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2009年09月27日

秋の七草:殿ケ谷戸庭園(写真をクリック⇒拡大)

国分寺駅.jpg吹く風もめっきり秋らしくなってきた。そう言やぁ、今年の夏は短かったなぁ。梅雨だって、明けたのか、明けなかったのか、はっきりしねぇ。暦を見りゃ、九月も下旬。”秋の七草”なぁ~んて、風流な言葉に誘われてやって来たのが国分寺よ。南口を出ると、立派な銅像が目に入ぇった。流石は中央線、駅前の風景が垢抜けてらぁ。
殿ケ谷戸庭園っちゃ、聞くまでもねぇ。左手の坂を下って2分も歩きゃ、右手にこんもりとした森が広がる。庭園に足を踏み入れるってぇと、痛ぇほどの緑が目に飛び込んで来る。枝ぶりの良い松もあったぁな。芝生の向こうは崖下のような風情で石段の下に池が見えてらいっ。先ずは目的の”七草”を見ようと、展示場へ向う。
女郎花.jpg撫子.jpg黄色いのがオミナエシで、ピンクで可愛いのがナデシコよ。だが、いかにしても花が小さくて目立たねぇ。そりゃそうだ、秋の七草の由来は万葉集まで遡るんだとよ。当時、和歌を”一ひねり”なぁ~て言うご仁は、わびだのさびだのにこだわる暇な貴族か、坊さんだったに違いねぇ。ひっそりと咲く野の花を愛でて、はかない人生を思い遣ったりしてたんだろうよ。春の七草が、冬場の野菜を補って実用的なのに比べりゃ、秋の七草は風流人だけが喜びそうな選択よなぁ。
桔梗.jpg雑草から顔を出してるのが薄紫のキキョウだぁな。これだって、背が低くって、手入れを、しねぇと草に隠れちまうわ。今時の花屋にあるのぁ大振りで存在感もあるし、トルコキキョウなぁんて外来種もある。ここに咲いてる花は、純国産(?)で当時を偲ばせてるんだろうよ。それにしても地味だなぁ!展示場が狭いせいで、どの花も群生ってぇわけにゃいかねぇ。
萩.jpgハギを這わせたトンネルもあったが、時期が早過ぎるのか、遅ぇのか、中途半端な花具合だったなぁ。そこで、こんもりと咲いていたハギを撮ったが、草花なのか、木に咲く花なのか、不粋なあっしにゃ見当が付かねぇ。外に花は無ぇか見渡して見るが、どうやらこれだけらしい。そこでポケットから”虎の巻”を取り出し、七草を確認して見た。フジバカマとクズそれにススキがここにゃ無ぇ。反対側からやってきた夫婦に聞いて見たが、”下の方にススキはあるが、あとの二つは分らない”ってぇこった。兎に角、自分の目で確かめるしかないやね。苔むしたシシオドシを通り過ぎ、谷(?)に向かって石段を降りて行く。途中に”ハケ”と呼ばれる、地下水が湧き出してる場所があった。水道の無ぇ時代、武蔵野台地に位置するここら辺りは、川からも遠い。この水は貴重だったんだろうよ。ちょいと口に含んで見たが、冷たくて、美味しかった。
芒.jpgコイの泳ぐ池を過ぎ、登りに差し掛かるってぇと、左手にゃ竹林。右手にゃススキがあった。おぉ~、これこそが、派手さはねぇが、昔ながらのススキだぁな!子供の頃、”月見ダンゴ”の前にゃ、必ず活けてあった。だがよ、近頃、見掛けるヤツは穂の部分がやけに大きくて、まるで綿のように見えらぁ。背丈だって、あっしより、はるかに高ぇ。きっと外国から入ぇって来た種類なんだろうよ。残るは、クズとフジバカマ。坂道を登りながら探すが、それらしき花は見当たらねぇ。落ち着いた、あずま屋の前を通り過ぎると、向こうに入り口が見えて来たい。この二種類は諦めるしかねぇっかーー写真を撮りながら、庭内を一周しても一時間はかからねぇ。運動不足のあっしにゃ、丁度良い散歩ってぇ、ところだったなぁ。そうそう、”秋の七草”、あっしはカタカナで書いたが、難しい漢字で書くのが本当なんだとよ!蛇足かも知れねぇが順番に漢字で書くと、女郎花・撫子・桔梗・萩・芒・葛・藤袴・以上ってぇこった。

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安藤達己的毒舌:ヤンバダム.jpgいよいよ鳩山政権の船出よ。総理は国連に出席。世界に先駆けて颯爽と温室効果ガス、25%削減を約束したぁな。国内では母子家庭加算を年内に復活させるは、来年度からの高校授業料無料化を約束するはでーー案の定、内閣支持率は75%を越える人気ぶり。と、ここまでは申し分がねぇ。だが、マニフェストで約束した”八ツ場ダム”建設中止を宣言するや、現地から凄まじい抗議が殺到したい!そりゃ、そうだ。この工事が始まって50年以上ってぇから、住民にとっちゃ三世代の確執があった上で事業が中止されることになる。
だが、待ってくんねぇ。このダムを計画した政党も行政も「治水・利水」の必要性を強調するがよ。そんなに重要な工事だったら、さっさと完成させりゃ良かったじゃねぇか。この50数年、未だに完成しねぇダムが”無いから困った。”と言う話を聞いたことがねぇ。ってぇことぁ、医療、福祉を後回しにしてでも優先する公共工事じゃなかったって、こった。この事業に使われた税金が3000億円以上。あ~ぁ。
ダムのために移転した住民や人生設計を狂わした住民への保証は、政権が変わってもキチッとしなけりゃ、なんねぇが、あの作りかけの設備をそのまま、”政・官・業”癒着で、国民の生活を無視して出来た記念碑にして、観光資源にしちゃどうだろう?物見高い国民のこった、案外”八ッ場”ブームが起こって、名所になるかも知れねぇよ。
国交省の大臣にゃ気の毒だが、まだ川辺川ダムの問題も、日本航空再建問題も残ってらぁな。特に日航の問題は、強すぎる労働組合、高過ぎる年金支給、採算の取れねぇ空港を作りまくった政・官・業の馴れ合い、そんな空港に定期便を就航させた日航のズブズブ関係が背後にある。一番簡単な解決方法は、日航を破産させて、新会社に引き継がせることだろうが、それが出来ねぇ再建となりゃ、こいつぁ容易じゃねぇ。このために使われる税金は、今年度だけで推計1000億円以上。来年度を含めりゃ、4000億円とか。あ~ぁ。
新閣僚の皆さん:無責任に言わしてもらうが、友愛の心を忘れずに”業者のため。じゃ無かった、国民のために頑張ってちょうだい!”

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2009年09月19日

えっ!安藤達己主演・台湾映画だって?(写真をクリック⇒拡大)

時は1966年、湯浅浪男監督のチーフ助監督として、松竹映画”やさぐれシリーズ”を撮っている頃だった。日台合作映画”母ありて命ある日”の話が持ち上がり、パスポートを申請しろ!と言って来た。パスポートは現在のように10年間か5年間の期間で選ぶのではなく、一回か複数回で外務省に当人が直接申請する方式だった。早速、台湾観光ビザを取得、有効期限は3ケ月。滅多に乗る機会が無いジェット機727(セブントウセブン)に乗り込み、台北空港に降り立つと、空港には報道陣と共に台湾側のプロデューサーが迎えに来ていて、そのまま台北市内の一流飯店(ホテル)に落ち着いた。
霧夜2.jpg台湾式歓迎会はすさまじい!向こうでは”すきやき”と称していたが、日本の”しゃぶしゃぶ”みたいな鍋料理で宴会は始まった。日本側は俳優さんを含めて6人。台湾側関係者は40~50人。”うたげ”が始まって30分もすると、台湾側の幹部らしき人がシングルグラスと紹興酒を持ち、日本側スタッフの席に来て”乾杯(カンペイ)”を要求する。”カンペイ"とは一気飲みのことだった!”そんな事を露知らない、うぶな私は、うかつにも”カンペイ”なる儀式を受けてしまった。それを見ていた台湾側スタッフが雪崩をうって”カンペイ”を求めて私の席に押し寄せて来る。断れば、”何で、あいつとカンペイ出来て、おれと出来ないのだ!”と引き下がらない。その結果、翌日はひどい二日酔いで、吐き気と頭痛に見舞われながら、ひたすら後悔するのだった(笑)。
台湾側スタッフとの顔合わせが終われば、すぐに撮影が始まる。日本人が映画を撮りに来るなんて、珍しい時代だったから、新聞は連日のように報道する。従って、物見高い少女たちは、毎日ホテルの前にたむろして撮影スタッフが帰って来るのを待ち受けていた。その数、ざっと200人前後。こんな日々が一週間も続いた、だろうかーーそんな或る日、理由はハッキリしなかったが日本で撮影したフイルム(10分程度)が税関を通らないことが判明。結局、合作映画”母ありて命ある日”はアッケなく制作中止となった。惨めだったのは私達日本側スタッフだ。ホテルは場末の三流どころに移され、当然、ギャラが入って来ないから一文無し。日本にも帰れない。途方に暮れている最中に、
ツザキ.jpg台湾側プロデューサーが”安藤達己”が主演するなら、映画を一本作っても良い、と意外な提案をしてきた。理由を聞いて、これ又びっくり!ホテル前で”きゃー、きぁー”騒いでいた少女達の目的は安藤達己だったと言うのだ。湯浅監督は渡りに船と、この話に飛びつき”アンちゃん頼むよ!”と笑っているが、私はとても乗り気になれない。しかし、場合が場合だからNOなんて言える筈もなく。監督は早速、日本題名”夜霧の停車場”、台湾タイトル『霧夜的車站』の脚本に取りかかった。勿論、私も当然のように手伝い、3・4日で脚本を仕上げると、通訳とスクリプター(男性でチーフ助監督)がプロデューサーと共にやって来て、ドンドン台湾語に訳していく。こちらでは台本を印刷しない。現場でスクリプターがセリフを俳優さんに渡す。
英々.jpgプロデューサーはさっさと台湾側の配役を決め始めた。私の妹役、東條民江の恋人に売り出し中だった”高鳴”。私の母親は名女優”英英”。脚本が仕上がれば、大切な”金づる”だから、すぐにクランクイン。現場は北投で日本の箱根のようなリゾート地だ。スタッフ、俳優は全員、クランクインからクランクアップまで同じホテルに泊まっているのでスケジュールを組むのは楽だが、時間にルーズで大道具、小道具が揃わず、撮影が大幅に遅れるのは当たり前。でも誰も怒らない。”台湾時間だ!”と笑っている。
私は助監督兼主役。準備に追われ、出番が来ればカメラの前に立つ、相手役は台湾語で話し、私は日本語で受け答えをする。なんともはや、奇妙な現場だ。セリフのきっかけを掴むのがやっとで"良い芝居”をするどころの騒ぎじゃない!と言っても、もともと俳優じゃないから”良い芝居”なんて出来っこないか(苦笑)ーー挙句に、監督は日本語の通じる(?)私に、”アンちゃん、こう動いた所でカットを切り換えるから”とか、勝手な注文を付けてくる。そんな事がありながら撮影も無事終わり、アテレコ、ダビングを経て、湯浅浪男・第一回台湾映画・『霧夜的車站』は完成した。
雑誌.jpg映画は台湾語版・北京語版が同時に華々しく封切られ、それなりに話題になった。主演俳優(?)の私は、映画の封切り後、どんな待遇を受けたかって?恥かしくって自分の口から言いづらいかなぁ!このあたりの話しは、今月発売された雑誌:「台湾映画」東洋思想研究所発行(電話・FAX 0744-28-0635)の”安藤達己監督インタビュー”(取材・日本大学講師 山崎 泉)で語られています。
 
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霧夜1.jpg安藤達己的想い出話:古いアルバムを引っ張り出して、やっと見付けたのが、このブログで使った写真。セピア色に変わっていた。当時の話を始めるには”昔々あるところに”と言う、まくら言葉が必要なほど時間が経ってしまった。昔々(?)まだ蒋介石総統が健在だった台湾では、総統が出掛けるとなると、自動小銃を持った軍隊が30メートル位の間隔で道路に配置され、厳重な警戒網が引かれていたんだとさ。
*当時、中国も台湾も一つの中国を主張。名目上は戦闘状態にあった。だが、実際は金門島でお互いに(台湾側と中国側)時間を決めて大砲を撃ち合っていただけで、犠牲者なんか間違っても出ない状態だったそうだ。実際に金門島で兵役に付いていたスタッフの話だから、間違いない。こんな不可思議な戦闘が行われていたのは、米国が台湾に共産主義封じ込めの最前線と言う意味合いで莫大な資金援助をしていたからだろう。
*映画の撮影中に、私物が全部、盗まれる被害にあった。困ったのはパスポートが無くなったことだ。これを再発行して貰うのに、まずは警察署に被害届を出し、10日位、警察が捜査(実際は何もしないそうだが)。紛失証明を貰って日本大使館に再発行を申請する。その間、約1ケ月、パスポートがないから、一人では何処にも行けない。
*台北で楽しいのは、屋台で食べる夕食だ。一人では言葉が分らないから台湾人スタッフと一緒に行くが、ずらり軒を連ねたお店を覗いては、好きな”つまみ”を4・5皿頼んで老酒を一杯。仕上げは麺で、これも種類が多い。スパイスも豊富で、私には台湾麺が一番美味しかった。確か2元(20円)だったと思う。
*”母ありて”の撮影が中止になり、ダンスホールで知り合った、日本語の上手い女性と出掛けた時のことだ。マーケットの前を通ると、ご存知のように”ブタのもも”や”アヒル”、”ニワトリ”の丸焼きが無造作に吊り下げられている。くだんの女性、ニワトリの足(モモ肉ではありませんぞ。指のあるところ)を見付けると、二本買った。”アンドウも食べるか?”と聞くが、勿論、遠慮した。”おいしいのに”と言うやいなや、指のあたりから、”むしゃむしゃ”と食べ始めた!?
*いよいよ日本に帰る事になり、有名なヒスイでも買いに行こうとしたら、親切なスタッフが一緒に来てくれた。”私が呼ぶまで、外に隠れてろ!”と言うから、その通りにして指輪を買ったが、当時の台湾では土産物には全て”アメリカ値段”・”日本値段”・”台湾値段”の3段階があったそうだ。この友達のお陰で、私はヒスイの指輪を”台湾値段”で買えたことになる。
面白いが他人に言えない話も沢山ある。それは別の機会に:と言うことにして、では、また来週!

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2009年09月13日

ダヴァオ紀行:その47 終の棲家(写真をクリック⇒拡大)

セブンシー.jpgフィリッピンからのタレントが、日本に入国出来なくなって久しい。それでも我が家の近くに”フィリッピンパブ”なる店が結構ある。ここで働いているフィリッピン女性は、かって程若くはない(苦笑)。ほとんどが30代で日本人と結婚しているか、結婚していた人達だ。正確な数字は分からないが、日本に住むフィリッピン妻の離婚率は50%を超えているのではないだろうか?そこでと言っては失礼だが、
ダヴァオを”終の棲家”と決めて、フィリッピン女性と結婚。ここに居を構えている日本男性の”本音”を聞きたいと、無理を承知で”ダヴァオ桜会”の特に高齢の方に”お会い”したい事をA氏に伝えると、KA氏とKO氏が快く応じてくれた。
カ・モン.jpgカ・オウセツ.jpg約束の朝・ホテルのレストランで待っていると、80歳を超えているKA氏が、マイカーを運転して迎えにきてくれた。15分程で氏の家に到着。と言うことはダヴァオの中心部に”住まい”があることになる。瀟洒な平屋で40坪の敷地に建坪が、やはり40坪位だろうか?2年前に買ったそうだが日本円で六百万円。土地は外国人が持てないから、奥さん名義なのだろう。
奥さんのフィリッピン女性とは19年前に日本で知り合い、KA氏にとっては3回目の結婚に踏み切った。すぐに、前妻との間に出来た氏の一人息子と相談の上、マニラに移住。数年後ダヴァオに居を移した。現、奥さんとの間に3人もの子宝に恵まれ、末っ子は10歳。氏が72歳の時の子供だ!奥さんの妊娠を知ったKA氏は自分が高齢であることから中絶を考え、夫婦の間で、かなりの軋轢があったようだが、奥さんは氏の話に一切、耳を貸さなかった。この件について率直に聞いてみると奥さんは”アボーションなんて飛んでもない。考えて見て!子供が欲しくても妊娠出来ない人がいるのにーー授かった子を産むのは当たり前でしょ。”と言い放った。ごもっとも、流石はクリスチャン。正論で御座います、ハイ(降参)。で、KA氏は今、どう思っているのか確めてみた。”アンドウさん。女房の頑固さに感謝してますよ。今は10歳になった末娘がもう、可愛くて、可愛くて”だそうです。二人の”結婚して本当に良かった。”と言う言葉を聞いたところで、”いとま乞い”をしてKO氏宅まで送って頂いた。
コ・オウセツ.jpgコ・ゲンラン.jpgこちらのお宅は小ざっぱりした二階建で、貸家だそうな。結婚してまだ5年しか経っていないとかで、そこはかとない新婚気分が漂っていた。駐車場の脇には1坪ほどの紗で囲われた棚があり、デンドロビュームとカトレアの鉢が並んでいる。KOさんの身内はもう誰も居ないそうだから、この奥さんと、その親戚が親族の全てだ。家賃が12,000ペソ(24,000円)で、お手伝いさんが2人。夫婦二人きりの生活だから贅沢な気もするが、お手伝いさん一人2,000ペソ位で雇えるとなれば、奥さんの身内への援助になっているのかも知れません。
こちらの二人も、今の生活に満足している様子で、50歳近い年齢の差がある若い奥さんはKOさんの”優しさ”と”思い遣り”に感謝していた。私はてっきりKOさんが、若い奥さんの家族に金銭的援助しているに違いないと思ったら、それは”一切無い”とのことだった。ちなみに1ケ月の生活費を聞いて見ると30,000ペソ(60,000円)で済むと言う。KOさん、毎日、散歩を欠かさず、少しでも長生きしたいと健康には気を付けている。こうして幸せそうな二人を見ていると円満な結婚生活に国籍なんて関係ないことが良くわかる。勿論、ダヴァオで生活している日本人男性全てが、この二家族のように幸せではない。最近では行き場の無い、年老いた日本人男性が、遺体の引き取り手もなく地元の教会で永眠する例さえあると聞く。故郷を離れて、愛する者同士が暮らすのであれば、是非、幸せな余生を送って欲しいものですね。
80歳代になって若い奥さんに愛され、不満の無い生活しているKA・KO氏。今の生活が何時までも続きますようにと祈って、帰途に着いた。

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ダヴァオで聞いた恐~い話:ダヴァオから北に200キロ程行くとコトバト州がある。どの辺で金が出るのか分からないが、10年前に会ったオーストラリア人は、故郷で出資者を集め、コトバトで、本格的な金の採掘を始めた。その秘書に聞いてみると、この事業は成功し、金鉱からは毎日1キロの精製された金が採れていると言う事だった。
私の友人はご他聞にもれず兄弟が多い、その弟が”よろず屋”を営んでいる叔母さんを頼ってコトバトに行く事になったと言う。その叔母さんが16歳の弟を迎えに来ているが、私と一緒にホテルに行っても良いかと電話してきた。こちらは一向にかまわない。程なく二人が現れた。叔母さんは30台半ばの、なかなか美人さんだ。ところで、弟がコトバトに行くと、ダヴァオと違って仕事が有るのか聞いてみた。何と!山の中で金塊を探すのだと言う。
”へぇ~、金て、そんなに簡単に見付かるの?””簡単じゃないけど、金塊を掘り当てて、大金持になった話は沢山有るよ”と答えた。私はただ、ふぅ~んと眉毛を擦るしかないが(笑)ーーただ、そこは夜、出歩くと危ないんだと云う。叔母さんがダヴァオに来る数日前にも殺人事件があったそうだ。私があっけに取られていると、割り当てられた掘る場所に人の血を染み込ませると金が育って大きくなるから(?)、その付近では殺人事件が良く起こるのだと、真顔で話す。”馬鹿な!”と思わず笑うと、”大きな金塊を掘り当てた人は皆、人間の血で金を育てたんだ!”と、平然と言ってのけた。どうやら二人はこんな話を信じているらしい。ことの真偽はとも角、金塊探しの山中で、殺人事件が多発するのは本当らしい。薄気味悪くなった私は、話題を変えてから、二人を夕食に誘った。
その後、この弟が”大金持ち”なった話は聞かない。今はどうしているのだろう?
これ本当に聞いた話だよ!私の友人も、その叔母さんも決してオカルト趣味の人じゃなく常識ある(?)フィリッピン人だからね!

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2009年09月05日

トリプルファイター:トリプルファイター脱出せよ(写真をクリック⇒拡大)

ダ・SAF.jpgこのエピソードが2話目になるが、1話目と同時にクランクインするから、実質的には、1話目を撮っている感覚だ。SAT本部になっている早瀬家の洋館入り口も、このエピソードの冒頭に入れた。悪役で”からむ”怪人やデビラは殺陣師(宇仁・高倉)のグループだがら、事前にリハーサルを終え、撮影する時には自分達の動きが分かっている。しかし、”からまれる”俳優さんの方は、現場で動きを渡されるから大変だ。レギュラー俳優さんは、アクションに馴れていない上に、全編アクションで彩られた番組の経験も無い。早瀬三兄弟の性格設定では、長男の哲夫は頭脳明晰。次男の勇二は力自慢の体育会系。ユリは心優しいお姉さん。だったから、1話では勇二のアクションが中心の作品になった。
ダ・ゼンイン.jpgとは言うものの、それぞれが変身してグリーン、レッド、オレンジファイターとして戦うわけだから、哲夫もユリもデーモン怪人やデビラとの”立ち回り”が多い。このエピソードでは、河原でバレーボールを楽しんでいた早瀬三兄弟にデビラカーを連ねてデビラが襲って来た。3人3様のアクションで追い払うが、デーモンが繰り出して来た今回の怪人ゲランは、不思議なガスを使ってファイター達を一人ずつ異次元空間へ追い込み、ここで息の根を止めようと、まずは勇二がデビラと戦っている所に、忽然と空中から現れ、勇二がレッドファイターに変身するやピストルとガスを使って、不思議な空間へ追いやった。
ダ・ゲラ3.jpgダダ・ユリ.jpg行方不明になった、勇二を探して出動した哲夫だったが、突然現れたデビラ軍団に襲われグリーンファイターに変身した途端、ゲランのガス攻撃によってレッドファイターが閉じ込められている空間に落とされて行く。デビラ達はさらに”あつし”を誘拐、柱に縛り付けてユリを誘い出し、激しいアクションの末、”あつし”を救出したが、またまたゲランが出現、オレンジファイターに変身したところでガス攻撃に合った。出口を探して空間を走り回るレッド、グリーンファイター。そこに倒れ込んでくるオレンジファイター。3人は巡り会えたが、ゲランが現れ、ファイター達を思いのままに”いたぶる”。この空間では、ゲランの方が圧倒的に強いのだ。
ダ・イジゼン.jpgダ・トリ.jpg霧に包まれた不思議な空間で、ファイター達は、互いに助け合いながらゲランに立ち向かうが、全く勝ち目が無い。やっとの思いで三人が円陣を組むとトリプルファイターに変身。すると異次元空間は消え去り、ゲランとトリプルファイターの戦いは河原で始まっていた。空中を飛ぶ二人。体当たりで倒れ込み、組み合ったまま転げ回る二人。パンチを撃ち合った末、空中に飛び上ったトリプルファイターは必殺のキックを繰り出すと、さすがのゲランも、のたうちながら爆発して戦いは終った。

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安藤達己的撮影秘話:ダ・デモンカー・シュツドウ.jpg第一話目はビルの階段や屋上を使った”立ち回り”もあったが、今回は”ひとけの無い”河原(多摩川)や山林が多かった。スタッフが撮影中にどこで見付けたのか、野ウサギの子供を数匹捕まえて来たのには驚いた!こうした山林も今は、立派な住宅地になっていることだろう。哲夫のアクションも結構あるが、思ったより体が硬く、なかなか”様に”ならない(失笑)。勇二はバイクを乗り回す設定なのに、何と!免許証が無く、バイクを走らせるのがやっと(失笑)。吹き替えで哲夫に乗って貰ったが(?)、今後が心配だ。紅一点のユリも馴れない”立ち回り”に苦労していたが、”からむ”方は、もっと大変だったろう(笑い)。
デビラカーは、プロデューサーが、ほぼポンコツ(笑い)に近いスバル360ccを10台(本当にポンコツになったり?修理中だったりで、画面に現れたのは最大で5台だった)集めて来た。ウンカの如く出現するデビラ軍団には10台では少な過ぎる。そこで使ったのが、珍しい”作画合成”でマンガチックな絵だったが、これはこれで可愛いかった。デーモン怪人は予算の都合で、頭の部分だけ変えて、違った怪人として出て来ると言う、苦肉の策。一回の放送が七分弱の番組をどう展開して行けば良いのか?1・2話が仕上がったところで、プロデューサーを始め、シナリオライターと監督に出された課題は多かった。

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