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2008年03月29日

大川端:桜満開 (写真をクリック⇒拡大)

オ・スイジョウバス.jpg久しぶりに大川端にやって来たいっ、あっしが卒業したのは、向島は吾嬬二中よ。そこの地名がいつの間にか’八広’に変わり、廃校だか合併だか知らねぇーが、6年後にゃ母校が消るんだとよ。あっしが紅顔の美少年の頃(嘘じゃねぇって!)、ここら辺りの土手にゃ良く来たもんよ。自転車で悪ガキ共と出掛けりゃ、まぁー15分がところで土手に到着。途中にゃ、’玉の井’(東向島)と言う駅があり、そこは俗に言う’赤線’ってぇーやつでさ。その花街を通るんだが、ほのかにオシロイの甘い残り香があって、路地裏をユカダだの長じゅばんのお姐さんがチラリ見えようもんなら、何も知らねぇ少年のくせに、変に胸がトキメイタなぁー。まだ永井荷風の世界が残ってた訳よ。
ビル・ドウロ.jpg向こう河岸を見やればコンクリートの護岸の上は、”満開の桜”。’水上バスが下流に向かって突き進むと’、まぁーこういったあんばいだぁーな。こっち河岸はといやぁー、高層ビルと高速道路の間に、けなげに桜が咲いているってぇ様よ。どっちを眺めても’自然なたたずまい’が無いと言うより”土”がねぇ。あっしが遊びに来た頃は、土手沿いに、かなりの幅で木や草があってさ、今の’墨堤通り’も舗装されてねぇーし、第一、車なんざぁー滅多に走っちゃいねぇ。さくらの季節にゃ、イカダを引いたポンポン船が川を行き交い、満開のさくらと空を滑る’都鳥(カモメ)’が独特の風情を醸し出していたなぁー。
吾妻橋を渡り言問橋を過ぎたってぇーのに、さくらは満開だが’都鳥’が見当たらなねぇ。コンクリートだらけの景色に嫌気がさして、どっかに行っちまったんだろうよ!右手を見ると神社らしき建物と、”土”の上にさくらが咲いてるじゃねぇーか、墨堤通りを渡って、ちょいと味のある裏木戸を通り抜けると’牛嶋神社’だった。そうかっ、思い出したぞ!こんもりとした木々に隠れて、お寺らしき屋根が見えていたのがこの神社だったんだ。
ミヤコドリ.jpgリキシャ2.jpg鳥居を潜って神社の外へ出るってぇーと、さくらの白と池を縁取る芝生の緑が目に飛び込んできた。池にゃ、居るは、居るは’都鳥’とハトがエサを投げてる人の周りに群がってらぁーな。こんな景色は興ざめよなぁー。まぁー兎にも角にも、花見もしたし、’都鳥’にも会えたんだ、帰ぇるとするかーーー公園のベンチでイップクしていると、人力車がやって来た。”満開のさくらの下の人力車か”ーーこいつは結構な景色だぁーな。勝手に一枚撮らして頂いたところで、今年の花見も”ありがたく、店じまいとするか。”

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安藤達己的毒舌:4月1日からガソリンが1リッター25円、値下げになるんだとよ。それも大方の予測じゃ1ケ月だけで、又元に戻るんだとーーー何だろうなぁー!?大体、このガソリン税、35年前、道路を優先して作らなけりゃいけなかった頃の暫定税だったと言うじゃねぇーか。暫定と言う言葉は誰が考ぇたって、せいぜいが2・3年のことだろうが!それを30年以上も続けた挙句、更に10年も延ばそうってんだから話にならねぇ。政策が進まないのはネジレ国会の’せい’にする先生方も居るがよ。社会保険庁のテイタラクを炙り出したのだってネジレのお蔭じゃネェーか!道路特定財源でやりたい放題、予算の無駄遣いが明るみに出たのだってネジレのお蔭じゃネェーか?大体、予算があれば、あるだけ使うのが’お上’のやり方よ。マッサージ器やカラオケセットだけじゃ無く、必要もねぇ道路補修だって、さんざやってたに違ぇねんだ!そのせいで、2・3月の年度末になりゃ、あっちでもこっちでも、やたら道路工事が多くて迷惑を蒙ったじゃネェーか。老人福祉・介護・医療・子育てと、緊急の課題が山積しているのに、道路!道路!と、一つ覚えの様に’のたまう’先生方よう、庶民の生活をしっかり見てやってくんねぇ。道路特定財源を一般財源にするなんざぁー、庶民感覚からすりゃー、あったり前の話よ。遅すぎるぐらいだぁな----
各省庁にぶら下がっている特殊法人や行政法人が4千何百もあって、これに使われる予算が、なんと、なんと年間12兆を超えるんだとーーーこれがほとんど官僚の天下り先で、ここに随意契約で発注された仕事は、民間に丸投げされるそうな、これが本当だとすれば、ガソリン税を止めたって3兆円位すぐ出てくるんじゃねぇーかい!?行政改革を本気でやろうとしない現内閣を見透かすように、株式市場では日本売りが止まらない。
拝啓、内閣総理大臣さま!株価が低迷しているのはアメリカ発のサブプライムローンのせい、だけではありませんぞ!

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2008年03月23日

ダヴァオ紀行:その24 日本人墓地 (写真をクリック⇒拡大)

ドソウ.jpg日本人墓地がダヴァオ(ミンタル)にあるのは知っていた。戦後50・60年の節目に日本からの墓参団がこの地を訪れ、新聞にその様子が報道される。一度は行っておかなければいけない場所なのに、ダヴァオ在住の日本人に知り合いがなく、そのチャンスが無かった。今回は”ダヴァオ桜会”の有田氏が案内を買って出てくれたので”渡りに船”と、ご好意に甘え、ホテルを後にした。ミンタルに向けて30分も走ると郊外の住宅地になった。ここで、この辺の地理に詳しい有田氏の友人宅に立ち寄り、冷たいビールで咽を潤すと三人で墓地に向かう。10分も走っただろうか、メインストリートを外れて田舎道を行くと直ぐに墓地があり、車を止めた。ここに着くまで、日本人墓地を示す標識も道案内も無い。現地に住む人に頼まないと、簡単には辿り着けそうにない。日本からの墓参団は”フィリッピン日系人会”のお世話になるそうだが、充分、納得がいった。
ボチー1.jpgカソリック信者の墓地(土葬)にしか見えない中を進んで行くと、向こうに見慣れた石塔が現れた。強烈な熱帯の陽光から守られるように大木の陰になっていて、少しは涼しげに見える。花と線香ぐらい供えたいと思っても、前もって用意してこないとこの近くでは手に入らない。
若い女性が石塔の回りを掃除していたので、聞いてみると”ミンダナオ国際大学”の生徒達で”日比ボランテアー協会”が援助している奨学生だった。第二次世界大戦の戦没者が多いのは確かだが、マニラ麻栽培のために入植して異国でダビにふされた人たちも居る。たまに放送される外国の日本人墓地の中には管理する人も訪れる人もなく、雑草だらけで墓が有るのさえ分からなくなっていて、その地で命を亡くした親族は勿論だが、日本人として心が悼む場所もあるが、それに比べれば、ここの日本人墓地はきちんと管理されていて、ここを訪れた縁戚の方もホットされることだろう。
ボチー3.jpg紀元二千六百年に建立された記念塔もあった。日本では、もう滅多に聞かれなくなった年号だが、こんな記念碑があるところをみると、この墓地が戦前からあり、当時から、この地で日本人が埋葬されていたことを物語っている。近年、日本からの墓参団も少なくなり”戦後”が遠ざかりつつある今も、戦前から入植した人の多かった沖縄からは毎年、墓参団が訪れているそうだ。そう、そう、真新しい”沖縄の塔”が建てられていた。
数多い日系人の中には、いまだに戦中、戦後の苦しみから抜け出せない人達も居ると聞くが、一方でこう言う境遇の人達を救をうと活動している日本人達が様々な形で援助の手を差し伸べている。その結果、日本人墓地も荒れ果てることも無く守られて来た。この様な双方の努力が、やがて実をむすび、より良い日比関係へ発展して行くことを願って止みません。もし、ダヴァオを訪れる機会がありましたら、是非、日本人墓地を訪れ、異国で埋葬されて行った先人に”思いを馳せて”石塔の前で手を合わせて欲しいと心より願うものです。

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2008年03月16日

チビラくん:ヤッホー地球だぞ!

ヤ・ゴソト.jpgヤ・マソト.jpg藤川桂介氏が得意としていたメルヘン調の作品だ。チビラ・ガキンコと地球人の子供達との友情が描かれ”チビラくん”らしい仕上がりとなった。”着ぐるみ”で奮闘してくれているゴルバとママゴンが刑事と飼育係で出演しているが、演技の様子が”着ぐるみ”の動作を連想させて微笑ましいものがあった。
ついにパパゴンのトラベルマシンが完成。まずは発信機を送り出して、性能を確かめようとしたのだが、チビラとガキンコは、怪獣町に来たユミちゃんに会いたくて、内緒でマシンに乗り込んで、地球に来てしまったんだとさ。最初は二人を怖がっていた地球の子供達もそこは子供同士、すぐに打ち解けてチビラ達が知っているユミちゃん探しに手を貸し始めたんだとさ。
ヤ・チ・ガ・コドモ.jpgチビラ・ガキンコがが子供達とユミちゃんを探しに町に出ると、大騒ぎになり、大人たちに追い回されて捕まった上に、遊園地で見世物にされたんだとさ。オリに入れられた二人は、見物人から食べ物や石を投げつけられ怪獣町に帰りたくなったのだが発信機が作動せず、自分達の居場所がパパゴンに分かる筈も無く心細い思いをしていたんだとさ。一方、発信機の行方が分からなくなって、心配になったポチポチはチビラとガキンコから預かっていた手紙をゴルバとママゴンに見せ、ここ怪獣町も大騒ぎになったんだとさ。
ヤ・ラスト.jpg地球の子供達が大切に預かっていた発信機を落としてしまい、そのショックでスイッチが入り。パパゴンが発信機と共にチビラとガキンンコを取り戻した心算だったが、これが地球の子供だった。その子を又地球に戻し、今度こそチビラとガキンコを怪獣町に戻して”めでたし・めでたし”と言う結末になったんだとさ。

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安藤達己的内緒話:チビラくんは”着ぐるみ劇”で怪獣星の話だから、普段の撮影では、車や電信柱、舗装道路が映っているとおかしい。と言って何が映っていて良いかは、はっきりしない。いきおい、景色は自然なものに限られてくる。この話のように、チビラとガキンコが地球に来たとなれば、何が映っていようと気を使わなくても良い。着ぐるみを着ていない人も沢山出ていて、丁度、息苦しい時に深呼吸をするような撮影だった。ゴルバとママゴン役の俳優さんにも素顔?で出演して貰い、これも楽しかった。そんな雰囲気が画面に出てくれれば、申し分ないのだがーーーー

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「SAMPLE」ビデオながら見日記さん!”いつも、いつも”ありがとうっ

2008年03月09日

ダヴァオ紀行:その23 日本との関わり (写真をクリック⇒拡大)

コウテイ.jpgつい数年前、ゼネラルサントス近くで、日本兵生存の噂が流れ、ダヴァオ領事やマニラの大使館員も現地に入ったが、案の定”ガセネタ”だった。この手の噂は、未だに時々聞こえて来るが、戦後63年、ジャングルで人知れず生き延びていると考えるには、時間が経ち過ぎてるし、生存している人の年齢を考えると無理がある。しかし、国籍を隠して現地人として生活していれば、元日本兵生存者がいてもおかしくない。ーーここダヴァオと日本の繋がりは、戦前から始まっていた。沖縄県からの移民が多かったと聞くが、マニラ麻生産のために、かなりの日本人が住み着き、ダウンタウンの一角に日本人町まであった。戦後は、当然のことながら対日感情が悪くなり、日系人達は、素性を隠さなければ生きていけなかった。こうした不幸な時期を経て1980年:フィリッピン・日系人会が発足した。現在、ダヴァオ周辺を中心に、日本が認めた日系人は6500人、更に4000人が申請中だ。
ダイガク.jpgフィリッピン日系人会は1989年、ラナンにインターナショナルスクールを開校、現在、幼稚園から高校まで1400人の生徒が在籍している。職員たちは、私に好意的で、小学校・中学校を案内してくれたが、私立だけあって、建物も教室も明るくて綺麗だった。私が知り合った、日本人会の子供さん達もこの学校に通っている。2002年より、日比ボランテアー協会(網代会長)の援助で、ここの敷地内にミンダナオ国際大学も開校して、子供の教育は勿論、日比の架け橋としての役割も持ち始めている。
ニッケイ・ジギョウ2.jpgこじんまりとした大学内を案内して貰うと、授業中の教室があった。中に入ってみると、大学生とは、とても思えない40歳前後の生徒が30人程、若い先生の講義を真剣に聞き、ノートを取っていた。案内してくれた教授に聞いてみると、生徒は皆、日系人で”日本で働くための授業”だそうだ。それにしても”日本語は全く使われていない!”どうやら、教えている内容は”ビザの更新や健康保険等”の手続きらしい。思い切って”日本語が分からない人が日本で働き口があるのか?”と聞いてみる。すると教授は笑いながら”日本語が分からなくても、正規のビザがあれば、日本の農家はいくらでも働き手が欲しいんだよ”と教えてくれた。”正に、これが日本農業の実情なんだ”。私は、農作地域から若者が去り、”限界集落”などと言われて、極端に過疎化しているのを知りながら、労働力を外国に頼らざるを得ない現実を直視してこなっかった自分を一寸恥ずかしく思いました。
ミニマート.jpgミニマート(小さなコンビニ)が、大学の一角にあった。ちょっとした雑貨や日用品が揃っていて、収益はフィリッピン日系人会に入るようになっているそうだが、”会”が大きくなって行くには、どうしても資金がいるし、このミニマートが第一号店となり、上手く行けば、店を増やす計画があるとのことだ。更に、大学事務室の一角に、日本の法律事務所からの事務員が常駐していて、日系人探しの手伝いをしていた。第二次世界大戦を乗り越え、厳しい戦後を生き抜いてきた日系人達が日比両国から正当な扱いを受ける日は、いつ来るのだろう?
戦後60数年、戦争の重荷を未だ背負っている人たちがいる。私を訪ねて40代の女性がホテルにやって来た。身分証(住民票)を差し出すから見てみると、ステイタスは空欄。ただ、ミドルネームがANDOとなっていた。どうやら、その人は日系人であることを認めて貰って日本で働きたいらしい。おじいさんに当たる人(日本人で86歳だとか)がゼネラルサントスでご存命だとのことだった。早速、”ミンダナオ国際大学”で、日系人探しの手伝いをしている人に紹介状を書いて渡したが、あの人は日系人であることを認めて貰えたのだろうか?

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2008年03月02日

チビラくん:めっちゃらくっちゃら騒動記!

メ・タイトル.jpgハッタルソト・ゴ1.jpgことの発端は例によってチビラが学習鳥から逃げ出し、ガキンコと遊んでいた時に始まったんだとさ。”卵が先か鶏が先か”で大論争となり、これにゴルバとママゴンが加わり事態は両家の先祖にまで及び、血統をめぐり、馬並みに扱われたゴルバは腹を立て、ハッタル家に復讐しようと爆薬作りまで始めるように成ったんだとさ。
メ・ゴ・ママキゼツ.jpg悪いことは重なるもので、ハッタル家の子供ではない、と言われて途方にくれるポチポチが事態を更に複雑にしてしまったんだとさ。両家の喧嘩はエスカレートして行き、ゴルバはハッタル家爆破計画を実行に移すが、たまたま、これを阻止してしまったポチポチは、ゴルバの怒りを買い、ダイナマイトを仕掛けられて気を失い、あやふい処でドロンドロンに助けられたんだとさ。しかし、そこは悪戯好きなドロンドロン。ポチポチに超能力を授け、怪獣町は大騒動。ゴルバの占いで、ナンジャー爺さんは、魔女狩りの犠牲になったり、ポチポチに殴られたゴルバが額に角を生やして凶暴になり、ゴルバに触れたママゴンも角が生え、ゴルバ家とハッタル家の間で壮絶な”鬼ごっこ”が始まったんだとさ。
メ・ナンジャー1.jpgやっと我に帰ったポチポチはナンジャーさんから、どこの世界にもポチポチのような立場になっている者がいる。でも、”どこの子供と言うより、ポチポチはポチポチであることが大切だ。”と聞かされ、納得するのだが、そうとは知らないハッタル家の人たちもゴルバもポチポチを恐れて逃げ惑うばかりだったんだとさ。

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安藤達己的独り言:あっしが小学校2・3年生の頃、どこの家も子沢山だったなぁー、兄弟が5・6人は当たり前、1ダースの兄弟がいた家だってあった。当然のように、上の子が下の子の面倒を見ることにならぁーな。あっしの様に8人兄弟の5番目ともなろうもんなら、着るものは全部”お下がり”だったし、面倒を掛け様ものなら、姉達から”あんたは家の子じゃないんだから!”なんて良く言われてたなぁー。それを本気にして、幼心を痛めたんだろうよ、この話をガキ大将に打ち明けると、”気にすることはねぇ、俺も橋の下で拾われたんだ。”などと言って慰めてくれたなぁ。当時、言うことを聞かない子供には、兄弟がすぐ、こんなひどいことを言って、からかったんだぁーなぁ。今時の様に、一人っ子が珍しくない御時世になれば、それこそ”子供さまさま”で、こんなことを言われた子供なんぞぁ、居ねぇだろうし、もし居たとしたら、早速”子供虐待”などと言われて大騒ぎになるんだろうなぁ。”どっちがどうの”と言う話じゃねぇーが、昭和20年代の子育てなんて、随分と乱暴だったもんよ。だからって、あっしは子供の頃を、不幸だったとは思っちゃいねぇよ。親になって知る、子育ての面白さと不思議さよなぁー。
「SAMPLE」ビデオながら見日記さん、貴方の寸評で助けられてます。

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