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2007年09月30日

チビラくん:太陽が爆発したぞ!

タイ・タイトル.jpgゴ・ガ・チ・ポ・セイ.jpg最新式の機械を揃え文化生活を楽しんでいるハッタル家に比べ、昔ながらの自給自足でやっと生計を立てているゴルバ家は、小川から桶で水を運んで野菜を育て、ローソクの明かりで夜を過ごすような生活をしておったんだとさ。そんな二人の原始生活を馬鹿にするように、チビラとポチポチは遊びの途中で農作業を見学にきては、ガキンコをからかっていたんだとさ。そんなある日、太陽の黒点活動が急に激しくなり、電波障害が起きるは、魚が川から飛び出すは、野菜の生育が早くなるは、の異変が起こり、ハッタル家の機械は全て故障してしまったんだとさ。
ゴ・パ・チ・ポ・ノウ.jpg機械化された家の中は真っ暗になり、食べるものさえ無くなってしまったハッタル家は、ゴルバに頼み込み、せめて食料を確保しようと、農作業に励んでは、野菜を分けて貰う日々が続いたんだとさ。なにせ慣れない肉体労働ゆえ、家に帰り着くと疲れ果て、動かないエレベーターを横目に、明かりの無い部屋で雑魚寝をする始末。そんな最中に、ゴルバ家では、地下室にあった野菜の成長が早まり、熟睡していたゴルバとガキンコが目を覚ますとジヤングルになってしまった部屋に閉じ込められていたのだとさ。農作業をするために、ガキンコさまを迎えに来たチビラもピンチに陥るが、ここはパパゴンの作った農薬で野菜を退治して難をのがれ、やがて太陽の活動も正常に戻ると、相変わらず農作業に明け暮れるゴルバ家とは対照的に、ハッタル家には文化的な日常が戻り、チビラとポチポチは遊びを取り戻し、ママゴンは大喜びでパパゴンとはしゃぎまくったんだとさ。めでたし:めでたし。

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昭和45年・大阪万博が始まり、続いて開かれる、47年の札幌オリンピックを目前に、日本は経済大国への道をまっしぐらに駆け上がっていた。どの家庭も電化製品であふれ、同時に飽食時代の幕開けでもあった。こうした時代を戦前・戦中派の作家、藤川桂介氏はある種の危機感を持って見ていたのだろうか?ゴルバ家の生活の中に、”人が生きて行く”原点を描いていたように思える。そして、この作品から38年経った今、太陽の活動に異常がなくても、人間の快適な生活を支えるために、電気と化石燃料の大量消費が続き、地球温暖化が加速している。--日本人の生活を支える食料自給率、僅かに40%。次世代へつなぐ私達の責任は重い。
(”チビラくん”は日本テレビ”おはよう子供ショウ”の中の1コーナーで昭和45年から46年にかけて放映されました)

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「SAMPLE]ビデオながら見日記:さん、寸評でご指摘のように、ここ数回のテーマ、一寸、”重たい”感じがしますねぇー。この回のラストシーン、ただただ、踊り喜ぶハッタル家にしたんですがーーー

2007年09月24日

チビラくん:ドロンドロン騒動紀

ドータイトル.jpgある日突然ポチポチの様子がおかしくなった。なにをやっても落ち着かず。失敗ばかりを繰り返す。そのうち、幸せ一杯で、教育ママだった、ママゴンがチビラを叱り付け、”15・16・17と私の人生つらかった(夢は夜ひらく)”と若き日を嘆き、”結婚生活も幸せだったのは、2・3年。7年も経てば飽きが来る(洋画”7年目の浮気”)”とパパゴンにまでひどい悪態をつき、挙句の果てに家を出てしまう。
ドーゴルバ・ママ.jpgこれを知ったゴルバ・ガキンコの父子家族は絶好のチャンス到来とばかり、歯の浮くようなお世辞を並べ立てて、ママゴンをおだて上げ、ついにはチビラやパパゴンを捨てる決心をさせてしまった。すっかり意気消沈しているチビラ達をよそに、ガキンコは母親が出来て大喜び、遊園地に遊びに行くが、後をつけて来たチビラ達とひと悶着。そんな最中にママゴンが”我に帰り”、またハッタル家に幸せが戻ってきて”めでたし、めでたし”と言う他愛のない話だが。ママゴンが突然、心変わりする原因は魔法を使う、タツノウトシゴのようなイタズラ怪獣・ドロンドロンがポチポチのお腹のポケットで眠りたくて、悪さをしていたのだが、----
ドロンー1.jpg貞淑で家庭的な奥さんが、ある日突然、今迄の生活に愛想をつかして、豹変する。その理由は、家族の誰一人理解できない、なぁーんて言う怖い話、どこにでも有りそうで、撮っている私も思わず苦笑したものでした。脚本は上原正三氏で、”ウルトラセブン・怪奇大作戦”とやってきて、気心は分かっていました。当時、私は結婚8年目位で、この話に他人事ではないものを、感じて(笑い)いましたが、上原氏はまだ独身だったと思うけど、よくこんな話が書けたものですね。
ママゴンがハッタル家に戻ってしまい、意気消沈したゴルバとガキンコの後ろ姿に流れる”人形の家”は、まさにこの場面にピッタシ。流行歌も上手く”はまると”こうなるのかと驚きました。上原氏、何故か、この歌詞をいたく、気に入ってましたねぇー。久しぶりに、この作品を見て、子供番組でありながら、幸せそうに見える主婦の潜在意識にふれた、一寸怖い話だったし、さりげなく時代を織り込んでいるのには感心しました。(他人事みたいに、無責任なことを書いてすいません!)こんな要素をちりばめていたからこそ、私は今でもこのシリーズが好きなんでしょうね。----

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「SAMPLE]ビデオながら見日記さん、いつも”チビラくん”の寸評。ありがとうっ!

2007年09月17日

敬老の日:とげ抜き地蔵 (写真をクリック⇒拡大)

トゲ・サンモン.jpg高岩寺(こうがんじ):この連休、何の日だったか分からなかったがよ、新聞を見て、思い出したぁーな。そうさ敬老の日よ。あっしが祝って貰う日だぁーな(笑い)。なんと、百歳以上の高齢者が3万人を超えたんだとさ。65歳以上だって人口の22%だってよう。こんな記事を読みゃー、”年寄り銀座”と言われて久しい’とげ抜き地蔵’を拝んでこねぇーことにゃー、大きな顔をして”敬老の日”を語れねぇ。そこで、朝飯を食うと、渋茶の一杯も頂いてから出掛けることにしたわけよ。それにしても、どうでぇー、この暑さ。もう彼岸が近けぇってのに、真夏日だの熱帯夜だのが続いてらぁーな。おっと!もっともらしく高岩寺と書いたがよ、早ぇー話が”とげ抜き地蔵”のことさね。
トデン・ミノワ.jpg久しぶりに都電に乗ってみるか!まずは、地下鉄日比谷線・三ノ輪で降りて、大関横丁から路地に入る。細い道の両っかしは、昔ながらの商店街よ。その先に、こじんまりと都電の終点、三ノ輪駅がある。正式には”都電荒川線”と呼ぶんだとよ。こちとら、そんなことにゃ、お構いなしよ。早速、電車に乗り込むってぇと、今時、ありがてぇーじゃねぇーか、全線160円さね。”とげ抜き地蔵”は”庚申塚(こうしんずか)”で降りるんだとよ。車内は、しっかり冷房が効いててさ、外の暑さから開放されて、ほっと一息ってぇところだぁーな。
ジゾウショウテンー1.jpgチンチン電車とはよく言ったもんだ。発車の度に、律儀にもよ”チーン、チーン”と合図がある。45分のゆったりした旅が終われば、”庚申塚”よ。電車を降りと”巣鴨地蔵通商店街”のアーケードが道案内をしてくれらぁー。丁度、秋祭りの時期と重なって、’年寄り銀座’と言われてる割にゃー若い人の姿も結構目に付く。それでも、やっぱ洋服屋さんとクスリ屋さんが多いなぁー。最近は滅多に見かけないご婦人用の下着だの、ツエ・傘の専門店を覗きながら歩いて行くが、兎にも角にも、まずは地蔵さまの姿を拝まねぇーことにゃ、ここまで来た甲斐がねぇー。暑い中を、のろのろと15分も歩くと山門にたどり着く、ここには托鉢の坊さんが二人いたなぁー、これをくぐって境内を見回してみるが、”こんなに狭かったかなぁー”と、思うほど、こじんまりしている。
トゲ・ジゾウ.jpg左手に長い行列が出来ていて、その先頭に”とげ抜き地蔵”が、鎮座まします。っとまぁー、こんな按配で、こちとら、いたって健康。長い行列に並んで、治してもらう病気も無いから、ちょいと失礼して、地蔵さんの近くまで行き、写真を撮らせて貰ったが、地蔵さんの綺麗なこと、まるで、昨日今日出来たばかりの新品のようだ。大分前に来た時にゃ、タワシで擦られて、顔の凹凸も殆ど無くなっていて、気の毒なような、それでいて妙に有り難いような気がしたがよ。--
今のお地蔵さんは二代目で、昔のようにタワシは使わせないそうだ。それでも、信心深い参拝者は、渡された布で地蔵さんを擦っていたがよ、側についている寺の人が手際よく人をさばいて行くので、あっしには”有難み”が減ったように見えたなぁー。昔のようにタワシで擦られて、地蔵さんの器量が悪くなったって、それだけ人助けをしたんだと思えば、それはそれで、味も出るし、有難みも増すと思うんだがーーーーなんだか昔見た、顔の形も崩れたお地蔵さんが妙に懐かしく思えたなぁー。

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安藤達己的毒舌:”安倍総理・突然の辞任”。これには、流石のあっしも驚いたいっ。臨時国会を召集して、所信表明演説も終わり、代表質問が始まる、その日の出来事だったぁーな。てぇーげぇーの人は、参議院選挙の惨敗で辞任するかと思ってたがよ。”山積する問題を抱えて政治的空白は作れねぇー”ってわけで、続投を決めといてさ。この期におよんで、辞任だとよ。あきれるじゃねぇーか!今、世間の感心はもっぱら、年金・医療・介護保険・政治と金・テロ特措法に集中してるがよ。あっしはもっぱら教育のことが気にならぁー。
ここ数年、各界のリーダー達の無責任さには目を覆いたくなるものがあらぁーな。利益追求ばかりに走ったファンドリーダーの違法行為。IT産業の旗手と自認する社長の逮捕。介護に関する不正で非難を浴びている社長。これが全部、戦後生まれの戦後育ちとくらぁー。安倍元総理だって、それを”売り”にして、戦後レジームからの脱却とか言って、胸を張ってなかったけぇー。いってぇー、どんな生い立ちと、教育でこんなリーダー達が生まれてきたんだよう。
安倍元総理が作った教育再生委員会で、教育をどうすれば良いのか検討しているようだがよ。そんな必要は無いやね。元総理が歩いてきた道を、受けた教育を含め、洗いざらい、本か何かにして発表して貰おうじゃねぇーか。そうすりゃーよ、黙ってたって、戦後教育の問題点が浮かび上がってくらぁーな。なにせ、国民の生活などに目もくれず、代表質問の日に辞任、と言う前代未聞の離れ業を見せた、わが国、最初の総理大臣・日本国の最高責任者なんだからよう!

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2007年09月10日

快傑ライオン丸:地獄から来た死神オボ

ライオンマルー3.jpgオ・タイトル.jpgライオン丸的要素、満載の脚本だった。先ずはゴースンの手下が3種類(3キャラクター)、編み笠で冒頭に現れると、妖術とクモの巣(歌舞伎の小道具で、細い紙が投網を打ったように広がる)を巧みに操り三人の武士を切る。場面が変われば、平和を守るための密使が馬を背景に家族と別れるシーンになる。馬丁(馬に関することを任せていたスタッフ)さんが、2トン車を改造した馬運車に茶色の馬を乗せてやって来た。私に会うなり”馬はどこから、どこへ走らせますか?”と聞いてきた。ロケハンで現場は決めていたが、馬が走る場所と方向までは決めていなかったので、”今、決めないといけないの?”と言うと、”それが分からないと馬を車から降ろせない。”との返事だ。現在、撮影に使われている馬は、ほとんど元競走馬(サラブレット)で、レースを引退して、気性の良い、扱いやすい馬が乗馬用として調教される。それでも生来の’神経質さ’と’臆病さ’は変わらない。馬は、見たことの無い方へは走りたがらないので、ゴールで降ろしてスタート地点まで歩いて行ってからでないと、格好良くは走らないそうだ!
ウマ・ブシ.jpg走りつくゴールを決めると馬丁さんが馬運車をそちらに回し、馬を降ろし、スタート地点まで道を覚えさせるように、手綱を引いて行く。この手順が終わらないと撮影が始まらない。いよいよ時代劇らしい馬の疾走、これは上手く行った。続いて馬上の太刀まわりとなるが、馬は後ろも見えるらしく、般若仮面の武士が後ろに回れば、神経質な馬は、驚いて前足を上げて暴れる。これでは、俳優さんが危険なので早々に、武士を馬から下ろした殺陣に切り替える。ここで獅子丸達が、太刀まわりに加わり密使を助けた。
オ・アミ・ナル.jpg般若仮面との太刀まわりで、膝を負傷して獅子丸に遅れた沙織・それを助ける小助は般若仮面が仕掛けた網の罠に掛かり宙吊りとなるが、ここに、さすらいの剣豪”疾風”(蒲生丈太郎)が現れ、二人を救う、これが誰あろう!Pプロの前作で主役を張った成川哲夫で、彼のための太刀まわりも、ふんだんに用意されていただけでなく、獅子丸まで助ける役どころで、縦横無尽の活躍ぶりだ。”疾風”の活躍で危機一髪のところを救い出された獅子丸は、小助の笛で飛んできた白馬に跨り、密使を助けに空を飛び、密使が危ないと見れば、翼を広げたままの白馬の上でライオン丸に変身、ゴースン一味と最後の決戦となるがーーー両側に大きな羽を着けられた白馬は、その揺れる羽に怯え、こちらが思うように動いてはくれない。勿論、馬上のライオン丸は馬丁さんで地上はライオン丸役の俳優さんだ。
ウマ。ヘンシン.jpgこのエピソードでは事実上、ここがラストシーンで、獅子丸から変身、宙を舞って馬に跨るライオン丸。地上で戦うライオン丸。更に”逆回転撮影”で馬上に戻るライオン丸とそれこそ手間のかかる撮影だったが、出来上がりは”快傑ライオン丸”らしい作品になったように思える。それにしても、密使に絡む殺陣・”疾風”が活躍する太刀まわり・獅子丸たち三人の剣戟・そして最後はライオン丸対オボを中心にしたゴースン一味の決闘と、息つく間もないような殺陣の連続で、勢いカット数が多くなり(当時の雑誌に、このエピソードのカット数は300カット以上あったそうで、昼メロと呼ばれていた30分ものが80~100カットだったのと比較されたり、ライオン丸への変身に20秒以上かかってると書かれたりしたのを思い出しました。)撮っているスタッフも大変だったけど、今、又こうしてDVDで見られていることを思えば、その苦労は充分報われているのかも知れませんねぇーーーー

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画像はDVDから転載しました。コピーライトはP-プロに所属します。)

2007年09月03日

ダヴァオ紀行:その13 レチョン (写真をクリック⇒拡大)

ヤク.jpgご馳走と言えばレチョン:フィリッピンと言ったって、7000の島から成る国だ。それぞれの地方に独特の料理が有る筈だが、このレチョンだけは何処に行っても人気がある。勿論、専門店もあるだろうが、ダヴァオでは、普通の家が、注文に応じてレチョンを焼いている。こんな場合は大抵、何かのお祝い用で、30キロ前後の小さめのブタが使われる。フィリッピンでは、家族の絆が強く、お祝い事となれば、戦前の日本がそうだったように、30人前後の親類がすぐ集まる。食べ物の主役は、必ずと言っていいほどレチョンだ。ブタが一匹ごと丸焼きになり、テーブルの上にドーンと置かれれば、その存在感は抜群だ。その上、子供達の前で刀のような包丁を使って、切り分ければ立派なショウになる。日本でよくスーパーマーケットが客集めに”マグロの解体ショウ”をやるが、その豪快さに似ている。土曜と日曜は定期的に目方売りのレチョンが焼かれていて、平均的な家庭では、この焼いたブタが一週間に一度の贅沢なのだろう。
アタマ.jpg生きたままのブタを仕入れる:ぶらり立ち寄った日は土曜の夕方だった。奥さんの姿が見えないので、聞いてみると明日はレチョンの注文が沢山入っていて、マーケットにブタを仕入れに行ったとのことだ。程なく、狭い未舗装の道に面した門前にトライシクル(バイクの後ろにリアカーを付けたような乗り物で普段は人を乗せている)が止まり、生きたブタを降ろし始めた。親父と息子二人が、ブタを抱いて、柵で仕切られた一畳ぐらいのところに5・6匹ずつ、二箇所に分けて入れた。最初の10分位はキーキー鳴いてうるさいが、すぐに静かになった。数えてみると11匹もいる。明日の日曜日に、これを全部レチョンに焼くそうだ!焼く時間を聞いてみると40~50キロの目方売りにするブタで4~5時間かかり、30キロ前後だと3時間程度だと教えてくれた。そんな訳で、明日は、朝6時から仕事を始めるそうだ。娘さんが追加のビールを冷蔵庫から出して来たところで、遅くなっては気の毒なので、早々に引き上げてきた。
カイタイ.jpg翌朝10時:レチョンが焼き上がったと迎いがやって来た。家の前には、30人位が行列を作り、衆目監視の中でブタの解体が始まった。親父が刀のような包丁で、焼きあがったブタを豪快に骨ごとぶった切る。細かい皮や骨・肉が飛び散るが、お構いなしだ。奥さんが骨付きの肉を素早くビニール袋に入れ、目方を計ってお客に渡す。息子がそれを見ながらノートに記帳している。どうやら現金で買う人と、後払いの人がいるようだ。奥さんが、お使いで来たらしい小さな女の子に、センベイのような、皮のかけらを上げると嬉しそうにしゃぶりながらレチョンを抱えて帰って行った。
家の裏では次に焼く、生きたブタの処理が始まっている:マタドール(本当は闘牛士と言う意味だと思うけど?)と呼ばれる若者が、生きたブタを足の間に挟みつけて固定。硬そうなバットのような棒で脳天を一撃。見事に仕留めると、頚動脈を切り裂き、膝でブタの腹をしごきながら、血を抜く。この血も後で使うそうで、殺したブタは全て食べつくされて、捨てるところは無い。
アゴの下から、でん部まで綺麗に裂かれたブタは内臓を抜き取られ、次は毛を剃るアンちゃんに引き継がれる。両刃のカミソリを指の間に挟み、砥石を横に置いて、鮮やかに毛を剃っていく、その剃り上がりの綺麗なこと!ブタの皮がピンク色に光って見える。後は抜き取った内臓の換わりに調味料で味付けした香草・野菜をたっぷり詰め込み、アゴの下からお尻まで太い竹を通して、火に強い糸でお腹をしっかり縫い合わせる。これが終われば、ヤシの炭でジックリ焼き上げて出来上がるのだが、焼く係りは、また別の若者で、35度近い暑さの中を、汗もかかずに4時間、焦げ目が付かないように竹の棒を回し続ける。
客もすっかり居なくなると、火の後始末で仕事が一段落。手伝っていたアンちゃん達が引き上げて行ったところで、レチョンを肴に冷たいビールで”お疲れ様”の乾杯となった。それにしても見事な分業で、手間のかかるレチョンを作り上げる技に感動し、薄味で脂身の少ないブタ肉の美味しさとビールの相性を堪能したのでした。

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