

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マニフェス.jpg安藤達己的毒舌:結果は大方の予想通りってぇか、あっしにゃ、驚きだったが、308対野党連合(自民119・公明21)140で民主党の大勝だったぁな。だがよ、勝った民主党だって”浮かれてる場合じゃ、無いやね!”今やイデオロギーの違いで、政党を選んでるわけじゃねぇ。そりゃそうだ、民主党の党首も首脳陣も大半は元自民党だぁな。マニフェストを見比べたって、自民と民主に根本的な違いは無ぇ。その結果がこうなったのぁ、50年以上続いた自民党政権じゃ、マニフェストに立派な事を書いたって、実行出来ねぇことを国民が見通してるからだろうよ。
ヨ・シンブン.jpgつまり、長く続き過ぎた政・官のやり方が制度疲労を起したってぇことよ。国民が民主党に期待してんなぁ、マニフェストに書いてある通り、無駄を徹底的に省いて、税金の使い方を変えて欲しいってぇことだぁな。天下り先に税金を流すなんざぁ論外よ!それに、どこの家庭だって、その年毎にお金の使い方が変わるだろうが、それなのに自民党政権の予算案は、各省庁の取分(パーセンテージ)が何十年も変ってねぇ。これじゃぁ、”官僚が予算を仕切ってる”って言われたって、しょうがねぇやな。民主党は、お金(税金)の使い方を政治が決め、国民が必要としているところに重点配分するって言うが、予算の付け変えったって簡単にゃ行かなねぇよ。50年かけて作り上げた行政の牙城は、簡単にゃ崩れねぇ。まぁー、伏魔殿だぁな。
この壁を乗り越えて、国民のためになる予算を編成出来れば、国民は民主党を支持し続けるだろうし、出来なければ、即退場となるだろうよ。なにせ今回の選挙を通じて、”政治を決めるなぁ国民の一票”だってぇことを知ったんだからよう!

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2009年08月23日

第19回関正子杯小中学校生卓球大会(写真をクリック⇒拡大)

ブドウ・イリグチ.jpgカリ2.jpgおぼんの真っ只中・8月13、14日に関正子杯小中学生卓球大会は開かれた。私が会場の東京武道館に着く頃には、すでに90テイームの参加選手が熱戦を繰り広げていた。この大会は変則的だが予選リーグを中断して入場行進を行う。地方から参加して、前日から泊まっているテイームは良いとして、当日、遠方から参加して来るティームのために、第1回大会から開会式は午後1時からとなっている。12時を過ぎると、40台も使っている卓球台は、進行係りの先生の指示に従って、会場で手伝っている大人と選手達が協力してアッと言う間に片付けてしまう。
選手達は入場口でティームごとに集合。先頭の選手が用意してあるプラカードを持って、合図を待つ。会場には関杯のテーマソング、”未来へ”と”ファイト、ガッツ、スマッシュ”が流れ、いよいよ選手の入場行進だ。大会に参加している選手に取って、卓球日本選手権が開かれた同じ会場を使った関杯は”晴れ舞台”なのだろう。”うつむきながら”の行進もあれば、”上気した顔で”入場してくるティームもある。
ナカゼンケイ.jpgウンエイ.jpg全ティームが整列し終わると、開会式を手短に切り上げ、すぐに試合が始まる。参加条件は、いたって単純”中学2年生以下が6人以上で1ティーム”だけ。だから、中学校単位の参加もあれば、クラブティームは勿論、2校、3校が共同でティームを組んでいるところもある。ティーム力も”全中”で勝負できるクラスから、卓球を始めたばかりの選手で編成しているところまで、さまざまだ!
この大会は関正子・元世界チャンピオンが”選手のための大会を開きたい”と言う、熱い思いでスタートした。進行を務める先生方は大変だろうが、予選リーグで負けても、卓球台が空いていれば相手を見つけて練習試合が出来る。大会1日目が終われば、指導に当っているコーチや先生方が参加して”関正子を囲む懇親会”が開かれる。懇親会ではザックバランに”卓球技術”についての問題や疑問が話し合われ、若い指導者に関さんや、実績のある先生達が適切なアドヴァイスをする。引率者は先生が多いから、話は多方面に亘り、難しい中学生の生徒指導についてもベテランの先生が”自分の経験談”を話す事さえある。そして、この会合に必ず参加する先生の一人が
カリ1.jpg桂萱(かりがや)中学校を指導するS先生だ。群馬県の公立中学校の教員だから、当然、何年かに一度、学校は変わる。変わらないのはS先生が卓球と教育に掛ける情熱だ。卓球部の顧問だから、生徒には”卓球が強くなって欲しい”と技術指導に余念がないのは当然として、人間教育にも力を注いでいるのが見てとれる。入場行進での規律が取れた元気良さは一際目立つし、試合中の応援態度も立派だ!挨拶もキチッと出来る。きっとS先生は、卓球を通じて、義務教育中の生徒に”目的を持つ大切さ”や”正々堂々と生きる尊さ”を教え込もうとしているのだろう。元来、関杯は卓球日本の復活を夢見て、より多くの人が卓球を楽しみ、卓球人口の底辺が広がれば、頂点に立つ人の技術も高くなると信じて運営してきたが、S先生は、顧問として卓球指導は勿論だが、子供達が社会人に成る日をも視野にいれている。それは”卓球が強いだけの人間で終わって欲しくない”からだろう。

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ハチ1.jpg卓球にかける情熱なら八王子六中のO先生にかなう人は居ない。家族に取っては迷惑な話だが(笑)、生活の全てを卓球指導に捧げて(?)いる。東京代表で卓球の全国大会に出場するような中学校は、小学生の段階から強かった選手を集めるのが普通だ。ところがO先生が顧問をしている中学校には、そんな生徒は居ない。中学校に入ってから卓球を始めた子供ばかりだ。定年を真近に控えても、”自分の教え子を全国大会に送り出したい”と言う情熱は燃え上がるばかり。奥さんに愛想を尽かされようと、そんなことに怯む気配も見せず、ただひたすら、生徒と共に夢を追う。
卓球に魅せられた原点は、”30年前に押し付けられた卓球部の顧問を引き受けると、選手の頑張りで東京都大会で3位に輝き、その感動に酔いしれた先生は、子供から貰った感動の恩返しをしたい。”と言うものだった。それから30年、O先生は今もその恩返しのために生徒を指導し続けている。
ミタカク.jpgマルゼン.jpg大会も2日目、午後からベスト4によるリーグ戦が始まった。男子は丸善クラブが3戦全勝、他の3ティーム(市川六中クラブ、TOMAX、鴻巣北中学校)は1勝2敗で並ぶ大接戦。言い方を変えれば、丸善クラブだけが抜け出していたと言うことになる。まれに見るほど”優勝争い”が白熱したのは女子決勝リーグだった。本命と目されていた武蔵野中学校は27回連続で全国大会に出場。今年も当然のように関東大会を勝ち上がった。勿論、関杯に3年生は出られないが、その強さは誰もが認めるところ。ここと優勝を争ったのが美鷹クラブ、なんと!小学生だけで出場して来た。優勝を争う2ティームの勝敗は5番手まで持ち越され、3-2で美鷹クラブの勝利。6人の選手たちは無邪気に喜びを爆発させた。この子供達が順調に育てば、10年後に日の丸を背負う選手が出てくるかも知れない!
大会も無事終わり、心地よい疲れと満足感、ほのぼのとした期待が私の心をを満たしていた。

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2009年06月21日

第19回関正子杯小中学生卓球大会準備(写真をクリック⇒拡大)

シンスイ09.jpg6月に入ると、一年に一度めぐり合う、牽牛・織姫のデートほど色気はないが”聞きなれた”と言うより”聞き覚えのある声”が受話器の向こうから聞こえて来る。関杯の打ち合わせがあるから、金曜日の午後6時深水に来て欲しい、とのお達しだ。”あ~ぁ!もう、そんな時期になったのか。この歳になると、一年が益々短くなってくる。”なぁ~んて言う繰り言はさておき、指定通り、梅島駅に降り立った。丁度、ラッシュアワーの時間だったから、改札口は家路を急ぐサラリーマンで溢れていた。そこから徒歩3分、店に入ると、二階席は予約され、厨房は忙しそうだし、サラリーマン風の客が次々に入ってくる。
ママト09.jpg”もう、お見えになってますよ。”と愛想のよいお女将さんが、関正子さん達の居るテーブルに案内してくれた。関杯の準備で、ここ深水を使うようになってもう大分経つ。誰が最初に来て席を取るのか知らないけれど、いつも同じテーブに陣取っている。座る場所も、いつの間にか決まってしまった。左手の壁際では”関杯”のドン・T先生が早々とビールを傾けていた。そうそう、この先生、二年ほど前に定年を待たず教職を離れ、小銭(退職金のことらしい?)が入ったからと足立区の片隅に立派なビルを建て卓球場とお稽古教室を始めた。てっきり実業家に転進したものと思い込み、”武士の商法にならなければ良いが”と心配していたら、何と!母校K大学・体育学部の”講師さま”になっていた。私も運ばれたビールで喉を潤し、T先生の話に耳を傾ける。
ヌシ・タダ.jpgカンバン・ムスメ.jpg中学校・教員生活30数年で、指導した卓球部を10回も全国大会に連れて行ったとのことだ。卓球に力を入れている私立校ならともかく、公立中で学校を変えながらの実績となるとこれは凄い!成程、出身大学が放って置かないのも頷ける。T先生のような大会関係者が出世したり、教育界で注目を集めるのは傍で見ていても気持ちが良い。
先ほどから小声で話し合っているお嬢さん二人(?):ここ数年、会計と広告依頼及び雑用を一手に引き受けてくれている”関杯”の看板娘だ。どうやら今年の大会費用が賄えるかどうか、収入と資出を照らし合わせている様子に見えたから、私も立場上”大会運営は大丈夫なの?”と声をかけた。”大丈夫ですよ。でも、今年は広告の数が大分減りました。”との返事。今の経済情勢じゃ、こうした大会に広告を載せてくれる程、余裕のある業者も少なくなっているのだろう。
兎にも角にも、会計責任者が今年の大会は心配ないと言っているのだから、”後は楽しくやりましょう。”と蒸しハマグリを追加注文。毎年のことながら、今年も多くのテイームが参加してくれることを願い、看板娘の労をねぎらって解散となった。
割烹 深水:東武伊勢崎線梅島駅より徒歩3分 電話 03-3886-6903

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nishi-1.jpg安藤達己的毒舌:突然政界を、と言うより民主党を揺るがした”西松建設、献金事件”の裁判が始まった。民主党党首の秘書が政治献金がらみで逮捕され、これをきっかけに党の支持率が下がった責任を取って、党首は退き、新党首の誕生となった。与党、自民党の中にも西松建設から寄付を受けていた人が、かなり居る。うがった見方をする評論家は”民主党つぶし”ではないか?と疑うが、国民が怒っているのは、政局に関わる問題じゃない。その証拠に、内閣支持率だって20%を下回って、総理は解散総選挙の決断すら出来ない。公共工事の受注を決めるのは”天の声(影響力のある政治家)だ”なんて、鼻持ちなら無い言い方をするが、一体、誰の金を使ってると思ってんだよ。みんな国民が払った税金じゃねぇか!この税金を無駄なく使って国民のためになる仕事をさせるのが政治と行政の責任だろうがーー
政治家が抜け穴だらけの政治資金規制法を作り、灰色の政治家は”法律違反はない”と強弁する。だが、待てよ!利益を追求する民間企業が”見返りを求めずに、政治家に献金するかい?”こんな程度のことは小学生にだって分からぁ。こんな事件が起こらないようにと、納税者一人から250円を集め、政党が助成金とやらを受け取る仕組みを作ったのは誰だっけ?
国民の税金を自分のお金のように考えてる政治家と官僚。今度の総選挙では、国民の意志をはっきり示し。政治の方向を変えようじゃなねぇか。新しい時代に適応できない政治家も官僚も”喝だっ!”

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2008年11月16日

今時・中学二年生(写真をクリック⇒拡大)

マ・ゲンカン.jpg東京駅から総武線で一時間:千葉県は太平洋を遥かに望む高台にやってきた。かつての城跡だそうだ。見たところ設備が整った病院にしか見えないがこれが校舎だった。轟音に驚いて空を見上げるとジェット機が学校の真上を成田空港に向かって飛んでゆく。赤いサルビアの植え込みを眺めながら、広々と明るい玄関を入る。スリッパに履き替えると正面に校長室があり右手に職員室が見えた。校長室で今日の講演内容のコピーと写真が入ったCDを担当のY先生に渡した。それにしてもこの部屋は広い!ここで職員会議が開ける程の大きさだ。天井も高いし、窓が大きくて明るい!想像していた田舎の中学と言う、古ぼけたイメージからあまりにもかけ離れていた。聞いてみると、この建物は将来の少子化に対応して、病院や老人ホームに転用できる設計になっているそうだ。その上、成田に向かう旅客機の航路になっているから、校舎は助成金を使って完全な防音装置が施されている。
ウンドウジョウ.jpg 手入れの行き届いた広い校庭も圧巻だが、4階建てなのにエレベーターがあり、講堂とは別に大きさの違うホールが各階にある。私の講演は小ホールで行われ、入室すると100人の2年生から拍手が起こった。テーブル上にはプロジェクターがセットされ私の後ろには一畳以上もある大きなスクリーンがある。プロジェクターにパソコンを繋げば用意してきたCDから映像が映し出される仕組みだ。最近、教育に取り込まれ始めたデジタル技術をフルに活用できる設備が整っていた。
この学校では”総合学習”の時間を使って”働くこと・生きること”を考えさせるため、生徒をいくつかの職場に頼んで体験実習をさせて貰っている。その仕上げと言う意味で、私の中学生時代と現在を対比しながら、これからの日本を背負う中学生に”メッセ-ジ”を託すのが講演の趣旨だった。生徒たちは、IT機器を使って、私の作品”ウルトラセブン”を視聴し、ブログも読んでいたので、私についての予備知識は持っていた。Y先生、私のことを”スーパーおじいちゃん”と紹介したそうだ!この作品が放映されたのは昭和42年で、丁度子供達の親が生まれた時代と一致している。まずは、この時代を振り返るところから話を始めた。当時、日本は東京オリンピックを成功させ、世界一早い新幹線を運行・高度経済成長の真っ只中。国民の生活は豊かになったが、公害問題も深刻になった時期でもあった。それから40年、日本はアジアからただ一国、先進国の仲間入り。環境問題に国を挙げて取り組んだ結果、隅田川からヘドロの匂いが消え、多摩川に清流の魚が戻り、江戸前の海にアナゴも車エビも戻って来た。こうした事実を伝えることによって、一度汚してしまった自然を取り返す難しさと、かけがえの無い地球を守る先進国としての使命を生徒に伝えた。この年から更に22年さかのぼると、今から63年前ーー
コウエン2.jpg昭和20年・第二次世界大戦は、日本が始めての原爆被爆国となって終わりを告げた。私の家族は満州国で終戦を迎え、外地で食べ物もろくろく無い中を生き延び、運よく昭和21年に帰国できた。日本に居た人も戦後の混乱を乗り切るために大変な思いをしたに違いない。国内には、今だに原爆症に苦しむ人達がいるし、国外には、日本が大戦中に行った残虐行為を許そうとしない人達がいる。いつまでも癒える事の無いキズ跡を残す戦争を二度と起こしてはならない。唯一原爆被爆国であり敗戦国となった日本が、世界平和のために国を挙げて尽くしていくのは宿命のように思えてくる。目の前にいる子供達が”平和と核兵器禁止”に対して負う責任は重い。こうして最初の50分はアッと言う間に過ぎ、生徒たちは、私語を交わすことも無く、私の質問にも真面目に答えてくれた。事前に先生達が指導してくれたお陰もあるだろうが、私の目の前には、真剣に私の話を聞く中学二年生がいた。
サイン2.jpg15分の休憩中:私の周りに男の子が集まってきて、”総合学習”に使っているノートを差し出し、サインが欲しいと言う。私はとてもそんな柄ではないが、この学校が始めて外部から一般人の講師を呼んで話を聞かせた意味を考え、”私のサインを見て講演の内容を思い出してくれれば良いかっ”とサインに応じたが書いても書いてもノートが差し出される。顔を上げて見ると、男子ばかりでなく、女子も加わり、ほぼ全員が列を作って並んでいた!?!
休憩が終わり、私の中学時代の話に入った。昭和25年、私の家族はベニアの囲いの上にカワラを乗せただけの山小屋のようなバラックを建て両国に住んでいた。瓦礫の中で火災をまぬかれた4階建ての中学校は1・2階が教室で3・4階は家を焼け出された家族が住んでいたことや、経済的理由で普通高校に行けない同級生が昼間は働きながら夜間高校に通った話。どんなに貧しくても子供の教育に熱心だった両親。こうして”ナイナイづくし”の中で学ぶ事と我慢を知った私たちの世代が敗戦国日本を”働き病だ”と世界中から批判されながらも経済大国に育て上げていった。広大な農地も豊かな天然資源も持たない日本は、高学歴を持つ労働者が正確さと勤勉さを武器に精密な機械を作り出し世界市場を席巻した。正に日本の資源は日本人だったのです。人は磨けば磨くほどにその価値が上がり、天然資源のように使って無くなることも無い!だから家庭も学校も地域も協力して、大切な日本の資源・君達をより優れた人材に育てなければならないし、君達も今の状況に甘えることなく自分自身を磨かなければならない。君達が社会に出る頃、日本は先進国の一員として21世紀・アジアの時代をリードして行くことになるだろう。だからーーー君達は教育を通じて、日本人の良さを受け継ぎ、誇り持って21世紀を輝ける世紀にして欲しい。やがて、君達も親になる日がやって来る。自信を持って、子供に見せられる背中を持つ大人になるために、今を大切にして欲しい。子供は親の背中を見て育つのだからーーーー

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2008年08月17日

第18回関正子杯卓球大会(写真をクリック⇒拡大)

8ニュウジョウ.jpg関杯のテーマ曲に乗って92チームが堂々の入場行進だ。14歳以下であれば、殆ど無条件で参加できる大会だから中学生だけで出場しているチームがあれば、小学生が混ざっているチームや小学生だけで挑戦してくるチームもある。会場はかつて卓球の日本選手権が開かれた東京武道館だから、”てれ”ながら行進する幼い子供もいるし、元気よく手を振って誇らしげな顔も見える。この大会がお盆に開催されるようになってから、学校単位の参加は意外なほど少なくなったが、暑さの中を練習をしてきただけにレベルの高い選手が多い。まだあどけない小学生低学年と思われる選手が中学生を相手に互角の勝負をしていると、思わず応援したくなる。この参加選手の中から将来、北京オリンピックで大活躍している日本卓球チームに入れるような選手が出てくれたらーーーー本当に素晴らしいのだが。
8ウケツケ.jpg8カイケイ.jpg18回目を迎えた関杯を支えてきたのは、何と言っても”梅島クラブ”を中心としたおかぁさん達の協力だ。会場で選手が熱い戦いをしている陰で、一日30人もの大人達が役割を分担してくれている。どれも大切な仕事だが、会計に関わる人は大変だ!大会に掛かる支出と収入のバランスを取らなければならない。参加チームから僅かな会場費を徴収。広告や寄付で協力してくれた個人、会社に漏れなくプログラム・感謝状・領収書を届ける。同じ部屋には達筆な人が待機していて封筒の宛名書きをしたり、大会が終わりに近づけば、表彰状にチーム名を書き込んでゆく。この部屋は、いつ行っても机の上がプログラム、領収書、封筒の類で埋めつくされている。本当に”ご苦労さん”。
8キロク.jpg会場では熱戦の真っ最中、試合の進行を受け持つ先生方が、勝ちあがったチームの試合を優先しながら、負けたチームの練習試合も上手くさばいていく。記録係りのおかぁさんも、試合結果を克明に記入する。流石はIT時代、その横では試合結果をオンタイムでインターネット上に流す”卓球ファンnet”の社員がパソコンのキィボードと格闘中だった。二日目の午後一時過ぎ、男女とも優勝を決めるベスト4によるリーグ戦が始まり、男子は親愛ムーサ卓球クラブとの接戦を制した市川六中クラブが優勝。女子は小学生だけで参加した美鷹クラブに勝って面目を保った武蔵野中学校が優勝。フェアープレイ賞は相陽中学校が選ばれて、二日間に亘る熱い大会の幕を閉じた。

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安藤達巳的毒舌:やっぱりなぁー!あっしも小学校・中学校の先生方と付き合いがあったがよ、出世志向の強い先生ほど話の中に”教育委員会”だの”教育長”だの、あっしに関わりの無い名詞が出てくる(笑い)。先生は生徒の方を向いているからこそ、父兄も先生を信頼するんじゃねぇかい?そりゃー、”モンスターペアレント”と言うTVドラマが出来るほど、理屈の分からねぇ親もいるようだがよ。お互いに悪口を言い合ってたって、日本の教育は良くならねぇ!そこへ持ってきて、今回の大分事件よ。教員採用から管理職昇級まで、教育委員会なる密室の中で決められ”賄賂がらみ”とくりゃー、開いた口が塞がらねぇ。今は夏休みだがよ、新学期までにゃ、教育界の信頼を取り戻す、国民が納得いく努力をしねぇと、混乱は収まらねぇよ。あっしが18年協力してきた”関正子杯”に、生徒を引率して来る先生方は”本当に一生懸命”生徒と向き合ってる。今回の不祥事でこの先生達も父兄からの信頼を失うとなりゃ、気の毒で見ちゃいられねぇ。都道府県の教員に関するシステムは大分県と大同小異だろうが?他に似たような事件は無ぇんだろうな!これを機会に、出世したい先生にばかり目を向けず、生徒と本気で向かい合っている先生が”正当に評価”されるシステムをキッパリと作ってやってくんな!

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2008年04月13日

ついに開通:日暮里・舎人ライナー (写真をクリック⇒拡大)

ニッポリトネリライナーー2.jpg日暮里・舎人ライナー:ついに開通。舎人から日暮里まで9.8Kを13駅・20分で結ぶ新都市交通だ。道路の真ん中に支柱が立ち、その上を5両のこじんまりとした車両が走る。この計画を聞いてから何十年経ったのだろう!舎人に昭和天皇在位50年の森林公園が出来、この公園へのアクセスとして、ある時は地下鉄案が、ある時はモノレールだと計画は二転三転してきた。立川の昭和記念公園はとっくに開園しているのに、こちらはカタツムリのようにゆっくりした進行で、公園の方は完成とは行かないようだが、路線の方は、やっと開通にたどり着いた。沿線の住民(不動産屋かな?)が期待して待つこと、30猶予年の快挙だった。
ラ・ニッポリ.jpg日暮里駅前の再開発もこれに歩調を合わせ、もう一息で完成するところまで来ている。駅前はスッキリとしたロータリーで、見上げれば、JR・京成と日暮里ライナーと新築の高層ビルが三階でつながっている。これは見事な変身振りだ。JR側のエスカレーターを上がり、歩道橋を渡りライナーの改札口を通り抜けるが運賃表が何処にもない!”スイカ”なる便利なものがあるから、取り敢えずはホームに立って電車(車両かな?)が来るのを待つ。ホーム側にも扉があって、電車が停車しないと、これは開かない。---これと同じシステム使っていた成田空港の方は、その後どうなったのだろう?電車が入ってきて、乗り込むと、車両はバスより少し大きめで5両編成だった。ユックリと走りだすと、すぐ左に、右に急カーブ、窓外は両側ともビルが直ぐそこまで接近していて息詰まるようだ。車の走っている下の道路は、前のままの道幅なのだろうか?
ラ・アラカワ.jpgライナーナカ.jpg数駅、過ぎると視界が急に開けた。荒川だ!下には高速度道路が走り、そのはるか下を川が流れている。見晴らしは良いが、かなり高い所を走っている。川を渡れば今度は下りだ。と言っても、道路のかなり上を走っているから沿線の景色は良く見える。丁度”さくらの季節”と重なり、次々に、現れる満開のさくらは、目を楽しませてくれた。終点まで乗るつもりだったが、空模様が怪しいから、我が家から近い”谷在家”で降りて、改札を通過するところで、料金を確認すると280円だった。終点から終点まで乗ると(9.8K)320円。バスだと200円、ただし、こちらは時間が不正確で、当てにして良いのかどうか、分からない。さて、皆さんは、この新交通システムの料金をどう感じるのだろうか?

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安藤達己的独り言:東京オリンピックを契機に、輸送のスピードがグッと上がってきた。今や、大阪・京都は日帰りの距離になったし、東北だって同じようなものだ。これと競合する飛行機も昔と比べれば割安になって、今や庶民の乗り物だ。高速道路網も発達して、東京から5・6時間も走れば、本州の端まで行ける。早いことは結構だが、その分だけ料金が高い。そんな状況が、日常の中にも、さりげなく、入り込んで来ている。今、正に時間をお金で買う現代社会の真っ只中、こんな社会と生き方で本当に良いのだろうか?----突然、スローライフと言う言葉が、頭の中を横切った。

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2007年08月19日

17回・関正子杯小中学生卓球大会・本戦 (写真をクリック⇒拡大)

ブドウカンーイリグチ.jpgうだるような暑さの中を東京武道館に向かう。午前11時30分・気温は35度。たった20分の距離なのに運転する窓越しに照りつける陽光で腕がヒリヒリと痛い。地下の駐車場から、会場に入ると、40脚の卓球台が並べられ、予選リーグの真っ最中だ。声援を送るチームメイトの声が交錯する。あちらでも、こちらでも選手の輪が出来て監督の話に聞き入っている。冷房が効いているとはいえ、その熱気と声援で会場が沸き立つ。午後1時:区切りの良いところで、試合を中断。進行を手伝っている大人たちに混じって選手達も卓球台を片隅によせるといったん会場の外へ出た。
コウシンー1.jpg関杯のテーマ”未来へ”の音楽が流れて、入場行進が始まる。チーム名が呼ばれると、プラカードを持った選手を先頭に会場を一周、所定の位置に並ぶ。14歳以下の選手で編成されたクラブチームの中には、小学校2・3年生らしき、幼い子供も目に付く。大きな会場に圧倒されて、俯きかげんな子供もいれば、大きく手を振って元気一杯なチームもある。態度は違っても選手達のワクワクする興奮が私達のいる壇上まで伝わってくる。
セキマサコ.jpgカップヘンカン.jpg選手の整列が終わると例年どうりのの開会式が、手短に行われる。最後に昨年度優勝のチームからカップの返還、選手宣誓と続き関正子さんの挨拶があって、直に試合が再開された。予選リーグで敗退したチームも練習試合を申し込めば、時間の許す限り試合が出来る。進行係りの先生方は大変だろうが、折角、足を運んでくれた選手たちが1試合でも多く経験を積んで欲しいという大会の趣旨を理解してくれているので、空いている台を使って試合を組んでくれる。遠くから来て予選で敗退したチームは、最後の練習試合を終えると、監督と選手が壇上にやって来て、関さんと役員に挨拶。この大会に参加出来たことを感謝して帰って行く。
こうして1日目の予選リーグが終わると、男子70チームから、女子は30チームから決勝トーナメントに勝ち残った、それぞれ16チームが決まる。会場の後片付けが終われば、遠方から一泊で来た先生方と関さんを始め、主催者側の先生方が食事を共にしながらの懇親会が開かれる。卓球の技術は関さんが相談に乗り、教育上の問題はベテランの先生が若い先生に自分の経験を話したりと、卓球を超えて話が弾む。
シアイー3.jpg2日目・決勝トーナメントが始まる。この大会は、選手に、より多くの試合が出来るように少々変則的な、方法をとっている。ベスト4に入れば、この4チームでリーグ戦となり1・2・3(2チーム)が決まり、5位から8位も同じ様にリーグ戦となる。この結果は、IT時代に歩調を合わせて、日本卓球連盟の公式サイト”卓球ファンnet”からオンタイムで配信されている。また卓球専門月刊誌”NITTAKU NEWS”で毎年・2ページに亘って、この大会を取り上げてくれている。今年も、記録的な暑さの中、100チーム以上の参加があり、男子はmeiji C・S・Cが初優勝。女子は、昨年の雪辱を果たした武蔵野中学校が優勝して、無事に幕を閉じた。このユニークな大会を陰で支えてくれいる梅島クラブの皆さん!大会運営をテキパキとこなしてくれている先生! 本当にありがとう。
          関正子杯・大会委員長     安藤達己

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2007年08月05日

第17回・関正子杯小中学生卓球大会・準備 (写真をクリック⇒拡大)

関杯17回表紙.jpg足立区と言えば東京は北東のはずれ、隣は埼玉県だ。今でこそ、地下鉄日比谷線が東武伊勢崎に乗り入れ、交通の便だって、大分よくなった、が未だに東京の再開発から取り残されているような感がある。昨年来、義務教育に関する調査・報告では足立区について、良い話は、あまりない!しかし、中学生の卓球に関しては、華々しい成果を残してきた。
この成果の源を探れば、日本卓球チームが世界の頂点に君臨していた当時の中心選手・関正子選手(現・両沢正子)にたどり着く。昭和30年代も後半・世界を制覇し続けた日本卓球が最後の輝きを見せた時、そこには何時も、肉体的ハンデを乗り越えて、コートに立つ関選手の姿があった。現役を退いた後も、卓球の復活を信じて、家庭さえ犠牲にして、子供の指導に没頭してきました。この偉大な選手を排出した足立区は、中学校の先生が中心となり、関正子の名前を前面に押し出した卓球大会の開催を模索し、1991年”関正子杯小中学生卓球大会”が始まりました。
シンスイ7-1.jpg第17回大会を迎えた今年も、8月14・15の2日間、地下鉄千代田線・綾瀬駅に近い東京武道館で開かれます。それに先立って例年のように、大会の打ち合わせが東武線・梅島駅近くの割烹店で行われました。プログラム・広告を出して下さる会社と個人の確認・参加チーム数・大会を支える”梅島クラブ”を中心にした、お手伝いの人員配分・と確認作業を進めていく。関東を中心に、福島、静岡、長野、新潟等々、100チーム前後の参加となれば、大会費用もそれなりに掛かるし、雑用だって半端じゃない。延べ60人位の人々が、陰で2日間の大会を支えている。この作業が一段落すれば、後は、この大会を支えてきた仲間同士、飲みながら、食べながら、関杯の話で盛り上がる。
マサ・タダ・アン7-1.jpg大会への参加資格・14歳以下(中学2年生以下)の男子又は女子だけで6人以上の選手がいれば、殆ど無条件で参加できます。
予選リーグで敗退(1日目)・しても、卓球台が空いていれば、練習試合が出来ます。折角、参加してくれたチームに1試合でも多く試合経験を積んで欲しいからです。
入場行進を行います・ここ、東京武道館は卓球の日本選手権が行われた会場で、参加チームの選手にとって、この舞台で入場行進したことは、夏休みの良い思い出になるに違いないと考えるからです。さらに、この入場行進には、昨年より関杯のテーマソングとして、私の詩に、阿呆鳥が曲をつけた、”未来へ”が使われます。
フェアープレイ賞を、三位までの表彰と同じように、授与します。これは、義務教育中の子供達に、正々堂々と戦う清々しさを大切にして欲しいと思うからです。
コーチの先生方に”卓球にかける思い”を書いていただき、プログラムに乗せています。この文章がきっかけになって、先生方同士の話が”より良い選手指導に”結びつけばいいと考えるからです。
1日目が終わると、指導者の先生方が関さんを囲んで、ザックバランに話し合う場がもうけられます。ここでは、先生方が日ごろ、卓球に関して疑問に思っていることや、生徒指導の難しさをぶつけ合い、明日への糧を吸収しあいます。
オバサン7-1.jpg選手中心の大会にしましょう。と言うのが関正子さんの最初の言葉でした。そして、この大会を運営する人たちの意見を取り入れ。参加した選手達に”いい思い出が残る”大会にすることが出来ました。例年、全中が終わった後、来年を目指す、新チームによる大会だったのが、昨年より、夏休みを短縮する区や県が増え始め、お盆の最中に関杯を開催せざるを得ない状況になりましたが、それでも、ほぼ例年通りの参加チーム数が見込まれています。今年も、沢山の人たちに支えられたこの大会が、選手に取って”素晴らしい夏休みのプレゼント”となる事を信じて、開催したいと考えています。
               関正子杯・大会委員長     安藤達己

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2007年04月08日

都知事選挙 (写真をクリック⇒拡大)

カダン.jpg4月8日:昨夜の冷たい雨が嘘のように、春らしい、うららの朝だ。つい4・5日前、桜が満開なのに、東京では雪が舞った。丁度、車を運転していた私は、ワイパーがミゾレを掻き落としているのに驚いていると、ガラス全部がアッとゆう間に白く曇り、運転出来ないので車を止めてフロントガラスを拭く羽目になる。何とミゾレが降り始めた途端、気温が6度も下がったんだってーー。最近の東京は、毎年異常気象だ:異常気象だと言われる様になり、あまり良い気持ちはしないでいたら、地球上90%の地域で、気温上昇による異常が観測されていると新聞に発表された。あぁーあ:21世紀は地球破滅の世紀になるのだろうか?
カンバン.jpgそうそう都知事の選挙に出掛けてきたんだっけ:入り口に立てかけられた、候補者のポスター掲示板を見れば御覧の通り、5・6人しか貼ってない。確か14人、候補者がいた筈なのにーー。それにしても、変な選挙になったもんだ。有力な候補者は全部無所属で、そっちは自民党が応援すれば、こっちは民主党が応援するんだってさ!最近はマニフェストと、とかゆうのが流行で、当選したら”これをやります。”と具体的に選挙民に示す、まぁー公約みたいなものだが。マニフェストとなると、予算の裏づけとか、実現するまでの期間とか、より明確に政策を発表するものらしい。有力な候補者は、これを30万枚(選挙委員会が決めた枚数らしい)配ったらしいが、ちょっと:ちょっと:都の有権者は1000万人ですぞ!第一何処へ行けばこのマニフェストなるものを手に入れられるのだろう?
pc ケイタイ.jpgこのIT時代だ:全候補のマニフェストをパソコンやモバイルで、見たい人に配信する位のことをやったらどうだろう?そうすれば印刷代だって要らないし、多くの人が候補者の”やりたい政策”を知ることが出来る。その上で、事前調査で当選する可能性の有る候補者・3・4人を一堂に集め、政策の違いを徹底的に議論して貰う。そうすれば有権者は誰に投票すれば良いのかが、はっきりするだろう。
何を決めるときも、同じだが、国民の為になることが、なおざりにされて、特定の人の便宜だけが優先される。そろそろ、そんなやり方に、おさらばして、国民のためになるなら、新しいメデ゙アをどんどん活用するような指導者が、あらゆる分野に出てきて欲しいものよなぁー。

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2007年01月14日

誕生日そしてロイヤルサルート (写真をクリック⇒拡大)

ume-5.jpg松竹梅の寄せ植
暮れも押し迫って、娘の家族が遊びにやってきた。西新井付近は元農家だった大地主が花屋をやっているケースが結構ある。都心のフラワーショップと違い、広い店構えと温室を持ち、切花よりも草花・苗木・野菜の苗・鉢植えを売っている。8歳になる孫娘も、よそさまの子供同様に親より経済力がある。ちょっと立ち寄った花屋さんで正月用の鉢を買ってきてくれた。体裁よく出来ているが、どうみても昨日今日、植え替えて店に出した代物だ。水をやれば、綺麗に配置してあるコケが流れ落ち、松や梅の根が土の上へ顔をだす。梅の木には米粒より小さな花芽がビッシリ付いてるが、こんな調子じゃ、花が開くまで枯れないでいるか、まことに心もとない。
孫からのプレゼントだ!粗末に出来ないから、昼は日当たりの良いベランダに置き、夜になれば部屋に入れ、数日おきに水をやってみると:アッ!驚いた!正月には間に合わなかったが、花が開き始めた。そうなると早いもので、2・3日で満開だ。そんな折、娘一家から’オジーチャンの誕生祝’とかでマフラーとハンチングが届いた。もうっ!誕生日なんて忘れたい歳だと言ってるのに!
ボトル.jpg センヌキ.jpg
ロイヤルサルートがあったっけ:昔からスコッチ大好人間の私は、折角頂いたロイヤルサルートだが、あまりに恐れ多くて棚に飾るだけで、飲めないでいたのだが今日が誕生日なのを、知らん振りしてやり過ごせないとなれば、もうこれを開けて’飲むっきゃ’ないか!箱からビロードに包まれたボトルを取り出す。さすがにビンテージスコッチだ。風格が違う!そっと布の手触りを楽しんでから、いよいよボトルを取り出し蓋を開けようと捻ると、
なんと!無残にもコルクが折れて蓋とコルクの粉が手の平に残った。あらっ困った!ビンの中はコルクが詰まっている。ワインオープナーを持ってきて捻じ込んでみると、するすると手応えもなく吸い込まれてコルクを突き抜けてしまった。オープナーを引き抜くと出てきたのは砕けた木の破片だ。とにかくコルクの真ん中に小さなトンネルだけは出来た。そういえば、これを持ってきた娘さん’ウイスキーとかブランデー長く置いておくと悪くなりますか?’なんて不吉なことを聞いてたっけ!

ボトル2.jpgとにかく穴は開いたんだ。ここから、ロイヤルサルートさまをグラスニに注いでみる、グラスだって今日はバカラさまだ!細い穴を通って、濃い琥珀色の液体がグラスに移る:コルクかすも一緒にね!!
グラスを口元に持ってくると、なんとも言えない香りが鼻をつく。流石・ロイヤルサルートだ!腐ってもタイ:なーんて言いかたがあるけど:蓋は上手く開かなくたって中身は変わっていない。グット一口飲んだところで、電話が鳴った。受話器を取り上げると孫娘二人の歌う’ハッピバースデイトウユー’が流れてきた。

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