« 2008年11月 |メイン | 2009年01月 »

2008年12月28日

ダヴァオ紀行:その36 稲作地帯(写真をクリック⇒拡大)

マ・カラバオ1.jpgダヴァオに米作りをしている日本人がいる。今年の前半、原油価格が暴騰。地球温暖化を防ぐためにもと、米国を中心にバイオ燃料の増産に踏み切った。これに歩調を合わせて世界中の穀物が値を上げ、米を輸入に頼るフィリッピンでは主食の値上がりが庶民の生活を直撃した。こんな時期に稲作に励む日本人がいるならば、”是非、田んぼを見てみたい”と頼み込んでみると、快く承諾してくれたが、田んぼはダウンタウンから100キロも離れたマタナオにあると言う。私の方は、一向に構わない!早速、連れて行って貰う事になった。免許取り立ての奥さんが運転する4WDでホテルを出発、車は南に向かって走り始めた。1時間も走ると見覚えのあるサンミゲールビールの工場が見え、今年の5月に日本領事と訪問したサンタクルスを通過している。ここから更に1時間メインストリートを走ったあたりで車は右折、それと同時に舗装道路は終わりを告げた。
マ・カイモノ.jpgマ・サトウキビ.jpg金物屋の前で止まり、セメントと工具を積み込み、未舗装のゆるやかな上り坂を進むと、道幅は狭まり、デコボコもひどくなってきた。奥さんは免許取立てとは思えないほどの落ち着きで、巧みにギアーを変え、アクセルを操作しながら悪路をゆっくりと進んで行く。今度は、これにアップダウンが加わった!ぬかるんだ道路にはサッカーボール大の石が不規則に敷いてあり、車は石の上をスリップしながらあえいでいる。まるでサファリのようだ。やっと平地にたどり着くとサトウキビ畑が広がり、今が収穫の真っ最中。その先には、田植えを終えたばかりの水田が延々と続いていた。ここは熱帯地方だから、いつ田植えをしても4ケ月で収穫出来るそうだが、田に水を引く都合で近所の農家は一斉に田植えをする。
マ・タウエ.jpg農道の脇で車を止めると長靴に履き替えてアゼ道を進む。近くの田んぼではどちらを向いても、腰をかがめて一家総出の田植え風景。機械を使わず、水牛が耕し人が苗を植える。日本では見られなくなった懐かしい光景が眼前に広がっている。ツタの様に伸びた雑草に足を取られながら300メートルも行くと、この一家が所有する3ヘクタール(約3町歩)の田んぼがあった。田植えから一週間経っているそうだが、まだ稲の力強さは感じられない。アゼのところどころには土が盛られ若いマンゴーの木が植わっている。これも近い将来、果実が実れば立派な換金植物だ!日本でも一昔前までは、アゼにタノクロ豆(大豆の一種)が植わっていて手前ミソ(?)の原料になっていた。どこの国でも農地を無駄にしない工夫は共通している。田んぼの広さといい、二期作の米作りといい、ここの主、てっきり日本で農業を営んでいたのかと思っていたら、定年まで公務員だったと言うからこれも驚きだった!”今は米の収穫が楽しみでしょうがない”とかーー自分の住まいから3時間も離れているのに、月に3回も通ってくると言うから恐れ入る。思い切って収益を聞いてみると3ヘクタールの二期作で、田の管理を13人家族(子供が11人ですぞ!)の一家にまかせて、年60万円もあるそうだ。今後、6ヘクタールの農地が欲しいそうだが、定年後の趣味でこんなに稼げれば、楽しくて、楽しくてしょうがないだろうなぁ(笑い)。
マ・ヒヨコ.jpgマ・ヤギ.jpg田んぼの中に柱を立て自分で電気を引いた作業場なのか、これが普通の農家なのか平屋建ての家には犬・猫は勿論、ニワトリ・ヤギ・ブタまで居たが、ニワトリは勝手に(?)繁殖していて現在50羽以上いるようだが、正確な数はここの主でさえ知らない(笑い)。昼も近くなり、私が来るからと、このビサヤチキンをつぶしてスープが出来ていた。これをいただいて、3時間かかる帰路に着いたが、私に取っては淡い緑に染まった広大な水田風景こそ、かけがえの無いご馳走だった!

にほんブログ村 映画ブログ 映画監督・映画俳優へブログランキングへ左のバナーをクリック:お願いします。


”新築祝い”ダヴァオ編:A氏の場合:定年後に遅まきながら国際結婚。ダヴァオを”終の棲家”と決めて一年。30坪のささやかな我が家が完成。お披露目の運びとなった。親類や近所の人達がお祝いに来るからと、妻は大張り切りで準備を始めた。妻の両親も姉妹も3日前から泊まり込みで手伝っている。午後4時・少しは涼しくなった頃、玄関の戸を開け放し、門までの空間に大きなテーブルを置き、その中央には40キロもあるブタの丸焼きが存在感を誇示していた。紙のとり皿とコップがテーブルの隅に積み上がり、料理が並べられると、豪華と言うかーー誰がこんなに食べるのかと、信じられない位の量だ!
門の外には近所の人が集まり、中を覗き込んでいた。妻が門を開け、招き入れると、テーブルの周りは、みるみる人で埋め尽くされ、食べ終わった人は帰り、又、新しい人が加わる。こんな光景をビールを飲みながら眺めていたが、人の減る気配は一向に無い。夜も8時をまわった頃、あれだけあった料理もほとんど無くなっていた。そうなると、いつしか人影が薄れ、新築祝いの幕は閉じた。一体、どれだけの人数がどこから集まってきたのだろう?ダヴァオではこんな新築祝いが普通なのだろうか?ふと妻の方に目をやると満足げに微笑みながら家族と談笑中だった。

にほんブログ村 映画ブログ 映画監督・映画俳優へブログランキングへ左のバナーをクリック:お願いします。

2008年12月21日

東京タワー50周年(写真をクリック⇒拡大)

トキョウタワー1.jpg12月に入ぇりゃ、どの店もすっかりクリスマス気分よ。クリスチャンでもねぇ日本人が、やれハロウインだのヴァレンタインだのと浮かれてサイフの紐がゆるむとなりゃー、不景気なご時勢だ、結構なことかも知れねぇなぁー。なぁに、こちとら、都心の飾りつけを見に出掛けてきたんじゃねぇんだ。東京タワーが50年を迎えたってんで、お祝いかたがた久しぶりにお姿を拝見に来たってぇわけよ。こんな風に書くと、神社仏閣を参拝に来たみてぇだなぁ(笑い)。
浜松町からタワーをみながら歩きぁ、ものの10分かと思って出てきたが、どっこい、そうはいかねぇ。第一、ビルに邪魔されて、ご本尊のタワーが見つからねぇ(笑い)。ちょいと歩いちゃ見回すこと数回、やっと聳え立つタワーを探し当たいっ。それにしても思ったより遠いや。歩こうかタクシーに乗ろうか迷ってるってぇと、お誂え向きに小雨が降ってきた(笑い)。東京タワーの下でタクシーを降りたがよ、写真を撮ろうったって近すぎて、上手いアングルがネェ(笑い)。やっと並木の間から全景を捕らえたのがこの写真さね。
タ・クリスマス.jpgタワーの下にはクリスマスイルミネイションが点滅し、観光バスが次々に駐車場に乗り入れて来るし、展望台へのエレベーターは順番待ちの行列がビルの外まではみ出してらいっ。チケット売り場の前だって最後尾がどこだか分からねぇ。いってぇ、800円也のチケット買って、展望台にたどり着くのは何十分後になるんだろう。あっしは、もとより展望台が目当てじゃねぇ。エレベーター待ちの人込みを掻き分けてビルに入ぇると、制服を着た若ぇお嬢ちゃんが数人、割り込みやスリに目を光らせていた。その前ぇを通り抜けて、隅っこにある階段を登る。この階段にゃ以外ぇなほど人が少ねぇ。あっしの目当ては、はなっから3階で開催中の”トキョウタワー・ヒストリー展”よ。
オミヤゲヤ.jpgシャシンテン1.jpg二階に上がるってぇと、こいつぁ驚いた!まるでミニチュアー仲見世だぁな!5坪かせいぜい10坪のお土産やさんが窮屈そうに商い中だった。観光バスで着いたらしきお客さんの群れが、商品に群がってらいっ。売れ筋は、やはりタワーものだが、これだって、単なる置物もありゃ、自分で作る本格的キット、目覚まし時計だってある。ちょうちん、扇子、ハンカチは言うにゃ及ばねぇ、外国に持って行きてぇ土産は、てぇげぇここで手に入ぇる。買いたいものが有るわけじゃねぇが、ちょいと覗いて見ただけで、それなりに時間がかかった。3階にたどり着くと、ここは店が少なくお目当ての”写真展”が、こじんまりと、だがセンス良く当時の写真を飾ってある。
タワー34.jpg50年前と言うから昭和32・3年の写真だろうよ。鉄塔が日に日に高くなって目立ち始めた頃だろうが、クレーンも無ければ、周りにビルもねぇ。走ってる車を見りゃ当時が偲ばれらぁ。原始的な建築機材で当時、世界で最も高い300メーター以上の建造物をオッ建てたんだ。てぇしたもんよなぁー。そのお陰で、TV局がそれぞれ持っていた放送用の鉄塔が不要になり、増え続ける電波需要を今日まで支えてきたんだぁーな。
異論はあるだろうが、昭和30年代の3大プロジェクトといやぁ、新幹線・富士山頂レーダー・に東京タワーと言うこっちゃ。レーダーの方はとうに役目を終えて引退。このタワーも平成12年にゃ、TV放送がデジタル化されるのに歩調を合わせスカイツリータワーなるものが取って変る予定だとよ。その後はどう処理されのか、あっしにゃ関わりはねぇが、取り壊されるのは寂しい気がすんなぁー。残るのは新幹線だけかぁー。

にほんブログ村 映画ブログ 映画監督・映画俳優へブログランキングへ左のバナーをクリック:お願いします。


安藤達己的毒舌:シンブン1.jpgサブプライムローンが破綻するや、米国の金融機関が一気に機能不全に陥った。この損失が一体何百兆円になるのか専門家でさえ、ハッキリしない。日本のバブルが弾けた時、政府は40兆円近い税金を銀行につぎ込んで金融を立て直した。今回、米国政府はその何百倍もの資本注入を要求されるだろう!ドルは信用を失い、ユーロもこれを追った。日本の円だけが独歩高、あっと言う間に1ドル・80円台に急騰。世界の景気が衰退期に入ったと原油需要の減少を見越して、1バレル30ドル台。食品価格も以前の水準に戻った。だが、日本経済をリードしてきた、トヨタ・ソニー・キャノンが円高と世界経済の冷え込みを予測して大幅なリストラに踏み切った。年の瀬を迎えて明るい話題は無い!我が国の総理は”100年に一度の経済的危機だ”と言いながら、国会は相変わらず空転。アメリカの3大自動車メーカーが破産寸前で、米政府からの資金援助待ちとなっている!
だが、待てよ!日本のように資源の大半を輸入に頼る国にとって、原油の劇的な値下がりも円高も追い風になる筈じゃないかいーーー評論家の先生方は何故このプラス面を強調しないのだろう?国際的には、円の信用度が世界一になっている今こそ、日本が世界経済を左右する主役になれる筈だ。国内的にだって、大企業からリストラで吐き出される人材を労働力不足で困っている社会福祉や農業分野に吸収、思い切った予算を付けて失業対策と共に社会構造の変革をうながせば、日本を内需主導型の社会に作り変える絶好のチャンスだと思うのだがーーー
こんな大胆な構想と実行力で、将来に夢を持たせてくれる政治家は居ないのかなぁ

にほんブログ村 映画ブログ 映画監督・映画俳優へブログランキングへ左のバナーをクリック:お願いします。

2008年12月14日

ダヴァオ紀行:その35 音楽コンクール(写真をクリック⇒拡大)

カイジョウ.jpg約束通り:午前8時領事官舎に到着。公用車で会場に向かう。車中、領事から渡された”第16回・リコーダーアンサンブルコンペティション”への招待状に目を通すと、宛名がタツヤ・アンドウと間違っていたのは、ご愛嬌だったが私の役目は、何と!3人しかいない審査員の一人だった。プログラムを読んでみると主催は”比・日系人会”で会場は”比・日系人会インターナショナルスクール・カリナン支部”となっている。窓外には見慣れた景色が広がっていた。それもその筈、会場がカリナンと言うことは、毎年訪問するイーグルセンターと同じ町だ。そして、コンクールの後援は”吉祥寺ライオンズクラブ”と”日比ボランテアー協会”が主体になっていた。
1時間弱のドライブで会場に着き、車を降りると、ムッとする暑さが襲ってきた。額の汗をぬぐって、まずは会場に足を運んだ。床面は土だが、高い屋根が陽をさえぎり、側面は吹き抜けで屋根を支える支柱だけだ。収容人員1000人位だろうか、一段高いところにバレーの公演も出来そうな立派な舞台があった。椅子が並べられた観客席には早々とかなりの人が集まり、コンクールに参加する学生や父兄・指導者は学校ごとにグループを作り、最後の打ち合わせに余念が無い。どの顔も興奮と緊張がみなぎり、コンクール会場独特の雰囲気がみなぎっていた。
レ・リョウジ.jpgウchダ・リョウジ.jpgコンクール開始まで、まだ時間があったので歴史資料館を覗いてみた。ここも”比・日系人会”が運営している。館内には有名なマニラ麻で織られた民族衣装や、セピア色に変ってはいるが、ミンダナオ島の先住民らしき写真や日本人の写真も沢山展示され、改めて日本とダヴァオの関係の深さを知ることが出来る。時間があればもう少しゆっくり見学、といきたいところだが、今日、ここに来た目的はコンクールへの出席だったので、時間を気しながら外に出ると、噂に聞いていた”日系人会の父”と尊敬さる内田氏がご高齢にもかかわらず、会場に見えていた。領事に紹介されて立ち話をしているとすぐに進行係りが”会場へどうぞ”と迎えに来た。会場の入り口では招待客に、レイならぬネクタイ状のハンカチを首の周りにかてくれる係り員が何人も居て、これをスカーフのように巻いてもらい審査員席についた。
シンサ2.jpg壇上、左手に日本語の司会者と英語の司会者が並び、コンクールの開会を告げると、会場のザワメキは静けさに変り、まずは主催者から”この大会が16回目を数えたことへの感謝”とカソリック教徒らしく”神への祈り”行われ、開会式は進行していったが、途中、アシスタントの女性が足早にメモ用紙を持って私の席に来て、審査員の紹介で使う”文章を書いて欲しい”とのことだ。大急ぎで”私が監督した作品だけを書いた自己紹介文”を渡したがその頃には日比両国国家が別々の小学校生のリコーダーで演奏され、私の文が司会者に渡るとすぐに三人の審査員が聴衆に紹介された。これで開会式のセレモニーは終了。小学生の部からコンクールは始まった。
ショウガク3.jpgコウコウセイ1.jpg出場ティームは3分間の練習後、課題曲”村祭り”の演奏に入る。どの学校も真剣に演奏してくれたが、実力にはかなりバラつきがあり、優勝を狙える学校は16校中3校だった。それでも、出場している生徒たちは一生懸命演奏していて、聞いている人に感動を与えてくれる。どの学校も練習を積んでこのコンクールに参加したのだから、順位はともかく、あまり得点差が開かないように採点し、最優秀校と最下位校との差は10点に抑えた。小学生の後は高校の部になったが、参加校は意外なほど少ない。さすがに高校生、体格も技術も肺活量も違うからリコーダーの音色も一段とダイナミックになり、聴き応えがあった。課題曲は”こきりこ節”で、やはり日本の学校で教えている曲が選ばれていた。
小・中・全20校が演奏を終える頃には正午も近く、審査員の採点が集計されると、上位3校は小・中とも、私の採点と変らず、順当な結果だった。直ちに表彰式に移り、司会者が学校名を告げると、順位に関係なく歓声が上がり、参加した生徒・父兄・先生方の顔にも、いつもの笑顔が戻っていた。3位以上の学校には参加賞以外に賞品がスポンサーの”吉祥寺ライオンズクラブ”の女性会員から手渡されたが、これが、何と:現金だった!何はともあれ、日比親善の一環としてスタートし、16回を数えたこのコンクールが来年も盛大に開かれることを願って、カリナンを後にダウンタウンに向けて出発した。

にほんブログ村 映画ブログ 映画監督・映画俳優へブログランキングへ左のバナーをクリック:お願いします。


”オレオレ詐欺”ダヴァオ編:もう2年前になるのかなぁ?イーグルセンターに学生を連れて行く日の朝だった。7時に電話が鳴り、出てみると”ジョンだかジョエルから電話だが、つなぎますか?”と聞いてきた。”そんな名前は知らないよ”と言うと電話を切ってくれた。15分もすると、又電話が鳴って、”今度はデニーだと言う”てっきり、フィリッピンワシ本部のデニスだと思い込み、つないで貰った。すると直ぐに、電話は女に変り”アンドウさん、私、ヴィッキーだけど”、そんな名前に思い当たるフシが無いから”間違いじゃない!”と答えると”じゃ、モニカはジェーンはジョイは?”と言ってきた。”ジョイなら一人知ってるけど”と答えると”そのジョイよ。日本で名前を色々使ってたから、どの名前の時にアンドウさんと会ったか忘れてた。ごめん!”で、何の用か聞いてみると、今、ダヴァオの家にいるけど、お母さんが入院していて、今日10,000-ペソ払わないと病院を追い出されるとのことだ。でも、私には、電話の主が私の知っているジョイかどうか分からないし、余分なお金だって、そんなに持ってないと伝えると、”じゃ、7000-ペソでも良い”と値下げしてきた。
私も、今日は9時にホテルを出るから、貴女がホテルに来たら3000ペソ位ならあげるよ、と言うと、受付に置いといてくれとのことだ。顔を見てからでないとお金は渡せないと言ってやると、今度は9時までにホテルに行ける場所に居ないと言う。だってさっきダヴァオに居るって言っただろう?こうして会話(いや、オネダリ交渉)は20分も続いた。最後には”じゃー、もう、いいっ!”だって。ーー一誰がアンドウという日本人が一人で、このホテルに泊まっていることを知らせたのだろう?ホテルの従業員で私の部屋番号を知らない人なのだろうが、その情報でサギを働こうなんて奴がここにもいた。当時、日本に働きに来ていたタレントの中に”オレオレ詐欺”の手口を知って、現地で実行、味をしめたグループが居たに違いない。そうなると被害に遭った日本人も居たということになる。
気を付けねぇーと!どこにでも、悪い奴はいるもんよなぁー

にほんブログ村 映画ブログ 映画監督・映画俳優へブログランキングへ左のバナーをクリック:お願いします。

2008年12月06日

怪奇大作戦:トークショウ(写真をクリック⇒拡大)

ト・ゼンイン.jpg客席の電気は消され、壇上にだけ照明が当てられていた。暗い通路を進み、用意されていた椅子に飯島監督と共に座る。まずは劇場主から、”今日、予定されていた藤川桂介氏の都合がつかず、安藤達己氏が急遽代役で出席したイキサツが説明され。”薄暗い客席を見渡すと、怪奇大作戦ファンが30数人、私たちに熱い視線を送っている。早速、”ゆきおんな”について、決定稿と出来上がった作品が違うことについての質問があった。テレビ映画では、当たり前のことで、私が助監督のスタートを切った銀座プロの山村聰監督の場合は、撮影するシーンのセリフが殆ど直されていて、毎朝、それを俳優さんに伝えるのがスクリプターと助監督の決まり事なっていた。それに比べれば、飯島作品にしろ私の作品にしろ、まだ、変更が少ない方なのだが、ファンの皆さんは、撮影が脚本どおりに進むと考えているらしい。この質問に対し飯島氏は、俳優さんの性格設定や脚本家がロケ現場を見てない事を説明し、監督との信頼関係で作品を良くする為のシナイりオ変更は珍しくないことを話した。
グ・カベーヌケー2.jpg続いて”壁ぬけ男”がコンクリートの中に消えていくトリックについて質問が来た。監督以下、特撮監督も知恵をしぼり、スタッフも徹夜で作業を進め、灰色に染めたオガクズのプールに俳優さんが徐々に沈んで(コンクリートの中に消える)、その後、合成処理を経てあの映像が出来たのだが、ラッシュフィルムで上手くいったのを確認、スタッフが興奮していた姿を今も思い出す。飯島氏は私が助監督でついていた時と同じように、この撮影状況を親切丁寧に解説していた。
イイジマ.jpgワtシ1.jpgトークショウは佳境に入り”ゆきおんな”を撮影中、円谷プロの金庫が空っぽ(本当だった!)で、雪景色の中を車がスリップしながらホテルに来るシーンは予算をかけずに地方ロケを行うためのタイアップ・カットだった話。同じ頃、一人で京都に乗り込んだ実相寺監督が東京の監督では扱いずらい(?)現地のスタッフの信頼を得て、予算を使い放題(笑い)。そのアオリを飯島氏が受けたイキサツをユーモアと、今は無き実相寺氏への思いをからめて話した。そして”実相寺には、十分な予算で撮りたい作品を撮らせたかった。”と言うくだりでは、私も飯島氏の友情の深さと思いやりに、ホロリと来てしまいました。ファンの質問は更に続き、有名な第一話差し替えの真相では、飯島監督らしく”円谷英二氏が身内に辛かったからではないか”と話していたが、ここは当時円谷にいた私の意見をはっきり述べさせて頂いた。この判断は誰が下したにしろ、”壁ぬけ男”が第一話になったのは正しい判断だった。”人喰い蛾”と今日上映された”壁ぬけ男”を比べてみれば誰の目にもハッキリする筈だ。
怪奇大作戦シリーズで円谷プロの巨星二人・円谷一・金城哲夫・両氏が”吸血地獄”・”光る通り魔”を最後に映像界を去って行った。そして、円谷プロと何の縁もなかった私も、この歴史的な二作品で助監督を卒業することになった。こんな内輪話を飯島氏と一緒にファンの方々に披露していると、予定の2時間がアッという間に過ぎ、続いてサイン会になった。サインをしている間もファンの質問は止まらない。私のところに”あなたはだぁれ?”の台本を持ってサインを求めにきた人もいれば、スクリプターが使っていた”氷の死刑台”の台本を差し出した人もいた。私は自分で監督した作品の台本を一冊も持っていないが、ファンの人達はどうやって40年前の台本を手に入れたのだろう?その苦労を思うと、ファンの有難さをしみじみ感じさせてくれたトークショウでした。
劇場主・これを企画した人・集まってくれたファンの皆さん!ありがとうっ

にほんブログ村 映画ブログ 映画監督・映画俳優へブログランキングへ左のバナーをクリック:お願いします。


グリソム.jpg安藤達己的楽屋話:東京は東の端から西の端”よみうりランド前駅”に2時間かけてやって来た。40年前”チビラくん”はここを現場に撮ったんだっけ。駅を出て町田方向に5分、右に曲がるとすぐにザ・ガリソムギャングのビルがあった。表でバッタリ劇場主と会い、隣の喫茶室でウーロン茶を飲んでいると、飯島監督が現れた。”しばらくでした”と言うにはしばらく過ぎる再開だったが、温和で重厚な人柄は昔のままだった。今は木下プロも辞めてフリーで活動しているとかーー本当にお元気そうで、何よりです。
話はすぐに40年前の”ウルトラセブン”・”怪奇大作戦”の話になったが、実相寺監督が他界して、もう三回忌になるそうだ。まだまだ映像界で活躍して欲しかった人なのにーー飯島監督も”怪奇大作戦”を撮っていた時、出演していた某俳優さんから劇場用映画の話を持ちかけられたそうだが、この俳優さんも映画を製作することなく他界したとか、40年の月日は長い。
urutoradegitaru.jpgそこへ劇場主が二人を迎えにやって来た。すぐ隣の小さな映画館に入ると舞台の両袖に飯島監督と私に生花が届いていた。何と!”怪奇大作戦”のDVDを販売しているデジタルウルトラプルジェクト(http://www.dupj.jp/)の社長からのものだった。21日・劇場主からFAXと電話で藤川桂介氏の代役を頼まれたが、私の作品が上映される訳でもなく、トークショウの翌23日の早朝、ダヴァオへ出発することになっていたので固辞したのだが、”安藤監督と言えば私共に取って伝説の監督ですから”なぁ~んて、お世辞を言われトークショウ出演を引き受けた。昔から言うじゃないですか”ブタも煽てりゃ木に登るって”ーーこの話を以前から面識のあるデジタルウルトラプロジェクトの方に電話で伝えところ、ザ・グリソムギャングに生花が届いていた、とこうゆうわけです。デジタルウルトラプロジェクトの心遣い:恐れ入りやの鬼子母神だぁー

にほんブログ村 映画ブログ 映画監督・映画俳優へブログランキングへ左のバナーをクリック:お願いします。

2008年12月02日

菊:芝離宮庭園(写真をクリック⇒拡大)

ヨセウエ.jpgゼンケイ.jpgXX離宮ってぇから、てっきり浜離宮だと思い込んで浜松町にやって来たぁーな。駅を出て歩き始めりゃ、すぐ右手にちょいと引っ込んで公園の入り口らしい門が見えたいっ。通路の並木の下にゃ、慎ましく”小さな秋みぃつけた”の看板よ。ここだったい!秋口になりゃ、菊花展は珍しかねぇ。まぁ、それだけ愛好家が多いんだろうが”小菊”の品評会ってぇのは聞いたことがねぇ。あっしが、わざわざ西新井くんだりから出て来たのは、小菊に惹かれて”XX参り”ってぇやつよ。芝離宮恩賜公園と書かれた門を入ぇると小さめの菊が程よく”寄せ植え”になってたなぁ。まずは入園料を払って公園を一巡り、高層ビルに囲まれた池の佇まいは浜離宮にそっくりだぁな。この池も一昔前は海水だったんだとよ。こじんまりヨシズに囲まれた一角が小菊の展示場だった。拍子抜けする程、ささやかで、小さな鉢に小さな菊だから、目立ちはしねぇが、よ~く見りゃ見るほどに味があらぁ。
コギク4.jpgずらり並んだ鉢の一つ一つに個性がある。趣のある石を岩に見立てて、秋の景色風のがありゃ、盆栽の松や梅の木に似せたものもある。いくつかの鉢で一そろい”飾り棚”風のものもあった。この小菊栽培も長い歴史があるに違いねぇが、昨今の住宅事情を考えりゃ、ますます愛好家が増えるんだろうなぁ。ちょいと日当たりの良い部屋がありゃ、5・6鉢の小菊は誰にでも楽しめそうだ。あっしは不粋で、花を育てるなんざぁととてもじゃねぇが、丹精込めた菊が思い通りの形に仕上がって綺麗な花でも咲かせてみねぇ。嬉しさも、ひとしお、だろうよ。
フクスケ.jpgもう一箇所、小さな展示場が見えたから、そっちも覗いて来たいっ。嵯峨菊なる種類が出展されてるが、こいつぁ普通の菊と変らねぇ大きさで、あっしのような素人にゃ、どこが違ってるのか、さっぱり見当がつかねぇ。隣にぁ、寸足らずの茎の上に、不似合いな、でけぇ白い花が乗ってる菊があった。横にある”能書き”を読むってぇと”福助”と言われる種類で、花のテッペンまで30センチ以内に育てるんだとよ。この菊は種が違うのか、育て方が違うのか、そこんところはハッキリしいねぇが、咲いてる花を見りゃ、最近人気の小型犬に通じるものがあるように感じたなぁー。ここらでイップクと(タバコの吸い場所を探すのが容易じゃねぇ!)灰皿の場所を探してると、”あずまや”で何やら始まってるようだ。例によって(?)、野次馬根性に誘われて仲間に入ぇってみたぁな。
リース2.jpgリース1.jpgインストラクターの指示でワラを束ねて小せぇ輪っかをこさえてた。細い針金でこれを留めるってぇと、松かさや赤い小さな扇子を固定して、よ~く見りゃ、まぁーリースだぁーな。丁度、クリスマス、新年が近づく時期だ、手作りのリースを部屋に飾るのも悪かねぇ。これも流行のカルチャーだろうが、親子連れで真剣に取り組んでる人もいたなぁー。材料代¥500-と書いてあった。これで親子が共同作業、仕上がった作品は我が家のインテリアになりぁー。一石二鳥どころか一石三鳥だぁな。去年、浜離宮に行った時にゃ、大道芸人が昔ながらの技を披露していたが、昨今の東京都も洒落たこと企画するようになったもんよなぁー。結構なこった!

にほんブログ村 映画ブログ 映画監督・映画俳優へブログランキングへ左のバナーをクリック:お願いします。


ジカン.jpgムンバイ.jpg安藤達己的毒舌:元・厚生省事務次官が連続襲われたってんで、てっきりテロだと思ったぁな。政治的決断が遅ぇから、宙に浮いたままの年金問題は一向に解決しねぇし、役人の無駄遣いだって相変わらずよ!こんな風じゃ、国民の怒りはつのるばかり。そこで、無鉄砲な野郎が、ご本尊の厚生省の高級官僚を狙った事件だろうと、まぁー大概の国民は、そう考えらぁーな。ところがどうでぇ!犯人が捕まってみりゃー、30年も前ぇに、可愛がってた犬を保健所に連れてかれた怨みだとよ!呆れて、ものが言えねぇ。そんことで人を殺すのかよっ。あっしは、何が何だか分からなくなってきたいっ。
インドのムンバイ(ボンベイ)じゃ計画的な同時テロが発生、日本人も犠牲になった。正規軍の投入で、鎮圧したが、7年前の9・11事件から、”テロとの戦い”と称してアフガン・イラクで戦火を開き、数え切れない市民の犠牲を出してきた。それで?!一体、何が変ったのだろう!タイでは反体制派の空港閉鎖で観光客が足止めされたままだ。アフリカだって、報道されないだけで、悲惨な内戦が続いている。
やんぬるかな!ア~ア

にほんブログ村 映画ブログ 映画監督・映画俳優へブログランキングへ左のバナーをクリック:お願いします。