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2007年07月30日

ダヴァオ紀行:その12 領事とダヴァオ桜会 (写真をクリック⇒拡大)

オフイス.jpgダヴァオの日本領事館はマグサイサイ通りを一寸入った雑居ビルの三階にある。一人旅の私が、ここに来ていることを知ってもらう為に、表敬訪問するのだが、いつもなら階段下まで列を作っているビザ申請者が一人も居ない。訪問者記帳のノートに名前を書くと直に、ガードマンが領事館内に通じるドアーの前まで案内してくれた。昨年・8月、新しい領事が赴任され、私は面識が有りませんでしたが、Eメールの交換で、私のホームページを知った領事は、すぐに読んでくれたらしく、ラニー共々、初めて執務室に通された。”タカを救う会インジャパン”の活動に興味持った領事は、是非、食事をしながら、話でもしましょうと招待してくれた。
ザコヤーカンバン-1.jpgトーレス通りを行くと、洒落たレストランが数軒かたまっている場所がある。その中の一軒が、この店で、経営者は日本人・和食レストランとなっているが、寿司があるかと思えば、キムチと焼肉もあると言った具合でアジアレストランと言った方が似つかわしい。そんなことを言ったって、ここは外国だから、致し方ない。6時の約束だったが10分ばかり早めに行き、店に入ってみると、ノレンがあったり、ウエイトレスはマイカケをしていたりで、これは日本風だった。店の作りも木造で、白い玉砂利を敷いた庭で食事が出来るようになっている。もっとも外の景色が良いわけではないが、夜だから見えない(笑い)。すぐに領事が到着して、先ずは、今まで飲んだことのないサンミゲールの生樽を注文する。領事が推奨するだけあって、これは美味しい。
ザコヤー1.jpgダヴァオ桜会の発起人で、ミンダナオ国際大学の教授をしている有田氏が領事の誘いで仲間入りをした。まずは、自己紹介そしてビールの乾杯となり。変な組み合わせではあるが、寿司と焼肉・キムチをつつきながらの雑談となる。皆さん、英語が堪能なので、ラニーも仲間はずれにならずに会話を楽しむ。領事館にビザの申請者が居なかったことを訊ねてみると、ビザの申請は”指定された業者”を通して、マニラの大使館に申請するように変更され、ダヴァオ領事館では受け付けていないと言うことだった。私は、これまでダヴァオ在住の日本人との交流が無かったので、有田さんとの話から、大学を卒業しても、やはり就職が難しい話や、日本人のボランテアー団体が有田さんに協力していることを始めて知った。
日本・フィリッピンボランテアー協会と言う、網代氏が主催する団体は、ミンダナオ国際大学の建設に大変な協力をして来た上に、この大学の卒業生が、有望な事業計画をもっていれば、資金援助の手助け迄していると言うことだ。有田さんの話から、私達と同じ志で発展途上国に、大きな援助の手を差し伸べている仲間がいることを知って、ほっとするような、心強いような気がしました。個人でアジアの国々に、援助をするような日本人が増えてくれば、アジアの人たちが、先進国・日本を見る目も少しは変わってくるんでしょうがーーーー
ザコヤー2.jpg何と、領事の奥さんも同席してくれた。領事はイタリア赴任の期間が長く、オペラ・ワインの話に、ウンチクを傾け。”安藤さん、是非イタリアに行きましょう。”と誘われたあたりで、生ビールの樽が空となり、オーストラリアワインのボトルが運ばれてきた。奥さんは大変な才媛で、英語も領事より、はるかに上手く、英語のスピーチ原稿は、いつも奥さんが手を入れるとのことだ。思わず笑ってしまったのは、こうして出来上がった英語のスピーチを領事が始めると、出席している日本人の間に、ざわめきとひそひそ話しが起こり、ちっとも聞いていないように思えたと言う話だった。外国に滞在していても、日本人の英語下手は変わらないようで、領事のパーテーに出席するような”日本企業のお偉いさんは、外国に行っても日本語で用が足りるんでしょうね。(笑い)”とこんな話を聞いたり、問われるままに、監督当時の思い出話をするやらで、アッと言う間に、夜も10時。ご夫婦にお礼を申し上げ、後は有田さんにお任せして、タクシーに乗り込んだのでした。

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安藤達己的独り言:今日は朝から、昨日が投票日だった参院選・自民党惨敗の特集番組のオンパレードだ!この3年間、年寄りを狙い撃ちした増税は物凄かった。政府は涼しい顔で、税収が上がったのを自慢するが、これだけ増税すれば、あったり前だろうが!私のような自営業で青色申告をしている65歳以上は、まず、老齢者控除が撤廃され(我が家は、夫婦で100万円課税所得が増えることになる)。青色申告控除が40万円から10万円に減らされた。定率減税がついに0%。
三位一体の改革で、所得減税分が地方税になり、税額としては同じだと、政権政党は言うけれど、地方税が増えれば、健康保険料が高くなり、介護保険も増える。ぁ~あ、老後の生活なんて、出来っこない国民年金なるものを作り上げ、それを頼りにしなければならない国民はどうすればいいの?どの政党が勝っても良いけど、この無慈悲な不条理を何とかしてくれい!

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2007年07月23日

祝!40周年 ウルトラセブン大賞:授賞式

ヒョウーセブン・メ・エレ.jpgトークショウが終わって、早めの昼食となる。控え室に戻ると”何と、ロケベン!”がテーブルの上に置いてあった。ロケベン(ロケ先で食べるから、そう呼ばれているだけで、まぁー駅弁みたいなものです。)を食べるのは35年振り、ダン・アンヌ・満田氏・と私で、おしゃべりをしながら、食べ始める。今回・ナビゲイターとして参加している鈴木繭菓さんは、6年前に放映されたウルトラマンコスモスのヒロイン役の女優さんだった。更に、満田氏が数え上げていくと、何とウルトラマンシリーズは、これまで14作品も続いているのです。満田氏はずっと円谷プロと関わりがあったので、さすがに詳しい。
ロケバスが出発する時の話になった。世田谷通りに出るまで、道が細くて、車が、すれ違えないので、助監督が、まず世田谷通り迄、走って行き、ここに入って来る車を止めてから出掛けた話や、美センの入り口にあった、’食事どころ’みたいな、’駄菓子や’みたいな店の話をしていると、デレクターと制作が、授賞式の進行について説明に来た。一応聞き終わったところで、ステージに移動してリハーサルが始まる。
ヒョウーマユ・ワ・メ・MC.jpgセットに入って行くと、スタッフの数が多い、授賞式用のステージは、まだライテング中だった。それにししても、簡単すぎるほど、簡単なライテングだ、上を見上げても、昔のような5キロ・10キロワットとゆうライトは見当たらない。カメラも、それこそ家庭用ビデオを撮るのと同じもののように見える。もうフイルムは使われていない。聞いてみると、DVDやメモリーは流石にまだ使われていないが、テープに収録するそうだ。感度だって、昔のフイルムと比べれば格段に良いから、大量の電源はいらない。ただただ、35年の空白と技術の変革に驚くより他にない。”正に・浦島太郎だよ!”
MCのガイドに添って、先ずは、私が”宇宙人賞”のメトロン星人にトロフイーを渡す、ついで怪獣賞のエレキング・メカニック賞のポインター号と進行して行く。最後に大賞の発表があり、これはメトロン星人のダブル受賞となった。
ゼンイン.jpg直に、ザブトン運びじゃない!タタミとちゃぶ台運びの、3人(匹?)の宇宙人(あなたはだぁれ?のフック星人も居ました)が現れ、お茶の間をセットする。すかさず、ダンとメトロン星人によって、あの有名なシーンが再現された。話の内容は、作曲家に纏わるもので、当日、知らされたものだったが、ダンがすらすらセリフを言うのでビックリしていると、大きな字で書かれたセリフがフレームの外に貼られていた(笑い)。”これって本当は内緒なんだよね!”視聴者の中から選ばれた2組の子供達がウルトラセブンに花束を贈呈。授賞式は、無事終了とあいなった。
プレス・デンイン.jpg最後は出演者全員がステージに座って並び、写真撮影と質疑応答が始まる。こちらからは、暗くて良く見えないが、横に10人以上の列が3列出来ていて、制作部の一人が手を高く上げながら、取材陣の後ろを左から右へ移動する。出演者はそれを追って顔を動かして行くと、カメラマン達が、いい所でシャッターを押す。どんな雑誌に、何時、掲載されるのか分からないけど、マスコミ時代の到来をひしひしと感じる30分でした。
取材陣の質問が終わったところで、本日のスケジュールは全て終了。メイクアップルームで、一寸、塗ってあった化粧を落とすと家路につく、時計に目をやると丁度4時だった。
安藤達己的・早耳情報・この模様は、22分に編集して・7月31日・18:30より”ファミリー劇場”で初放映されます。

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2007年07月16日

祝!40周年 ウルトラセブン大賞:トークショウ

セブン・メ・エレ.jpg朝、7時:我が家を出発、8:30am、成城学園駅に到着。降りてみると、線路は高架になっていて、南口と北口が繋がっている。教えられた通り、北口からタクシーに乗り”東宝ビルド(旧・美セン)”と言うと、すぐに走り出した。消防署、武蔵工業大学を過ぎて、東宝撮影所を左手に見て通過する筈だが、見過ごしてしまった。世田谷通りに出ると、美センに行く道は一方通行で、こちらからは入れない。地元のタクシーだから、細い道を、ぐねぐねと曲がって住宅街を走り抜ける。40年前は、畑ばかりで、モンシロチョウの飛んでいたのが印象的だったのに、今は、畑どころか、空き地すらなく、すっかり大東京のベッドタウンとなっていた。
ビセン.jpg美センの門前で降りて、門を過ぎると、昔は無かった守衛所がある。名前を書こうとしたら、”セブンの方ですね。どうぞ・左手に、控え室があります。”と案内された。久しぶりだから、辺りを見回して見るが、見覚えのあるような、ないような、どうもはっきりしない。とりあえず、教えられた建物に入って行くと、ドアーに森次・満田・安藤様の張り紙がある。中に誰か居るらしく、テレビの音が聞こえてきた。軽くノックして、ドアーを開けると森次氏(ダン)が来ていた。
ダン「アンちゃん。どうしてたのよ?連絡とろうにも、誰も連絡がとれなくてさぁ。それにしても久しぶりだねぇ。」
私 「40年ぶり、だもんね。でも随分、早く来たんだね」
ダン「7時には着いてたよ!ポインター号のミニチュア持ってくるように頼まれて、1メートルもあるからさ、車じゃなきゃ運べないし。一寸、遅く出れば、渋滞だしーーーそれで早く着いちゃったのよ」
    そこに満田氏登場。”おはようございます。”
私 「去年は、わざわざ円谷プロまで来て頂き、有難うございました。」
満田「あぁーあの時ね。アンちゃんが来るって言うんで、大岡ちゃんが”ミッチャン来てよ。”って頼まれたのよ。」
私 「そうだったんですか、ーー今、ダンとポインター号の話、してたんだけど、特注で作らせたんですって」
ダン「ポインター号作って、売れば結構売れると思ったんだけど、それが高くてさ。今日持ってきたので50萬だよ。本当は、運転席にダンが座って、車も動くようにしたかったけど、70萬も掛かるんだってーー」
満田「それじゃー、売値がいくらになるの?誰も買わないよねぇ」
ダン「それで、もう止めたわけよ。小さな部品が意外と高いんだよね。」
    ひし美ゆり子(アンヌ)このあたりで、仲間入り。
プレス・ゼンインー2.jpgアンヌ「おはよう御座いまぁーす。わぁー、アンちゃんだぁ。」
私 「本当に久しぶりだねぇー。美センの周りもすっかり住宅になって、迷子になりそうだよ。門の位置が違うけど、作戦本部は、右手の奥だったよね。」
満田「そうだよ。綺麗になって、冷暖房がついてるけど、ステージは同じ場所だよ。」
私 「まぁー、当時ステージとは名ばかりで、トタンで囲ってあるだけだったもんね。全部、アフレコだったし。夏のセットは暑かったよ。ーーライテングのせいもあるけど、外が33度もあるのに、セットから出ると、涼しく感じたもんね。手も顔も塩が噴出してざらざらしてた。(笑い)」
満田「いや、冬にさ、セットに入ってみたら雪が積もっていて、中止にしたことがあるんだよ。(笑い)トタンの隙間から、吹き込んだんだよね。」
アンヌ「そんな事あったわね。それに満田さんが監督の時、いつもダンと集合時間の、1時間前にセットに入って、リハーサルさせられたわ。でも、そうして貰ったから、なんとかやれたのねぇ。」
    ここから、あまり他人に話したことの無いギャラの話になった。
ヒカエーダミワ.jpgダン「俺は、当時、給料が1ケ月3萬円でさ。仕事が終われば、アパートに、寝に帰るだけだったなぁー、もっとも遊びに行くったって、お金はないしさ。」
満田「当時なら、そんなもんだろう。俺だって、給料が4萬で監督すると、スタッフとの飲み代として、一作品毎に、1万5千円を足して貰っただけだよ。アンちゃんどうだった。」
私 「多分、1ケ月、7か8萬円、貰ったてたと思うけどーー」
満田「へぇー、結構貰ってたんだ。やっぱ、外部から呼んだスタッフだから、だろうなぁー」
アンヌ「そうそう、ダンも私も結構、隊長(中山昭二)とかフルハシ(石井伊吉)隊員に奢って貰ったんじゃない!」
ダン「えぇー、そうだったかなぁー」
アンヌ「そうよ。それと、ほらアフレコの時、お正月が近くって、ダンの田舎(北海道)からシャケが届いて、私がさばいて、配ったのよ。私は頭を貰ったんだけどね。」
私 「ふーん。そうだったの。覚えてないけど!」
満田「確か、あの時の助監督はアンちゃんじゃなかったよ。山本くん(故人)だった。」
アンヌ「そう、山本くんよ。あの年、私、丁度20歳で、成人式があったんだけど、撮影とぶつかって、振袖が着られなくなってね。その後、一度その振袖を着たんだけど、着せ付けが変で、本当にツイてないのよね、あの着物。それで、娘の成人式に着てもらおうと思ったら’古いから’嫌だって。」
とそこへ、制作部が”リハーサル、お願いしまぁーす。”と呼びに来た。

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安藤達己的・後記:このエッセイを書き始めて、最初の写真をUPした時、グラグラッと来て、思わず腰を上げた。部屋を出ようか、パソコンの周辺機器を押さえようかと迷いながら、時計の秒針を見つめる。30秒:結構長い。揺れが収まってきた。テレビをつけると、もう地震速報を流している。またまた、新潟だ!やっと台風が通り過ぎた直後の地震!あ~ぁ、自然災害列島・日本。

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2007年07月12日

ダヴァオ紀行:その11 闘鶏 (写真をクリック⇒拡大)

シャモー2.jpgピットにシャモを抱いて上がった友人らしき人が、そのシャモで戦いにつく鶏のお尻を突かせる。このシャモをテーザー(からかう人)と呼び鶏の闘志に火をつける。いよいよ二羽のシャモが2メートルの間隔を置いて、地面に放たれた。ブレイドをつけた鶏は頭を下げ、羽を逆立てて、隙を狙う。突然1羽が、空中に飛び出す。もう1羽が背面飛行をするような格好で、敵を向かえ討つ。両方の羽が何枚も空中に舞い、着地したシャモは再び睨み合う。白い羽に真っ赤な血が数箇所。今度は低く飛んで二羽が、絡まりあった。1羽が振り向いた時、もう1羽も、かろうじて立ち上がった。
シャモー3.jpg勝敗は明らかのように見えるが、相手の息の根が止まるまで戦いは続く。武蔵と小次郎の決闘のように互いの位置が、入れ違う。やがて二羽のブレイドが絡んで、もつれたまま立ち上がれなくなると、行事役が鶏の背中を持ち上げ、アットゆう間に、一羽づつを両手に持って、向かい合わせに地面に置く。一羽は、立ち上がることも出来ない、が首だけは持ち上げて闘志を見せる。優勢に立っている1羽が相手の首をつつきながら、踏みつけるようにブレイドを横に払った。行事が横になったままの鶏を持ち上げても、もう首を下げたままピクリとも動かない。勝った方の鶏は飼い主が、素早く抱き上げ、鶏を傷つけないように、気をつけてブレイドをはずす。ピットの外では、賭けに負けたほうが、お札を丸めて勝った方に投げている。戦いが始まって、2・3分、1羽が死んで”勝負と賭け”が終わる。
アイテサガシ.jpg土曜・日曜には、闘鶏が行われる。大衆が参加できる唯一のバクチだ。公営の闘鶏場が数箇所あり、ここは入場料を払って、スタンドに陣取る。すり鉢のような、一番底にピットと呼ばれる土俵が作られている。自分のシャモを抱えてやって来た人達は対戦相手を探す。お互いに、勝てそうな鶏を探すと、先ずは持ち主が掛け金を決める。大体5000ペソから10000ペソで、かなりの大金だ。勿論、勝った方が掛け金を取るのだが、場所代として一割を闘鶏場に払う、ショバ代とゆうわけだ。
ブレイド.jpg相手が決まると、ブレイドとよばれる7センチぐらいのカミソリを渡される。これをシャモのケズメに固定する。丁度ボクサーがグローブの下にバンテージを巻くように、しっかりとテープを巻き、ブレイドを着ける。その間、飼い主に抱かれたシャモは静かにしてなければならないのだが、もう戦いの時を知っているのか、小刻みに体が震えている。これが終わると、飼い主と鶏はピットに登場する。右と左に陣取り、仕切り屋が聴衆を煽る。始めの内は大金を賭ける(一口1000ペソ以上)客に呼びかけているらしいが、急に場内が騒然とすると、見ている人が、”相対”で賭けを始める。こちらは、つつましく100ペソ程度の掛け金だ。
突然、静かになると、いよいよシャモの決闘の始まりだ。二羽が接触すると、空中を舞う羽が本当に綺麗だ。中には、立てなくても最後まで首を持ち上げて闘志を示し、勝っている方が、攻撃を止めて何度、そばに置いても、逃げ出してしまう場合もある。こんな場合は、起き上がれない鶏が勝ちだ。勝負が決まった途端、観客から大歓声が上がる。きっと、この鶏も出血多量で死ぬんだろうが、本能とはいえ、感動を覚える。この写真は、私設で闘鶏を開催している友人に頼んで撮らしてもらったのだが、公営の方は客も多く、ましてお金がかかってるから、下手に写真でも撮ろうものなら、どんなイチャモンを付けられるか分からない。闘鶏の写真を諦めていたところで、この友人との出会い。残酷だ!などと言わずに、異文化を楽しんでください。

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2007年07月08日

あさがお市:鬼子母神 (写真をクリック⇒拡大)

キシボジン.jpg恐れ入谷の鬼子母神:なぁーんて、江戸っ子はよく言ったもんよ。さぞかし立派なお寺さま、かと思って”あさがお市”に出掛けてみりゃー、周りをビルと商店街に囲まれて、うっかりすれば、見過ごしちまいそうだぁーな。開山当時は、お江戸八百八町のはずれでさ、田んぼだぁ、蓮沼が広がってよ、それなりに目立つ寺だったんだろうよ。金持ちが、滅多にいねぇ、時代だからさ、ほとんどが貧乏人だぁーな。貧乏人が医者に行くなんざぁ、滅多にねぇ。そこで善男・善女が子供の無事育つのを願って、この寺に押し寄せたんだとよ。
アサヤタイー1.jpgアサヤタイ.jpg日光街道から鶯谷に向かうってぇと、左っかしは、”あさがお”の屋台がひしめき合ってさ、右っかしは、御覧のとおり屋台が並ぶってえ様よ。距離にして、ほんの4・5百メートルだがよ。そりゃー、大した賑わいさね。”あさがお市”とくりゃー、7月の6・7・8と決まってらぁー。東京じゃ、ツユの真っ盛りさね。例年、雨にたたられるがよ。今年は、日曜が重なった上に、薄日まで射す、上天気よ。”あさがお”片手に、人の群れが地下鉄、入谷駅に向かって移動中だぁーな。縁日にゃー、似合わねぇ警察車両のお出ましも仕方ねぇーか。中央分離帯も、御覧のとおり、屋台で買った食べ物を抱えた人で埋め尽くされてらぁー。折角、ここまで来たんだ、今更、無事に育って欲しい子供も居ねぇーが、お賽銭の一つも上げたくなるのが人情だぁーな。鬼子母神さまの、入り口に来るってぇーと、テープなど持った坊さん風のおじさんが”お参りの方は、列の後ろに並んで下さい”と、交通整理よ。まぁー、そこまでしてお参りする義理もなし、さっさと諦めて、”あさがお”でも買うとするか。
ウリコー1.jpg十年程、前に来た時にゃー、ハンテンにパッチ、粋な豆絞りの手ぬぐいで、鉢巻などしたネェーチャンが威勢よく、声を掛けて来たもんだがよ。一軒ずつ、覗いてみても、それらしい姿が見つからねぇ。やっと探し当てたお店がここさね。江戸に立つ”市”なんてなものはよ、売ったり、買ったりだけじゃ、もの足りねぇ。やっぱり、昔ながらの風情ってぇものがねぇーとな。今時と違って、冷房なんてものが無い時代にさ、この市が始まりゃ、夏が近づく。暑い夏を少しでも涼しげに見せようと”あさがお”を愛でたんだろうよ。だから売り手だって、涼しげな衣装で、元気な声を掛けたに違いねぇーんだ。
イップク.jpg今年は、4色入りの鉢が2000円だと。こいつが高いか安いか知らねぇが。困ったことに花が咲いてねぇー。そりゃそうだ、午後に咲く”あさがお”なんざぁ、聞いたことがねぇ。まぁー写真に写ってる花が咲くことを信じて一鉢買ったがよ、鉢を持って歩いてると、一息入れてる”あさがお”屋のお嬢さんとゆうか、奥さんが目に止まったので、パチリとシャッターを切ったのがこの写真さね。あっしにゃ、涼しげに見えたんだがーー明日の朝にゃ、綺麗に咲いた”あさがお”が、清々しい風を運んできてくれるだろうよ。

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2007年07月03日

チビラくん:海から現れた宝物

チイッカ.jpg ガゴルバー1.jpgおぉー懐かしい”チビラくん”昔々、怪獣街にハッタル家とゴルバ家が住んでおりました。ゴルバ家には、一人息子のガキンコがいて二人暮らしなのですが、かっては、この街、一番の金持ち貴族とかで、苗字も本当は、ゴルバホン・メジラバッハーーーーーと大層なもので、ジュゲムジュゲムゴコウノスリキレーーー見たいな、長がーい、長がーいものだとか。一方のハッタル家は、ゴルバ家の家宝を手に入れ、お陰で金持ちとなり、科学者のパパゴンと、見栄っ張りのママゴンは、一人息子のチビラくんに英才教育をしておったのだそうな。ハッタル家で忘れてはならない、ペットとゆうか、同居人とゆうか、ポチポチとゆう犬らしきものがいて、結構、大切な役割をこなしていたんだとさ。
チタイトル.jpgある日、古い地図を手に入れた両家は、ゴルバ家はガキンコが三度傘姿で、ハッタル家はチビラとポチポチが、宝探しの旅に出掛けたんだとさ。途中、砂山に上ったり、山の急斜面で立ち往生したり、それは、それは大変な冒険旅行になりました。どうしても、先に宝を探したいガキンコとチビラ・ポチポチは急いではいるのだが、そこは子供のすること、チビラは途中で出会ったフラミンゴとダンスを踊ったり、ポニーとヒツジを連れて釣りをしたりと、道草を楽しんでおりました。フラチ.jpg
地図が示す目的地に着いた、チビラもガキンコも木馬の周りでは、宝を見つけることは出来ませんでした。三人が途方に呉れていると、ポニーが現れ、誘われるままに、丘を登って行くと、そこには、とても美しい宝石のような太陽が輝いていましたとさ。
安藤達己的・裏話:チビラくんは、”着ぐるみ”劇で、普通のドラマとアニメの中間にあるような作品でした。演じる側は、大きな顔で口が動くだけですから、身振り、手振りでセリフを操らなければなりません。声は、別の声優さんが入れるので、当然のように、動作とセリフがシンクロしない。ここが又、声優さんの腕の見せ所で、アドリブのセリフを考え出したり、掛け声を入れてみたりと、大変ではありましたが、結構楽しいものでした。ポチポチの”着ぐるみ”は、引火しやすく、今回も焚き火のシーンでは、心配したものです。

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チガポー3.jpgロケ地は行川アイランドとその周辺で、砂山を登る場面では、前が見づらくて、重たい”着ぐるみ”なのに、何度も転げ落ちてくれたポチポチは、よく頑張ってくれました。今はありませんが、行川アイランドの方々にも、大変お世話になりました。このシリーズは”おはよう子供ショウ”の中で放映され、対象が就学前後の子供でした。そこで出来るだけ沢山の動物に出演して貰いました。ガキンコ・チビラ・ポチポチは、”着ぐるみ”の中で、見えづらいにもかかわらづ、喜んで、動物との絡みを、やってくれました。そんな雰囲気が画面を通して出ていたと思います。今回は寓話的ですが、エピソードによって、いろいろと変化がありました。私にとって、四コマ漫画を描いているようなシリーズで、大好きな作品です。再放映している”ちゃんねるNECO”に多謝・多謝です。

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”「SAMPLE]ビデオながら見日記”さん、チビラくんを毎回書いてくれて、ありがとうっ!