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2007年08月26日

快傑ライオン丸:ムササビアン爆破作戦!!

ライオンマルー4.jpgムサタイトル.jpg初めての時代劇を撮ることになった:レッドマンと言うアクションばかりの短編を監督している時だった。親しくしていた、脚本家・若槻文三氏から、’時代劇をやってみない!’と声が掛かった。内心’時代考証とか約束事が多くて無理かなぁー’と思っていたのだが、話を聞いてみると時代劇とはいえ、変身・忍者ものといった作品で、思い切った演出が出来そうなので二つ返事で引き受けた。内容は戦国時代、かっての仇敵だった果心居士と悪の化身・ゴースンの戦いが始まり、果心居士はゴースンが送り込んだ子分に命を奪われた。居士の弟子だった獅子丸、沙織、小助が師からの形見を抱いて、旅をしながらゴースン一味と戦い、これを滅ぼして日本の平和を守ると言う勧善懲悪物だ。
シシードクロ.jpg今回は、人里はなれた山に住む父子が爆薬作りに成功。そんな折、同士の獅子丸たちがやってくるので、子供は川に出掛けて魚を捕るころから始まる。モリで魚を突くだけの何でも無いシーンだが、時代劇だから、電線、舗装道路、車のわだち、と映っては困るものだらけだ。東京周辺で時代劇向きの場所を探すとなればロケ地も限られてくる。ライオン丸では、多摩川の河原・柿生・拝島・青梅・五日市(あきるの市)で撮影をしていた。
ムササビアンでは狭い小屋のセットで太刀まわりがあり、それも忍者同士だから、ハリを伝わって剣を交え、空中を飛びながら手裏剣を投げるで、どうしてもカット数が増える。外にでれば、撮影がグッと楽になるが、忍者同士のアクションだから、忽然と現れては、消え去り。木に飛び乗ったり、飛び降りたり、で”逆回転の撮影”をふんだんに使う。この準備とタテの段取りも、それなりに大変だ。さらに空中でのアクションには”トランポリン”を使い、この撮影では、フイルムの巻上げスピードを3倍位上げるので、ほんの2・3秒のカットのためにも手間だけはかかる。
絶壁に見える壁をドクロ忍者がゴムホースをロープに巻いて、凄い勢いで降りてくるのには、”なるほど!”と殺陣師の工夫に驚いたものです。これを撮った場所は、田園都市線・京王線が工事中で、周辺の丘(関東ロームと呼ばれる土)をならして宅地にしていた所ですが、この土は柔らかく、怪我の心配が無かったのでかなり思い切ったアクションをやってもらいました。
ライオンームサ.jpg最後の太刀回りは、獅子丸がライオン丸に変身して、ムササビアンを倒してから爆破・エピローグにつないだのだがーーーこの場所が時代劇にはうってつけの”柿生”で、度々、撮影隊が鉢合わせをして制作が話し合い、上手にやりくりしていました。それでも、この場面のように、広い絵を撮るとなると、人や自転車を止めなければならず、まして最後に爆発があるので撮影時間もかかる。円谷プロのような特撮班は無いから、変身後のアクションも全て同じスタッフで撮る。撮影は大変だったけど、一人の監督で撮りきるので、仕上がってしまえば、その苦労も楽しい思い出になる。こうして、私にとって初めて尽くしの時代劇”快傑ライオン丸”はクランクアップを迎えたのでした。

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(写真はDVDから転載しました。著作権はP-プロに所属します)

2007年08月19日

17回・関正子杯小中学生卓球大会・本戦 (写真をクリック⇒拡大)

ブドウカンーイリグチ.jpgうだるような暑さの中を東京武道館に向かう。午前11時30分・気温は35度。たった20分の距離なのに運転する窓越しに照りつける陽光で腕がヒリヒリと痛い。地下の駐車場から、会場に入ると、40脚の卓球台が並べられ、予選リーグの真っ最中だ。声援を送るチームメイトの声が交錯する。あちらでも、こちらでも選手の輪が出来て監督の話に聞き入っている。冷房が効いているとはいえ、その熱気と声援で会場が沸き立つ。午後1時:区切りの良いところで、試合を中断。進行を手伝っている大人たちに混じって選手達も卓球台を片隅によせるといったん会場の外へ出た。
コウシンー1.jpg関杯のテーマ”未来へ”の音楽が流れて、入場行進が始まる。チーム名が呼ばれると、プラカードを持った選手を先頭に会場を一周、所定の位置に並ぶ。14歳以下の選手で編成されたクラブチームの中には、小学校2・3年生らしき、幼い子供も目に付く。大きな会場に圧倒されて、俯きかげんな子供もいれば、大きく手を振って元気一杯なチームもある。態度は違っても選手達のワクワクする興奮が私達のいる壇上まで伝わってくる。
セキマサコ.jpgカップヘンカン.jpg選手の整列が終わると例年どうりのの開会式が、手短に行われる。最後に昨年度優勝のチームからカップの返還、選手宣誓と続き関正子さんの挨拶があって、直に試合が再開された。予選リーグで敗退したチームも練習試合を申し込めば、時間の許す限り試合が出来る。進行係りの先生方は大変だろうが、折角、足を運んでくれた選手たちが1試合でも多く経験を積んで欲しいという大会の趣旨を理解してくれているので、空いている台を使って試合を組んでくれる。遠くから来て予選で敗退したチームは、最後の練習試合を終えると、監督と選手が壇上にやって来て、関さんと役員に挨拶。この大会に参加出来たことを感謝して帰って行く。
こうして1日目の予選リーグが終わると、男子70チームから、女子は30チームから決勝トーナメントに勝ち残った、それぞれ16チームが決まる。会場の後片付けが終われば、遠方から一泊で来た先生方と関さんを始め、主催者側の先生方が食事を共にしながらの懇親会が開かれる。卓球の技術は関さんが相談に乗り、教育上の問題はベテランの先生が若い先生に自分の経験を話したりと、卓球を超えて話が弾む。
シアイー3.jpg2日目・決勝トーナメントが始まる。この大会は、選手に、より多くの試合が出来るように少々変則的な、方法をとっている。ベスト4に入れば、この4チームでリーグ戦となり1・2・3(2チーム)が決まり、5位から8位も同じ様にリーグ戦となる。この結果は、IT時代に歩調を合わせて、日本卓球連盟の公式サイト”卓球ファンnet”からオンタイムで配信されている。また卓球専門月刊誌”NITTAKU NEWS”で毎年・2ページに亘って、この大会を取り上げてくれている。今年も、記録的な暑さの中、100チーム以上の参加があり、男子はmeiji C・S・Cが初優勝。女子は、昨年の雪辱を果たした武蔵野中学校が優勝して、無事に幕を閉じた。このユニークな大会を陰で支えてくれいる梅島クラブの皆さん!大会運営をテキパキとこなしてくれている先生! 本当にありがとう。
          関正子杯・大会委員長     安藤達己

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2007年08月13日

東京湾花火大会:8月11日 (写真をクリック⇒拡大)

ウチアゲー3.jpgダァーンと腹に響き渡る音がするってぇと、大空に見事な花が咲かぁな。夏と言ぁー、打ち上げ花火よ!ここ東京じゃ、8月に入ってから、雨が降らねぇ。この猛暑じゃ、7月が涼しかった分、ドッとこたえらぁーな。日が落ちたからって、蒸し暑さは変わらねぇ。せめて目から涼風でも感じようってな訳で”勝どき”あたりまで出掛けて来たわけよ。それにしてもさ、日本人は、何だってこんなに花火好きなんだろう。あっしの住む足立区だって、立派な花火大会をやってらぁーな。これが済むと、お待ちかねの隅田川さね。ここだけは別格だと大変な人出になるがよ。なにせ、ビルと住宅が密集する地域のこった、大きな打ち上げ花火は、”ご法度”ときたもんだ。あっしにとっちゃ、あの人混みの中で、汗をかきながら見物するほどのものじゃねぇ。
カンキャクセキ7.jpgユカタ7-3.jpg東京湾花火大会の会場だって、4時を過ぎりゃぁー、3時間も待つってのに、青いビニールを敷いた観客席はもう御覧のとうりの賑わいよ。妙なことだがよ、花火大会に行くとなると、若いお姐さんたちがユカタを着たがるーーーそうこなくっちゃ、いけねぇや。何たって、日本の夏とくりゃー、ユカタで決まり、特にお嬢さん方はよ。普段は、飛びっきりの現代っ子でも、これを着て下駄などつっかけりゃ、妙に色っぽく見えるから不思議じゃねぇーか。盆踊りも出掛けてはみたがよ、ユカタを着ているのは、”踊りの会ご一行様”の元お嬢様ばかりだぁーな。こうなるってぇと、花火の持つ不思議な魔力が若い子にユカタを着せてるとしか思えねぇ。着てる方は、見た目ほど、涼しくはねぇらしいが、そこは若さで我慢してもらって、毎年、この装いで出掛けてきて欲しいもんよなぁ。
午後も7時:ドーンと尺玉が夜空を彩ると、いよいよ花火大会の本番よ。低くて明るい花火の連発があれば、ミッキーマウスだのハート型、はてはスマイルまで打ち上がる。お子様方は歓声を上げてるがよ、こちとらには、今ひとつピンとこねぇー。やっぱ、花火ってのは、シュルシュルっと空高く上がってさ。バァーンと派手に弾けるってぇーと、大空を埋め尽くすつかの間の花ビラ、みてぇーなのが良いなぁ。ーーーてな訳で、あっしの好きなタイプの女:じゃなかった花火をじっくり見てやっておくんなせぇー。
ウチー1.jpgウチー3.jpgウチー4.jpg
こうして写真を見ながら、ビール片手に、空に描かれた光の絵巻と耳をツンザク音を、思い出すのもオツなもんよ。花火の下にゃ、ちゃんとレインボウブリッジが映ってらぁな。また、その下に点々と見える灯りは、花火見物に集まってきた小船の群れよ。
華のお江戸は、夏の風物詩:空には花火、海辺に潮風ってか。
ウチー5.jpgウチー7.jpgウチー9.jpg

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2007年08月05日

第17回・関正子杯小中学生卓球大会・準備 (写真をクリック⇒拡大)

関杯17回表紙.jpg足立区と言えば東京は北東のはずれ、隣は埼玉県だ。今でこそ、地下鉄日比谷線が東武伊勢崎に乗り入れ、交通の便だって、大分よくなった、が未だに東京の再開発から取り残されているような感がある。昨年来、義務教育に関する調査・報告では足立区について、良い話は、あまりない!しかし、中学生の卓球に関しては、華々しい成果を残してきた。
この成果の源を探れば、日本卓球チームが世界の頂点に君臨していた当時の中心選手・関正子選手(現・両沢正子)にたどり着く。昭和30年代も後半・世界を制覇し続けた日本卓球が最後の輝きを見せた時、そこには何時も、肉体的ハンデを乗り越えて、コートに立つ関選手の姿があった。現役を退いた後も、卓球の復活を信じて、家庭さえ犠牲にして、子供の指導に没頭してきました。この偉大な選手を排出した足立区は、中学校の先生が中心となり、関正子の名前を前面に押し出した卓球大会の開催を模索し、1991年”関正子杯小中学生卓球大会”が始まりました。
シンスイ7-1.jpg第17回大会を迎えた今年も、8月14・15の2日間、地下鉄千代田線・綾瀬駅に近い東京武道館で開かれます。それに先立って例年のように、大会の打ち合わせが東武線・梅島駅近くの割烹店で行われました。プログラム・広告を出して下さる会社と個人の確認・参加チーム数・大会を支える”梅島クラブ”を中心にした、お手伝いの人員配分・と確認作業を進めていく。関東を中心に、福島、静岡、長野、新潟等々、100チーム前後の参加となれば、大会費用もそれなりに掛かるし、雑用だって半端じゃない。延べ60人位の人々が、陰で2日間の大会を支えている。この作業が一段落すれば、後は、この大会を支えてきた仲間同士、飲みながら、食べながら、関杯の話で盛り上がる。
マサ・タダ・アン7-1.jpg大会への参加資格・14歳以下(中学2年生以下)の男子又は女子だけで6人以上の選手がいれば、殆ど無条件で参加できます。
予選リーグで敗退(1日目)・しても、卓球台が空いていれば、練習試合が出来ます。折角、参加してくれたチームに1試合でも多く試合経験を積んで欲しいからです。
入場行進を行います・ここ、東京武道館は卓球の日本選手権が行われた会場で、参加チームの選手にとって、この舞台で入場行進したことは、夏休みの良い思い出になるに違いないと考えるからです。さらに、この入場行進には、昨年より関杯のテーマソングとして、私の詩に、阿呆鳥が曲をつけた、”未来へ”が使われます。
フェアープレイ賞を、三位までの表彰と同じように、授与します。これは、義務教育中の子供達に、正々堂々と戦う清々しさを大切にして欲しいと思うからです。
コーチの先生方に”卓球にかける思い”を書いていただき、プログラムに乗せています。この文章がきっかけになって、先生方同士の話が”より良い選手指導に”結びつけばいいと考えるからです。
1日目が終わると、指導者の先生方が関さんを囲んで、ザックバランに話し合う場がもうけられます。ここでは、先生方が日ごろ、卓球に関して疑問に思っていることや、生徒指導の難しさをぶつけ合い、明日への糧を吸収しあいます。
オバサン7-1.jpg選手中心の大会にしましょう。と言うのが関正子さんの最初の言葉でした。そして、この大会を運営する人たちの意見を取り入れ。参加した選手達に”いい思い出が残る”大会にすることが出来ました。例年、全中が終わった後、来年を目指す、新チームによる大会だったのが、昨年より、夏休みを短縮する区や県が増え始め、お盆の最中に関杯を開催せざるを得ない状況になりましたが、それでも、ほぼ例年通りの参加チーム数が見込まれています。今年も、沢山の人たちに支えられたこの大会が、選手に取って”素晴らしい夏休みのプレゼント”となる事を信じて、開催したいと考えています。
               関正子杯・大会委員長     安藤達己

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