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2009年10月25日

川越まつり(写真をクリック⇒拡大)

ダシー1.jpg終点、本川越で電車を降りるってぇと、祭囃子が聞こえてきたぁな。てっきりテープかCDだろうと思ったが、駅前にゃ”山車”が一台。ここの舞台(囃子台)から生演奏よ。てっぺんにゃ、主題の人形(御神像)が鎮座ましますっと。人形も山車ごとに、歴史上の人物がありゃ、能楽に由来するものまで、誠にもって多彩だ。囃子台は2畳ほどもあるか、狭めぇ場所に笛、鉦、小太鼓、大太鼓に踊り手が乗り込んでっから、さすがに窮屈そうだぁな。こんな山車が18台、次々と街へ繰り出す。見物客でごったがえす”蔵造り通り”に入ぇったところで、大概の山車は止まって”お囃子と踊り”をご披露するってぇ段取りよ。こうなるってぇと、正面に行きたくても黒山の人だかりで身動きが取れねぇ。と、頃を見計らって、お兄さんの掛け声で”囃子台”を90度、ぐっぐっと回転させたいっ。こうして”ぐるり”一回転出来るんだとよ。なぁ~る程、これなら山車の見物客は何処にいても、正面から見られるってぇわけだ。
ダシー2.jpg驚くのぁ、こればかりじゃねぇよ。かって、この山車が、お江戸は新富町あたりまで、お出ましになったんだとよ。そこでだ!城門を潜り抜ける時、”人形”が邪魔にならなねぇように、まずは人形を台座の中に降ろし、この台座を又下の台座に納める。ってぇ、手の込んだ構造になっていた。あっしの田舎でも、稲の刈り入れが済んだ9月にゃ八幡神社(何故か、”やはた”と読ませる。)の祭礼で、川越とそっくりの山車が曳かれるがよ、こんなに手の込んだ仕掛けは無ぇ。電線も電信柱も無ぇ昔のこった、人形が邪魔になるものは無ぇし、舞台を回す程の人出も無かったんだろうよ(失笑)。
”祭”と言ぁ、心踊らせるのが派手な屋台だろうよ。メインストリートの”蔵造り”通りにゃ、出店がひしめいてたがよ、あまり”変わり映え”はしねぇ。あっしが面白かったのぁ、蔵造りの店が商っていた品物よ。芋菓子と狭山茶は名物だから当然だが、今時、見掛けなくなった”刃物”・”銅、鉄専門店”・”かつおぶし屋”まであった。ちょいと横道に入ぇると”川越七福神”の一つとか言う寺があったりする。その境内を覗いて驚いた。
オバケー2.jpgシャテキ.jpg懐かしい見世物小屋が開店中よ。境内が狭めぇから、何軒もあるってぇわけにゃいかねぇが、安っぽい”ロクロ首人形”と口上で客引きする手法は昔のまんまだぁな。あっしがガキの頃、握り締めたコインを何枚か払っちゃ、なぁ~んだ、こんなもんかと後悔し、次の年にゃ、また後悔したのを思い出したなぁ(笑)。木戸銭は400円。子連れの親がお金を渡すと10分もしねぇ内に子供は出て来た(笑)。この頃じゃ、親が呉れた金だから、子の方は”損した気分”にもならねぇんだろうよ。付近にゃ”射的屋”さんが3軒も出てた。それに本物(?)を使った”金魚掬い”、親子が本気で掬ってるのを見たなぁ久し振りだったなぁ。東京の縁日じゃ、せっかく掬った金魚を飼うのが大変だってんで、持って帰らねぇんだとよ。だからプラスチック製の魚を引っ掛けて遊ぶ”金魚掬い”も出て来たぁな(失笑)。
クラズクリ.jpgヒョットコ.jpgさすがにカーバイトで商ってる屋台は無ぇが、時代を感じさせる”蔵造り通り”をそぞろ歩きをしてりゃ、”祭囃子”が絶え間なく聞こえてくらぁ。それもその筈、100メートルも間隔を置かねぇで、”囃子台”のような小せぇ舞台が次々に現われる。某テレビ局番組がロケをしたせいか、驚く様な人出に、気合が入ってんだろよ。どこの”囃子台”も踊りの真っ最中。それも6人一組のご一党さんに、子供が加わっているのが圧倒的に多い。
あっしがガキの頃、夏休みになりゃ、神社の境内で、町の長老が子供達を集め、笛や太鼓を教えてた。その”お囃子”が聞こえるだけで、もう”祭”が待ちどうしくてしょうがなかったなぁ。娯楽が少なかったせいもあるが、お陰で郷土芸能の後継者にゃ、事欠かねぇやね。それが今はどうでぇ、お囃子の後継者どころか、若者にソッポを向かれ、”祭”の存続さえ危ねぇ町が沢山あらぁ。神輿をトラックに乗せて、テープのお囃子で、走る町もあるんだとよ。それに引き換え、川越はてぇしたもんよ。子供達が”祭”を盛り上げてらぁな。”祭”だって立派な無形文化財。これが寂れて行くのぁ、勿体ないやね。この賑わいがいつまでも続く様に願いたくなったなぁ。

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ユウセイ・カメイ.jpg安藤達己的毒舌:郵政会社、社長がついに辞任したぁな。昨年来、”簡保の宿”売却問題で総務大臣が辞めさせられるは、本社ビルの建て替えが物議をかもすはと、問題はあった。まぁ、あれだけの巨大組織を民営化しようってんだ、誰がやったってそう”すんなり”とは行かねぇ。その後釜が立派な元官僚よ。担当大臣が3人しか衆院議員が居ねぇ政党のボスだぁな。4年前の選挙で”郵政民営化”に反対、新党を作った、いわくつきの人物よ。まさか”郵政国営化”なんぞと言い出すんじゃ、あんめぇな。
担当大臣よ!あんたは反対だったかも知れねぇが、総選挙の結果。国民の総意は”郵政民営化”で決着済みよ。そこんところは忘れねぇでくんな。大体、あんたぁ、目立ちたがり屋だぁな。本来なら、取るに足りねぇ少数政党の代表が連立のお陰様で大臣になった途端に、中小零細企業と住宅ローンにまで3年間の返済猶予(モナトリアムとか言っている)をブチかました。だがよ、金を借りた人が約束通りに返済するのは当ったり前だろうがーーそのへんは、借主と貸主が上手くやってきたんだよう。
昨今の金融危機で、借り手が大変なことは想像出来るが、なんでんかんでん税金を使って処理すんなぁ無理じゃねぇかい。
自分が所属する少数政党を、何とかしようと”人気取り”をしたい気持ちは分るが、国民は来年の参院選挙がらみで”存在価値を示してぇんだろう。”位のことぁ、とっくにお見通しよ。何か言いてぇことがあったら、国民から信託を受けた閣内の同意を得てからにしてくんな!それが民主主義ってぇもんだろうよ。

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2009年10月18日

”タカを救う会”・飲み会(写真をクリック⇒拡大)

3ニンカン.jpg”タカを救う会インジャパン”の総会となってはいるが、年次報告は、5月に出したし、特に話し合う問題があるわけでもない。要は、”一年に1度か2度、気の会う同士で飲みましょう。”と、言うだけのことだ。先ずはカンパイから始まって、とりとめのない話が続く。芸術家の柿坪氏は、金属加工の社長でありながら、趣味のメダルを作って楽しんでいる。こんなご時勢だから、経営者の苦労が有るに違いないが、そんな話に触れる気配もない。年金受給者(?)になった今日まで、子宝に恵まれなかった。そのせいかどうか20年ほど前から、奥さんの提案で犬を飼い始めた。最初の小型犬は、柿坪氏が食べていたスペアーリブを欲しがり、奥さんの制止も聞かず、犬に与えたところ、骨が食道に刺さり、東大獣医科に駆け込んで大手術。運がなかったのか、お犬様は天国に召された!
ミニチュアシュナウザー.jpgこの悲劇が起きてから、柿坪氏は奥さんのイエスマンに成り下がった!すぐに代わりの犬を買い求め、”散歩係り”は氏が”おおせせつかった。だから、何処に出掛けも午後10時の門限を守り、毎日、お犬様を連れて散歩に出る。今は、ミニチュアシュナイザーなる小型犬が3匹もいる。私には、どんな犬か分らないから、集合写真を撮って呉れる様に頼んだら、”3匹はそれぞれ勝手な行動をとり、とても無理だ。”と、この写真を送ってきた。随分と我侭な犬に育てたもんだ(笑)。今回も門限が近付けば、そそくさと帰って行ったが、”奥さんのしもべ”と成り、お犬様に仕えるのが結構楽しそうに見えた。
トメ・レース2.jpg次は、アーバンボーイの大留氏だ。毎年、”一年間の反省、”をお願いします。と、頼むのだが、”何も無い!”と言い張る。”タカを救う会”が発足して19年。当時、30代だったとしても、察するに?50代の筈だが、暇を見付けては、仲間と”車を走らせて”遊んでいる。結婚する気配すら見せない!宇都宮あたりにアマチュアが走れるサーキットがあるとかで、一年に数回、レースに参加するそうな。チーム名は”ボンバロッサイースト”とか言う洒落たやつで、アルファロメオを転がす集団だそうな。
チームは現在、3台のアルファロメオを所有。写真の車が1977年モデルで排気量1800ccのオリジナルを2000ccにチューンアップ。もともとスポーツカーで売ったメーカーだから車のバランスが良いのだとか。レース用に内装を全て取り外し、転んでも死なない様にロールケイジで補強してある。私から見れば”しょうもない中年暴走族”だが、大留氏、楽しくてしょうがないらしい。最後になって、”そうだ!今年はレースの成績が、今一だった。”とほざいた。どうやら、これが反省の弁らしい。
ソ・ラニー.jpgそうだ!”タカを救う会”らしい報告があるのを思い出した。6年間に亘って、高校生の面倒を観てくれたマネイジャーのラニーに辞めてもらった。今はもう、”お母さん”になっていると思うが、5月に会った時、妊娠6ケ月。シングルマザーに成ると言う。私自身、シングルマザーを否定するほど、保守的ではないが、高校生を指導する立場のマネージャーとしては、ちょっと拙い。ラニーの叔母さんに当る女医、ビンキーに相談したところ、40歳になるグレンダが後を引き受けて呉れると言う。発展途上国では、どこも同じらしいが、殆ど教育を受けずに年頃を迎え、人生設計も無く子供を作り、無責任男は去って行く。ダヴァオの風俗(マッサージやカラオケ店)で働く女性達は、母子家庭が驚くほど多い。せめて私達が援助した高校生には、貧しくても、幸せな人生を送って欲しいと願うのだがーー

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ハネダ・ハブ.jpg安藤達己的毒舌:”羽田をハブ空港に!”国交省大臣がブチ上げたいっ。これに異議を唱えたのぁ千葉県知事よ。成田空港っちゃ、大変な反対運動を押し切り、双方、血で血を洗う抗争の末、1978年、開港にこぎ付けたぁな。だがよ、30年以上経った今も、まともな滑走路が一本(4,000m)と半端なのがもう一本(2,500m)の二本しか無ぇ。離発着も午後11時から朝6時まで御法度だと。こんなハブ空港が他にあるけぇ?
インチョム.jpg着陸料だって仁川(インチョン・写真)空港の3倍よ。気が付きゃ、アジアのハブ空港は、日本を素通りして、韓国、香港、シンガポールになってらぁな。そうりゃそうだ、あっちは立派な滑走路が三本以上あり、24時間営業よ。成田は国際線・羽田は国内線なぁんて、日本にしか通用しねぇ島国根性で、時流に取り残された訳よ。これを打開して、本当のハブ空港にすんにゃ、成田と羽田が手を組んで2空港で1空港なみの24時間サービスを考えるっきゃ無ぇやね。それにゃ、空港間を10分台で繋ぐ交通手段が不可欠だぁな。運賃も飛行機を乗り継ぐ客はタダにする位のこたぁ、あったりきしゃりき!日本得意のハイテクを駆使して、リニアカーで空港間を繋ぐってぇのはどうでぇ。これが実現してみねぇ、世界に類のない”双子空港”の誕生よ。物見高ぇ観光客は”リニアにも乗れる”ってんで、日本に殺到するだろうよ。そうなりゃ、ハイテク国家、日本の良い宣伝にならぁな。
赤字になるのが見え見えの空港を作り続け、気が付きゃ国内に98も出来た。車がロクに走ってねぇ高速道路もある。こんな事に使う金があったら、何故、”成田、羽田をリニアで繋ぐハブ空港化”をさっさと実現させなかったんだよう!これまでの政治にゃ、日本をどんな国にしたいのか、全く青写真が無ぇ。政権交代が実現した今こそ、各省庁にゃ分かり易い未来像を示して貰い、国民が納得できる予算編成をして貰おうじゃねぇかーー

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2009年10月10日

トリプルファイター:たたかえ!オレンジファイター(写真をクリック⇒拡大)

テロル・ホンブ.jpgユリ・オンナ.jpg今回の怪人、テロルは突然、姿を現したり、消えたりする上に、予備の心臓を持ち歩き、トリプルファイターを倒すため、ユリ(オレンジファイター)だけを狙って攻撃を仕掛けてきた。デビラ達はユリの行動を徹底的に監視。ユリが私服で出掛けたところを尾行するが、同じような服を着ていたマヤをユリと思いこみ、テロルに命を狙われることになる。
このエピソードはこれ迄のアクション路線と違って、ユリとマヤの若い女性間に芽生えた”友情と別れ”を描いたドラマだった。ロケ地は伊豆の”城が崎”。岩場、つり橋、灯台、波の美しいバックが作品を盛り上げる格好の舞台となった。一話目(月)には全く”立ち回り”がなく、ユリと間違われたマヤ。マヤを追うデビラ。これを追うユリと勇二。”さてどうなるでしょう?”と言う終わり方で二話目(火)に繋いだ。この回から、ロケ地は伊豆高原周辺になる。勇二と合流したユリはマヤを追うデーモンカーをSATカーで攻撃。デビラ共は退散してホットするが、銃を持ったテロルはマヤをユリと思い込み、待ち伏せしていた。
タ・オンナ.jpgユリ・オンナ3.jpgテロルとデビラに捕まったマヤは処刑されそうになるが、これを見ていたあつしが本部に連絡。勇二とユリが駆けつけ、二人は激しい”立ち回り”の末、マヤを助け出した。勇二があつしを送っている間に、マヤとユリの会話が弾み、すっかり意気投合した二人は友達になることを約束する。
そこに姿を隠していたテロルとデビラが現れ、マヤをかばいながら、ユリはデビラと闘い、追い払うが、自分と一緒に居たらマヤが危ないと、マヤと分かれた。一部始終を見ていたテロルは今度こそ、本物のユリを銃で狙った。危険を知らせようと、マヤが叫び声を上げると、テロルはマヤに向けて銃撃して来た。肩を撃たれて倒れ込むマヤ。三日目(水)を終わって、まだ誰もファイターに変身していない。果たして明日はーー
タ・オレンジ.jpgユリはマヤを助け様と駆けつけるが、テロルが待ち構えていた。ユリはオレンジファイターに変身。SATカーで応援に来た勇二と合流。テロルを追い払い、マヤを病院へ運んだ。ユリは自分を倒すために、マヤの命まで狙うテロルの卑劣さに怒り。きっと自分の力でテロルを倒して見せると誓った。あくまでユリに的を絞ったテロルは、入院中のマヤの命と引き換えに、ユリを”吊り橋”に呼びだした。命懸けの決闘を控えたユリはマヤを一目見ようと病院を訪れ、もう、かなり回復したのを見届けるとテロルの待つ吊り橋へ。一方、ブルコンから緊急事態を知らされた哲夫と勇二もユリを助けに出動した。
タ・トリ.jpgユリ・オンナ4.jpg吊り橋の上を走りながら変身する哲夫と勇二。戦闘中のオレンジファイターと合流するや、トリプルファイターに変身してテロルを倒した。そしてエピローグも入院中のマヤを見舞ったユリが、次の戦いに向かう決意を胸に”別れ”を告げて終る。このエピソードはドラマ主体で、その分、ファイター達のアクションも極端に少なかった。レッドファイターとグリーンファイターの出番は最終回。それも短い”立ち回り”の後、トリプルファイターに変身。テロルとの決戦も、あっけ無く終わる。その分、ユリとマヤの芝居が多かったのだが、これは”毎日がアクション”と言う企画から、少しはずれた冒険作だった。そして、もし、この作品が”良い”となれば、アクションだけと思われていたトリプルファイターに”ドラマ路線”を持ち込む事が出来る。ーーー

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タ・スイゾク.jpg安藤達己的回想:このエピソードは”伊豆シャボテン公園”とのタイアップで、スタッフが泊まったのは”城ケ崎”に近い東拓(現在の海洋公園)だった。円谷プロとは”ウルトラマン”の頃から、親交があったらしく撮影には随分協力的だった。デーモンカーのバックにある地球儀の様な建物は水族館で、東京方面から、ここを右折すれば”伊豆シャボテン公園”まで、ほんの10分。格好の目印になっていた。地球儀の横は”ソテツガーデン、ランド”と名付けられ、オリエンテーリングが楽しめる様な広場とドライブインレストランが建設中だった。ここはデビラの訓練場所として使ったが、これ等の施設は全て”シャボテン公園”の経営。今はどうなっているのだろう?
タ・ツリバシ.jpg吊り橋と灯台は当時のままで、切り立った崖に砕ける波は、今も変わらない。この付近の海岸は岩場ばかりで、画像としては綺麗だが、”立ち回り”を演ずる俳優さんは大変だったろう。そうそう、今回の主役だった”マヤ役”勿論、新人だったが、撮っていて楽しい雰囲気のある女優さんだった。
バイクには哲夫が乗る事になった。免許の無い勇二では、バイクを格好良く乗り回す、なんてとても出来ない(失笑)。今回も、勇二が運転するSATカーがデーモンカーを追う場面で、車が縁石を擦った。ア~ァ
撮影前のロケハンの時、海を見下ろす高台に小屋があった。人は住んでいない様子なので、案内を頼んだ地元の人に聞いてみると、”イルカ”の監視小屋で、長老がここに陣取って漁船群の指揮を取り、イルカを港に追い込んで一網打尽にしたそうな。当時、伊豆のイルカ漁は有名だったが、国際批判が激しくなった今も、続いているのだろうか?ーーー

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2009年10月04日

ダヴァオ紀行:その48 フィリッピン・フライト事情(写真をクリック⇒拡大)

マニラソトー2.jpg成田からダヴァオへ行くには、殆どの場合、マニラ経由となる。例外的にセブ経由もあるが、私には経験が無い。成田→マニラは、今、話題の日本航空(JAL)・フィリッピンエアーライン(PR)・ノースウエストの3社が毎日、1便ずつ飛ばしている。マニラで、その日のうちに、国内線に乗り継ぐ客は、9:30am 成田発のJALかPRを利用する。ノースウエストの運賃は一番安いが、午後のフライトになるから、乗り継ぎが難しい。私は、チケットが取れるかぎり、PRを利用する。勿論、マイルサービス(Mabuhay Miles)に登録していることもあるが、PR以外を使うと、マニラで国内線に乗り継ぐのが厄介だ。一度、国際空港ビルを出て、バスかワゴン車で、行く先によって違う国内線ターミナルビルに向かう。英語やタガログ語に自信のある人でさえ、料金交渉と道路の渋滞に”うんざり”させられる。
マニラチュウキー1.jpg国際線、国内線共にPRを使うと、同じビルの中を一階から二階へ移動するだけで乗り継ぎが出来る。運賃は、新規参入してきたセブパシフィックやエアーフィリッピンの方が安いらしいが、私の様に年、1・2回しか出掛けない外国人には、5・6千円の差額より、”わずらわしさ”から開放される方が有り難い。
マニラから地方空港へのフライトは、時間表どうり到着することは滅多にない。私がダヴァオへ行く様になって20年。30回以上往復した事になるが、ほぼ定刻に飛んだのは今年の5月が始めてだった。以前ほど、ひどい遅れは無くなったにしろ、出発ゲートに記されたフライト時刻がアナウンスも無しに変わっている。30分や1時間ならまだしも、4時間と言うのもあった。でも、乗客は文句も言わずに待っているだけ。カウンターで本当の(?)出発時間を確認しているのは、2・3人の外国人だけ、フィリッピンでは定刻どおりに飛ばないのは当たり前になっているらしい。だから、旅行者はその日の内に目的地に着けば、それで”よし!”と思った方が”いらいら”しない。うっかり友人と目的地の空港で待ち合わせをしようものなら、しゅっちゅう到着時間の変更を連絡しなければならない(本当だよ)。宿泊するホテルが決まっていたら、到着便のフライトナンバーを知らせておいて、シャトルバス(コーテシイカー)に空港で拾って貰うのが最善策だ!ホテル到着後の予定を、前もって入れる等はもってのほかだ!
フリーオモテ.jpgここ数年、機内持ち込みの規制が厳しくなった。液体は100cc 以下。ハミガキ粉、化粧品も透き通ったビニール袋に入れておかないと、手荷物検査で没収される。2年前、帰りのマニラ空港でタイガーバーム、正露丸、ハミガキ粉に至るまで没収された!小袋にバラバラに入れて置いた、私が悪いと言えば、それまでだがーーそんな訳で、飛行機の乗り継ぎがあるから、大好きなスコッチを成田で買うことが出来なくなった。幸いダヴァオ空港の中と外にデユーティーフリーショップが出来たので、そこで買うのだが、閉店時間が午後7時半。到着時間が遅れれば、スコッチは次ぎの日まで”おあずけ”。フィリッピン産ラム酒のポケット瓶(180ccで100円位、でもそれなりの味ですよ)で我慢するしかしょうがない。街でスコッチを買えないのか?って、買えますよ、イミテーションで良ければね(笑い)。
ダヴァオ・デパーチャアー.jpg心を残して(?)いよいよ帰国。これもホテルのシャトルバスでダヴァオ空港まで送ってもらう。万が一、途中、事故で道が塞がれていても、流石はプロの運転手、こんな脇道があったのか思う様な細~い通路を巧みに抜けて、時間通りに空港へ。手前の軍隊によるチェックポイントも、ホテルの車だから簡単に通してくれる。ダヴァオ→マニラは国際線への乗り継ぎ客がいるから、第一便が午前8時頃のフライトになる。これが信じられないほど、正確に飛ぶ。たった一度だけ、途中にある台風のせいで大幅に遅れ、成田に帰れない事があったが、飛行機には付き物の出来事。これは仕方がない。つまりハブ空港へ向かうフライトは国際線に乗り継ぐ人が多いから、時間通りに飛ばないと航空会社の国際的信用が落ちる。何故、地方へのフライトがそんなにいいかげんなんだろう?そこは賢明な皆さんが想像する通りだと思うよ!乗り継ぎがない空港へのフライトは遅れても、慣れっこになっている乗客から文句も出ないし、キャンセルも出ないものね。
PRの別名はPAL(Philippinne Air Lines)だが、旅なれた人は:Plane Always Late.の頭文字をとったんだと言っている(笑)。

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安藤達己的考察・フィリッピンの日本人観光客:朝、7時30分。ダヴァオ空港へ着くと、チェックインカウンターが騒がしい。8時15分のフライトなのに電光掲示板は14:00?職員に聞いてみると、セブ島付近を台風が通過中だと言う。脇のカウンターでは日本人客が数名、”今日中に成田に着きたいから他の便でマニラに行けないか”交渉中だった。理由が天候のせいなら、どこの航空会社だって、飛行機を飛ばさない筈なのに。
ケイタイ.jpgこんな時に役立つのが携帯電話だ。早々とメールで我が家に連絡。少々高いが、日本の友人にも国際電話(1分・175円)をかけて事情を説明。後は、出来るだけ早くマニラに行けるのを待つだけだ。チェックインカウンターの横では、例の日本人グループがまだ交渉中だった。私は、街に戻っても別にやりたい事もナシ、空港内で本を読んだりテレビを見たり。昼になれば、PRが用意してくれた昼食を食べ、ひたすら出発を待つ。結局、飛行機が飛んだのは16:30分。マニラに着くとPR職員がチケットとパスポートを集め、明日の便に変えてくると言う。国際線に乗り継ぐ客は成田に行く日本人が8人。中近東へ向かうアラブ人が一人。アラブ人はその日の内にフライトがあるらしく、空港職員と出発ゲートへ向かった。残ったのは、ダヴァオでしつこく交渉していた6人のグループと私、それに奥さんの親の葬儀に出席してきたと言うT氏。計8人の日本人だけとなった。
タンチケン.jpgグループのリーダーらしき男は、明日、PRより早く午前中に飛ぶノースウエストに変えて貰うと言って事務所に向かった。私は残った5人に声を掛けたが、まともな返事が返ってこない。こんな事態になっているのだから、日本人同士、助け合えば良いのにと思ったが、相手が口をききたくないならしょうがない。一人旅のT氏は心細いらしく、”明日、成田行きの飛行機に乗るまで一緒にいても良いですか?”と聞いてきた。こっちは一向に構わない。ホテルも二人部屋だろうし、私も好都合だ。
1時間も待たされただろうか、PR職員が、パスポートと変更済みのチケットを配り始めた。なんとT氏はウエイテングリスト、とのことだ!T氏は明日帰れなくなるんじゃないか、と心配するから、職員に確かめると”一番目になっているから、絶対大丈夫だ”との返事。例のグループは、おぼつかない英語で、まだフライトの変更を強要していた。職員はこの中にもウエイテングリストになる人が出るほど満席だから、ノースウエストへの変更は無理だと思うが明日の朝、やっては見るとの返事。だが、このグループ、職員の説明(英語)が理解出来ない。困り果てた職員が私を呼び、”説明して欲しい”と頼むから”変更は無理だよ!”とはっきり言ってやった。
ホ・マニラワン.jpg午後8時過ぎ、やっとホテルに落ち着いた。入り口で、シェパードに手荷物まで嗅ぎまわられたのにはビックリしたが、これもセキュリティのためなら仕方が無い。翌朝、レセプショニストにPRが迎えに来る時間を聞くと、”食事をしている間に問い合わせてみる”と、笑顔で答えた。レストランでは感じの好いウエイトレスが”卵料理はタダだけど、どうしまか?”と聞くから目玉焼きを頼み、朝食を終えた。迎えのバスは11時との返事だ。それなら時間はたっぷりあるから、窓外に見えたマニラ湾周辺を、ゆっくり散歩。T氏も同じ飛行機に乗って一日遅れで、無事成田に到着。そうそう例の6人、バスで迎えに来たPR職員の案内で空港に入り、ここから先はそれぞれ手続きして下さい、と言われるまで、私の後をぴったり付いてきた。
自分勝手で協調性のない日本人が増えましたなぁ。

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