怪奇大作戦:トークショウ(写真をクリック⇒拡大)
客席の電気は消され、壇上にだけ照明が当てられていた。暗い通路を進み、用意されていた椅子に飯島監督と共に座る。まずは劇場主から、”今日、予定されていた藤川桂介氏の都合がつかず、安藤達己氏が急遽代役で出席したイキサツが説明され。”薄暗い客席を見渡すと、怪奇大作戦ファンが30数人、私たちに熱い視線を送っている。早速、”ゆきおんな”について、決定稿と出来上がった作品が違うことについての質問があった。テレビ映画では、当たり前のことで、私が助監督のスタートを切った銀座プロの山村聰監督の場合は、撮影するシーンのセリフが殆ど直されていて、毎朝、それを俳優さんに伝えるのがスクリプターと助監督の決まり事なっていた。それに比べれば、飯島作品にしろ私の作品にしろ、まだ、変更が少ない方なのだが、ファンの皆さんは、撮影が脚本どおりに進むと考えているらしい。この質問に対し飯島氏は、俳優さんの性格設定や脚本家がロケ現場を見てない事を説明し、監督との信頼関係で作品を良くする為のシナイりオ変更は珍しくないことを話した。
続いて”壁ぬけ男”がコンクリートの中に消えていくトリックについて質問が来た。監督以下、特撮監督も知恵をしぼり、スタッフも徹夜で作業を進め、灰色に染めたオガクズのプールに俳優さんが徐々に沈んで(コンクリートの中に消える)、その後、合成処理を経てあの映像が出来たのだが、ラッシュフィルムで上手くいったのを確認、スタッフが興奮していた姿を今も思い出す。飯島氏は私が助監督でついていた時と同じように、この撮影状況を親切丁寧に解説していた。
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トークショウは佳境に入り”ゆきおんな”を撮影中、円谷プロの金庫が空っぽ(本当だった!)で、雪景色の中を車がスリップしながらホテルに来るシーンは予算をかけずに地方ロケを行うためのタイアップ・カットだった話。同じ頃、一人で京都に乗り込んだ実相寺監督が東京の監督では扱いずらい(?)現地のスタッフの信頼を得て、予算を使い放題(笑い)。そのアオリを飯島氏が受けたイキサツをユーモアと、今は無き実相寺氏への思いをからめて話した。そして”実相寺には、十分な予算で撮りたい作品を撮らせたかった。”と言うくだりでは、私も飯島氏の友情の深さと思いやりに、ホロリと来てしまいました。ファンの質問は更に続き、有名な第一話差し替えの真相では、飯島監督らしく”円谷英二氏が身内に辛かったからではないか”と話していたが、ここは当時円谷にいた私の意見をはっきり述べさせて頂いた。この判断は誰が下したにしろ、”壁ぬけ男”が第一話になったのは正しい判断だった。”人喰い蛾”と今日上映された”壁ぬけ男”を比べてみれば誰の目にもハッキリする筈だ。
怪奇大作戦シリーズで円谷プロの巨星二人・円谷一・金城哲夫・両氏が”吸血地獄”・”光る通り魔”を最後に映像界を去って行った。そして、円谷プロと何の縁もなかった私も、この歴史的な二作品で助監督を卒業することになった。こんな内輪話を飯島氏と一緒にファンの方々に披露していると、予定の2時間がアッという間に過ぎ、続いてサイン会になった。サインをしている間もファンの質問は止まらない。私のところに”あなたはだぁれ?”の台本を持ってサインを求めにきた人もいれば、スクリプターが使っていた”氷の死刑台”の台本を差し出した人もいた。私は自分で監督した作品の台本を一冊も持っていないが、ファンの人達はどうやって40年前の台本を手に入れたのだろう?その苦労を思うと、ファンの有難さをしみじみ感じさせてくれたトークショウでした。
劇場主・これを企画した人・集まってくれたファンの皆さん!ありがとうっ
安藤達己的楽屋話:東京は東の端から西の端”よみうりランド前駅”に2時間かけてやって来た。40年前”チビラくん”はここを現場に撮ったんだっけ。駅を出て町田方向に5分、右に曲がるとすぐにザ・ガリソムギャングのビルがあった。表でバッタリ劇場主と会い、隣の喫茶室でウーロン茶を飲んでいると、飯島監督が現れた。”しばらくでした”と言うにはしばらく過ぎる再開だったが、温和で重厚な人柄は昔のままだった。今は木下プロも辞めてフリーで活動しているとかーー本当にお元気そうで、何よりです。
話はすぐに40年前の”ウルトラセブン”・”怪奇大作戦”の話になったが、実相寺監督が他界して、もう三回忌になるそうだ。まだまだ映像界で活躍して欲しかった人なのにーー飯島監督も”怪奇大作戦”を撮っていた時、出演していた某俳優さんから劇場用映画の話を持ちかけられたそうだが、この俳優さんも映画を製作することなく他界したとか、40年の月日は長い。
そこへ劇場主が二人を迎えにやって来た。すぐ隣の小さな映画館に入ると舞台の両袖に飯島監督と私に生花が届いていた。何と!”怪奇大作戦”のDVDを販売しているデジタルウルトラプルジェクト(http://www.dupj.jp/)の社長からのものだった。21日・劇場主からFAXと電話で藤川桂介氏の代役を頼まれたが、私の作品が上映される訳でもなく、トークショウの翌23日の早朝、ダヴァオへ出発することになっていたので固辞したのだが、”安藤監督と言えば私共に取って伝説の監督ですから”なぁ~んて、お世辞を言われトークショウ出演を引き受けた。昔から言うじゃないですか”ブタも煽てりゃ木に登るって”ーーこの話を以前から面識のあるデジタルウルトラプロジェクトの方に電話で伝えところ、ザ・グリソムギャングに生花が届いていた、とこうゆうわけです。デジタルウルトラプロジェクトの心遣い:恐れ入りやの鬼子母神だぁー
コメント
安藤監督お久しぶりです。
飯島監督とは、40年振りくらいの再会ですか?
個人的な意見ですが、飯島監督は金城さんと並んで円谷モノ最大の功労者だと思います。
投稿者: オランダの薔薇 | 2008年12月06日 23:56
安藤監督、はじめまして。
市川大河さんのところからたどってまいりました。
私、このイベントで「吸血地獄」の脚本と実際の作品について質問したものです。
金城哲夫さんの脚本集に載っていたシナリオでは
東京や別府での出来事がもっと細かく書かれており、
時間の関係で削ったにしては
かなりギャップがあるなあと思っておりました。
それで安藤監督に質問したというわけです。
安藤監督のお話では脚本とのタッチの差はあまりないとのことでしたね。
でも後で調べてみたら、このお話では決定稿の後で
改訂稿と言うものが存在したことがわかりました。
私が読んだのは決定稿の方だったのかもしれません。
調査不足でいい加減な質問をしてしまい、すみませんでした。
でも、安藤助監督の高崎山のお話は面白かったです。
私が遠足で行った長瀞の宝登山でも、サルがちょっかいを出すので眼鏡を取るように言われ、友人が眼鏡を取っていました。
いろいろと貴重なお話、ありがとうございました。
投稿者: ひろくん | 2008年12月15日 23:11
昨日頂いた年賀状で、ブログのあるのを知り書き込みました。「たっちゃん」の顔をよーく見るとなるほど昔の面影があるなあと感じています。かなり私的な内容でごめんなさい。
投稿者: としちゃんです | 2009年01月06日 13:38