ダヴァオ紀行:その24 日本人墓地 (写真をクリック⇒拡大)
日本人墓地がダヴァオ(ミンタル)にあるのは知っていた。戦後50・60年の節目に日本からの墓参団がこの地を訪れ、新聞にその様子が報道される。一度は行っておかなければいけない場所なのに、ダヴァオ在住の日本人に知り合いがなく、そのチャンスが無かった。今回は”ダヴァオ桜会”の有田氏が案内を買って出てくれたので”渡りに船”と、ご好意に甘え、ホテルを後にした。ミンタルに向けて30分も走ると郊外の住宅地になった。ここで、この辺の地理に詳しい有田氏の友人宅に立ち寄り、冷たいビールで咽を潤すと三人で墓地に向かう。10分も走っただろうか、メインストリートを外れて田舎道を行くと直ぐに墓地があり、車を止めた。ここに着くまで、日本人墓地を示す標識も道案内も無い。現地に住む人に頼まないと、簡単には辿り着けそうにない。日本からの墓参団は”フィリッピン日系人会”のお世話になるそうだが、充分、納得がいった。
カソリック信者の墓地(土葬)にしか見えない中を進んで行くと、向こうに見慣れた石塔が現れた。強烈な熱帯の陽光から守られるように大木の陰になっていて、少しは涼しげに見える。花と線香ぐらい供えたいと思っても、前もって用意してこないとこの近くでは手に入らない。
若い女性が石塔の回りを掃除していたので、聞いてみると”ミンダナオ国際大学”の生徒達で”日比ボランテアー協会”が援助している奨学生だった。第二次世界大戦の戦没者が多いのは確かだが、マニラ麻栽培のために入植して異国でダビにふされた人たちも居る。たまに放送される外国の日本人墓地の中には管理する人も訪れる人もなく、雑草だらけで墓が有るのさえ分からなくなっていて、その地で命を亡くした親族は勿論だが、日本人として心が悼む場所もあるが、それに比べれば、ここの日本人墓地はきちんと管理されていて、ここを訪れた縁戚の方もホットされることだろう。
紀元二千六百年に建立された記念塔もあった。日本では、もう滅多に聞かれなくなった年号だが、こんな記念碑があるところをみると、この墓地が戦前からあり、当時から、この地で日本人が埋葬されていたことを物語っている。近年、日本からの墓参団も少なくなり”戦後”が遠ざかりつつある今も、戦前から入植した人の多かった沖縄からは毎年、墓参団が訪れているそうだ。そう、そう、真新しい”沖縄の塔”が建てられていた。
数多い日系人の中には、いまだに戦中、戦後の苦しみから抜け出せない人達も居ると聞くが、一方でこう言う境遇の人達を救をうと活動している日本人達が様々な形で援助の手を差し伸べている。その結果、日本人墓地も荒れ果てることも無く守られて来た。この様な双方の努力が、やがて実をむすび、より良い日比関係へ発展して行くことを願って止みません。もし、ダヴァオを訪れる機会がありましたら、是非、日本人墓地を訪れ、異国で埋葬されて行った先人に”思いを馳せて”石塔の前で手を合わせて欲しいと心より願うものです。