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2007年12月23日

ダヴァオ紀行:その19 クリスマス風景 (写真をクリック⇒拡大)

クリスマスツリー.jpg流石はクリスチャンの国・フィリッピンだ!ハロウイン(10月31日)が終わるとソウルズデイ(オールセインツデイ)となり、先祖の墓参りが終われば、早々とクリスマスムードに包まれる。街に出れば、ツリーをかたどったイルミネーシオンが点滅を始め、クリスマスソングが聞こえてくる。とは言っても、ここは常夏の島、汗をかきながら聞くホワイトクリスマスには違和感を感じますなぁー(笑い)。夜になって、ダウンタウンで一番目立つツリーを見つけて写真を撮ってみる。日本で見る光と何か違うと思ったら、光源のせいだった。日本でも12月に入ると”光の祭典”とやらが大流行で、あちらこちらで、大げさな点灯式をやっているが、発光ダイオードのお蔭で”怖いほど鮮やかで、冷たい光”が冬の夜を彩る。ここダヴァオでは、発光ダイオードの”輝き”を見たことが無い。しかし普通の電球が醸し出す暖かい”明るさ”も、なかな捨てがたい。
ツリー・マーケット.jpg商店街で土産ものを探していると、露天で、それこそキラキラ光る”クリスマス飾り”を売っていた。この時期になると小さなお店も、それなりに、ささやかな飾り付けをしている。決して豊かな国とは言えないフィリッピンのことだから、一般家庭でも、かっての日本の正月がそうだったように、クリスマスだけは待ちに待った特別な日で、子供達はプレゼントを貰い、食卓には、滅多に食べられないご馳走が並んで、楽しい時間を過ごすのだろう。なぁーんて勝手な想像を巡らせると、私の子供時代:わくわくしながら家族総出で”モチつき”をしたり、”お歳玉”が待ち遠しくて早起きをしたことが思い出される。あの頃は、本当に正月が待ち遠しかった。元旦にしか食べられない、おぞうにとおせち料理が本当に美味しかった。ーー
ツリー・ギョウショウ.jpg友人の家で冷えたビール飲んでいると、表で、”もの売り”らしき声がしたので、外へ出て見ると、この暑い中を”クリスマス飾り”の行商がやってきた。見渡したところ、人影は見当たらない、こんな住宅街で、買う人がいるのかと心配になるが、その男は売り声を掛けながらさっさと歩いて行く。
日本だって行商は珍しくなかった。つい数年前まで、我が家にも農家のおばさんが、竹かごに、自家製の野菜や花、時にはモチやオハギまで詰め込んで売りに来ていた。最近でも、たまに小型トラックで野菜や魚を売っている人を見かけるが、季節感のある行商はすっかり見かけなくなった。昭和40年代まで、5月を過ぎると、どの街にも必ずと言っていい程、金魚屋さんがやって来た。最初の頃は、両端に底の浅い桶を着けた天秤棒を担いで”キンギョ・キンギョェー”の売り声と共に現れたが、その内、天秤棒がリァカーに変わり、いつの間にか姿を見かけなくなってしまった。今更、こんな商売をしようなんて言う物好きは居ないだろう。それは兎も角、日常生活の中から季節感がドンドン無くなって行く。野菜も魚も果物もスーパーに行けば、季節に関係なく一年中並んでいる。生活が豊かになり、”食べたいものを食べたいときに食べる。”と言う消費者の需要に、生産者も流通業者も応えて来た。こうして日本から、”季節が送ってくれる恵み”に対する感謝と感動が希薄になって来た。
ダヴァオと銀座の年末風景を見ながら、ふと若かりし日を思い起こして、感傷的になった私でした。

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2007年12月17日

年末風景:銀座 (写真をクリック⇒拡大)

マツヤ.jpg ”華のお江戸のど真ん中”っと言ぁー、何たって銀座だぁーな。近頃とくりゃー、やれ、お台場だぁー、丸の内だぁー、六本木だぁーと、若者が繰り出す先は様々だがよ、落ち着いた町並みと風格じゃ、銀座にゃー敵わねぇ。なんたって大人の町だぁな。ここ銀座界隈だって師走の声を聞きゃー、どこのビルも、店内を賑やかに飾り付けて客を呼び込もうってぇー算段よ。まずは四丁目の交差点に立って、グルリ見渡して見る。どこもかしこも華やかなもんよ。ましてや日曜日で歩行者天国とくりゃー、どこから湧いてきたかと思う程の人出だぁーな。
タバコを吸いてぇーが、歩いている人は誰も吸っちゃいねぇー。きょう日と来た日にゃー、どこも、かしこも禁煙で愛煙家にゃ、住みづらい世の中になったもんよなぁー。三越の前で紫煙が上がってるから行ってみると、灰皿が並んでいて、あっしのようなタバコっ吸いが、美味しそうにケムリを吐き出してらぁー。”ふい”と京橋の方を見やると、これは驚いたいっ!松屋がルイビトンで包まれてたぁーな。
ミキモト2.jpg三越だって似たようなもんよ。入り口のショウウインドウで、一番派手だったのがティファニーの飾りつけよ。向かいっかしにゃ、真珠屋さんがあって、ここは例年通り、クリスマスツリーらしいクリスマスツリーが控えめに、光を点滅させてたなぁー。それにしても、この中央通り、外国のブランド名を看板にしてるビルばかりが際立ってらぁー。ついでだから並木通りも覗いて見る。ここにゃ、これといって目立つ飾りつけは無かったが、あっしの知らねぇー舶来品の名が、でかでかと書かれたビルが軒を連ねてたいっ。ソニービルの前は、年末恒例の募金箱が置いてあり、”クリスマスツリー”と”しめ飾り”を合わせたような、和洋折衷、粋なデコレイションのレイアウトがまるで雛壇のように見えたなぁー。
ソニー.jpgユキノマルイ.jpg再開発が終わった有楽町駅前へ足を運んでみた。昔のような、ごちゃごちゃした感じは綺麗さっぱりとなくなり、スッキリしたスペースが広がってらいっ。待ち合わせらしき、今風な若者も沢山いて、”垢抜けた”大都会らしい喧騒と活気が満ち溢れてらぁーな。駅の向かいに、丸井があり、店内にどちらかと言やぁー、小さめで地味なクリスマスツリーがあった。大したこたぁー無さそうだが、今、話題の店だからよ、ちょいと覗いて見るか。するってぇーと、どうでぇ、ツリーの下にゃ人が集まり、携帯で盛んに写真を撮っているから何だろうと、よぉ~く見ていると、小さな白いものが、降って来ると言うか、空中に浮かんでいると言うか、人に触れると消えてゆく。流石、ハイテク国家、日本だぁーな、細かい人工雪を降らせていたい。あっしも慌てて、写真機を取り出し、連写してみたが、雪が”はかな”過ぎて写らねぇ。こればかりは、どうしようもねぇから、この写真を見ながら、綿アメのような雪が舞う情景を想像してやってくんねぇー。こんな調子で、クリスマスの飾り付けを見ながら銀ブラをしてりゃ、いくら時間があってもキリがねぇ。そろそろこの辺で帰ぇるとするか、西銀座デパートに差し掛かるってぇーと、何列にもなった長い、長い行列が出来てるからよ。行列の脇をすり抜けて先頭近くまで行ってみるってぇとーーーー
何と!なんと!”年末ジャンボ”の宝くじ売り場だぁーな!今年も振り返ってみりゃー、あまり良いことは無かったなぁー。寒くなる年末を控えて、灯油とガソリンは上がる。年金問題は、ますます混迷を深める。何を怨んでの凶行か知らねぇーが、猟銃を無差別にブッぱなして自殺する馬鹿まで出る始末。自民党の公約から始まって、今年ほど嘘がまかり通った年もないやね。ついこの間、どこかの偉い坊さんが、今年を象徴する漢字・”偽”を墨、黒々と書いてたなぁー。
真面目に働くしか能のねぇー、平凡な庶民は”宝くじ”に夢を託して大晦日を迎えるしかねぇっか。

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2007年12月09日

ダヴァオ紀行:その18 デイナーパーテー (写真をクリック⇒拡大)

リョウジ・カレジ.jpgロビーで待つこと20分:いつもなら、空車のタクシーが次々、ホテルの前を通るのに、今日は全く通らない。ベルボーイが盛んに手を上げてタクシーを呼んでいるが、たまに来るタクシーは客を乗せている。デイナーパーテーは6時半から始まると言うのに、今6時20分、どうやっても遅刻だ。来たっ!やっと来た!ベルボーイが運転手に行き先の地図を渡し、説明し終わるとドアーを開けてくれた。領事宅はここ、グランドメンセンホテルから15分、高級住宅街の一角にある。タクシーが踏み切りのような車止めで止まるとガードマンが行き先を訪ね、私をまじまじと見た後、運転手にカードを渡して、バーを上げてくれた。領事宅の門は閉められていて、ここにもガードマンが二人。私がタクシーを降りると黙って門を開けてくれた。キャク.jpg
玄関を入ると、広いリビングルームになっていて、領事の挨拶が始まっていた。恐縮して、ドァーの側に立っていると、直にメインテーブルに椅子が用意され、手招きされたので、領事の話が終わったところで、その席に着く。続いてイーストアジアン・カレッジに資金援助をしている福本氏のスピーチが通訳付きで始まった。カレッジの学長・ドロン氏一家も招かれているところをみると、このパーテーはイーストアジアン・カレッジを励ます会のようだった。
福本氏が話し終えると、領事が出席している方々に私を紹介して、マイクを手渡された。何も用意をしてなかったので、このパーテーにお招き頂いたお礼と、出席者に合えたことに感謝する、ありきたりの話をした後、持参した”ウルトラセブン・あなたはだぁれ?”の内容を手短に説明。スピーチに換えさせて貰った。その後、ビュッフェスタイルの夕食会となり、ダヴァオに住む日本人会の人々と、フィリッピンに来たいきさつや、気候、食べ物などの話で盛り上がっていると、持参した”ウルトラセブン”が大型のテレビに映し出された。
リョ・セブン.jpg一緒にいた人達は日本人だから、テレビを見れば、説明をしなくても内容を分かってくれる。この方々、長年フィリッピンに住んでいるとはいえ、円谷プロの作品については、結構、知識があり、私が監督を辞めた後の、ウルトラシリーズのことまで聞かれて困ってしまいました。
驚いたのは、同席していた子供達です。見たところ十歳前後、小さい子はどう見ても5歳位。日本語が分からない筈なのに皆が皆、テレビ画面に釘付けで、食い入るように見入っていたことです。映像を見ているだけで、子供は充分楽しめるのでしょうね!40年前に撮った映像が、時代と国境を越えて子供達を引き付ける、不思議な感動が胸一杯に、込み上げてきた瞬間でした。
ダヴァオの誰とは言わないけれど、ここに居た子供達、実はH氏と、K氏のお子さん達で、H氏は70代も半ば過ぎ、7歳と5歳の男の子の父親だそうだ。K氏はもうすぐ70歳、12歳の長男を頭に3人の父親だとかーーーーこの暑いダヴァオで、しかも、かなりの高齢にも拘わらず男を取り戻して(失礼・微笑)父親にしてしまう。フィリッピンの女性達は不思議な魔力を持っているに違いない!奥様は魔女ということになるのでしょうか?(爆笑)

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2007年12月03日

ダヴァオ紀行:その17 イーストアジアン・カレッジ (写真をクリック⇒拡大)

イースト・コウシャ.jpg運転手がドアーを開けて待っている。こんな経験のない私はドギマギしながら、ゆったりした後部座席に乗り込む。車が走り始めると、領事がこれから訪問するイーストアジアンカレッジについて簡単な説明をしてくれた。校舎の敷地はパナボ市の市会議員:ドロン氏が寄付をして学長に就任、校舎は福本氏を中心とした日本人が資金援助をして2年前に開校したとのことだ。ダヴァオのダウンタウンから40分ほど北に走るとパナボ市に入る。丁度、その境目あたりに、この学校はある。車を降りると、ドロン学長は不在とのことで、後をまかされているユージニア女史が学内を案内してくれた。
オンガク.jpgまずは音楽コースの生徒達が、オリジナルらしき、ロック調の曲を演奏し始めた。私には、このバンドの力量を測れる程、音楽の知識は無いが、かなり洗練されていることは間違いない。この学校はカレッジといっても、日本で言う専門学校のようなもので、2年の履修で卒業となり、現在、生徒数が200人。1学年、100人が4コースに分かれている。そうなると、1学年:1コースが20人位のこじんまりとしたクラス編成だ。今年10月、初めての卒業生40人を送り出し、その内17人が日本で働くことを志願して現在ビザを申請中とのことだった。
ダンス.jpg続いてダンスコースのレッスンを見せて貰った。私が見たのは、今風のモダンダンスだったが、フィリッピンには沢山の部族がいて、それぞれに独特の民族舞踊が継承されているそうです。そんなダンスもカリキュラムには組み込まれていて、この辺が海外に進出する決め手に、なるのではないかと思いました。この2コースが芸能分野になるわけですが、フィリッピンのバンドは東南アジアでの評判が高く、シンガポールを中心に活躍しているバンドも多数あると聞きます。日本でも、つい数年前までは、かなりのフィリッピン女性がエンタテイナー(歌手かダンサー)として日本に来ていましたが、送り出す側と受け入れる側、双方に問題になるプロダクションの介在等があり、彼女達の働く条件が悪いと国際的非難の対象となった。更に、国連から”売春援助国”のレッテルを貼られた経緯もあって、現在、フィリッピンからのエンタテイナーは、日本国内から締め出される状態となっています。しかし、あらゆる分野で国際化が進む中、しっかりとした技術を身に付け、日本に関する知識を持った芸能人が優良なプロダクションを介して、フィリッピンから入国することが出来れば、彼らの活躍出来る可能性は、かなりあるのではないかと思えます。
コンプータ.jpgナース.jpg日本で最も不足している分野、看護とコンピューターのコースを最後に見学させて貰った。コンピューターに関して、フィリッピンで問題なのはインターネットへの接続が遅いこと、と指導者の不足です。まずこれを解決しないと、生徒の質を上げるのは難しい。日本では少子化がどんどん進み、日進月歩のデジタル産業は常に”優秀な若年労働力”が不足している。過日、横浜で合ったインド人も大手企業のプログラマーとして3年間、日本で働くと言う話をしてくれました。
看護師とヘルパーの不足も、既に深刻な問題になっています。厚生労働省は、”資格を持っている人は充分にいる。”と言うが、その人たちが現場に出たがらなければ、人手が足りなくなるのは病院や老人介護の提供施設です。フィリッピンをはじめ、アジアの多くの国々のように、若い人が溢れていても仕事のない国から、日本で働くための知識を身につけた、優秀な人材が日本に入って来れれば、日本とアジア・双方に計り知れない利益をもたらします。したがって、この学校では、有能な若年労働者を日本に送り出すため、日本語教育と共に日本の風俗・文化・社会を知って貰うことにも力を注いでいます。
イーストアジアンカレッジは、日比双方の未来を見据えて第一歩を踏み出しました。この試みが成功するまでに、超えなければならないハードルがまだまだあるのでしょうが、福本氏を中心に、日本側の受け入れ態勢を整えてくれることを期待したいものです。

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